第11話 暁の静寂、揺れる誓い
戦いの余熱がまだ屋敷の空気に漂っていた。
廊下に転がる破れたタペストリー、床にこびりついた血の跡。
アリエル・ローゼンベルクは剣を鞘に収め、深く息を吐いた。
「……一晩でこれほどになるとは」
リリアがそっと彼女の隣に歩み寄り、低く囁く。
「アリエル様、伯爵は……逃げました」
「わかっている。あれはまだ本気を見せていない」
アリエルは紅い瞳を細め、暗い窓外に漂う星影を見つめた。
伯爵との一戦は、たった数手で彼の底知れぬ実力と因果操作の恐ろしさを思い知らせた。
胸の奥に広がる冷たさは、戦闘の疲労ではない。
〈因果断絶〉を三度も連発した代償――魂の奥から凍てつく不快な痛みが広がり、指先から色が失われていく。
「このままでは、私の命は……」
そう呟きかけた瞬間、リリアが真剣な目で首を振った。
「生き延びてください。使命のために死ぬのは簡単です。でも、生きて果たすことこそが本当の覚悟です」
その言葉に、アリエルは心の奥で何かが揺れるのを感じた。
復讐は自らの命と引き換え、という道しか見えていなかったはずなのに、彼女の中に小さな疑念と迷いが芽を出す。
だが、迷いを切り捨てるように、玄関から急報が届く。
「アリエル様! 王都の南門に、黒幕一派の兵が集結し始めています!」
駆け込んできた若い兵士の声は、夜の空気を一気に引き締める。
「動きが早すぎる……これは、駆け引きではなく正面衝突に持ち込むつもりね」
リリアが息を呑む。
「防ぐことは……?」
「不可能よ、今の戦力では。だからこそ――こっちが先に動く」
アリエルは机の引き出しから、一枚の古びた地図を広げた。そこには王都を囲む秘密の抜け道と、古戦場跡地が記されている。
「ここを使う。古戦場に誘い込み、因果を歪めて一気に殲滅する」
リリアが険しい表情を浮かべる。
「でも、そのためには更に因果断絶を……」
「そう。だから、次で決める」
その声には、もはや迷いはなかった。
夜明け前の冷たい空気が窓から差し込み、アリエルの頬をなぞる。
――暁の光はまだ遠く、だが確実に迫っていた。
その光が、滅びを告げるのか、新たな希望を照らすのか。
アリエルにもまだわからない。
ただひとつ、彼女が確信していること。
それは、次の一戦こそが、この復讐劇を大きく変える節目になるということだった。
「行くわ、リリア。すべてを変えるために」
ふたりは短く頷き合い、まだ暗い屋敷を後にした。
その背後で、壊れたタペストリーが微かに揺れ、戦火の気配が再び近づいてくる音を立てていた。
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