第10話 決別の夜、血塗られた盤面
吹き荒れる夜風がローゼンベルク邸の窓を叩いていた。
アリエル・ローゼンベルクの瞳は深く赤く、炎の奥底で静かな覚悟がさらに強く燃える。階下には刀剣と叫びの音、ついに敵の刺客たちが屋敷へ押し寄せてきたのだ。
「リリア、脱出口を。味方の集結は?」
「裏庭に三名、もうすぐ増援が!」
リリアは息を切らしながらも不安げな瞳をそらさない。その手を、アリエルはそっと握った。温もりがほんのひととき、心の壁を溶かす。
「大丈夫、私は負けない」
だがその瞬間、階段の影から冷たい声が降ってきた。
「若き令嬢よ。お前の“清らかな復讐”など、滑稽に過ぎぬ。私の計画も、王国の歴史も、お前の手の内からはこぼれ落ちる運命だ」
マルセル伯爵が従者たちを後ろに従え、血のように黒い外套で立ちはだかる。
「なぜあなたは、運命を操る? なぜ、偽りの平穏に執着するのか」
アリエルの問いかけに、伯爵は鼻で笑った。
「貴族の栄光も民の安寧も、“正しさ”などではなく、いかに因果を操ったかで決まるのだよ。――結局、私とお前は同類だ」
アリエルは静かに首を振る。
「違う。私は命を賭けて因果を断つ。未来のために。あなたはただ過去の腐敗にしがみついているだけ」
二人の因縁が激しくぶつかる――その刹那、脇で控えていた刺客が飛び込む。アリエルは即座に身をかわし、因果断絶を放つ。
「断ち切れ、“呪われた因果”!」
空間が光の線で裂け、刃が虚空へ消える。しかしその反動で、アリエルの身体は再び極寒に包まれ、膝をついた。
「くっ……これが限界なのか」
「アリエル様!」
リリアが飛び寄り、支えるその腕から必死の祈りが伝わってくる。
「死ぬなよ、アリエル。お前の正義を、私は――」
もう一人、裏庭から現れた少年兵が、アリエルの背をかばった。
だがマルセル伯爵の微笑みは消えない。
「見事だ。しかし、“因果”を断つごとにお前の魂は黒く染まる。……もし、お前がその“罰”ごとこの世界を変えようと望むのなら、もはや少女ではなく怪物と呼ばれる覚悟をせよ」
伯爵の冷笑の裏に、ごく淡い哀惜が差した。
アリエルはうつむき、短く息をつく。
「怪物でも構わない。この王国に、善悪を超える“未来”を残すためなら――」
そう誓いながら、彼女は最後の力を振り絞る。仲間の肩を借りて立ち上がり、一歩一歩、血塗られた盤面に踏み出していく。
夜明けは、まだ遠い。
ローゼンベルク邸に響く剣戟と叫びは、王国史上最大の復讐劇が、未曾有の転換点に突入したことを告げていた。




