平和
「では、まずはサラスティアさんの得意な魔術を教えてください」
「風系統の魔術ですわ!それとミル、わたくしの事はサラと呼んでください。親しい人間はそう呼びますわ」
「……風系統ですか。では、得意な魔術を伸ばす方向で行きましょう」
風系統の魔術か、悪くない。
魔術には属性があり、魔術師によって得意な系統は違う。扱う魔術によっては戦闘そのものが向いていないものもあるが、風系統の魔術は汎用性が高く、戦闘にも補助にも使える魔術が数多くある。
「ミル、サラと呼んでくださいまし!」
「ち、近いです。…………サラさん」
「はいっ!」
名前呼びをどさくさに紛れて誤魔化そうとするが、見逃してはもらえないようだ。
というかこの少女、昨日も思ったが距離感が近すぎる。同性の友人だと思っていたとしても、もうちょっと距離を取っていただきたい。
少し動けば肌た肌が触れるほどの距離感は心臓に悪い。
距離を取り、最初の訓練を行う事にする。
「では、まずは魔術として戦う上で最も重要な事を行おうと思います」
「はい、何でも言ってくださいまし!全力で取り組ませていただきますわ!」
「よろしい、では───走り込みをしましょう」
「え…………?」
「んぁ、はぁ、はぁ、もう、むり……ですわ」
「お疲れ様です。それじゃあ、今から魔術の訓練を始めましょう」
「ちょ、と、休憩させてください、まし……」
体を汗で濡らし、息を切らして地面に寝っ転がるサラ。
軽く学園内を走ったつもりだったのだが、彼女からすればかなり激しい運動だったようだ。
地面に伏した彼女は不満そうな顔で俺を見ている。
最初に走り込みの必要性は伝えたものの、本当に魔術師に必要なのかと疑問に思っているのだろう。
確かに普通の魔術師ならば体力は並みで十分かもしれないが、前衛を供わない魔術師一人の戦闘ならば下手な魔術よりも体力の方が余程重要だ。
防御から攻撃まで全て魔術で補おうとすれば、どれだけの魔力が必要か分かったものではない。多少は魔術を必要としない体術で対処する必要がある。
サラは一緒に走ったのに息を切らすどころか、汗一つかいていないユーノから水を受け取り、ごくごくと飲んでいる。
ぷはっ、と受け取った水を飲み切り、気合を入れてサラが立ち上がる。
「回復しましたわ!さ、魔術を押してくださいまし!」
彼女の期待と気合に答えるため、俺も真剣に教えるとしよう。
「最初の訓練は自分を把握することから始めましょう」
「把握、ですの?」
「はい、自分がどれだけ魔術を使えるのか、どこからが使えないのか。それを知るんです」
「……分かりましたわ?」
分かってないな。
こてんと首を傾げながら頷くサラを見て、詳しく説明する。
「『魔術領域』と『魔術強度』について知っていますか?」
「ええと、『魔術領域』が魔術を発動できる範囲、『魔術強度』が魔術の世界に対する影響力?で、合っていますわよね?」
不安そうなサラだが、概ねその答えは正解だ。
「はい、そんな感じです。自分がどの程度の『魔術領域』を持っているのか、『魔術強度』は問題ないのか、それを理解する事が魔術において重要なんです」
「そうですの?わたくし、色々な方に魔術を教わってきましたが、余りそこを重要視している方に会ったことが無いのですが……」
「サラさんが師事した方は、恐らく基本に忠実な魔術師だったんじゃないでしょうか?私が教えるのはあくまで魔術師一人で戦う事を前提としたものです。正直、魔術師として大成する事を目的にするならあまり私の訓練は意味が無いかもしれないです」
「そうなんですわね。ならば何の問題も無しですわ!ミル、どうすれば自分の『魔術領域』と『魔術強度』について知れるんですの?」
「『魔術領域』は単純に遠くで魔術を発動すればいいです。まずは私の立っている位置に『風球』を発動させてください」
俺とサラの距離は約五メートル。
魔術師の才覚によって『魔術領域』は異なるが、この距離が平均的な最大距離だ。
「『風球』っ」
サラの魔術により、俺の目の前に『風球』が現れる。
平均的な『魔術領域』はあるようだ。
俺はさらに距離を取る。約十メートルほどだ。
「では先程と同じように『風球』を使ってください」
「分かりましたわ、『風球』っ……!?」
俺の目の前に『風球』が現れる。だが、直ぐに形が崩れ、そよ風となって散っていった。
サラは自分の魔術が崩れたことに対して、悔しそうに口をとがらせる。
「大体この距離が『魔術領域』みたいですね」
「むむ、もうちょっと遠くまで発動できると思っていたのですが……」
「十分ですよ、これだけの『魔術領域』を持つ人は稀です。じゃあ次は『魔術強度』を調べましょうか」
そうして昼休みが終わるまでの間、サラの能力調査が続いた。
「つまり、魔導具は帝国の基盤を支える───」
入学から一週間、サラに訓練を付けつつ、第三皇女を内密に護衛する学園生活にも慣れてきた。
実験室の教壇に立った教師による魔導具に関する授業を聞きつつ、バレない様にこっそりと視線を後ろに向ける。
そこには護衛対象であるアリア皇女と、背丈が高く、隙の無い美麗な生徒、騎士団から派遣された護衛らしき生徒が楽しそうに談笑している。
潜入してから、未だに何の事件も起こらず平和な時間を過ごしている。
思えば、こんなにも落ち着いた時間を過ごすのは久しぶりかもしれない。
第零魔術隊は皇帝陛下直属の秘密部隊であり、休暇とは無縁の生活を送ってきた。
これほど平和な時間を過ごせるのなら、潜入任務も悪くないかもしれない。
いや、未だにスカートを履くのには抵抗感があるが、女装する必要さえなければ……。
「あ、あの、ファーミンさん?」
「ん?」
「じ、実験を……」
声を掛けてきたのは眼鏡を掛けた生徒。
どうやら授業の一環で、グループに分かれ実際に魔道具を使うようだ。周りの生徒は既に机に置かれた魔道具を起動させている。
机には円に幾何学的な文様が掛かれた紙、その上に蝋燭が入ったガラスの筒が置かれている。
火を灯す魔導具か。
「すみません、少しぼーっとしてしまいました」
「い、いえ、全然です、はい!」
何故か怯えた様子の彼女に申し訳なく思いながら、魔道具に魔力を通し火を灯す。
うん、平和だ。
学生というのは、こういうものなのか。
人生の中で初めての平和に浸かり───膨大な魔力を感知し短杖を構えた。
後方、アリア皇女のグループに配布された魔道具。突如としてそこから尋常ではない程の魔力を感じる。
─────魔道具の暴走。
その事実に気づき、咄嗟に動いたのは二人、俺と皇女の護衛と思わしき少女だけだった。
護衛の少女はアリア皇女に覆いかぶさるように、魔道具との間に間に割り込んでいる。
駄目だ。
俺は護衛の少女の失敗を直観する。
護衛の少女は割り込みながら結界を張り巡らせているが、その『魔術強度』では足りない。
魔道具から感じる魔力から推測するに、この部屋を丸ごと爆散させても余りある程の一撃になるはずだ。
仮に皇女は救えたとしても他の生徒達は無事では済まない。
それでは駄目だ。
この状況で最適な魔術を思い浮かべ刹那の間に思考をまとめ、魔術を組み立てる。
『魔力拡散』『嵐檻』『光壁』。
『魔力拡散』により暴走する魔力を減らし、『嵐檻』で爆発が周囲にまき散らされないように天井へと道を作り、『光壁』で壁を作り生徒達への影響を最小限に。
無詠唱で術を放つとほぼ同時、激しい音を立てて爆発するように炎が放たれる。
部屋の至る所から悲鳴が上がる。
「落ち着きなさい!この教室から避難を!」
授業を行っていた魔道具科の教師が悲鳴をかき消す様に叫び、指示を出す。
生徒達が混乱しながらも指示に従い非難する中、俺は激しく燃える魔道具を見る。
事故では無い。あの魔道具に、これ程の威力など備わっていない。
何者かの悪意ある改造が無ければ、こんな事起こり得ない。
平和など、この学園には既に存在しない。
─────『真理の書』はこの学園に入り込んでいる。