【6】聖域の中の光
6-1◆観測不能の“聖域”◆
烏丸のその力ない敗北宣言。
それを、合図に教室の空気は完全に逆転した。
松川や中河を、中心とした体育会系の連中から上がった、地鳴りのような拍手。
それは俺への賞賛ではない。
彼らが信じる「挑戦」という価値観への、
そしてその象徴である「天宮蓮司」への忠誠の現れだ。
俺はその熱狂の中心にいながら、ただ冷徹に盤面を観測していた。
俺のスカウターが表示する彼らの感情データを、俺はただ淡々と記憶していく。
そうだ。これが俺の新しい力。
この世界の全てを見通す呪われた神の眼。
その時だった。
俺の視線が、ふと教室の隅で、一人静かにその光景を眺めている、白瀬ことりを捉えた。
彼女だけが、この熱狂の中にいながら、まるでそこにいないかのように、ただ静かだった。
(…そうだ。彼女はどう感じた?)
俺は、初めて明確な意思を持って、彼女に〈観識〉スカウターの焦点を合わせた。
この世界の、全ての人間をデータ化する、俺の絶対的な眼。
彼女の、その鉄の仮面の下に隠された本当の感情を、今俺が暴いてやる。
【Target Lock: 白瀬 ことり】
【Analyzing...】
その、文字が表示された瞬間。
キィィィィィン!!!!!
俺の、頭蓋骨の内側で、これまで聞いたこともない、甲高い金属的な絶叫が、鳴り響いた。
視界が、真っ白なノイズで埋め尽くされる。
目の前のスクリーンが、激しく明滅し、そして俺の脳に直接、警告を叩きつけてきた。
【ERROR: ACCESS_DENIED.】
【警告:対象は、観測不能オブジェクトです】
「ぐっ…!」
俺は、思わずこめかみを押さえる。
なんだ?これは。
初めてのエラー。
初めての観測不能。
俺の、この完璧なはずの特殊能力が彼女の前でだけ、完全に機能を停止した。
なぜだ。
なぜ彼女だけがこの世界の「ルール」の外にいる?
俺は、混乱する思考の中で、かろうじて顔を上げる。
白瀬ことりは、もうそこにいなかった。
彼女は、教室の喧騒を後にし一人、静かに廊下を、歩いていく。
他の生徒たちとは、違う旧校舎の方角へ。
(…待て)
気になる。
気になって、仕方がない。
小学生の頃から、ずっと同じ学校に通う唯一の存在である白瀬ことり
それなのに彼女にはあまりにも謎が多い。
彼女は一体、何者なんだ。
俺は、衝動的に席を立った。
その俺の行動に、気づく者は誰もいない。
俺は、ただ一つの解けない謎を追いかけるように、
彼女のその小さな背中の後を静かに追った。
6-2◆観測者の聖域への“侵犯”◆
俺は教室の熱狂を後にする。
俺はまるで存在しない幽霊のように、誰にも気づかれることなく、白瀬ことりの後を追っていた。
彼女は、何を考えている?
なぜ俺の力が、彼女にだけ通用しない?
その解けない問いだけが、俺の足を前へ前へと動かしていた。
本館の喧騒が、嘘のように遠ざかっていく。
彼女が、向かうのは渡り廊下で繋がれた旧校舎。
そこはほとんどの生徒が、寄り付かない忘れられた場所だ。
きしむ床。ひび割れた壁。
差し込む西日の角度が変わり、俺の影が長く伸びる。
やがて彼女は、一番、奥の突き当りにある、重厚な木の扉の前で足を止めた。
【図書室】と古風なプレートがかかっている。
彼女は、何の躊躇もなく、その扉に手をかけ、そして音もなく、その中へと吸い込まれていった。
扉が閉まる、その寸前。
俺は駆け寄り、その動きを止める。ほんの数センチの隙間。
そこから、俺は初めてその世界の内部を観測した。
(…なんだ、ここは)
息をのむほどの、静寂。
教室の、あの欲望と見栄が渦巻く戦場の空気とは、全く違う。
高い天井まで続く巨大な本棚は、まるで静かな賢者のように並び立ち、
床に届く西日が、空気中の小さな埃を、キラキラと金色に照らし出している。
古い紙と乾いたインクの匂い。
それは、俺が遠い昔に忘れてしまった、どこか懐かしい匂いだった。
ここは、戦場ではない。
ここは、俺の、あの忌々しいスカウターが分析すべきデータなど、何一つ存在しない、
――あまりにも清らかで、そして美しい「聖域」だった。
6-3◆“無”の少女“人間”の輪郭◆
俺は巨大な本棚の、その影に身を潜める。
ここからなら、彼女たちの死角。俺の完璧な観測席だ。
西日が、差し込む窓際のテーブル。
そこには二人の少女がいた。
一人は、物腰の柔らかな上級生。
俺はその上級生らしき女子生徒をスカウターでスキャンする。
【Target: 一色 栞(三年/図書委員長)】
彼女は、ただ穏やかな笑みを浮かべて、そこに座っている。
まるで、この空間そのものが彼女の一部であるかのように。
そして、もう一人。白瀬ことり。
彼女は、両手で温かい紅茶のカップを包み込んでいた。
その姿は、俺が知っている彼女とは、全く別人だった。
教室にいる時の、彼女はまるで色がなかった。
そこに、いるのにいない。誰の記憶にも残らない、透明な影のようだった。
だが、今、俺の目の前にいる彼女は違う。
その肩には確かな輪郭があり、
その白い指先には、確かな体温が宿っているように見えた。
まるで今までモノクロだった世界に、初めて色がついた瞬間のように。
彼女はこくりと、紅茶を一口飲む。
そして「ふ」と、あまりにも小さく、そして柔らかな息を吐いた。
それは、彼女が、今、この瞬間、確かに「人間」として、ここに「存在」している、何よりの証だった。
(…これが)
俺は、息をのむ。
(これがあの白瀬ことり、なのか…?)
その問いは、声にはならなかった。
ただ俺の胸の中で、静かに反響していた。
6-4◆花と少女と遠い記憶◆
俺は本棚の影から、息を殺して二人を観測し続ける。
その時だった。
ことりの視線がふと窓際に置かれた小さな一輪挿しへと向けられた。
そこに活けてあるのは、一輪の白い桔梗の花。
彼女は、その花をただじっと見つめている。
その横顔が、俺の知らない少女のものに見えた。
上級生である一色栞が、そのことりの視線に気づき、何か優しく声をかける。
すると、ことりはほんの僅か、こくりと頷いた。
そしてその唇の端に、本当にごく僅かな“笑み”のようなものを浮かべた。
花を見て、微笑む少女。
その光景を見た瞬間。
俺の脳裏で、忘れていたはずの遠い記憶の扉が音を立てて開いた。
*光の回想*
――夏の強い日差し。小学校の教室。
俺とことりは、小学校でもクラスメートだった。
学期の初め、クラスの目標を発表する時間。
彼女は、か細い、しかし凛とした声で言ったのだ。
「みんなで植えたアサガオが咲くところを見たいです」と。
そのささやかな願いは、日々の喧騒の中にすぐに忘れ去られた。
クラスの誰もがアサガオのことなど、気にも留めなくなった7月上旬。
俺は見た。
誰よりも早く登校し、一人でその忘れられた鉢植えに、
水をやり続ける白瀬ことりのその後ろ姿を。
おそらく彼女の日課なんだろう
(…そうだ)
俺は胸の奥が、締め付けられるのを感じていた。
(お前は昔からそうだった)
(誰にも気づかれない場所で、たった一人で
世界を守ろうとする不器用で、そしてあまりにも優しい人間だった)
それから俺自身も、定期的にアサガオに水をやるようになった。
6-5◆観測不能の、優しい、時間◆
【光の回想】が終わる。
俺の意識は、再び西日が、差し込む図書室へと引き戻された。
目の前には、あの夏の日と同じ顔で微笑む少女がいる。
(…なぜだ)
俺は、衝動的に、彼女のその笑顔の本質を知りたくなった。
あの穏やかな表情の、奥底に隠された、本当の感情データを。
俺は、意識を集中させ、再び白瀬ことりに俺の能力〈観識〉の焦点を合わせる。
【Target Lock: 白瀬 ことり】
【Analyzing...】
その文字が表示された瞬間。
キィィンと再び脳を焼くような金属音。
視界が激しいノイズで塗りつ潰され、システムが明確な拒絶反応を示す。
【ERROR: INTRUSION FAILED.】
【警告:対象は、聖域属性を保有しています】
(…聖域属性…?)
その馬鹿げた単語を、目にした瞬間。
俺は、全てを理解した。
そうだ。
俺の、この力は人の嘘と欲望と憎悪を観測するための呪われた眼だ。
戦場で敵を、見つけ出しその弱点を暴くための武器だ。
だが、この図書室と白瀬ことりには何があるというんだ?
彼女には、分析すべき嘘も、欲望も何一つ存在しない。
ただ穏やかで優しく、そして清らかな時間が流れているだけだ。
俺の、この呪われた力は、この聖域の前ではあまりにも無力だ。
その特殊能力は平和な世界では必要ないんだ。
俺はそう、解釈した。
俺は、初めて自分の能力の絶対的な「限界」を知った。
そして、同時に思い知らされた。
俺が、あの教室という戦場で手に入れたこの力と引き換えに、
この穏やかで美しい世界を、永遠に失ってしまったという、どうしようもない事実を。
6-6◆観測者の新しい渇望◆
俺は、もう彼女を観測することをやめた。
これ以上は、この聖域への冒涜だ。
そして、何より、俺のこの醜い眼が映し出すデータなど、
あの優しい時間の前では何一つ、意味などないのだから。
俺は、音もなくその場を離れた。
きしむ、床を踏まないよう、慎重に。
彼女たちの聖域を乱さないよう、静かに。
古い図書室の扉を、完全に閉じる。
これで俺はまた、元の戦場へと戻るのだ。
しかし。俺の心はもう元には戻らない。
(…教室リーグだと?)
(久条、三好、烏丸…)
(どうでも、いい。実にどうでもいいことだ)
俺の、頭の中を占めていた、盤上のゲームが色褪せていく。
そして、代わりに脳裏に、焼き付いて離れない光景。
あの図書室の西日。一輪の花。
そして俺が忘れていた、少女の穏やかな笑顔。
(…いつか)
俺は、固く拳を握りしめた。
(いつか、必ずあの聖域に俺も入る)
(そして彼女ともう一度、正面から言葉を交わす)
それは、もはやスクールカーストを生き抜くためではない。
ただ、俺自身の魂のために。
俺が、失ってしまった何かを取り戻すための、
新しい、そしてあまりにも遠い目標が生まれた瞬間だった。
第六話お読みいただきありがとうございます。
作者の京太郎です。
これは「集英社小説大賞6」に応募中の作品です!!!
激しい心理戦の合間に、こういう静かな一話を挟む。
物語の「緩急」というのは、作者として、いつも非常に気を遣う部分です。
この静寂が、皆様の心に何かを残せていれば嬉しいです。
静かな聖域で、新しい決意を見つけた主人公。
しかし彼が戻るべき場所は、やはり戦場です。
だが次回、彼はもうただ守るだけではない。
観客席から降りた少年は、初めて自らの意思で「獲物」を定め
その首を狩るための牙を剥く。
彼が仕掛ける最初の冷徹なゲームとは。
面白いと思っていただけましたら
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そして【ブックマーク】での応援
よろしくお願いします。
皆様の声が何よりの力になります。
それではまた次の話でお会いしましょう。
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久条 亜里沙プロフィール
■ 基本情報
年齢:17歳(高校2年生)
所属:私立・洛北祥雲学園高等部 2年4組
立場:スクールカースト最上位グループ「エリシオン」リーダー
家族:久条家(京都を代表する由緒ある名門旧家)
性格:カリスマ・完璧主義・冷静沈着
印象的な言葉:「勝つのは、いつだって美しい人間よ」
■ 人物像
久条亜里沙は、洛北祥雲学園で**「女王」**と呼ばれる少女。
彼女を中心に形成される、カースト最上位グループ **「エリシオン」**は、
学校中の誰もが憧れ、近づきたくても近づけない“選ばれた者たち”の象徴。
エリシオンは、単なる仲良しグループではない。
学園で最も美しく、最も才能があり、最も影響力を持つ生徒たちが自然と集まった頂点層である。
久条はその中心に立ち、言葉一つでクラスの空気や学園のムードを変えてしまう。
■ スペック
ビジュアル:長い漆黒の髪、端正な顔立ち、清楚と華やかさを兼ね備えた美貌。
学力:学年トップクラス。ディベート大会や学内コンペでも常に上位入賞。
家柄:京都有数の名門・久条家の令嬢。文化・財力ともに圧倒的。
カリスマ:自然と人を惹きつける圧倒的オーラと説得力。
リーダーシップ:周囲を操るのではなく、“自ら中心に立つだけで空気が変わる”タイプ。
■ エリシオン(学園1軍)について
「エリシオン」とは、洛北祥雲学園のクラス内・学年内で最上位のカーストを誇る特権的グループ。
メンバーはわずか数名。家柄・才能・ルックス・社交性、すべてを兼ね備えた生徒だけが自然と集まる。
学園の誰もが憧れる「キラキラ」グループ
教室内での発言力・影響力は絶大
内部の結束は強く、外部からの干渉はほぼ不可能
天宮蓮司は所属していないが、**彼をリスペクトする“親衛隊”的な側面”**もある
久条が一言、「これが正しい」と言えば、学年全体の価値観がそちらに傾くほどの影響力を持つ。
■ 主な人間関係
*結城莉奈(親友・エリシオン幹部)
久条の最も信頼する存在で、“懐刀”のような立ち位置。
彼女の行動は時に久条の意志を先回りするほどで、二人の間には強い絆がある。
*天宮蓮司(学園のもう一つの太陽)
エリシオンの外に立ちながら、学園中で圧倒的な人気を誇る存在。
久条を超えるカリスマであり、唯一“崇拝”する対象。
*音無奏(異分子)
もともとカースト外の特待生であり、久条の視界にも入っていなかった。
だが、ある出来事をきっかけに、久条にとって彼は“無視できない存在”となっていく。
■ 特徴とテーマ
圧倒的なビジュアルとカリスマで「頂点」を体現
美しさ・強さ・影響力、頭脳、センス、すべてを兼ね備えた完璧なリーダー
ただし、彼女の完璧さは“孤高”とも隣り合わせ
エリシオンは彼女が創ったものではなく、「彼女がいるから自然に形成された」世界
■ キャッチコピー案
「学園の頂点に立つ、絶対的な女王。
その一言で、クラスの“序列”は書き換わる。」