【36】腐敗の象徴の退場、王が初めて泣いた日
36-1◆世間に放たれた矢、そして炎上する王国◆
翌朝。重い瞼をこじ開けた瞬間、部屋の空気がどこか違うと気づいた。
鳥の声も、街のざわめきも、まるで遠く感じる。
ベッドの上で体を起こし、スマホを手に取った。
…そして知った。世界が燃えていることを。
SNSのトレンドはたった一つの言葉に支配されていた。
『#洛北祥雲の闇』
そのハッシュタグをタップする。
画面には無数の見出しが濁流のように流れ込んできた。
*【本人の告白音声あり】「俺に逆らうな」
京都No.1名門校の体育教師が生徒を殴打。恐怖の“公開処刑”授業
*涙の独占告白「僕の青春は暴力教師に壊された」
名門・洛北祥雲学園の“隠蔽された事件”を現役生徒が告発
*年収数千万クラスの富裕層が通う京都の“聖域”。
その裏で行われていた体育教師によるあまりにも野蛮な事件と隠蔽体質
奏:「…始まってしまったな」
ミラー:「ああ。お前たちが放った一本の矢が日本中を貫いたわけだ」
その日の教室は戦場だった。
昨日までの序列も、空気も全てが破壊されている。
ただ無秩序な噂と興奮だけが渦巻いていた。
俺が席に着くと、同時に山中が駆け寄ってきた。
その目は興奮に、爛々と輝いている。
「おい音無!見たか!?『#洛北祥雲の闇』!」
「昨日のあの告発動画、マジでヤバいぜ!顔も声も隠してたけど、あれ、絶対うちの先輩だろ!大槻先生、実名で完全に吊し上げられてるぞ!」
「よくも悪くも、俺らの学校、さらに全国で知名度が急上昇だぜ!」
その山中の声にクラスの中心が反応する。
柴田が頭を抱えていた。
「やべえ…!マジでやべえって!学校どうなっちまうんだよ!」
斎藤が冷静にタブレットの画面を見つめる。
「…記事を読んだ。証言が具体的すぎる。これはただの噂じゃない。…本物だ」
結城が心配そうに久条の顔を覗き込む。
「…亜里沙。これ天宮くんは…」
だが女王は動じない。(…ふふ。面白いわね)
久条は、心の中で静かに笑った。
(当然、クラス中が混乱するわね。でも私は驚きはしない。あの男…音無奏が、いつか必ず大槻に対して何か仕掛けることは、分かっていたのだから)
(私の想像を遥かに超える速度で。そしてあまりにも鮮やかな脚本だわ)
久条はただ静かに教室を眺めていた。その完璧な笑みを崩さずに。
まるでこの混沌すらも、自分の想定内だと言うかのように。
その時だった。教室の隅で押し殺したような声が聞こえた。
クラスメイトのバスケ部員、松川大志と中河大剛だ。
彼らの顔には血の気がない。
松川:「…おい。マジかよ。ウィンターカップ、三日後だぞ。ヘッドコーチがいなくなったら、俺たちどうすんだよ…」
中河:「…天宮くんがいる。大丈夫だ。…たぶん大丈夫だよな?」
その声は震えていた。
ミラー:「…始まったな。最初の副作用だ」
奏:「ああ。聖域への多少の火の粉は避けられない」
俺は、その全ての混沌をただ静かに観測していた。
俺たちが始めたこの戦争の最初の煙が、立ち上っていた。
36-2◆王の演説、そしてくだされた決定◆
ネットニュースが、学園を駆け巡ったその日の放課後。
バスケ部のロッカールームは、音を失っていた。
誰もが言葉を探し、しかし口を開けない。
松川は爪を噛み、中河は膝を抱えたまま小さく揺れている。
重い沈黙が、部室の壁を押しつぶすようにのしかかっていた。
絶対的支柱である大槻は不在。
チームは完全にその核を失っていた。
そこに天宮蓮司が一人、入ってくる。
誰もが彼が一番、落ち込んでいると思っていた。
天宮は深く息を吸い、意識的に笑顔を作った。
自分の声が震えていないか、わずかに確認してから言葉を吐き出す。
彼は、静かにそして力強く言った。
「おい、どうしたんだみんな。下を向くな」
天宮の声は、静かで、それでいて全部員を震わせるほど強かった。
「ネットの噂なんて、ただの雑音だ。俺たちのやることは一つしかない。バスケをすることだ」
その言葉は、不安に沈む空気を一瞬で切り裂いた。
「三日後にはウィンターカップが始まる。俺たちの夢の舞台だ。だからこそ、今は一つになろう。俺たちは勝つ。それが、俺たちの正義の証明だ」
そのあまりにも力強い言葉。
その一点の曇りもない瞳。
言葉の最後だけ、ほんのわずかに声が揺れた。
だが、部員たちの耳には届かない。
天宮のあまりにも真っ直ぐな瞳に、死んでいたはずの光が部員たちに再び灯っていった。
——しかし天宮自身は知っている。
自分の胸の奥底には、晴れない靄のような不安と、どうしても信じたい師への想いが渦巻いていることを。それでもキャプテンである限り、立ち止まることは許されなかった。
部員たちが去った後、ロッカールームに残された天宮の笑顔が、音もなく崩れ落ちた。
握った拳は白く、皮膚がきしむほどだ。
(大槻先生が、そんなことをするわけない。俺は信じてる。…大槻先生なしで、チームはどうなるんだ)
(だけど……大槻先生を信じ続けることが、今の俺を追い詰めている)
心臓を締め付けるような不安と、答えのない疑問だけが渦巻く。
部員たちへは前を向こうと必死で言葉を吐き出した。しかし自分の中では一歩も進めていなかった。
それでも、キャプテンとして崩れるわけにはいかない。
唇を噛み締め、声にならない想いを必死に押し殺した。
その静寂を破るように扉がノックされた。
入ってきたのは教頭だった。
彼は、天宮のその見たこともない表情に、一瞬たじろいだ。
そして事務的な口調で告げた。
「天宮くん。キャプテンの君に正式に伝える」
「大槻先生は、当面の間、謹慎処分となった」
教頭はそこで一度、言葉を切った。
そして、さらに絶望的な事実を付け加えた。
「そして…大槻監督を補佐していた四名の外部コーチ陣だが…」
「学園の決定に不服として、彼らも大会の帯同をボイコットする、と…」
オフェンス戦術の要である村瀬、ディフェンスを組み立てる吉岡、相手チームを丸裸にするデータ担当の藤森、そして選手の体を鍛えるフィジカルコーチ久保田。大槻とともに戦ってきた参謀たちは、一斉にチームを去った。
大槻の脇を固める4名のコーチ陣、彼らは大槻が自らの人選だった。
チームの頭脳と、心臓が一度に、全て失われた。
「今、残っているのは学園が、直接、選んだアスレティックトレーナー、ただ一人だ」
「だが彼では、試合の戦術にも指揮にも関われない。彼にできるのは、選手の体を支えることだけだ」
そのあまりにも重い現実。
「ウィンターカップの一回戦は、君の2年4組の担任である烏丸先生が、引率することに決定した」
「臨時ヘッドコーチについては、現在、打診中だ」
教頭は、天宮の沈黙に耐えられず、視線を逸らした。
「…続報を待ってくれ」
その言葉は、まるで責任を押し付けるかのように軽く、天宮の耳には不快なほど響いた
教頭はそれだけを言うと、逃げるように部屋を出ていった。
一人、残された天宮。
彼は、ただ無言で自分の拳を固く握りしめていた。
その拳の震えを、見る者は誰もいなかった。
36-3◆太陽王の慟哭、そして王の最初の覚悟◆
その日の夜。天宮家の静寂。
それが一人の若き王の怒りによって破られた。
書斎のドアが、破壊されんばかりの勢いで開かれた。
天宮蓮司だった。
いつもの太陽のような笑顔は、もうそこにはない。
その顔に浮かぶのは、激しい「怒り」と「混乱」、そして押し殺した「哀しみ」だった。
「姉さん! どういうつもりだ!」
「仕掛けたのは、どうせ姉さんなんだろ!」
「先生が……大槻先生が、そんなことするわけない!」
「嘘だ!全部嘘だ!」
ドン――。重い音が書斎の空気を震わせた。
蓮司の拳が、重厚なデスクに叩きつけられたのだ。
それは怒りだけでなく、信じたい想いを必死に繋ぎ止める、子供のような祈りにも似ていた。
だが、澄玲は動じない。
彼女はただ静かに、そしてどこか哀しげな瞳で弟を見つめた。
そして、一つのファイルをテーブルにそっと滑らせる。
「……蓮司。聞きなさい」
その声は、どこまでも優しく、しかし逃げ場を与えないほどに厳しかった。
「すべて事実よ」
「人間には、誰にでも汚い部分や醜い部分がある。あなたには、まだそれが見えていなかっただけ」
「大槻先生は、あなたにとって恩人かもしれない。けれど――」
「悪いことをしたら、どんな人間であっても裁かれなければならない。それが“正義”というものよ」
蓮司は、震える手でファイルを開いた。
一枚めくるたび、顔から血の気が引いていく。
轟木剛造の「誓約書」柔道部廃部のきっかけ
二年前の保健室の「記録」
七年前、選手生命を絶たれた三上卓哉に関する詳細な調査報告書
そこに記されていたのは、彼の知らない“恩師の闇”だった。
「……嘘だ……」
声はか細く震え、吐息に近い。
「先生が……そんな……」
目の前の現実が受け入れられない
それでも現実は、彼の頬を無慈悲に打ち続ける。
澄玲は弟の崩れかけた魂に、最後の言葉を投げかけた。
「――あなたなら、できる」
「大槻先生がいなくても、バスケ部をもっと高い場所に導ける」
「今はそれだけを考えなさい。部員たちの不安を取り除くこと」
「……それがキャプテンである、あなたの“義務”よ」
「義務」――その言葉が、天宮蓮司の胸を鋭く貫いた。
心が壊れそうなほどに痛いのに、それでも不思議と、その一言が心の奥で小さな炎を灯す。
(俺が……キャプテンだ)
(ここで崩れたら、みんなも終わる)
(ウィンターカップまで、あと三日しかない)
(迷ってる暇も、落ち込んでいる暇も……ないんだ)
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
瞳は赤く腫れ、まだ涙の跡が残っている。
それでも、その奥に宿った光は、もはや純粋な“太陽”ではなかった。
それは――
世界の闇を知り、それでもなお輝こうとする、傷だらけの王の光だった。
「……分かった、姉さん」
低く、しかし確かな声で言った。
「――俺は、キャプテンの務めを果たす。仲間とともに優勝を目指す!」
36-4◆王たちの戦勝報告会、そして次なる戦場◆
翌日の夜。俺は再び、あのガラスの城へと呼び出された。
APEX GLOBAL社長室。
そこにはすでにゲームマスターと影の帝王が、揃っていた。
学園の影の帝王・轟木剛造。
その腹心、坂元要介
そして仕掛け人、天宮澄玲。
最初に口を開いたのは坂元だった。
その声には、抑えきれない昂ぶりが滲む。
「……おい、音無。まさか、ここまでうまくいくとはな」
轟木も静かに頷き、低い声で続けた。
「ああ……俺たちの想像を超えていた」
澄玲が、その言葉を引き継ぐように、静かに口を開いた。
「…第一段階は、成功よ」
澄玲が立ち上がり、テーブルに一枚の紙を置いた。
その仕草はいつも通り冷徹だが、瞳の奥にかすかな火花が見えた。
学園の公式発表。
『体育教師・大槻理人、無期限の謹慎処分』
俺たちの計画の第一歩が、完璧に遂行された。
その紙を、轟木はじっと見つめていた。
二年間、胸に澱のように積もった怨嗟が、ゆっくりと溶けていくのがわかる。
やがて彼は俺へと視線を向けた。
その瞳に、初めてはっきりとした「感謝」が宿っていた。
坂元が腕を組み、少しだけ照れくさそうに笑う。
「……まあ、礼は言っておくよ、音無。お前がいなきゃ、俺たちはこのまま泣き寝入りだった」
轟木がそれを引き継いだ。
彼の声は、これまでよりも深く、重かった。
「……二年間、俺はずっと足を引きずってた。あの日、未来を奪われたまま、何もできない自分が悔しくて仕方なかった。けど……お前のおかげで少なくとも一つ、区切りをつけられた」
「これで気持ちよく、悔いなく卒業できる気がするぜ」
そして、言葉を切ると、その表情を引き締めた。
「――だが、まだ終わっちゃいねぇ」
「ウィンターカップだ。お前たちが言った通り、バスケ部が勝ち上がれば……そのとき初めて、お前を本当に認めてやる」
ミラー:「……面白いな。影の帝王からの“新しい宿題”ってわけだ」
奏:「上等だ。大槻を排除するだけじゃ、物語は終わらない。バスケ部を勝たせる――そこまでが俺の脚本だ」
俺も軽く口角を上げる。
「バスケ部のことなら、心配しないでください!ウィンターカップで、必ず彼らは躍進する!」
その言葉に、誰も反論しなかった。
その沈黙が、逆に全員の決意を強く示していた。
俺たちの最後の、そして最高の戦争が――いま、始まろうとしている。
ウインターカップ / 全国高等学校バスケットボール選手権大会
12月23日~29日 / 東京都:渋谷区及び調布市
36-5◆帰還、そして贖罪の夜◆
その夜、俺は鉛のような足取りで自宅のドアを開けた。
リビングの灯りが、やけに温かい。
「おかえり」ソファから声がした。姉の彩葉だ。
珍しくテレビもつけず、ただ静かに座っている。
「……姉さん。ただいま」
自分でも驚くほど、声に疲労が滲んでいた。
彩葉はじっと俺を見つめ、小さく息を吐く。
「……あんた、今日のニュースのこと、何か知ってそうね」
その指摘に、心臓が一瞬止まりそうになった。
この姉には、何も隠せない。
書斎から父・智明が顔を出した。
相変わらず疲れた表情だが、俺を見る目にはかすかな安堵が浮かんでいた。
「……奏か。遅かったな」
それだけを言い残し、再び部屋へと戻っていく。
夕食の席では、母が台所で支度を続ける中、三人とも多くを語らなかった。
ただ、テレビのニュースが淡々と「名門洛北祥雲学園の体育教師による不祥事」を報じている。
――俺たちが仕掛けた作戦は、完璧に成功した。
だが、喉を通る飯の味は、驚くほど薄かった。
食後、俺は父の書斎を訪れた。
父は椅子に座り、夜の闇を透かす窓をじっと見つめている。
言葉はなかった。
ただその沈黙の中に、複雑な感情が絡み合っていた。
かつて、この家を暗い影で支配した男――大槻理人。
その男はもう学園にはいない。
それだけで、父と俺の間に確かに“ひとつの終止符”が打たれていた。
(……これで、少しは楽になったのだろうか。父さんは)
(俺が、あの男を追い出したことで……)
しかし次の瞬間、別の痛みが胸を締めつける。
(でも……俺は、あの男の罪のおかげで、この名門校にいる)
(結局、俺は大槻が残した“傷跡”の上で、卒業まで生きていくんだ)
その事実は、俺の勝利を決して、純粋なものにしてくれなかった。
俺は何も言わずに、書斎を後にした。
廊下に出ると、彩葉が静かに立っていた。
彼女は、俺のその苦悩に満ちた表情を見て、全てを理解したように小さく頷いた。
そして彼女はまるで、世界の真理でも語るかように、静かに言ったのだ。
「……あんた、本当に、面倒な仕事をやり遂げた職人みたいな顔してるわね」
その一言で、胸の奥に溜まっていた言葉にならない感情が、わずかにほぐれた気がした。
それぞれの夜。それぞれの想いを抱えながら――
音無家の夜は、深く、静かに更けていった。
第三十六話をお読みいただきありがとうございます。
作者の京太郎です。
放たれた矢は世界を駆け巡り
一つの王国は、炎に包まれました。
しかし今回の物語の本当の主役は、脚本家ではありません。
太陽王、天宮蓮司。
完璧な光であった彼が、初めて世界の闇を知り涙を流す。
そして傷だらけのまま、再び立ち上がる。
その王の姿が皆様の目には、どう映りましたでしょうか。
絶対的支柱を失ったバスケ部。
そして全てを知り、新たな覚悟を決めた若き王。
物語はいよいよ最後の戦場、ウィンターカップ全国大会へと突入します。
彼らは奇跡を起こせるのか。
そして脚本家は、影の帝王との約束を果たせるのか。
面白いと思っていただけましたら
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よろしくお願いします。
皆様の声が何よりの力になります。
それではまた次の話でお会いしましょう。




