天降り
深夜の町はとても静かだった。
「はぁ~、疲れた!」 パルメは事務所のドアを閉め、「営業」の札を「休業」の面にひっくり返し、背伸びをして一日の仕事を終えた。
前の事務所の会長が突然消えてから、パルメは一人で会長の職務を引き継ぎ、受付から財政までほぼすべての仕事を一人でこなさなければならなかった。事務所には他にもメンバーはいたが、彼らは依頼を処理することしかできず、内部の業務は全くできなかった。
パルメが会長になってからの2年間、事務所の収益はほぼ赤字で、事務所はなんとか運営されているだけで、まだ、倒産はしていなかった。
パルメは一箱の酒を持って屋上に座り、風を感じながら酒を飲んでいた。
「はぁ~」パルメは一気に一本の酒を飲み干し、「仕事の後の一杯の酒が……最高だ!」
さらに何本か酒を飲んだパルメは、頬が赤くなり、煙突に寄りかかりながら屋上で夜空を見上げて感慨深く言った。「私は……働きたくない!」
そう言うと、手に持っていた空の酒瓶を後ろに投げ捨てた。空瓶は屋根の上を転がり、地面に落ちた。
「おっと!」
転がった空瓶は、一階で掲示板の掃除をしていたリスの頭に直撃した。
「おい!会長!何してるんだよ!」
リスは地面に落ちた空瓶を拾い、屋根に向かって投げ返した。
「ああ…リスか…ただ空瓶を投げただけだよ…?」パルメは少し酔ってふらふらしていた。
「だから、そんなに酒を飲むなって言っただろ!明日も仕事だぞ!」リスは階段を上って屋上にやってきて、パルメを叱った。
リスはパルメの隣に座り、乱れたジャケットを整えた。
「リス……私は……働きたくない!」パルメはリスの膝に頭をのせて、また一本酒を開けながら言った。
「もう飲むな!」リスは酒瓶をパルメから奪い取った。「明日も仕事だぞ!」
「仕事?いやだ…働きたくない…新しい人も雇えない…私は死ぬほど疲れてる…事務所は倒産しちゃう!」パルメはリスの膝に顔を埋めて、眠りに落ちてしまった。
「お前…まあ、いいか。」
リスは、子供のような会長にどうすることもできなかった。会長の職務はパルメにとってあまりにも重すぎて、もともと少ない依頼しかなかった彼女が、前会長から届いた最後の手紙を受け取ってから、生活が一変した。事務所を運営する経験が全くないパルメは、うまく運営を進められず、どの依頼を受けるべきか、どの依頼を断るべきか、決断するのが難しかった。その結果、依頼の振り分けが非常に混乱し、依頼がどんどん積み重なり、最終的には多くの依頼が延期され、契約違反金が受け取った報酬よりも多くなり、事務所の資金運営はますます困難になった。
リスはかつて、事務所の運営資金を提供すると提案したが、パルメはいつも同じ理由で断った。「前会長が私にこの責任を託したから、私は一人の力で事務所を運営していく。」
「ほんとにバカだな。」リスは小声で呟いた。「自分の力で事務所を運営するとか言っておきながら。」
パルメは知らなかったが、リスはいつも事務所の運営を支えていた。毎月の家賃もリスが払っていたが、パルメはそれを知らなかった。パルメは毎回、家賃を10ヶ月も払っていないのに、大家 さんが来ないことを不思議に思っていた。そのため、パルメは毎回外出するたびに大家 さんを避け、大家 さんはそれを怪しんでいた。
「お前はほんとに疲れすぎだよ。」
リスは屋上に散らばった空瓶を片付けていた。
その時、遠くの空に異変が起こった。明るい白い光が空を横切った。
「ん?流れ星?」リスはちらっと見て、特に気にせず屋上の片付けを続けた。
だが、周りがますますおかしくなっていった。もともと暗かった空が、次第に明るくなり始めた。
「どうしたんだ…夜が明けたのか?」パルメはリスの膝から顔を上げ、ぼんやりと尋ねた。
「違う!」
リスは振り返り、その明るい白い光が目の前に迫ってきているのを見た。
「ドン!」
巨大な衝撃音とともに、その白い光がリスの頭から2~3メートルの距離で止まった。
「防げたか?」リスは淡い青い光を発し、短毛猫のような紋章が現れ、術式のバリアが展開された。
「カチカチ——カチカチ——」
バリアにいくつかの亀裂が入った。
「まずい!」
リスはすぐにパルメを抱え上げ、屋根の端に沿って転がり、地面に落ちた。
「ドン!」
リスが離れた瞬間、バリアが破れ、その白い光が事務所に落ち、巨大な穴が開いた。衝撃波が二人を吹き飛ばし、掲示板にぶつかった。
「くっ!」
さっきまで酔っていたパルメは、強烈な衝撃で少しだけ覚醒した。
「うう…何が起こったんだ?」
パルメは袖口で口の端の酒を拭い、よろけながら立ち上がろうとしたが、すぐに力が入らず、近くの木に寄りかかって座り込んだ。
「シッ!声を出すな!」
リスはパルメに静かにするように合図し、パルメを後ろにかばいながら、事務所の扉をじっと見つめていた。リスの髪の毛が膨らみ、周囲に淡い青い光が漂って、攻撃態勢をとった。
「来るものが何か分からない、油断はできない!」
リスは低い声で呟きながら、手でバリアの準備をしていた。
「ドン!」
事務所の扉が爆発音とともに吹き飛び、リスの方に向かって飛んできた。扉はリスの周囲に展開されたバリアにぶつかって無数の破片に砕けたが、パルメは運が悪く、飛んできた破片が顔面に直撃して、木の根元に寄りかかりながら気を失った。
「はぁ、やっぱり、こういう時に役に立たない。」リスはパルメの方を見て、無力さを感じた。
リスは手を振ると、事務所を囲むようにバリアを展開し、パルメを外に出した。
煙が収まると、事務所の入り口に焦げたようなタール状の奇妙な生物が、ドア枠にしがみついているのが見えた。その頭の上には、棘だらけの弧を描いた不気味な光環が浮かんでいた。
「シッ……」
リスは息を呑んだ。その奇妙な生物は、言葉では言い表せない異様さを感じさせた。リスは千年以上生きてきたが、こんな生物には見たことがなかった。
「カ…カ…カ…」
その生物は不気味な音を発し、首を常人には到底できない角度にひねった。
「装備…行動…完璧…」
「は?」リスはその奇妙な生物の言葉が全く理解できなかった。それはまるで言葉を覚えたてのようだった。
「離れろ…警告…」不明な生物は低い声で言った。
「なぜ?」リスは困惑した。
「すぐに…排除…行動…」不明な生物の目が血紅の光を帯びた。
「ん?」
リスが何が起こったのか分からないまま、突然胸元に温かい液体が広がった。それは血液だった。
リスは震えながら手を上げ、その血を見た。
「何か…」
リスはゆっくりと目を下ろし、黒い長い針が胸に深く刺さっているのを見た。血がそこから流れ出ていた。
「バリアがあったのに…なぜ?」
リスの声はだんだんと小さくなり、意識も遠くなっていった。周囲の色が徐々に薄れていき、リスはどんどん空白の世界に包まれていった。
「咳…」
「吾は…吾はどうなったんだ?」
「吾は…死んだのか?」
全てが静寂に包まれた。
「対象…排除…」
不明な生物はリスの死体を一瞥もし、事務所の中へと歩いていった。
その後ろで倒れていたリスの死体は徐々に消えていき、リスが作った屏障はそのまま残っていた。
事務所内は荒れ果て、家具は衝撃でほとんど廃墟と化していた。中央の床は衝撃波で凹み、巨大な深い穴が開いていた。
不明な生物は周囲を見渡し、「対象…見つからず…任務…失敗…帰還…」
目当てのものが見つからないと、その生物は外界との連絡を試みたが、反応はなかった。
「連絡…不明…」
不明な生物は事務所の壁に開いた大きな穴を見つめて考えていたが、その思考がまとまる前に、背後から聞き覚えのある声が響いた。
「やぁ!」
リスは不明な生物の背後に立ち、にっこりと笑いながら手を振った。リスはその際、ローブを新しく身にまとっていた。
「死…死…」
不明な生物は絶叫した。
しかし、話し終わる前に、リスの手がその生物の胸を貫いた。
「同じものは、返してあげる!」
リスは軽く笑って言った。「次はちゃんと見てから攻撃しなさい。」
その後、血紅の紋章が現れた。
「ドン!」
術式が爆発し、不明な生物は爆風で引き裂かれ、黒いタールのような液体だけが残った。
「気持ち悪い!」
リスは顔に残った残骸を拭いながら言った。
リスは地面に散らばった残骸を見つめ、手を伸ばして、その中から血紅色の奇妙な結晶を取り出した。
「天底の使徒?」
リスは首をかしげながら言った。「どうしてここに?」
その時、背後から何かが落ちる音がした。
「誰だ!」
リスは振り返り、周囲を見渡したが、誰もいなかった。
中央の深い穴まで歩くと、リスは術式で光球を作り、底を照らした。そこには、血まみれの白い外套を着た十三四歳の人がいた。
「なぜ次から次へと?」
リスは少し呆れた。「今日は何が起こってるんだ、頭がクラクラする。」
リスはその人を穴から引き上げ、状態を確認した。その人の外套は血で染まっていたが、身体に傷はなかった。
リスはその人の左手に壊れた剣の柄を見つけた。刃はすべて砕け、柄だけが残っていた。
リスはその剣の柄を拾い、末端に刻まれた「零」という文字を見た。
「零?どう意味?」
リスはその名前が不思議だと感じた。通常、剣には使い手の名前が刻まれているが、「零」というへんな名前だ。
「おかしいな、どうしてこんなこと、どこかで見たことがあるような気がする?」
リスはポケットからまだ開封していない暗金色の封筒を取り出し、封印のワックス印もまだそのままだった。
「この瞬間、君に予見されていたんですね、会長、ケイステル・クレイスト。」
封筒には赤い文字で一行が書かれていた。「この手紙は、いつか天から降りてきた人物が開封して読んでください。」
手紙を受け取ったとき、まだ信じられなかったリスは、それを一度脇に置いたが、今日の出来事がその内容と一致していることに驚いていた。
「こんな時間をかけて2年前に手紙を書いたのに、なぜこんなに決然と去ったのか、分かるか!? 今、事務所がかつてのようにうまくいっていないのは知っているだろう!」
リスは小声で言いながらも、涙が頬を伝って流れた。
リスは手紙を切るナイフで封筒を開けた。
リスへ:
この手紙を読んでいる頃、私はもう事務所にいません。私のことを心配する必要はありませんし、私を探し出す必要もありません。私は町を離れて黒域へ向かいました。すべてを終わらせるために。
突然の別れをお詫び申し上げますが、私はこうするしかなかったのです。監視者たちが私に気づき始めて、事務所にいると必ずや問題を引き起こすことになるでしょう。
他のことについては多くを語ることはできませんが、手紙に書いたあの子のこと、その身元については明かせません。ただ、私はその子が事務所に加わることを望んでいます。
これまでのあなたたちの努力に感謝しています。
——ケイステル・クレイスト
手紙の大部分は黒いインクで塗りつぶされ、元々の文字が見えなくなっていた。どうやらケイステル会長は伝えたかったことがあったが、最後にはそれを消し去ったようだ。
リスは少し信じられない様子だった。この手紙は会長が事務所を去る際に残したもので、まさか今の出来事がその手紙に書かれていたことを証明しているとは…。
「まさか、以前の天底の使徒もあの子のために来たのか?」
リスは手にした手紙を見つめ、考え込んだ。
「まあ、あの子が目を覚ましたら、また聞いてみることにしよう。」
リスはその人物を無事な椅子に座らせ、逃げ出せないように周囲に呪文が描かれた紙を貼り付けた。
そしてリスはソファを引き寄せ、その人物の向かいに座り、目が覚めるのを待った。