68.幸せな家
ラナラスが帰ってきてから時間も経った。時計を見るとそろそろ3時。ハジメ達が帰ってきても良い時間だ。
「これは、こうすると、こう」
そんな中、アスティアが試験用の問題に苦戦していたので、ラナラスが丁寧に教えていた。
解いていたのはまるで中学校で習う様な図形の問題。ラナラスは平然と解いているが、アスティアはかなり苦戦している。
その反対側ではリリアも悩みながら解いていて、アスティアよりは進んでいる。途中何度かラナラスのお世話になったものの、今の所かなり順調だ。
その様子を見ながらリリアが安心したように伸びをする。
「ラナラスが居て助かったよ」
リリアは一段落したようで、そのまま今日は終わりという風に後ろに倒れた。畳の香りに包まれながら気を抜く。
「でしょ。うちのラナラスは凄いんだから」
アスティアが嬉しそうに胸を張る。普段だったらラナラスは顔を真っ赤にして小さくなりそうだが、全く気にせずにハジメから借りた参考書を読んでいる。
ここ数日ずっと読んでいるが、まだ1割も終わっていない。それでも一つ一つ仮定と検証をしながら楽しそうに解いている。
しかも計算式だけじゃなく日本語も学び始めた。ハジメに聞いたりグレンに相談したりと楽しそうにしている。
おかげでひらがな・カタカナはほぼ読めるらしい。しかし参考書は当然漢字が多く、まだほとんど読めていない。それでも漢字の意味を推察するところから楽しそうに解読している。
そのせいでグレンが本気で狙い、アスティアが警戒する事になったが。
――ガチャガチャ
「帰ってきたかな」
リリアが疲労に任せて横になっていると玄関の方から鍵を開ける音がしたので、音の方に顔を向けた。音と声に釣られてアスティアとラナラスも顔を向ける。
「ただいまー!」
帰ってきたのは元気そうなエリスの声。パタパタと靴を脱ぐ音が響くとバタバタと音を立ててリビングのドアが開く。
そこには怪我1つなく、片手には食材を買い込んだ手提げを持って楽しそうにしているエリスが居た。
「おかえり、大丈夫だった?」
「問題ないよ」
リリアが心配そうにするがエリスは問題ない様子でキッチンへと向かう。その後ろから少し重そうな様子でアマラも入ってきた。
「ただいま」
「おかえ――は?」
アマラの言葉にアスティアが返事をすると固まった。ラナラスに至っては驚き過ぎて声も無い。
「2人ともどうし――ハジメ!何やってるの!?」
リリアもアマラに目を向けると、飛び込んできた信じられない映像に慌てて起き上がる。それに答えるのはエリスだ。
「言われた通り、ハジメを連れて来た」
「それは連れてきたって言わない!」
リリアはコタツから飛び出ると、本気で慌ててアマラの元へと駆け寄る。
慌てて当然。
そこにはアマラの小脇に抱えられ、腕を縛られ猿轡に目隠しまでされて身動きが取れないハジメが居た。
「何してるの!?え、何があったの!」
リリアが慌てて猿轡を外すと、ハジメが「ぷはっ」と大きく息を吐く。小さく咳き込むが慌てるリリアに聞こえているか怪しい。
小脇に抱えたままのアマラは当然と言った感じで答える。
「ハジメを連れてきてって言うから連れてきた」
「これは連れて来たって言わない!」
「誘拐だね」
「アスティアはちょっと黙って」
アスティアのボケを叩き切ると、リリアが慌てて降ろさせる。さすがに重かったのだろう、アマラも素直に降ろした。
「その声はリリア?俺、どうなってるの?」
「私が聞きたい。何でこうなってるの、怪我はしてない?」
「それは多分大丈夫、だと思う」
大丈夫そうなハジメに安心しながらリリアは縛られてる腕を急いで解く。その様子にエリスが楽しそうにハジメの頬を突いた。
「怪我しないように縛ったから大丈夫だよ」
「縛っちゃダメ!」
リリアの本気の怒りに、反省の色を一切見せないエリスは「キャー」と楽しそうに笑うと自分の部屋へと逃げてしまった。
エリスを叱るのも後回し、リリアは悪戦苦闘しながらもハジメの腕のロープを取ろうとしている。きつく縛られたらしく、もう少し時間がかかりそうだ。
アマラも武器や防具を外すと、部屋の隅に置いた。
「それでアマラ。一体何があったの?」
アスティアが呆れ混じりに聞く。アマラは呆れたようにハジメを見ながら口を開く。
「ハジメを連れてきてって言うから、連れてきた」
「誘拐みたいに?」
「途中で帰ろうとしたから」
元々リリアからはハジメを連れて来れないかと頼まれていた。
喧嘩した後、ハジメとリリアはこれまで以上に気の置けない関係になっていた。その様子はエリスも含めて、友人と言うよりも本当の家族のよう。
そんなハジメだったがリリアの家には一切近寄ろうとしなかった。相当後悔していたのだろう、そこだけはしっかりと距離を取っていた。
当然リリアも気づいてる。何度か遊びに来ないか誘ったが来ようとしない。リリアだけではどうにも出来ない。だから今日、アマラとエリスに頼んでいた。
この姿で連れて来るのは予想していなかったが。
「だからって、こんな誘拐みたいにしなくても良いでしょ」
腕を縛っているロープがやっと取れた。リリアが本気で叱るが、アマラは気にしない。
「私じゃない。縛ったのはエリス」
「エリス!!」
「本当に誘拐だね」
「アスティアはお願いだからちょっと黙って」
この場に居ないエリスに怒鳴るが、当然返事は無い。アスティアの当然の回答からは目を逸らしたいらしく、珍しく声を張り上げる。
そんな会話を聞き流しながら、やっと自由になったハジメは自分で目隠しを解こうと頑張る。
「私、食事の準備するね」
そんな惨事の一端を担ったアマラは一切気にせず、キッチンへと向かうと買って来た食材を取り出して下ごしらえを始めた。
「ハジメも、そんな律義に外さないで良いから」
目隠しが上手く取れない。ハジメが四苦八苦しているのにリリアも疲れてきたらしく、ハジメの目隠しを頭の上からずらし雑に外した。
ハジメが目をパチパチとさせながら周りを見るので、リリアが安心させるように乱れた髪を手櫛で整えてあげる。
「……ここ、どこ?」
「私の家」
ハジメの当然の言葉に、リリアが優しく微笑みながら答える。
「あれ、解けた?」
そのタイミングでエリスが戻ってくる。外出用のしっかりとした服装ではなく、長袖長ズボンの少しゆるめの部屋着だ。いつものカバンやナイフなども置いてきていて、揺れる尻尾がリラックスしてるのを表している
「エ~リ~ス~!」
「え、あ、キャー!」
リリアがエリスを捕まえると髪をわしゃわしゃと撫でまわした。エリスはそのまま楽しそうに悲鳴を上げるとされるがままになる。
「もう、誰かに見られてたらどうするの」
「大丈夫だよ、ちゃんと周囲は警戒したから」
エリスはさも当然と言った風に答えるので、リリアは撫でまわす気力すら無くなり深くため息を吐く。被害者はその様子に苦笑いを浮かべると、エリスの髪を仕返しするようにわしゃわしゃと撫でまわす。
「ならこの誘拐は誰にもバレてないから大丈夫だね」
「アスティアはお願いだからちょっと黙って」
アスティアがボケるがリリアのツッコミには力が無く、疲れ果てたままエリスに体重を預けた。
ちなみにだがラナラスは驚き過ぎて何も言えず、ずっと固まったままだった。
そのまま特に何もせず、報告と雑談で時間は過ぎて行く。
ハジメ達の収支を聞いてリリア達がお礼を言ったり、勉強中の内容が難しいと笑いあったり。静かに幸せに過ぎて行く時間を彩る様に、美味しそうな香りが部屋中に広がっていた。
その美味しそうな香りを完成の合図に、アマラが声をかける。誰ももう待ち切れない、そう言うかのように全員で協力して配膳を終えると、温かい掘りコタツに全員で籠る。
いただきますの合図が終わると、誰も喋る余裕などなく食事が消えていった。
「美味かった」
「ね」
ハジメとリリアは食事を終えると目の前にある空のどんぶりに満足そうに呟く。その言葉をアマラは嬉しそうに受け止める。
「アマラは料理上手だからね。王都に来てから、もっと美味しくなったし」
アスティアもとても嬉しそうに返す。エリスはとっくに食べ終わっていて少し眠そうだ。
「兵士寮の料理長に色々教わった。知らない料理とか味付けが気になってたから」
アマラは自分が作った料理の味に満足しながら答える。
今日のご飯はうどんに、煮干しと鰹節から出汁を取った醤油味のスープ。ハジメとしても故郷を思い出す味だっただけに、驚きと感動が口の中に残っている。
ハジメとしては初めて入る掘りゴタツに驚きながらも、コタツ特有の温かさに懐かしさが増す。
「料理長って言うと、ミノルさんから?」
「ハジメも知ってるの?」
ハジメの言葉にアマラが驚く。ハジメはしっかりと頷くと、懐かしい味があったどんぶりを嬉しそうに眺める。
「同じ迷い人」
「あの人も迷い人なんだ」
「うん。だからこれは日本で食べていた味なの」
「えっ」
アマラもが驚いてどんぶりを見る。当然、家庭の味だったからハジメが食べていた味とは多少なりとも違う。ハジメが知る味付けは出汁よりも醤油が強かったが、それでも慣れ親しんだ味付けに安心する。
「懐かしいなぁ」
ハジメの寂しそうな呟きに場がしんみりとしてしまう。
「――」
リリアは何も言えずにハジメに目線を向ける。懐かしむような寂しがるようなハジメの目線に何かしたいと思うのだが、寂しそうに見つめる事しか出来ない。
沈黙に気付かず懐かしさの残るどんぶりを眺めていたら、ハジメの肩に重さが寄りかかってきた。
「……エリス?」
何だろうと目を向けると、隣に座っていたエリスが小さな寝息をたてて幸せそうに眠っていた。起こそうと軽く揺するが起きず、ハジメに張り付いたまますやすやと眠る。
どう見ても安心しきっている。
「寝てる」
アマラが気づいて呟くがエリスは一切起きない。それどころかどんどん倒れ込んで来て、ハジメが支えないと横になりそうだ。
それほどに疲れてるのだろう。
今日、3人でウルルの森に入った時のリーダー役はエリス。
ハジメも実力はそこそこあるが指揮の経験が皆無、アマラはハジメよりは指揮能力はあるがウルルの森の経験値が少なすぎる。消去法的にエリスしか出来なかったためだ。
エリスが普段やらない役割。
ずっと気を張っていたため、お腹がいっぱいになって限界が来たらしい。
「エリス。ベットで寝ないとダメだよ」
「――――すぅ――――すぅ」
「もう」
リリアも優しく起こそうとするが起きる様子はない。安心しきって眠る様子にリリアとハジメは嬉しそうに顔を見合わせる。
「ったく、間に潜り込んで来てこれか」
「しょうがないよ。大変だったはずだから」
「それも、そうか。今日は苦労させちゃったからな」
「大丈夫だよ、エリスだって優秀なんだから。ハジメ、エリスを部屋に連れてくから手伝って」
「分かった」
ハジメはそれ以上余計な事をせず、エリスを起こさないようにコタツから優しく持ち上げると抱っこする。エリスは起きる様子もなく、安心したようにハジメの胸に耳をピタッと付け、体温と心音に安心したのか体を預けた。
まるで幼子のような行動に、起こすのも忍びなくゆっくり静かに歩き出す。
潜り込んだ、というのは座った場所の事。コタツに食事を配膳した時、リリアとハジメは無意識に隣同士に座っていた。
それをエリスが嫌がって真ん中に潜り込んだのだ。少し狭いが食べるのは問題なかったのでそのまま。エリスも嬉しそうだったので、ハジメとしては狭いけどまんざらでもなかった。
「なら私が――」
「アスティアは私が見張る」
「……」
アスティアが動こうとしたがアマラがガシッと肩を掴む。その救いのない動きにアスティアがとても悲しそうな気配を漂わせるが、誰も気にしない。
「じゃあ俺はエリスを寝かせたらそのまま帰るから」
「もうそんな時間?分かった。おやすみ、ハジメ」
「おやすみ」
ハジメの静かな挨拶にアマラが答える。まだうどんを食べているラナラスは目線だけで挨拶を返した。
「ハジメ、こっち」
リビングのドアを開けたリリアが先導する。そのまま廊下を歩くと階段があるので、上がるとその先にある部屋へと連れていかれた。
「ここ?」
「うん、エリスの部屋」
リリアがドアを開けると、ほとんど物が無い部屋へと入っていく。引っ越ししたばかりだし仕方がない、しかし少し寂しい部屋だ。
起こさないよう優しくベットに横にすると布団をかける。エリスの安心しきった表情につい頭を撫でてしまった。
「起こしちゃうよ」
「だね、気を付けないと」
小さく呟きあうと静かに部屋を出る。抱えていた重さが無くなった事に寂しさを覚えると、思いがつい言葉となって溢れる。
「エリスって、甘えん坊だよね」
言葉はリリアに届くと、一瞬驚きながらも優しい笑みを浮かべた。
「そうだよ。知らなかった?」
「イタズラっ子のイメージしかなかった」
「イタズラするぐらいにハジメを信頼してるんだよ」
とても穏やかに会話をしながら階段を降りると、ハジメは立てかけられていた自分の武器と防具を手に取る。もう慣れた装備を流れる様に装着すると、すぐに帰り支度が整う。
「じゃあリリアも、おやすみ」
「うん。おやすみ、ハジメ」
優しく微笑み合うとハジメは家のドアを開ける。
外は暗く寒さが身に染みるが、とても暖かい気分で家から歩き出した。
「……」
そのまま固まると、右、左とゆっくり確認する。その可笑しな動きにリリアが首を傾げる。
「ハジメ?何かあった?」
固まって動かないハジメに心配そうに聞くと、困り顔をリリアに向けてきた。
「あのさ、兵士寮ってどっち?」
当然だがハジメは目隠しで連れて来られたのでここがどこだか全く分からない。目の前に広がる住宅街は知らない場所。
リリアは一瞬固まり、理由が分かると笑いを堪えきれずに吹き出した。
「分かる所まで一緒に行こ。部屋から武器取ってくるからちょっと待ってて」
リリアは急いで家の中に戻ると、少し嬉しそうにパタパタと階段をあがって行った。




