52.戻れない場所
「そうですよ」
静かに、けれどしっかりとしたマリーの言葉が響いた。視線が集まると、そこに居たのは前元帥と納得できる威厳と強さと優しさを備えた、どこか矛盾を含むも好々爺だった。
「マリーさんは知っていたのですか?」
迷い人にワクワクしているラナラスを後回しにして、アスティアが何とか言葉を紡ぐ。マリーは穏やかに微笑むばかりだ。
「これでも今の元帥とも繋がりがありますから。リリアが護衛していた迷い人の名前がハジメ・アズマである、と言う事は知ってましたよ」
「……迷い人って、本当に居たんですね」
「他にも居ますよ。私達が知らないだけで、しっかり調べればもっと出て来るかもしれませんね」
まだ驚きが先に来ているようだが、何とか言葉を紡ぐ。マリーは気にする様子もなく、静かに微笑む。
「隠してたの?」
アマラだけはいつも通りの言葉で、けれど困惑しながらハジメに聞いてくる。ハジメは隠しもせず素直に、アマラの目線を見つめ返した。
「隠してたつもりはないよ、ただ言い忘れてただけ」
「言い忘れた?」
「うん。迷い人とかどうでも良くて、全く意識もしてなかったから」
「どうでも良いの?」
「うん、どうでも良い。だってさ、俺が迷い人だとどうなるの?」
「……珍しい?」
ハジメのよく分からない質問に、アマラが首をかしげながら答える。しかしアスティアがすぐに気付くと、何かを納得したようにハジメに確認する。
「ハジメの居た世界とここは何が違う?」
「色々と。さっき言ったみたいに食事はかなり近いけど、他は違う事も多いよ。魔物や魔獣は居なかったし、言語も違った」
「言語も?でも喋れてるよね?」
「この世界に来てから頑張って覚えたんだよ」
「……そう言う事ね」
「うん」
「どういう意味?」
ハジメの答えに納得すると、アマラが分からずに周りを見る。その答えはアスティアが出す。
「言葉通りだよ。ハジメが迷い人だと珍しいけど、そうなるとどうなるの」
「そんなの……えっと。え?……あれ?」
その質問にアマラは悩むと、けれど何も言えずに混乱する。その様子にハジメは苦笑いを浮かべる。
「そうなんだ。俺が迷い人だからって良い事は特にないんだよ。特別な力も能力も、知識だってないんだから。俺は俺である以外何も変わらないんだよ」
結局、ハジメと言う人間に迷い人と言う要素は関係ない。それどころか他にも迷い人がいる以上、ハジメが知っている知識にメリットなど無い。
今となっては言葉も不自由なく、普段の生活も問題なくなっておりデメリットもほとんど無くなってきた。迷い人と言うデメリットがほぼなくなった今、何の意味も持たない。
「気づいたのは最近なんだけどね。結局生きる上では何の意味もないんだ」
ハジメが寂しそうに言うとアマラが驚く。そんなハジメの辛そうな様子が気になったのか、エリスが後ろから抱きしめると頭を撫でてきた。珍しい行動ではあるが、本気で心配しているのを感じ素直に撫でられる。
そんな2人を楽しそうに眺めながら、リリアが思い出す様に宙を見つめる。
「強くなったのはオーガ討伐した頃から、かな」
「多分そうだと思う。リリアはやっぱ分かる?」
「分かる。覚悟が出来たって言ってから、何かが変わってた」
リリアの発言に驚きもせず、ハジメが少し嬉しそうに聞き返す。
しかしそういうハジメの思いも心も全て無視して、ずっと何かを考えていた人が居た。
「ハジメの世界では!人が空を飛んだり馬車よりも早く走るって本で読んだけど本当ですか!」
「おわぁ!」
ずっと何かに悩んでいたラナラスが、普段のびくびくした様子を全て放り投げて飛び掛からんとする勢いで聞いてきた。普段見ない勢いに、エリスが慌てて距離を取ったほどだ。
「凄く技術が発達してると聞きますが、本当ですか!?どんな魔法があるんですか!」
「ちょっとラナラス!?」
間にテーブルが無かったら掴みかかりそうで、声だけでハジメを圧倒する。そんな暴走するラナラスを止めるように、周りに視線で助けを求めるが救いは無かった。
「ラナラス!?ラナラスさん!?」
「あぁ、ラナラスのスイッチが入っちゃった」
「え、ちょっとアスティア!眺めてないでラナラスを止めて」
「無理。色々聞いたら落ち着くから、ちょっとだけ付き合ってあげて」
「ちょっと!?ホントにちょっと!?」
「良いから教えて!」
しかし助けは諦められ、ラナラスの追及は終わらない。しかしこのままでは進まないとアマラがラナラスを止めに入った。
「ラナラス、落ち着いて。聞くのは食べながらでも出来る。ご飯が冷める」
そう言うと、忘れられていた食事達が寂しそうに湯気を立てている。マリーすら放置して続いていた追及に、流石にまずいと思ったのかラナラスが固まった。
けれどマリーは気にせずに笑うと、自分のコップにジュースを注ぐ。
「そうですね。ハジメさんに色々聞くのは面白そうですが、ご飯を食べながらにしましょうか」
「……はい」
少し落ち着いたラナラスが静かに呟くと、ブレーキを壊さんとばかりにアスティアがお酒を注いだ。
結果、酔ったラナラスは強かった。
車や電車の説明から飛行機についての説明を求め、ハジメが知識不足を後悔するレベルで楽しそうに聞いてくる。
途中からマリーも混ざり、学校制度についても聞き出す始末。
魔法が無いと聞いた時は寂しそうだったが異世界への知識欲が爆発し、リリアが止めるまで続いた。
ちなみに、追いつけなくなったエリスとアマラは巻き込まれないよう別のテーブルを運び込み、そこで食事を取り分けお酒を飲み始める。
2人はワイワイ騒ぐわけでもなくで食事を味わいしっかり飲み、声がかけられるまで楽しんでいた。
翌日。
ラナラスがやり過ぎたと真っ青になってハジメに謝罪に来た。昨日とのギャップに笑いながら、せっかくなので王都に帰ったら荷物に残っていた参考書のいくつかを貸すと約束する。
真っ青だった顔が一瞬で嬉しそうな顔なった時は、つい笑ってしまった。
そしてマリーはその日の昼前には帰って行った。本当にリリアに会いに来ただけで、元気なのを確認したら「これ以上いたら邪魔になるから」と乗合馬車で帰っていった。
デンドンが送迎馬車を出そうとするのを無視して行ってしまったため、事務室で頭を抱える姿が見られたとか。
そのまま町での仕事を終え、町を出て2日が経った。町と町の距離がある場所で、移動だけで10日程を予定している。
そんななか、ハジメが少し緊張した様子で周りをちらちらと見るのでエリスが呆れる。
「ハジメ、様子おかしいけど大丈夫?」
「……流石に、少し緊張してる」
「もう?2日後じゃん」
「それでも、人前でやるなんてアマラの時以来だから」
ハジメ達冒険者や軍に取って長距離移動は慣れているのだが、問題は依頼者だった。元々王都で商売している人たちなので、こういう移動に慣れていない。
そこで、そのストレス解消と護衛者の実力を見て安心するために計画されているのが訓練試合だった。
最近はリリアとの訓練をデンドンとクロッサが受けて、それでも受けたいと言う人が犠牲になるのだが今年は違う。
軍からの頼みにより、ハジメとアマラが訓練試合をやる事となっている。道程も問題なく進み、予定では2日後に行う。
「リリアは何か言ってるの?」
「何も言ってない」
「ならいつも通りやれば大丈夫なんじゃない?」
「そう思うんだけど、やっぱ不安で」
不安そうなハジメの頭を、まるでなだめる様にエリスが撫でる。最近は御者台にエリスと2人で座るのが基本になってきており、この距離感にも慣れた。
最初の頃はリリアと座っていたのだが、その間後ろではアスティアがエリスを狙う攻防が繰り広げられる。そこから逃げる様にエリスが御者台に来るので、入れ替わるようにリリアが後ろに行く。
結果、この配置が基本になっていた。
それでも時々エリスの隣を狙うので、アマラを中心に守られている。
「ハジメ、エリス。ちょっと良い?」
そんなアマラが荷台から顔を出すと声をかけてきた。
「どうした?」「どうしたの?」
「ハジメに、ちょっと聞きたい事があって」
普段と違う様子のアマラがちらりとエリスに視線を向ける。話を聞かれたくないと言うアマラの視線に、エリスはすぐに頷くと入れ替わるように荷台へと戻っていった。
2人は最近仲が良いらしく、リリアかハジメが居ない時はよく一緒に居る。今もハジメが気づく前に視線で意思疎通をしていて、最近の仲の良さが良く分かる。
エリスが後ろに行くと一瞬怖い視線を感じたが、しっかりとリリアが間に入りエリスを守っていた。
その状況に少し申し訳なさそうにハジメの隣に座ると、何かを悩むようにエリザベスの足元を見つめる。パカパカと一定の調子で進む足並みは、眺めても何も変わらない。
「それで、聞きたい事って?今度の訓練試合?」
何も言わないアマラに冗談交じりに言うがアマラは何も返さない。その様子に少し違和感を感じながらも進む時間に身を委ねる。
アマラのこういう調子は珍しい。ハジメも無理に聞かず、アマラの声をゆっくりと待つ。
「いつ」
「ん?」
やっと紡がれた寂しそうな言葉はたった2文字。けれどそこで区切り、小さく息を吐くとその先を言葉にした。
「いつ、帰るの」
「……え?」
「友達が。仲間が何も言わずに居なくなるのは、寂しい」
考えても居なかった言葉に、ハジメは絶句する。しかしアマラは絶句する理由が分からずに言葉を続ける。
「いつか、帰るはず。何も言わずに居なくなったりしないで欲しい」
「……帰れないよ。ずっと」
「え?」
その言葉に今度はアマラが固まる番だった。そんなアマラを見ずに、ハジメは前だけを見て答える。
「この世界に迷い込んだ時、帰れないって言われてる。2年ぐらいこの世界で生きたけど、俺も帰れないって思ってる」
「帰れないの?」
「絶対とは言えない。帰る手段は探せばあるかもしれない。でも、多分無いと思う。先に来てた人達もずっとこの世界に居るし、元の世界に居た時に、帰ってきたって人を聞いた事がないから」
アマラはハジメの覚悟に固まる。ハジメはそれ以上何も返さず、ただ前を進むエリザベスの背を見つめる。エリスに聞かせたくなかった理由も内容を聞いて納得する。ハジメが元の世界に帰る、と言う話になればエリスは落ち込むだろう。
そう感じるくらいには打ち解けている。
「何で」
アマラが再び言葉を絞り出す。普段とは全く違う様子に驚きながらも表情に出さずに前だけを見つめる。アマラは気にせずにその先を言葉にした
「何で、そんな簡単に言えるの。帰りたくないの?」
「帰りたいよ。でも帰れないから。ならいつまで経っても、幻想にしがみ付いてるわけにはいかない」
既に出した結論を言葉にして、自分の覚悟を再確認する。
帰れない。
それを覚悟してから、何かが変わった。見た目も何も変わっていない。けれど心の持ち様が大きく変化して、それは日頃の生活へと大きく影響している。
「どうして」
「ん?」
「どうしてみんな、そんな簡単に覚悟が決まるの」
不安そうな言葉にアマラに目線を向けると、目が合った。震え、どこか困り、後悔した様な表情。ハジメはその表情を、しっかりと受け止める。
「今でも帰れたらって思ってる。何もない村だったし居れない理由は出来たけど、家族が居たし、アスティアも、ラナラスも居た。帰りたいって、思っちゃう。でも帰れない。ここで生きる、覚悟が出来てない。私だけが出来ていない」
「……」
アマラの弱音に何も返せない。帰りたい、帰れない。会いたい、会えない。
一緒に居たい。
ハジメも通ったその悩みと絶望を思い返し、自分を見つめ直す。
「そっか」
ハジメはそう呟くと、アマラから目線を逸らして空を見上げる。綺麗な雲がポツポツと浮かび、どこまで続くような青い空が広がっている。きっと数日は天気が良い、そう思い込んでしまうほどの青空だ。
「そんな簡単に覚悟なんて決まらないよ。難しい事なら、どれだけかかってもおかしくない。一生決まらないかもしれない」
「でもハジメは覚悟が決まった」
「覚悟が決まったのはここ最近だよ、リリアが言ってたでしょ。だからそれまでの2年は、ずっと惰性で生きてた」
ハジメが自虐するように笑う。アマラの視線も気にせず、空を見上げ続ける。
「でも、それじゃダメだって気づいて。でも覚悟の仕方なんて分からなくて。そんな時にアマラ達に会ったんだ」
「……私達?」
信じられないと言ったアマラの言葉に、ハジメは小さく頷く。
「俺、足掻いてなかったんだよ。与えられて、それが当然と思ってた。環境も、生きる道も。……命さえも」
アマラから驚くような声が聞こえた気がする。けれど気にせず、ハジメは自分の思いを言葉と言う覚悟で表す。
「アマラ達に出会って気づいて。でも、覚悟なんて分からなくて。どうすればいいかずっと悩んでふと、気づいたんだよ」
「気づいた?」
「怖い事に」
ハジメはまるで怖い物がないかのように笑う。その笑顔に、アマラは息をのむ。
「俺はリリアに見限られるのが怖い。多分、死ぬことよりも」
「そんな事――」
「うん、リリアはしないと思う。でも俺はもう、その優しさに甘えたくない。だからもっと、人として強くなりたいと思ったんだ。そこで初めて覚悟が決まった。生きる事、戦う事、命を賭ける事」
ハジメの言葉にアマラは何も返せない。ハジメは気にせず前を見る。今までぼんやりとただ生きていたが、覚悟が決まったら見え方が変わった。
「そうしたらちゃんと、全力で戦えるようになった。まだまだ弱いけどね」
ハジメが穏やかに笑う。自虐しているはずなのに、その笑顔は全てを受け入れた悲しい笑顔だ。その笑顔にアマラは顔を俯かせる。
「私は全く出来てないのに」
「当たり前だよ。俺だって覚悟が決まるまで2年近くかかったんだ。しかも戻れないって分かってるのに、行けないって分かってる場所をずっと拠り所にして。アマラは全てを捨てて帰ろうと思えば、帰れるんでしょ」
「……うん」
ハジメの言葉に、アマラは弱さを吐き出す。
「なら、時間がかかってもおかしくないよ。でも今、それに気づいて悩んでるんでしょ。ならきっと、そう遠くないうちに覚悟が決まるんじゃないかな」
「……それが言えるハジメは強い」
「そうならないといけない環境に来ちゃったからね」
そう呟いて周りを見る。広がる草原は元居た世界とは違く、生い茂る森を元の世界では知らない。
何もない所で立ち続けるには心の強さが居る。人としての成長を実感しながら、ハジメはただ前を見つめる。
「……私に出来るのかな」
「出来るよ。アマラは強い。いや、強くなれるから」
ハジメの優しい言葉に落ち着いたのか、アマラはハジメを見る。まだ少し不安は見て取れるが、それでも目も心も前を見ていた。
「まず、どうすれば良いんだろ」
「そうだな。まずは大切なモノを見つける事じゃないかな」
「大切な――」
「助けて!」
アマラの不安に答えを聞こうとしたところ、荷馬車の中からエリスが飛び出してきた。一緒に怖い視線も感じるので後ろを見ると、危ない気配を漂わせたアスティアと目が合う。
下手に聞くと危険な香りがしたため、リリアに目線を逃がす。
「何があったの?」
「……エリス禁断症状、かな」
「危ない薬かよ」
「私、危ない薬なの?」
「言葉の綾だから気にすんな」
予想を超える言葉に呆れると、エリスが文句の目線を向けて来たので頭を撫でて誤魔化す。
そのままエリスは後ろには戻らず狭い御者台に座ろうとする。座れる場所は余裕であるのだが、ハジメの膝の上に何故か座った。そのままだと危ないので、落ちないように優しく抱きとめる。
そのせいで余計に強い殺気を感じたので、目線を隠すように戸を閉めた。
「アスティアって、もっと真面目なイメージがあったけど」
「村を出てから余裕なくて静かだったけど、昔からあんな感じ。可愛いのが好きだから、ラナラスも何度も着せ替えとかさせられてる」
アマラが呆れて溜め息を吐く。先ほどまでの重い空気は消え失せ、どこか賑やかで優しい空気に包まれた。
「後で絞めとく」
「ほどほどにね」
言葉と文字が合ってない違和感を感じる程のアマラの圧にハジメが苦笑いで返すと、エリスは訳が分からないと言った感じで小首を傾げた。




