40.生きる覚悟
「あらぁ、エリスちゃんじゃない」
30分ほど経つと、先ほど魔法を上げたと思われる女性が森の奥から近寄って来た。
女性にしては身長がありハジメより少し高い。そして耳はエリスの様な猫耳で、ケットシーであった。
「ルピア先生!どうしてここに?」
エリスは声をかけられると嬉しそうにしながらもすぐに背筋を伸ばし言葉通り、まるで師匠に会ったかのように緊張した。
「知り合い?」
リリアは知らないらしく、エリスに確認を取る。エリスは背筋を伸ばしその女性――ルピアから目を逸らさずに言葉だけを向けた。
「私の偵察の師匠。色々と教わったの」
「そうよぉ。優秀な子だったわぁ」
ルピアは緊張するエリスに気にせず近寄ると、頭を撫で始めた。
「最近は遊びに来てくれないし寂しかったのよぉ。またいつでも遊びにいらっしゃい」
そのまま頭を撫でるのを止めるとエリスの肩を掴みクルリと後ろを向かせ、背中から抱きしめた。どこかのんびりとした雰囲気と様子に、敵の事も忘れて空気が緩む。
「でも、ルピア先生はどうしてここに?引退しませんでしたか?」
エリスが自分の記憶違いかと聞くと、ルピアはゆっくりと怒りをまとい始める。
「引退したわよぉ。でもオーガが出たでしょう。そのせいで仕入れの香草が減ってたのよぉ」
とても優しくエリスを抱きしめている。けれど、まるで万力で絞めるかのようにどんどん力が籠っていく。
「旦那ったらぁ、そのせいで香草のバランスが変わったとかでぇ、いつもと味が違くてごめんなぁって謝ってねぇ。そんな事気にしてないのにぃ、いつも美味しいご飯ありがとうって思ってるのにぃ」
力がどんどん増していく。言葉を間違えたら抱きしめられているエリスが物理的に小さくなるのではないか、そう感じてしまうほどだ。
「だから復帰してぇ、香草採集に来たのよぉ。そしたらオーガを見つけてぇ、助けを呼んだのぉ」
決してエリスには力を込めていない。けれどまるで巨大な包丁で小さな豆腐を切るかの様な、無駄に力を込めていた。
あんまりの圧にハジメとリリアは止めようとするが、エリスは気にせず質問をする。
「ルピア先生はCランクだし強いから、オーガなら問題ないのでは?」
「現役の頃の話よぉ、今はそんな実力ないわぁ。当時は兵士上がりだったしぃ、そのくらいはねぇ」
全く問題ないとでも言うようにルピアは軽く言う。そこになってリリアが「あっ」と何かを思い出したように言葉を漏らす。その声に驚きルピアが目線を向けた。
「何ぃ?どうしたのぉ?」
「あの、えっと。ルピア先生、ですよね?」
「ルピアで良いわよぉ。何ぃ?私の事知ってるのぉ?えっと……」
「リリアです」
「……そう、あなたがあのリリアちゃんなのねぇ」
「あの?」
ルピアの言い方にリリアが困惑する。けれど気にせず、先ほどより少しだけ抜いた力でエリスを優しく抱きしめる。
「エリスちゃんがぁ、大好きな人だって聞いてたわぁ」
何かを我慢しながら発したその言葉に全員の視線がエリスに集まる。けれど照れる事も逃げる事も出来ずルピアに拘束され続けている。
「それでリリアちゃんは何で私を知ってたのぉ?現役時代もそこまで目立たなかったはずだけどぉ」
「その、書類で見たことがあります」
「何の書類ぃ?」
ルピアが目線を厳しくリリアを見る。リリアは一瞬気圧されるものの、すぐに隠さずに言葉にする。
「ルピア先生の、旦那さんの書類です」
「へぇ、旦那の書類からぁ、ねぇ」
ルピアは何かに気付いてハジメに目線を向ける。探るような目線にハジメは固まるが、少し経つととても優しく微笑んだ。
「この子達をよろしくねぇ」
「それで、オーガは」
「あぁ、忘れてたわぁ」
抱きしめられたまま動けないエリスが「そろそろ助けて」と目線で送って来たので、ハジメがルピアに声をかける。
ルピアは周りを見回すと、エリスを抱えたまま適当な岩に座る。どう頑張っても拘束から抜け出せない状況に、エリスは「あ、無理だ」と言わんばかりの絶望の表情を浮かべた。
「サイズは平均個体より少し大きいわねぇ。単独でぇ、何かと一緒に行動していた形跡はなかったわぁ」
ルピアののんびりとした言葉からは信じられない程要点を得ており、偵察として優秀なのはハジメでもよく分かる。
「武器は大剣だったわぁ。体に合わせて少し大振りでぇ、間合いに苦労しそうよぉ」
エリスは暴れもせずハジメに「いい加減助けて」と目線を送るが、良い案が思い浮かばずに作り笑いを返す。そんなエリスをとっくに諦め、リリアは討伐への計画を立てる。
「なら問題なさそうです。ルピアさん、距離と方向は?」
「そうねぇ。ここから走って30分ぐらいでぇ、向こうのライトを上げた方向よぉ」
ルピアがそう言いながら狼煙を上げた方向に目線を向けて指差す。
「あぁ!エリスちゃん逃げないでぇ」
「もう充分です。私も行くから」
抱きしめるのが片手になったタイミングでエリスがするりと逃げ出した。
ルピアが寂しそうに手を伸ばすが、エリスは少しぐったりとしながら一番近くに居たハジメの後ろに隠れて再び捕まらないようにする。それをルピアが羨ましそうに見る。
その様子にリリアが小さくため息を吐くと、状況を整理し終わったので指示を出す。
「なら、私が討伐します。ルピアさんは道案内をお願いします。エリスも周辺確認のためについてきて。キミはここで待機して荷物番、何かあった時は荷を放棄して帰還、援軍を呼んで」
「分かったわぁ」
「はい!」
「……」
リリアの言葉に返事が集まるが、ハジメだけは何も返せない。
「どうしたの?返事は?」
ハジメから返事が無かったことに気付きリリアが催促する。
しかしハジメは俯き、手を強く握り込んでいる。
「ふぅ……」
音に出る程深く息を吐くと、目線を上げた。何かしらの強い覚悟をした目はリリアを正面から見据える。
「リリア」
そこで言葉を区切ると、再び強く深呼吸をする。
普段と違う様子のハジメが何を覚悟したのか気づいたリリアは、少しの怒りを込めて目を合わせ続ける。
しかし何も言わず、ハジメの言葉を待った。
ハジメは再び深呼吸をする。これから言う言葉の意味を、重さを、厳しさに気付いている。
それでも覚悟を決めると出来るだけ普段通り、淡々とした声で絞り出した。
「討伐は、俺にさせてくれ」
「させる訳ないでしょ。キミはここで待機。良いね?」
「俺に討伐させてほしい」
予想していた言葉をリリアは一瞬の間もなく切り捨てるが、ハジメはすぐに言葉を追いかける。
リリアは目線に怒りを込め、すさまじい圧をぶつけている。けれどハジメはそれを受け止め、しっかりと目線を合わせる。
それがリリアを余計に苛立たせる。視線はもはや殺意に近くなり、ハジメの後ろに居たエリスが怯えて離れた。
「ダメに決まってるでしょ。今のキミじゃ実力不足、大怪我するよ」
「勝てない、とは言わないんだね」
「……」
怒りが限界を超えて絶句する。ルピアはのんびりとした様子を崩さず話を聞いており、エリスは怯えは引いたようだが少し距離を取っている。
「イノシシの魔獣とは違うんだよ」
怒り過ぎて冷静になったようで、凄まじい圧を込めながらも言葉は静かだった。ハジメは一瞬怯むが、すぐに向き合うとその圧を受け止める。
「分かってる」
「分かってない。死ぬ危険があるんだよ」
「それでも、今じゃなきゃダメなんだ」
「……何を、考えてるの」
普段の優しさのない、研ぎ澄まされた殺気をどうにか抑えている声。それでも覚悟していたハジメは、その圧を受け止めて思いを告げる。
「リリアに守られているだけじゃ、ダメなんだ。戦えるようにならないと」
「それは、今やるべきことなの?もっと安全に戦える時はあるよ」
「それだと俺は、本当の意味でこの世界を生きている事にならない」
リリアの当然の怒りに覚悟を返す。
ハジメも危険な事だと分かっている。けれどそれは、この世界で生きているから。
安全なんてこの世界にはない。安全だと思っているのなら、危険から目を逸らしていただけだ。
「いつまでも遊びじゃダメなんだ」
ジェットコースターを楽しんでいるようなものだ。徹底的に管理された中で安全を確保して危険を楽しむ。
ハジメが今居る位置はまさしくこれだ。リリアに守られ、冒険者と言う危険を楽しんでいる。怪我をされては困る、死なれては困ると守られている。
そんな事、当然ハジメも分かっている。
でもここで引いたら、ハジメはこの守られた殻から抜け出せない。
怪我が怖くない、と言ったら嘘だ。痛いのは怖い。
死ぬのが怖くない、と言ったら嘘だ。死ぬのは当然、怖い。
それでも、怖いからと言って目を逸らす事は出来ない。でも今のハジメは目を逸らせてしまっている。
これではただ生かされているだけ、守られているだけの子供だ。
「俺に、戦わせてくれ」
確認ではない。この世界で生きるために、強い覚悟を持ってリリアと向き合う。そのハジメの表情に、リリアは何も返せない。
「良いんじゃない?リリアもいつかは必要だって考えてたんでしょ」
「エリス」
その思いを救ったのは恐怖の圧から落ち着いたエリスだった。ハジメを擁護するような言葉に、リリアは静かな怒りを込める。
「リリアだって勝てないとは思ってないでしょ。なら問題ないじゃん」
「……大怪我する可能性だって、あるんだよ」
「いつものリリアだったら、命に問題がないなら良いって気にしないんじゃない?」
「……」
エリスの言葉に、リリアは何も返せない。ただ静かに、目線を落として地面を睨むだけだ。
その様子をハジメは何も言わず、ただ静かに見つめる。
沈黙が続く。草木が揺れ、その場の怒りは風に乗って薄まっていく。
「……なんで?」
リリアから困惑と不安のこもった言葉が出てくる。ハジメはその言葉をしっかりと受け止めると、目線を向けないリリアをしっかりと見つめて言葉にする。
「もう、守られてるだけの存在で居たくないから」
ずっとリリアに守られてきた。戦う場面でもリリアが道を作り、その綺麗な道を追いかけただけ。
ハジメはまだまだ弱い。
ゴブリンはちゃんと倒せたが、ハジメ1人だったら分からない。
冒険者として昇格はしたが、実力相応かは分からない。
だから先に進むのは、もっと強くなってからだと思っていた。
――アスティア達と会うまでは。
アスティア達の話を聞いて、自分がどれだけ安全の中に居るかを自覚した。
そしてアスティア達がどれほど生きるために、大切な者を守るために足掻いてきたかに気付いた。
だからこそ、ハジメは自分の生き方を見つめなおせた。
これまでがどれだけお遊びでいたのかも。
だから、今なのだ。
リリアの作った安全ではなく、ハジメの意志で選ぶ覚悟でないといけない。
間違いなく危険だ。ミスが無くても大怪我するかもしれない。下手すると死ぬだろう。
でも、それが生きる事なのだ。
道しか進めない人は冒険者ではないし、この世界では生きていけない。
ずっと安全の中に居たから考える事を放棄していた。でも今やっと、見つめる事が出来た。
この世界で生きるため、一歩を進む覚悟が出来た。
「……エリスは、どう思う?」
リリアがやっと言葉にする。エリスはその言葉に悩むことなく、返事を準備していた。
「分からない。けど、やる気だし任せて良いんじゃない」
リリアが頭を上げる。まだ悩んでいるようだが、ハジメの覚悟のこもった視線を受けるとその悩みも薄れていく。
そして小さくため息を吐くと、リリアが覚悟を込めてハジメを見つめ返した。




