39.命を貰う
日も登ってきて、少しずつ暖かくなってきた頃。リリアとハジメは湖の近くに完全武装で目的のものが来るまでのんびりと待っていた。
食後もずっと落ち込んでいたエリスだったが、ハジメが何も言わず隣に座ると優しく頭を撫でた。
最初の頃は素直に撫でられていたが、少し経つと恥ずかしくなって来たらしく顔が俯いてきて、それでも撫で続けるとわなわなと肩を震わせ始める。
それでも気にせず撫で続けるので、「いつまで撫でるの!」とキレた。そこでやっとハジメと目があった。
ハジメは一切気にしてないようにとても優しく笑っていたので、エリスも安心したようで優しく微笑み返していた。
今はそのエリスが連れてくる獲物を待っている。
1匹目のイノシシは手順の確認もあったが問題なく狩り終え、既に血抜きも終えた。今は内臓処理を終えて湖に沈めている。その作業をハジメはリリアと協力して行った。
少し顔を顰めはしたものの作業は迷い人とは思えない程手際が良く、多少手間取った物の素早く出来ていた。
「もっとバタバタすると思ったのに」
その手際の良さにリリアが素直に、けれどどこか悔しそうに感嘆の声をあげる。ハジメは苦笑いを浮かべながら、血に濡れた手を湖で洗う。ひんやりと冷たい水が命を狩った感触も洗いとる。
「こっちの世界に来てから色々練習したからね」
元の世界では出来るか難しい経験に、ハジメはそれしか返せない。けれどもリリアはとても優しく微笑む。
「それだけ成長したって事だよ。作業も丁寧だし、下手な同業者よりは上手かも」
「そんなに?」
「あくまで冒険者ね。料理人とか専門の人には敵わない」
「仕方ないよ。俺はプロではないから」
上手いと褒めたいけど、満足して欲しくない。リリアの不器用な思いも感じながら、ハジメは満足せずに賞賛を受け入れる。
「そろそろかな」
ハジメの様子に安心すると、リリアが森の先を睨むように目線を送る。ハジメは濡れた手を布で拭き、武器を抜きリリアの目線を追う。
「みたいだね、音がする」
まだ見える獲物を睨み、音を頼りに2度目となる戦いの準備をする。リリアは武器を抜いていないが臨戦態勢だ。
「来た」
リリアがぼそりと呟く。
その言葉と同時に、視界に変化が生まれる。森の中の獣道によく見知った姿が現れ、その後ろには肩の高さぐらいありそうな巨大な姿が見える。
その姿にリリアが困ったように目頭を揉むように押さえ、ハジメは瞬きをすると見間違えたかなと言う風に首をかしげる。
「……何、あれ?」
徐々に近づく姿にハジメが何とか言葉にすると、リリアが困ったように武器を抜き2刀になる。
「多分、イノシシが魔獣化してる。何してくるか分からないから気を付けて」
そう言うと先ほどと同じようにリリアが前に出る。先ほどはリリアがイノシシを誘導して、ハジメの一振りで仕留めさせた。
けれど今度はそうはいかないと判断し、既に戦う覚悟だ。
「リリア、俺が前に出て確認する」
「ちょっと!」
それを止める様にハジメが横に出た。それを窘めるようにリリアが怒るが、ハジメは気にせずに一歩前に出る。
「訓練で回避と受けの練習はずっとしてきた。あのサイズだと俺の武器の方が仕留めやすいけど、俺の実力じゃ一撃で出来る自信が無い。リリアなら無駄な傷を作らずに一撃で決めれるでしょ」
「それは、そうだけど」
リリアが仕方なくと言った様子で納得する。既に魔獣化した獣はすぐ近くまで来ている。
「魔獣については覚えてる?」
リリアから戦えるかの確認が来る。その言葉に、ハジメは覚悟を決めて武器を強く握る。
叫べば魔獣化した獣に追われたエリスに声が届くほど近い。時間は無いが、ハジメは記憶を辿った。
「何かの原因で魔石を体内に入れた獣。取り入れた魔石は心臓にある事が多い。サイズが大きくなったり新しい部位が生まれたりするのが魔獣の大きな特徴。特に鳥類や爬虫類は顕著で、ドラゴンのようになる事が多い」
「生物的な情報じゃなくて、戦闘的な情報」
勉強しているときに面白くて覚えた情報を話してしまい、リリアから呆れ声が聞こえる。ハジメは近寄るイノシシに慌てることなく咳払いすると、説明を続ける。
「魔獣になると何かしらの魔法を使える個体が多い。属性は1種類が基本だが、何の属性かはその場で確認するしかない」
「正解。何の魔法が使えると思う?」
もう時間が無い。それでもギリギリまで指導を続ける。
「火だったら、火事とか起きてたと思うからそれ以外。これ以上は推察できない」
「うん、私も同じ考え」
「だから気を付けるのは足元と、魔獣から何か飛んでこないか」
「正解」
短い言葉で状況を整理するとリリアが少し離れる。その横をエリスが疾走していった。
「大きいの連れて来たよ!」
「大きすぎだ!」
エリスはそう叫びながらハジメの横を通過した。このまま行くと魔獣はハジメと正面衝突する。
「オオオオオッ!」
雄たけびの様な、地響きの様な音を立てて魔獣化したイノシシが突撃してくる。ハジメは怯えることなく冷静に跳び箱のように手をついて飛ぶと、全力で背中を踏みつけた。
「グオッ!」
剛力で増えた体重で全力で踏まれたため、酷い声を出して止まる。そのままハジメを敵として認識したらしく、エリスに興味を無くしハジメへと向き直った。
――怖い。
敵として認識され、ハジメに敵意をぶつけてくる。その圧に恐怖を味わいながらも、何故か問題ないと感じて睨み合う。
リリアは周りで様子見をしている。
野生の獣で怖いのは怪我を負った時。一撃で仕留めたとしても即死するわけではなく、何かしら暴れてしまう。魔獣の場合それが魔法と言う形になるため、事前に判明していないと命に関わるのだ。
「オオオオオッ!」
咆哮と共に再びの突撃が来るが、先ほどの突撃でタイミングは取れている。少し余裕をもって横にずれると、イノシシも馬鹿ではなくしっかりと追ってくる。
「ほいっ」
それを予想した上で転がるように横に避け、横を通るイノシシに曲芸のように蹴りを決める。リリアに鍛えられ続けた今、多少バランスが崩れていても自分の状態を把握できるため、このぐらいだったら余裕で出来るようになった。
――すぐに使ってきそうだな。
イノシシは少し距離を取り、再び突撃の準備をする。その様子は怒りに震えており、自分よりも小さい存在に好き放題されているのが許せないと言った感じだ。
「オオオオオ……」
――来る!
先ほどまでと違う構えに警戒し少し力を込めた瞬間、ハジメの足元が急にへこんだ。ほんの数センチだが、足元が急に変わったことでバランスを崩す。
「……っ」
「オオオオオッ!」
イノシシはその隙を逃さない。突撃しやすいよう足元にスターティングブロックのような足場を作ると、先ほどまでとは比べ物にならない初速で突撃してくる。
「土系統か」
けれど警戒していたハジメには致命的な隙にはならなかった。何が起きても対処出来るように準備していたため、すぐに立て直すと突撃してくるイノシシを躱す。これまでよりも速いため、怪我の危険を避けて手出しはしない。
「オオオオオ……」
イノシシは距離を置いて再び止まる。まるで闘牛の様な繰り返しは、必要な情報が出たことによって終わりを迎えた。
「お疲れ様、完璧だったよ」
「オオ……」
イノシシが止まり次の突撃の準備をしていた時、流れる様に横から出てきたリリアがイノシシの下に潜り込むと首の下を深く切り裂いた。
「オオ……?」
急激に抜ける血液と力に、イノシシは足を崩しそのまま倒れ込む。リリアは最期の足掻きを警戒して距離を取り、ハジメはその様子をただ見つめる。
「……」
一瞬、イノシシの周囲の地面が波打つ。けれどそれ以上動くことは無く、戦いは静かに終わりを告げた。
「当たりだね」
血抜きを終え内臓処理を始めると、リリアが心臓の所で魔石を発見した。ゴブリンの時よりも一回り大きく、大銅貨10枚程度で買い取って貰えるはずだ。
「よし、運ぶよ」
「お願い」
この場で出来る一通りの作業を終えると動き始める。魔獣はかなり重くハジメが全力を出しても持ち上げる事は出来ず、引き摺るように湖まで運んでいく。
「これで終わり?」
当初は4匹か5匹ほどを予定していたが、魔獣は魔物と違いちゃんと素材として使用できる。そしてこの魔獣は大きいため既に予定の量に近い。リリアは「うん」と頷くと、歩きながら軽く伸びをする。
「まさか魔獣のが居るとは思わなかったよ。おかげで予定より早く終わったけど」
荷車に乗せる量には少し余裕あるが無理をする必要はない。ハジメの運搬能力を超えたら捨てるしかなくなるため、多少余裕をもって終える。
「この後どうするの?」
一緒に歩くエリスが空を見上げながら確認する。時間にしてお昼を少し過ぎた頃。元々この1匹を狩ったら休憩がてらのお昼にする予定だった。
リリアが「そうだねぇ」と悩みながら一緒に空を見上げる。
「お肉の引き上げは明日の朝だし、ご飯食べたら少し奥に入って薬草でも取りに行く?」
「やった!薬草も買取価格が少し上がってるんだよね」
エリスの嬉しそうな言葉に、リリアが微笑む。ハジメはその言葉に記憶を辿り、ほんの少し買取価格が上がった薬草を思い浮かべる。
「やっぱオーガのせい?」
その言葉にエリスが嫌そうに返す。
「そうだと思うよ。低ランクが入りづらくなってるから、買取量が減ってるんだと思う」
「ギルドで調整出来る値段の内だからまだ何とかなってるけど、早めに倒さないと」
リリアがギルドの書類を思い出しながら肩を落とす。けれどすぐに体勢を戻すと、周りを見る。
「でも偵察範囲も広がって来たから見つかるのは時間の問題だと思うよ」
「お待たせ!」
エリスはさっぱりした風に叫ぶと、体を清めてテントから出てきた。
森の中を走り回りイノシシに追い回された3人は順番に体を拭き、綺麗になって食事を取っている。エリスは最後で、ハジメとリリアは先に済ませてご飯の用意をしていた。
食事は朝とほとんど変わらず、スープは新しく作ったがパンの組み合わせはそのままだ。野営の時はどうしても簡単さが優先される。
「それにしても、ハジメもちゃんと戦えるんだね」
「どういう意味だよ」
食事をしながらエリスが棘のある言葉をぶつけてくる。ハジメが青筋を浮かべそうになりながら返すと、エリスはスープでパンを流し込む。
「だってゴブリンの時は奇襲だったし、他に戦ってる所見たこと無いもん」
「まぁ、戦ったって意味なら今回が初めてだから」
「そうなの?」
ハジメの言葉にエリスが驚く。
記憶にある限り、ハジメがちゃんと戦ったのは今回のイノシシが初めてだ。それまでは全て訓練、ゴブリンですら奇襲で訓練の意味合いが強かったほどだ。
今回、リリアを説得してやっと戦った。それほどにハジメは弱く、まだまだ戦力ではないと見られているのだろう。その事が悔しくもあるが事実としっかり自覚している。
手で抱えるスープの波紋を眺めながら、戦闘で感じた恐怖を噛みしめる。
「もっと先の予定だったんだけどね」
リリアが横から少し恨めしそうに言ってくる。けれどハジメは気にせずスープとにらめっこをする。
「早く戦えるようになりたいんだよ。リリアに任せっきりなのもいい加減卒業したいし」
「まだまだ早い」
ハジメの思いはリリアの無慈悲な言葉で叩き切られる。
ショックを受けて手元のスープから目線を上げると、リリアの優しそうな微笑とエリスの悪そうな笑みが迎える。
「良いだろ、少しくらい」
「……ぷっ、似合わない」
ハジメがわざと拗ねた様に言うと、あまりの似合わなさにエリスが吹き出す。2人はその声に釣られてエリスに目を向けると、本格的に笑い出したエリスに釣られて一緒に笑ってしまった。
「狼煙だ」
状況が動いたのはすぐだった。
食後の一休みでのんびりしていた時、ハジメの視界に狼煙が上がった。その言葉にリリアとエリスは急いで視線を追う。
「エリス!私が上げるから報告」
「は、はい!」
魔法を使おうとしたエリスをリリアが止めると、リリアは手元に集中して魔法の準備をする。
「えっと……青、黄色、黄色――」
エリスが上がった色をどんどん言う。
――偵察、オーガ発見、他の魔獣なし、対応求む。
リリアはその報告を全て聞き終えると、返答のライトを上げた。青色を3つ、確認と対応可能の返答だ。
「返事だ。えっと……」
少し間を置き、すぐに返答の狼煙が上がる。
――合流。
ハジメは狼煙を確認すると深く、深く息を吐いた。




