37.夜と星
結局、その日は何も起きなかった。
野営地に戻ると既にテントは完成しており、リリアは釣りをしていた。小さなバケツには既に1匹の魚がが入っており、ハジメ達が戻って来たタイミングで丁度2匹目が釣れた。
「ご飯の準備しようか」
と、いつも通りの様子でリリアが話すので、ハジメは魔法で火種を作ると薪を燃やし、焚火代わりのカマドを作る。エリスは持ってきていた干し肉と乾燥野菜を鍋に入れスープを作り始めた。
危険な場所なのにどこかキャンプのような、不思議な楽しさを噛みしめながらワイワイと準備をしていく。
どんどん暗くなる世界はけれど月と星が照らし、目が慣れてくると世界は決して暗闇ではなかった。
「――リリア、時間だよ」
「ありがとうエリス。おやすみ」
「うん」
ハジメが少し涼しいテントの中で毛布を被って寝ていると、しっかりとした2人の声で目が覚めた。
全体で6畳ほどありそうな大き目のテントの中、中央に布を張って半分で区切った片側でハジメは寝ていた。
しかし普段と違う環境に深く眠れず、2人の声で目が冴えてしまう。
ごそごそとリリアが外に出る音に釣られ意識が外に向かい、そのせいで意識がより冴えていく。すぐに寝るのは難しそうだ。
――少し動けば眠気も来るかな。
横になった方が良いと分かりながらも来ない眠気に諦め、横に置いていた武器を手に取ると起き上がった。
「あれ、煩かった?」
「全然。普段と環境が違うから、ちょっと目が覚めちゃって」
「ちゃんと寝た方が良いよ」
既にエリスの寝息が聞こえるテントから静かに出ると、すぐにリリアに気付かれた。リリアは照明を使って何かの本を読んでおり、ハジメに気付くと本を閉じる。
「はい」
「ありがとう」
リリアはすぐに暖かいお茶をコップに注ぐとハジメに渡す。ハジメは素直に受け取ると、体を温める様にコップを手で包み一口飲んだ。
「ダメそうだね」
「いつもと違う環境だから、かな」
眠気が一切無さそうなはっきりとした動きと様子に、リリアが呆れる。呆れられて当然な事だと、ハジメも素直に受け取るしかなかった。
「なら仕方ないね。予定とは違うけど、見張りの時間を今からに変えようか」
「え、ちょっと待って」
「ん?」
その先に続いた言葉はハジメも予想していなかった。しかしリリアの問題なさそうな声にハジメも混乱する。
「俺、そんな長い時間起きてたことないんだけど。明日も動くからこのままずっと起きてるのはきつい」
「大丈夫、キミの見張り時間をずらすだけだから。後は私が見張りするから安心して」
「それじゃあリリアがずっと起きてる事に――」
「最初からその予定だったよ。夜の見張り初めてでしょ。さすがに一人で任せる訳にはいかないよ」
ハジメが驚いて固まる。けれどリリアは気にせず、とても寂しそうに微笑む。
「私、長い時間眠れなくてね。これぐらい眠れれば問題ないんだ」
「体調は、大丈夫なの?」
「全然問題ないよ」
リリアはそう笑うと自分のお茶を一飲み、照明の状態を確認すると再び本を開いた。リリアにとっては、本当にいつもの事なのだろう。
ハジメは混乱していたが、リリアの特に変わらない様子に落ち着きを取り戻してきた。
「ごめん、俺のせいで」
「元々この予定だったしキミが悪い事は何もない。あるとしたら、ここで謝る事が悪い事。謝ったら出来るようになるの?」
「うっ」
「言うべき言葉が違うでしょ」
ハジメの謝罪にリリアがイラっとして睨み、加減をしない言葉をぶつける。その目線の意味と言葉を考え、睨まれながら一呼吸を置いた。
「付き合ってくれてありがとう。早く、1人で出来るように頑張るよ」
「よろしい」
リリアが優しく微笑むと、ハジメは自分の言葉と意味を理解して反省した。
何も起きないけれど、何か居るかもしれない暗闇に目を凝らしても結局何も見つからない。
リリアに聞くと、
「大抵こんな感じだよ。何か起きる場合は前兆があるから、それに気づくのが仕事」
と軽い感じに答えていた。実際何か起こる事は無いだろう。見張りと言うのはそういう物だし、そうでなければいけない。時々起こる音は、風で葉っぱが擦れた音か。ウルルの森とは思えない、平和で静かな夜だ。
「……」
ハジメはどこか心地よい静けさの中、来ない眠気をありがたく思いながら空を見上げた。
元居た世界では知らない月と星の並びに、知らない世界に来たことを毎度実感させられる景色。けれど元の世界で見る事が出来なかった美しさに、毎度吸い込まれるような感覚に晒される。
なぜこの景色を元の世界で見ようとしなかったのか、とても勿体ないと感じてしまう。
「綺麗だね」
「うん」
ハジメの様子に気付いたリリアが、一緒に空を見上げてポツリと零した。黒の世界に白い点滅が美しく広がり、黄色や赤が混じった一面の世界に見とれている。
「キミは夜が好きなの?」
「どうして?」
「前も森で、夜の景色に声をあげてたよね」
リリアが思い出したように言う。初めてのウルルの森で帰りが遅くなった時の事を思い出す。けれどハジメは肯定せず、ただ空を見上げた。
「元居た国だと、こんな景色見れなかったんだよ」
「そうなの?」
「うん、光害も凄くてさ」
ハジメはそう言うと空を見上げたまま星に意識を向ける。
日本では見れなかった星の数や並びに違う世界を感じながらも、本当はこういう景色が見れる場所もあったのかも、と言う一抹の思いが心を掠める。
「光害って何?」
「夜でも物凄く明るくなって、星とかが見れなくなる事を言うんだ。他にも影響があったらしいけど、ちゃんと調べなかったな」
「星が見えない?そんなに明るいの?」
リリアが信じられずに空を見上げる。一面の星空で、光害が存在するとは信じられない景色だ。
「うん。俺が元居た国って、本当に明るかった」
ハジメも寂しそうに空を見上げる。とても綺麗な星々が一面に輝き、そんな面影は欠片もない。
「サイシアも明るい方だと思ってたけど、信じられない」
「俺も、今思うと信じられないよ。だからこの星空を見るたびに感動しちゃって。いや、後悔かもしれない」
「どういう事?」
ハジメの言葉の意味が分からず、リリアが困惑する。ハジメは気にせず、夜空を見上げながら悲しそうに呟いた。
「……元の世界をもっと、ちゃんと知っておけばよかったな」
「……」
「違う国とか違う場所とか、探したらもっと見れた場所があったのかも」
空を見上げながら呟いたハジメの後悔に、リリアは何も返せない。自分の無知をこういう形で自覚し、もう戻れない寂しさ感じる。
「何で俺はもっと色々知ろうとしなかったんだろう。知ろうと思えば出来たはずなのに。バカ、だなぁ」
いつもと変わらない声色、けれどどこか寂しさと後悔を含んだ元の世界を思う声は、この世界に響き溶けて行く。
「リリア?」
ハジメが空を見上げて落ち込んでいると、リリアが後ろに回って抱きしめた。
少しバランスを崩しながらも寒さの中に感じるリリアの優しさに、心が落ち着いていく感覚に身を委ねる。
「辛い時は、私達に頼って良いんだからね」
「……」
「ここに来てから、ずっと頑張ってるのは知ってるから」
リリアの優しい言葉を、ハジメは心に染みわたらせる。それでも心に残る寂しさは巣食い続ける。
「分からないよ。頑張りが足りてないのかもしれないし」
「良いんだよ、それで」
「えっ」
否定とも肯定とも取りづらいその言葉に、ハジメが困惑を返す。けれどリリアは気にせず続ける。
「頑張りが足りる事なんて無いの。頑張ったら頑張っただけ次が見えるから」
「……」
リリアの説教にハジメは何も返せない。リリアの言葉に滲む悲しさはもう隠しようがない。
「キミが、もし、頑張りが足りないと思ってるのなら当然の事。もし足りたって思ったらダメだよ」
「そう、かな」
「うん」
ハジメの困惑が少しずつ増していくが、リリアは気にせず抱きしめ続ける。温かさが困惑を塗りつぶす事は出来ない。
「頑張りが足りるなんてことは無いの。もし足りたと思ったら、心が折れた時か、諦めた時か」
リリアがそこで止まる。けれど声をかける事が出来ない程の悲しみが背中から伝わってくる。
「それか……全てが終わった時だから」
「……リリア?」
重い言葉にハジメの困惑は強くなる。
リリアの表情は見えない。背中に感じる暖かさには変化はない。けれどどこか、寂しさと悲しさが滲み出ていた。
「だから大丈夫。キミはちゃんと頑張ってるから、頑張り過ぎてるから安心して。だからこそ、辛い時は仲間に頼って良いんだよ」
「……いいの、かな」
「うん」
リリアの体温が離れる。ハジメが慌てて後ろを向くが、そこにはいつも通り優しく微笑むリリアが居た。
そして、リリアはまるで「この話は終わり」とでも言うように座ると、再び本を開く。
そこには先ほど感じた寂しさも悲しさも、微塵の欠片も無かった。




