3.仕事始め
この世界に迷い込んで1週間が経った。
元の世界と違い守ってくれる人も法も弱い、自分の力が重要となるこの世界で居るだけは許されなかった。
「チェック済み……正しい数字、書いた。戻す……お願い」
渡された紙の束を全てチェックし、差し戻しとなった半分以上を持ち主に戻すよう受付に頼む。この世界の文字の数字も当然読めなかったが、数字だけはすぐ覚えるようグレンに言われた。
そのおかげで仕事はすぐに手に入り、ギルドの中で何とかやっていけている。
「すいません、この束も今日中にお願いします」
「はい」
最初は苦労したけど1週間もすれば慣れる。元々計算は苦手ではないので、このぐらいなら何も問題ない。
今渡された束も10枚ちょっとなので、すぐ終わるだろう。
――ギルドの、何だ?備品……かな。購入予定品一覧、だろう。他は知らない単語ばかりだ。
聞くのは上達したが喋るのは片言、読める単語は少ないため最低限度の文字しか読めない。やらなければ生きていけないでなかったら、ここまで出来なかっただろう。そう思いながら数字の間違いを探していく。
――足し算間違えと、ここ掛け算間違えてるな。あ、ここの数もおかしい。
間違いだらけの数字を直しながら、書かれている内容で思考が広がる。
――ギルド……冒険者、か。
この世界に来て知った環境は、最初に来た城と今使っている宿舎、そしてこの仕事場だ。
――やっぱ冒険者は、外に行けるのかな。
1週間が経ち、この世界への慣れと好奇心が出てきた。
今までとは大きく違う環境に慣れてくると、この世界にも興味が湧いてくる。
これまでも多くの人が迷い人として向こうの世界から来て様々な革新を発揮してきたそうだ。
まず、食事は美味しい。芋やパン食がメインだが、お米も少しずつ生産がされている。戦後から既にいた迷い人が、お米を探して世界を歩き回り見つけてきたと聞いた。ミノルは元々パン食で特に困ってないと言ったが、ハジメはご飯派なのでこれはありがたかった。
ただ醤油はやはり苦労したそうで、近い豆を探して実験を繰り返し10年かかって今の味にまで完成させたらしい。
――思考が逸れてる……集中しなきゃ。
余計な事を考えて抜けが発生する事に焦りながら、再び数字と文字を追いかける。
「あ……リリアさん」
「何?」
初めて見る文字に困り、隣に座るリリアに声をかける。リリアも隣で似たような作業をしており、ハジメが困った時に声をかけられている。
「これ、分からない。金額……判断、出来ない」
ハジメも1週間ではあるが成長しており、最近は物の金額確認も仕事に含まれるようになってきた。それでも、知らないものがあれが積極的に聞くようにしている。
「え、あー……この書類ね。えっと……変なところもないし大丈夫よ」
見せられた書類にリリアはそう言うと、少し困ったように笑いを返した。言葉は拙くても聞く方はかなり上達しており、練習も兼ねてこういう時は会話するようにしている。リリアもそれを分かっており、気分転換も兼ねて付き合っている。
「変な紙……書類?リリアさん、困ってる?」
「困ってると言うか……内容、分からない?」
「読めない単語、多い」
首を振りながら見出しと思われる一番上の文章をハジメが指すと、リリアが笑う。
「『迷い人・ハジメアズマの護衛と勉強費用の見積もり一覧―差し戻し版』だよ」
「………」
リリアが困った顔をする訳だ。
ハジメも変な顔をしたが、「そんなものを俺に読ませるなよ」と口に出さなかったのは褒められると思った。
仕事場の初日、数字と最低限度の言葉、それだけを持ってミノルに連れられてここに来た。そして朝礼で紹介されるとき、並ぶ職員の中に何故かリリアが混じっていた。
後で聞いたら、護衛として近くに置いておきたかったのとリリア個人の仕事の関係でこうなったそうだ。
リリアは冒険者だが事務仕事なども問題ないぐらいの教養がある。そのためクエストの1つとして依頼があるそうで、書類が増えたりするとここで事務仕事をしているらしい。
「ハジメ、です。よろしく、お願い、します」
ハジメの挨拶に、向けられるのは様々な視線だ。好奇心、奇異、疑問、様々な感情が見え隠れする。
急に来た謎の人、ミノルと言う迷い人が連れてきた迷い人と思われる人、たどたどしい言語、本当にあるのか疑わしい能力。
ほとんどが疑惑の目だった。
そんな環境を何とかするために、生き残るために回されてきた仕事を必死に捌いた。
その速度、ミスの無さから周りもすぐに「大丈夫」と認めてくれたのを感じた。
ただ、言葉はそうもいかなかった。リリアが通訳しながら会話に参加するが、リリアも日本語を分かっているわけではない。知らない言葉が多すぎて、どうしても上手く会話が繋がらない。それでも身振り手振り、その必死さと同情で何とかなった。
初日の夜、仕事は何とかなりそうだがこのままではまずいと思い「言語をちゃんと学ぶ場が欲しい」とグレンとミノルに相談したところ、すぐに話が進んだ。
聞くと、この国の孤児院は学校と似たような役割があるそうで、孤児以外の子供も交えて文字などの勉強をしている。そこに混じって覚えるのが一番楽だろう、と。
小さな子供に混じって学ぶのが恥ずかしいと言う感覚が無かった、と言ったら嘘になる。しかしそれ以上に、早く覚えなければと言う焦りが強かった。
それでも全く足りないと思い仕事の後、寝るまでの時間もずっと勉強をした。
その事もあり、翌日から午前中は孤児院で子供に混じり勉強、お昼後はギルドで仕事、終わって食事をしたら寝るまで勉強、と言うのが1日の流れになった。
ハジメの仕事速度はかなり早いので、午後だけでも仕事量としては充分だったのも救いともなった。ギルド職員の人たちは「もっと長く居て溜まってる仕事を減らして欲しい!」と頼まれたのは、良かったのか悪かったのか。
そのおかげで言葉も順調に覚えていった。この調子なら1ヶ月ほどで、生きていくうえで必要な会話能力は付くだろう、とは孤児院の先生のお言葉だ。
そんな帰り道、道中で晩御飯を買いながらリリアと歩いていた。
ハジメは兵士用の寮を宿代わりに準備してもらった。
リリアも同じ寮を借りてるとの事で、自然と行き帰りは一緒になっていた。冒険者なのに兵士寮?と聞いたら、部屋の空きがすごく多くて、そのままでは良くないから宿として貸出しているそう。運営はギルドがしているらしく、時々関連書類が流れてくるらしい。ハジメはまだ見ていない。
一般の宿より少し高いが設備がしっかりしており、ランクが上がって安宿を卒業したい冒険者が使う事が多いとの話。もっとランクが上がると家を買ったりして出ていくのがよくある流れらしい。
その流れに漏れず、リリアも兵士寮で生活出来る程の高ランクに位置する冒険者だ。
冒険者のランクはスタートがFランク、そこから任務達成に合わせてE・D・C・B・Aと上がっていく。
Cランクまで上がれば優秀とされており、地方の町ならトップクラス、主要都市でも一目置かれるレベルである。
Bランクに上がれるのは極わずかだが、これは求められる能力が増えるからであってCランクとBランクでは大きく変わらない。
それはBランクからは要人護衛や教育の仕事が増え、それに見合った教養が求められるのである。CランクとBランクの違いは、礼儀や学力の部分。それを苦手にする人が多く、躓く冒険者が多いのだ。
と言っても、求められるのは今ハジメが行っている書類仕事ぐらいだから、やはりこの世界の教育水準はそこまで高くない。
そしてAランクはBランク以上の戦闘能力が求められ、決められた魔物又は魔獣の討伐実績や体力測定が求められる。努力と同じくらい才能が求められる厳しい討伐対象ばかりで、AランクはBランク以上に少なく、数えるほどだ。
ただ討伐対象の得意不得意があるが実力はA相当、と言う人はそこそこ居た。
その救済と実力の保障のために作られたのが『A-(マイナス)』と呼ばれる、Aランク相当だが討伐が出来ない不得意がある、とされたランクだ。
結果、F、E、D、C、B、A-、Aの7ランクが冒険者の能力を表すランクとなっている。
リリアはCランク、クエストをこなしていけば次回の昇格試験でB昇格は間違いなし、Aランクにもなれると言われる実力者である。
「リリアさん、聞きたい。質問」
「どうしたの?」
薄暗くなる街並みを2人で歩く。いくつか切れている魔石を用いた街灯が地面を照らしながら、仕事終わりの人たちや外から帰って来た冒険者の人込みに紛れて進んで行く。
「何で寮?ランク高い、家買える、稼いでる」
まだうまく言葉を紡げないがそれでも会話が通じるように、覚えた単語を使い慣れるため喋るようにしている。
「この武器のためにずっとお金を貯めてたの。高かったんだよ。安宿ならもう少し早く買えたんだけど、やっぱ安全面で不安もあったし。少し高くても安全に生活出来る方が良いなって」
兵士寮は便利で安全だからね、と腰の2本の剣を撫でながら笑う。
最初は不愛想のイメージのあったリリアだが仕事に真面目なだけのようで、普段は人並みに笑うし怒る。
「それに、家を買うとグレンさんが嫌がるの。王都に居るうちは目の届くところに居て欲しい、って。もっとランク上げたら認めるって言ってさ、今Cランクなのにだよ!もう子供じゃないのに」
リリアが不満そうに言う。リリアはハジメと同じ18歳、充分大人だ。
「子供、心配する、よくある」
「そうかなぁ」
「そう。リリアさん、心配される、嬉しそう」
「それは、まぁ……うん、嬉しいよ」
リリアが少し困ったように笑う。ハジメはそれをあえて気にせずに、ずっと聞きたかった事を聞いた。
「リリアさん、聞きたい。冒険者、色んな所行ける?」
ハジメの真面目な雰囲気にリリアも気づき、真剣に聞く。
「うん、行けるよ。色んな町に行ったり、素材探しに森や山に入ったり。興味あるの?」
「ある。行ってみたい、見てみたい。この世界、知りたい」
「……その実力で?」
「うっ」
リリアの何も言い返せない一言にハジメが固まる。それでもここで終わったら何も進まないと、覚悟して進める。
「無理、分かってる。何、必要?」
「そうだねぇ……」
リリアが悩みながら、ちょうど横にあった露店に小銭を渡し、ジュースを2本貰う。1本を口に含みながら、もう1本をハジメに渡す。
「まず言葉かな。今のままじゃどう頑張っても無理」
「うっ……はい」
「次に戦闘力。キミ、武器使えないでしょう」
「……はい」
リリアはそう言いながら、腰に装備した剣の柄を軽く叩く。ハジメは何も装備していない丸腰だ。
一応周りにも丸腰の人は多いが、それは王都内で仕事をしている人だろう。冒険者と思わしき人や防具を付けた人は、ほぼ全ての人が武器を携帯している。
「だからまずは武器を持つこと、使う事を覚えて、慣れて。他は体力」
「うっ……」
「きみは体力少なすぎ。この距離は慣れたみたいだけど、それでも全然足りないから。武器に慣れると同時に体力付けてね」
「はい……」
ハジメの歩く速度が少し遅くなり、諦めたように肩を落とす。そんなハジメの肩を叩き、リリアが微笑を向ける。
「そうそう。だから頑張りなさい、お・こ・さ・ま」
現実が見えてない子供を説教するかのように、リリアが優しく笑った。