2.異世界に来ていたのは自分だけではありませんでした。
週1更新目指して頑張ろうと思います。
そのまま何も話すことがないまま数分。コンコン、と扉を叩く音がするとグレンが「――」と何か声を扉が開く。どうぞ、とかそういう意味だったのだろう。
扉が開くと2人入ってくる。1人はハジメより頭一つ分小さいくらいの小柄な女性で、兵士とは違う軽装で鎧と短めの剣を2本備えていた。もう1人は黒髪の成人男性でハジメよりほんの少し身長が高く、料理人のような服を着ている。
グレンもそちらに顔を向け、小柄な女性を見ると驚いたように一瞬だけ目を見開いたがすぐ表情を戻す。女性の方は一切表情を変えない。
その女性は、
「―――――」
とグレンの後ろに立ったままの兵士に声をかける。兵士は「――」と返事をすると入れ替わるように部屋を出ていった。
料理人のような男性はその様子に気付かずこちらを見ると驚き、グレンに声をかけた。
「―――、―――?」
「―――。――――――」
何を言ってるか分からないが何かを話すと、グレンは少し座る位置をずらした。男性は空いたところに座ると、グレンがこちらに手を向けて何かを勧めた。
「あ~、私はミノル……あ、えっと……今はミノル・ペディウム。結婚する前は十蔵寺稔 でした。ここで料理人をしています。君は?」
「日本語……ハジメ。東魁です。高校3年……ですけど、ここは?」
入って来た男性―ミノルが声をかけてくる。流暢で全く違和感のない日本語に、今までの警戒感がより薄れる代わりに困惑が増える。
「『国家フォーサイシア』の王城、この城は『サイシア』と呼ばれる事が多いですね」
「……聞いたことが無いのですが」
「そう思います。違う世界、ですからね」
「……違う、世界。俺、さっきまで公園に居たんですけど」
「私も似たような形でこっちに来ましたよ。私の場合は、家の玄関を開けたら王都の町中でした。その時は戦争中でスパイを疑われましたよ。ただ、先にこちらに来ていた人が居ましてね。その人のおかげで誤解が解けて助かりました」
危うく殺されるところでした。そう軽く笑うミノルにハジメは呆然とする。
「不思議ですか?」
「それは……はい。十蔵寺さんは命の危険があったんですよね?」
「ミノルと呼んでください。今更その名で呼ばれても違和感しかないので」
「えっと……ミノルさん」
「はい、そうです。そうそう。こっちだとファミリーネームより名前の方が重要ですからね。名前で呼んだ方が良いですよ」
とても懐かしい物を見る様に、ミノルが優しそうに微笑んだ。
「そうそう、命の危険でしたね。ありましたが、もう遠い記憶ですからね。もう50も超えましたし、既に30年近く前の話です」
あれ、20年、いや25年だったかな?とミノルが懐かしむように話した言葉に、ハジメは震える。それはつまり、この世界でそれだけ生きてきたという事だ。
「……元の世界に、帰れるのですか?」
「……希望を持たれても困るから言います。無理でしょう。迷い人――私達みたいな人ですね――に関する書物はたくさんありますが、帰れなかった事は共通しています。迷い人の知り合いも世界を巡ったそうですが、不可能と結論付けています」
「――」
その言葉に愕然とする。
――帰れない。もう。
日本の生活、親、友達。色んなものが頭をよぎる。もう会う事が出来ない。
その事に泣きそうになるが、目の前に人が居ると言う事で泣くことが出来ない。無理でしょう、と言う言葉を理解しないように、けれど理解しなければならないと言い聞かせる。それでも、揺れる心は治らない。
ハジメの様子に気付いたミノルは何も言わず、ただハジメの心が落ち着くのを待つ。
「落ち着きましたか?」
「……はい。すいませんでした」
「仕方ないですよ。急な話ですから」
どれくらい時間が経ったか分からないが、声をかけられた。水に入っていた氷は全て溶けて、入る太陽光も傾いてる。
「ハジメさん、今おいくつですか?」
「18歳です」
「あぁ、高校3年生だからそのぐらいですね。遠い過去なので忘れていました。18歳はこの世界じゃ大人扱いです。学校の成績は?」
「……悪くない方、とは思います」
「計算は出来ます?」
「……多分、人並みには」
その言葉を聞くと、ミノルは「―――。――――――。」とグレンに話しかけ、グレンも「―――。―――。」と返して頷きあった。
「ハジメさん。これからこの世界で生きていくために文字と数字を、特に数字だけは急いで覚えなさい」
「えっ」
ミノルの強い口調に困惑する。
「この国の識字率は高いですが、計算が得意な人はそんなに居ないんです。今の君は『この世界を何も知らない異世界人』。生きていくために、何かしらの技能があった方が良いです」
「……」
「計算が出来れば、グレン様が出来る事を探してくれるはずです。生きていくためのお金は手に入るでしょう。生きる土台を作りなさい」
「はい……」
何の心構えも準備もなしに社会に放り出されたような話だ。しかもそれが異世界。本当に、どうしようもない。
「ハジメさんは運が良い。迷い込んだ場所によっては、どうしようもなく死んでいました」
「……あっ」
当たり前と言えば当たり前だが、こんな安全な場所に来れるとは限らない。それこそ、森の中に放り出されていたら死んでいた。ミノルだって、町中とはいえ命の危険があったのだ。その事実にハジメの背筋が凍る。
ハジメが恐怖に震えている間にも、ミノルとグレンは動いている。グレンは手元にある紙に何かを書き込むと、ミノルがそこに何かを書き足して渡してくる。
「この世界の数字、こっちが文字とすぐ使う予定の単語です」
そう言って紙を渡してくる。日本に居た時のような綺麗な紙ではなく、そしてそこに全く知らない文字が書かれていた。その横には翻訳するかのように『ギルド』や『予算』『剣』などのとてもよく知る文字が並ぶ。
「文字の内容を見る限り、ギルド系の書類仕事を頼むのだと思います。最低でも数字だけは明日までに覚えてください」
無理、とは言えない。生きるために覚えなければいけない。
「部屋は準備が間に合わないそうです。明日中に準備するから今日はこの部屋を使って欲しい、と。後で毛布を準備します」
「はい」
手元の文字と数字を見る。これが今、ハジメが生き残るための道しるべだ。
覚悟が出来たのか、ハジメの目に力が戻った。その事にグレンが一安心したように息を吐き、ミノルが微笑み、後ろの女性は何も気にしない。
「あ、そういえば」
「どうかした?」
落ち着いた頭で先ほどの気になった事を確認する。
「グレンさんが先ほど出した水と氷は魔法ですか?」
「えっ」
ハジメの言葉にミノルが驚いたようにグレンを見て、グレンは翻訳が追い付かなかったのか、言葉の意味を理解するように少し悩んでから「あ、やべっ」と聞こえてきそうな苦々しい顔をする。
ハジメはワクワクとして見ていたが、ミノルは一つため息を吐くと悩みながらもなんとか言葉を選んだ。
「……魔法、ですけど教えるのは少し待ってください。」
「何故?やっぱ気になるじゃ――」
「あなたの命に関わるからです」
「……え?」
「私は細かい所が分からないのですが」
ミノルはそう言ってグレンを見る。ミノルの視線に、グレンが言葉で返事をする。
「……魔法使うには、正しい訓練が必要。訓練せず使える人も居るが、命を削って使う場合が多い」
「え」
「もう居ないはず。正しい使い方を知った」
グレンの言葉に呆然とする。もっと便利で素晴らしい力だと思ったからだ。
「正しい使い方と修行、教える状況を準備する。だから今は使うな」
魔法の使い方がそもそも分からない、という言葉も出ないぐらいに真剣な目線と言葉に息をのみ頷く。頷くのを確認すると2人が立ち上がる。
「準備がある。リリア――この子を部屋の前に置く。何かあれば声をかけろ。日本語は喋れないが簡単な単語は分かる」
リリア――後ろに立っていた女の子はその言葉に軽く頷く。
グレンの言葉が終わったことを確認すると、ミノルが続ける。
「ハジメさん、お腹は空いていませんか?」
「えっと……多分空いています。ごめんなさい、緊張でよく分からなくて」
「大丈夫ですよ。食事を作ってくるのでこの部屋で待っていてください」
「はい」
「それでは、まだやることがありますので。また後で」
「はい、よろしくお願いします」
その言葉を最後に3人とも部屋から出ようとする。そこで、何かを思い出したようにグレンが足を止めて声をかけようとした。
「1つ。忘れていた」
「忘れていた?何がですか?」
「いや……正しいか分からない。それでも、言いたい」
グレンは悩んだように天井を見上げ、覚悟したようにハジメを見て本当に小さく微笑む。
「ようこそ、我が国へ。歓迎する」