16.命
ソフィラとの訓練後、ハジメはリリアに見られながら庭で素振りをしていた。
新しい武器の間合いに慣れたい。そう思い、ロングソードを借りて素振りをしている。これまでのショートソードより重いため体が持って行かれる感覚があったが、何度も振るとその感覚も減った。
それだけでなく力が乗りやすく、これまで以上に振りやすかった。
途中、木刀に持ち替えてリリアとの訓練でボコボコにされながら、これまでの違いを体に叩き込んでいた。
「嬢ちゃんは本当に良い育て方をしたな」
「あ、ニルグ老。お疲れ様です」
そんなハジメに鍛冶場から出てきたニルグが近寄ってくる。手元にはロングソードと革鎧があり、その後ろには疲れ切ったソフィラが居た。
ハジメはニルグさんと呼ぼうとしたのだが、リリアとソフィラに「「ニルグ老」」と強く言われたので、同じように読んでいる。ニルグ本人は気にしていなそうだが、何となく特別感が楽しくなってきている。
「ほら、これが坊主のだ」
そう言われて、ロングソードと革鎧を渡される。
ハジメがワクワクしながら眺めていると、横から出てきたリリアにひょいと鎧を取られた。
「今は手伝うけど、今後は一人で装備できるようにね」
リリアはそういうとハジメの周りをグルグルと回って装着させる。邪魔になりそうとハジメはロングソードを地面に置いたが、本当に邪魔だったのか悩んだほどにスムーズだった。
「覚えた?」
「……後で確認させて」
リリアの無慈悲な確認に困りながらロングソードを持ち上げると、抜いて正面に構える。その様子をニルグが満足そうに、ソフィラは嬉しそうに眺めた。
「よし、少し振ってみろ」
ニルグの言葉に頷くとハジメは距離を取り、色々な振り方を試す。問題ない事を確認すると、今度は転がったり受け身を取るなどして違和感を探す。
「坊主。どうだ?」
「全く問題ありません。すごい…」
「きつい所は無さそうだな。違和感があったらすぐ来な。調整してやる」
「ありがとうございます」
お礼を言いながらも楽しそうに体を動かす。違和感が全く無く、すぐにでも外に出れそうだ。
「訓練するときは鎧を付けるようにして慣れろ。武器も出歩く時は必ず持て。早く体を慣らすんだ」
「はい」
「分からない所はいつでもソフィラに聞け。訓練相手も多い方が良いだろ」
「……ニルグ老はエルフ使いが荒いですよー」
ニルグの言葉にソフィラを見ると、ソフィラから辛そうな言葉が漏れた。が、ソフィラは楽しそうだ。
「それとだ、最初は1度使ったら来な。その後は定期的に見てやるから」
「1度で、ですか?」
ニルグの言葉にハジメが困惑するがニルグは冗談で言ってない。リリアも意味が分からず悩んでいる。
「一応うちの中では強度があるやつを渡したが、下手な使い方したら壊れる。坊主の剛力は弱いとはいえ、どうなるか分からん」
「……そうはならないように使うつもりですが」
「実践はそうも言えん。坊主の癖の問題もある。だから確認するために、最初は1度使ったら持ってこい」
「分かりました。ありがとうございます」
ハジメが素直にお礼を言うと、ニルグが嬉しそうに笑いを返した。
「なんだろう?」
「……分からないけど、嫌な臭いがする。良い事ではなさそうだね」
武具屋から出ると、もう日が傾き始めていた。外から帰ってきた人も増えており、ギルドに出入りする人も増えてくる時間帯だ。
様子がおかしいのはそのずっと先、城門の方だ。
変な人だかりが生まれており、走って離れる人も見える。悲鳴も聞こえてきた。
治安は良いこの町であるが、それでも小さないざこざはゼロではない。ただその人だかりは、ただ事ではない雰囲気を醸していた。
何か、良くない事が起こっている。
そう判断した2人は、顔を見合わせると頷き合い、そちらへと小走りに向かった。
「うっ」
「通してください。Cランクです!」
その人だかりに近づいた時、ハジメが感じたのは血の臭いだった。慣れないその匂いにハジメは一瞬顔を顰める。リリアはそんな事を気にせず、どんどん近づく。
リリアの言葉が聞こえていないのか、誰も動かない。リリアは仕方なく、人の隙間を縫うように進んで行く。ハジメも置いて行かれまいとその後を付いて行く。
「っ……」
リリアの噛み殺したような悲鳴が聞こえた。ハジメは何かあった?と声をかけようとしたが、声をかける前に人だかりを抜けた。そしてそこで、その声の意味を理解してしまった。
「えっ」
人集りの中心では返り血で赤くなった兵士たちに囲まれて、人が横たわっていた。
その人はまず、片腕が無かった。無くなった部分には真っ赤になった布が押し当てられ、止血を試みてるのが見て取れる。それだけでなく腹の部分にも深い傷がある。こちらにも真っ赤になった布が押し当てられている。
それ以外にも身体中に怪我があり、服だけでなく鎧までもが血で染まっていた。
その血濡れの身体はまだ生きてはいるようで、呼吸に合わせてゆっくりと体が動いている。
「あ、あの時の……」
それは剛力に絡まれた時、その後ろに立っていた仲間の1人。ただ周りに仲間は誰もおらず、兵士に囲まれるばかりだ。
「何があったの!」
「私達も分からず……森から出てきた時からこの状態で、今治療を……」
「ギルドに人は?」
「一報は出しましたが、状況が分からず」
何とか冷静を装ってリリアが兵士に確認するが、良い返事は帰ってこない。誰か分かる人は、とリリアが焦ったように周りを見る。
「……ぁ」
「!……大丈夫!?」
その時、血まみれの中、ゆっくりと目を開いた。リリアの、知っている人の声が聞こえたからだろうか。視点が合っているようには見えない。それでも、しっかりと目を開いた。
「大丈夫!?何があったの!?」
声をあげたことに兵士達が安堵した。しかしリリアは強く声をかける。声が聞こえているか怪しい。それでも力を振り絞って、何とか言葉を出した。
「仲間……が……。……オーガ……ゴブリン」
「……っ」
リリアがその言葉に顔を顰める。近くで聞いていた兵士は、情報共有をすると慌てて四方に走り出した。
周りも人が減った事に気付くことも出来ず、血まみれで横たわったままただただ虚空を眺める。
ゆっくりと、呼吸が浅くなっていく。力が抜けていっている。ただ確実に終わりが近づいている。もう長くないだろう。
それでも、最期の力を振り絞って言葉を紡いだ。
「助けてくれ」
「……うん」
その言葉はリリアを見ていた。
視線の合わない目で、ただ近くに居た人を。
「……」
「ダメ、しっかり!」
一瞬笑顔を浮かべた、ように見えた。そして深く、息を吐く。
「……。」
「……」
そして、動かなくなった。直前に口が動いたように見えたが、それ以上何も発することは無い。
呼吸はもう、していない。開いた瞳には、もう何も映さない。
リリアの返事は、声は、届かない。届いていない。ゆっくりと、力が抜け。動きが無くなっていく。
今、目の前で、1つの命が、失われた。
「ぁ……」
ハジメが声にならない悲鳴を上げる。
周りの人たちは既に動き出して、遺体の近くにはもうハジメとリリアしかいない。
失われた命よりも重要な、これから守るべき命があるからだ。
「……」
リリアは無言で、その何も写さなくなった瞳を優しく閉じさせた。首にかけていた冒険者タグをゆっくりと外すと、深く、深く息を吐いた。
「……」
ハジメは何も言えなかった。ただその出来事を受け止め切れずにいる。
「……ポ、ポーションは?回復魔法、は?」
ハジメの頭に浮かんだ救いの言葉を、リリアが聞こえるギリギリの音量で絞り出した。
「……迷い人は、本当に、同じこと言うんだね」
その言葉をリリアはただ悲しそうに、呆れたように、ハジメの期待しなかった言葉で返した。
それが意味する事。それが分からない程、ハジメはアホではない。
訓練後、痛みが続いたら治療薬を飲んだ事はある。けれどそれは回復するものではなく、回復力を上げる物。劇的に怪我が治る事は無かったし、痛みが引くことも無かった。
ほんの少し、回復までの時間が短くなるだけ。7日で治るものが6日になる。その程度の物。
それはつまり大怪我を治したり、決定的な死を避ける物ではない。
終わりを覆す物ではない。
そして目の前で起きた終わりにハジメが衝撃を受けていても、時は進んでいる。
離れていた兵士の何人かが戻ってきた。リリアはその人たちに外した冒険者タグを確認させると会釈をし、ハジメの手を引いて歩き出す。
「行くよ。居ても邪魔になる」
兵士たちは持って来た台車に今まで生きていた物を丁寧に乗せると、どこかに去って行った。
どこからか、緊急を示す鐘の音がカンカンと鳴っている。
それはまるで、死を悼む警笛のよう。
ギルドに戻ると、そこは戦場だった。
叫び声が響き渡り、指示が飛び交っている。先ほどの情報が届いたのだろう。
「よし、揃ったな」
何故かその言葉だけが、綺麗にハジメの耳に飛び込んだ。
気になって顔を向けると20人ほど人が固まり、その人たちに知らない人が指示を出していた。
「情報はオーガとゴブリン。距離も場所も数も分からんが、森の浅い位置に居る可能性が高い。だからお前たちに偵察を任せる」
そう言葉にすると、人々に緊張感が増す。
「そう緊張するな。討伐班はすぐ後から追いかけさせるから安心しろ、無理はするな。約束事は2つ。見つけたら報告。そして死ぬな。以上だ!」
「はい!」
響く声を背に、そこに並んでいた冒険者たちが走り出していく。
――エリス?
その中に、エリスが混じっていた。仲が良いかは分からない。ただ知っているだけ、と言う人物かもしれない。そんな人が、これから危険な場所に行く。
――いや、大丈夫なはずだ。オーガはDからCランク相当……偵察だけなら。
ハジメがそう自分に言い聞かせ、けれど頭に先ほどの死がよぎる。
「……あっ」
「邪魔しちゃダメ」
「……うん」
ハジメ自身が気付かないうちに、エリスを止めようとしていた。それを、リリアと繋がれたままだった手が止める。
恐怖で冷え切ったハジメの手にリリアの体温が伝わる。
「ごめん、様子がおかしいからそのまま連れてきちゃった」
リリアの言葉に、ハジメは深く息を吸う。恐怖を振り払うように。
「……大丈夫。俺は何をすれば良い?」
「部屋に戻って待機。終わるまで、絶対に外に出ないで」
リリアのその言葉、それは実質的な足手まとい宣言だった。