11.ハジメの実力
エリスとの顔合わせから数日たった。
ハジメの生活が何か変わるわけではないが、外へ行く準備が進んでいると実感すると普段の訓練にも身が入る。けれど予想外の事もあった。
当初、訓練中に感じていた視線はエリスのものだと思っていたのだが、どうも違うらしい。それに気付いたのは顔合わせ以降、エリスの嫉妬を躱した時も感じたためだ。
エリスも気づいたようで周りを警戒すると、すぐにその視線は消えた。エリスは視線だけで「何今の?」とハジメを見たが、ハジメは答えが出せず肩を竦めるしかなかった。
その視線の答えが出たのはその数日後だった。
「おい!聞こえてるのか!」
「え?」
ハジメが日課になっている夕方のランニング中、急に後ろから声をかけられた。最初の声は横だったはずだが自分に声をかけられていると思わず、3回目になってやっと顔を向けた。
1日の疲れに身をゆだねながら、晩ご飯の期待や明日の予定をのんびり考えていたのを邪魔されたため、かなりムッとしながらも、ハジメは声をかけて来た相手を見た。
「はい?俺を呼んだ?何?」
ハジメは苛立ちを隠す気にもなれず、その声をかけて来た相手に雑に返事をする。
そこには3人組の男性が居た。装備を見る限り冒険者だろう。だろう、と表現するのは一般人にしか見えなかったからだ。
一切訓練をしていないのだろう。細かい動きや体勢に洗練されたものがない。
「ちっ……てめぇだよな、新しい剛力は。ふざけてるのか?」
「……いいえ人違いです」
「ふざけるのもいい加減にしろ!」
何を言いたいのか理解できずさっさと走り去ろうとするが、厳しそうなので仕方なく話を聞く。
ハジメはエリスからの視線と勘違いしていたが、最近感じていた嫌な視線はこいつなのだろう。
「……何か?」
「分からねぇのかよ腰抜けが。なんで町中の依頼ばかりをちまちまやってるんだ。剛力の『格』が落ちるだろうが」
何を言ってるのか分からず、ハジメが固まる。言葉の意味を理解出来なかったし、考えるために数秒かかってしまった。
「……は?」
急に出てきて、意味わからない事をのたまるアホに唖然とする。
一切、全く分からないが、恐らくコイツはハジメと同じ剛力体質なのだろう。それが、何がどうしてどうなったのかがさっぱりだが。
一緒にされたくない、とハジメは凄く嫌な顔をしてしまう。
「それで、何の御用でしょうか?」
「なんだてめぇ、力だけじゃなく頭も弱いのか?」
「……無能と関わってる暇はないのに」
「はぁ!?喧嘩売ってるのか!」
――俺、今何て言った……?
イライラしていたハジメは、頭に浮かんだ言葉を何も考えずに言ってしまう。心の中で「あ、やっちゃった」と強く思うがもう遅い。声にも顔にも出さなかったが、その考えも伝わってしまったかもしれない。
そんな事を考えながら相手を見る。相手の強さを読み取れるほどハジメは強くない。分かることは、今まで見なかったタイプの人間だ。
ハジメはこの世界に来て、ずっと素晴らしい人たちに囲まれてきた。
常識があり実力があり、そしてそのために努力を積み重ねてきた人たち。だからこそ人の努力を理解し、出来るだけ良い道に導こうとしてくれた。
――だがこいつは、多分、いや、間違いなく違う。
「おい!てめぇ聞いてるのか!」
キレかけてる相手を出来るだけ意識に置かないよう努力しながら、出来るだけ苛立ちを抑えるよう思考を続ける。
――ここまで馬鹿にされたの、この世界に来て初めてだな。
ハジメも剛力が顕現した当初、色々勘違いしそうになった。ライファを見たからこそ、チートを疑った。
けど、実際は違う。例えるなら、とても質の良い包丁のような物だ。
よく切れるが、当然だがなんでも切れるわけではない。正しく使わなければすぐ壊れ、怪我をする。使えるようになるためには、しっかりと訓練と練習をしなければならない。
そう言う意味では、ハジメの剛力の質は良くない。大抵の人は頑張れば届くレベルだ。それでもその質に届かない人も居る。
だからこそ、剛力体質が顕現しただけで状況が少し変わった。そういう、届かない人の上に立てるからだ。けれど、使いこなせないと意味はない。
ハジメはそれを知っている。ハジメより非力だが、使いこなしている人が身近に居るからだ。
強い人なら剛力なんか無くても、何とかする。たとえ不便でも限界まで手入れをして、使えるようにする。
リリアを見て感じていたからこそ、それをより実感する。
きっとコイツは自分が強いと勘違いして、同じ剛力持ちを特別化して、より神聖化しようとしている。
良いものを手に入れて、けれど何もしてこなかった人だ。
「なぁ、やりすぎはまずいぞ」
ずっとしゃべり続けている1人を止める声がかけられる。
「あ?問題ねぇよ。臆病者の剛力なんて、剛力の価値を落とすだけなんだ。何の問題もねえ」
止めようとした言葉を嗤い、ハジメを見下す。何をしようとしているのかその言葉と行動でハジメが察する。木刀を構え始め、既にやる気だ。
――俺の事はほとんど無視か。ただ暴れたいだけで、適当な理由に選ばれただけじゃないか。
溜息ついたら余計に面倒な事になると分かっているので我慢するが、これを逃げる手段も思いつかない。後ろを向いたらそのまま殴ってきそうだ。
「外が怖い臆病者なんだろ?冒険者は臆病者の雑魚がやるべきじゃねえんだよ。本当に強いやつとやって実力理解した方が良いぞ。俺のためにも、無能な剛力は居ない方が良いんだよ」
――あぁ、もう、本当にイラつくなぁ。なんでこんなのに侮られないといけないんだ。
溜息を深呼吸で隠して、ハジメも剛力を使い木刀を構える。時間はかかるが、相手は待っていた。実力を見せつけるのが目的なのだろう。
「お、なんだ?やっとやる気になったか」
「……」
「ビビッて声も出せないか。良いぜ、遊んでやるよ」
「おらぁ!」
ハジメの動きを確認せずに踏み込んでくる。ハジメは相手が剛力である事以外全く分からないため受けて良いのか悩み、リリアを真似して威力を受け流そうとする。
「……っ」
「そんな非力が通じるかよ!」
それを力だけで押し返され、ハジメの体勢が崩れる。完全に崩れる前に慌てて後ろに飛ぶ。
ただこいつはそれを許さなかった。力だけで一気に飛び込み、ピタリと木刀を目の前に突きつけられる。
「なんだこいつは。ここまで弱いのか」
――そうか、剛力ってこんなに厄介なのか。
この剛力持ちは一切訓練も練習もしていない。それぐらい動きも力の使い方も雑だ。だが、それをどうにか出来てしまうほど剛力は厄介だ。ただ力がある。それだけで全てひっくり返される。
――リリアは普段これに対応してるのか。やっぱり凄い。
ハジメの剛力はが弱いとはいえ、リリアに比べたら充分怪力だ。ハジメと訓練しているとき、リリアはこの怪力を技だけで対応しているのだ。それがどれだけ異常な事か、実際の剛力に対面してみるとよく分かる。
「おら、止めねぇよな。2本目だ」
相手が木刀で己の肩を叩きながら、催促する。今の1本目を確認してから、ずっと嫌な笑みを浮かべている。好き放題虐められると判断したのだろう。
――力は負けてるけど、技は一切ない。俺でも、多分何とかなる、はず。
何の意味もないこの虐めに対応するには、相手の上に立つしかない。
リリアとの訓練に比べたらまだ楽。ハジメは自分に言い聞かせると、溜息を吐きながら再び構えた。
「おらぁ!」
さっき見たように再び突撃してる。対応できないと思っているのだろう。ハジメも先ほどと同じように流す。
ただ今度は先ほどと違い、技ではなく力も上手く使う。リリアのように技だけでは出来ない。だからこそ相手の力を正面からではなく横から、力任せになるのを覚悟で逸らすように押し流す。
「ちっ」
何とか勢いは流せたが、腐っても実力はあるのだろう。体勢は崩し切れずに引かれてしまった。
「ふっ!」
そのまま立て直すのを許すほどハジメは甘くない。少し崩れたところを押し切ろうと追撃をする。こっちの世界に来てからずっとリリアを相手に訓練してきたのだ。反応や動きは凄い良い。
ハジメは今までの訓練を信じて、相手の木刀に当てながらどんどん崩して行く。
そしてもう少しで崩し切り、転がせると思った時だった。
「ふ、ふざけんなよこの野郎が!」
「あっ」
力があると言うのは本当に厄介だ。どれだけ崩しても、無茶な一振りで全てをひっくり返す。本当に上手かったら問題なく返せるのだろうが、ハジメにそこまでの実力は無い。
力づくで振られた木刀を受けきれずハジメの体が流れた。
――このまま倒れたら怪我する!
受け身が取れておらず、腕で体を支えたら高確率で怪我をする。ハジメは慌てて転がるが、それは決定的な隙だった。
「2本目だ!ふざけやがって、素直に負けてれば良いんだよ!」
突きつけられた木刀は怒りに震えている。ハジメに好き放題されていたのが腹立たしいのだろう。周りの目がなかったら、そのまま殴っていそうだ。
ハジメもイライラするが、頭の中にはリリアの言葉がずっと残っている。
――『いつでも冷静に』。今のは1本取られたけど、崩しも上手く行っていた。多分、最後に気を抜いたんだ。
動かないハジメに苛立ったのか、相手は少し下がると構えてハジメが起き上がるのを待つ。ハジメは深呼吸をすると、自分の状態が問題ない事を確認する。
ハジメが立ち上がり構えると、今度は相手が少し慎重だった。
「くそが!」
力任せに殴りかかってくるが、ハジメの出方を伺うようにしている。
――学んだみたいだけど、このぐらいならリリアの方が圧倒的に上。
しかし技術が追い付いておらず意味がない。普段リリアとやっているハジメからしたら、何とかなるレベルだ。
「うおっ!くっそ」
先ほど以上にハジメが上手く流し始める。相手の体制はどんどん崩れていき、先ほどと同じように力任せに弾き飛ばそうとするが、今回はハジメが1枚上手だった。
力任せに振るわれた攻撃をハジメが躱し、完全に体勢が崩れた相手に足払いをかけた。相手は受け身も取れず、そのまま転がる。
「あっ」
そこまで確認して、ハジメはやっと安心したように息を吐いた。
――ここまで完璧にできれば、何とかなる。けど、何度も出来る事じゃない。
今回、満点の対処が出来た。だからこそここまで崩して対応できたが、次は無理だろう。ぶつかり合いのうち、1回でもずれたら負ける。
――こんな完璧には、何度も出来ない。勝つのは無理。何本取れるだろう。
そう考えていると、相手が諦めず急いで立ち上がろうとしたので、ハジメは上げた顔に木刀を突きつける。
「……1本」
「っ……」
それと同時に相手が気づいたのだろう。ハジメは新人ではあるが、訓練を繰り返ししっかりと鍛えている。剛力が弱いだけで、強くもないが、弱くもない。
地面に尻もちをついたまま、苛立つように拳を握りしめている。
「っ……くっそが!」
次だ、ハジメがそう思い距離を取ろうとした瞬間、突きつけていた木刀を鷲掴みにされた。
「えっ?」
その状態から、ただ力に任せた薙ぎ払いをされる。ルールも何もない、完全な不意打ち。寸止めも確認もないルール違反の一撃が顔を狙われ、ハジメも対応しきれずに庇った腕で受ける事になる。
「痛っ……」
何とかギリギリ、最低限度の受け流しはしたが直撃だ。痛いものは痛い。そのまま掴まれた木刀を振り回され、その勢いのまま横に投げ出され転がる。
「3本目は俺だぁ!なんだ、こんなのも躱せないのか!」
握りしめて奪い取った木刀を投げ返すと、ハジメを嘲笑う。予想外の一撃にハジメは驚きながらも、痛みを誤魔化すためにも深呼吸をして冷静になろうとする。
「……それは、ルール違反だろう」
「あぁ?躱せないお前が悪いんだよ」
悪びれもせず言う相手にハジメは痛みに堪えながら悩む。
冒険者同士の訓練はよくある事で基本的なルールは定められている。これまでは、一応ルールには乗っ取っていた。
1対1で正対した状態で始めて、相手を制圧した状態で1本。時間や好みで変わるが、基本はこれを5本先取で行う。
武器同士の接触はよし、武器の体への接触は避ける事として行う。怪我を出来るだけ避けるこのルールは、冒険者家業に影響が出来るだけ出ないように設定されている。
今の相手の一撃は完全なルール違反、言ってる事もおかしい。
「おら、立てよ。次だ」
――どうする。
顎で起き上がるよう催促する相手を無視して、これまでの戦いを思い返す。
力では圧倒的に負けているが、技を上手く使えば捌けるだろう。実力的に勝てるかは怪しいが、それでも何本か取れるはずだ。
けどそれはルール内の話、ここでの問題は先ほどの明らかなルール違反。つまりこいつは、そういう問題行動を起こすタイプと言う事だ。
「おい、どうした、びびってるのか」
ハジメは発言にイライラしているが、リリアの訓練のおかげでちゃんと冷静になれていた。
――多分、勝てはしないけど何本かは取れると思う。だけど問題は勝敗以外。
ズキズキする腕の状態を確認する。折れたりはしていなそうだが、それでも痛みは続く。打ち合いをしたら響くだろう。それよりも問題は相手には仲間が居る事だ。
後ろに居る相手のパーティメンバーが何か妨害してくるかもしれない。そうなった時、間違いなく勝ち負け以前の問題になる。それ以上に、ここからは相手が何をしてくるか分からないので、大怪我する可能性も高い。
――どうしよう。手がない。
「おわっ」
そう悩んでいると、相手が急に後ろに倒れた。突然の事に驚いていると、相手の後ろに居た人が代わりに現れる。
「キミ、何してるの?」
「え?あ、リリア……?」
「あのね、他に誰に見えるの」
ハジメの言葉を笑いながら返される。
そこには、相手の膝を後ろから踏むような形で膝カックンを仕掛けたリリアが立っていた。
「え、何でリリアがここに?」
「自主練習してたの。そしたら何か始まってて。遠くから眺めてたら危険行為してたから止めに来た」
リリアは、さも当然と言った感じで言い切った。後ろに相手のパーティが居たはず、と思って確認する。その2人は慌てたように、仰向けに倒れた仲間を助けに行っていた。
助けを借りて何とか起き上がり、蹴ってきたリリアにキレてるようだがリリアは気にもとめていない。
「てめぇ、何しやがる!殺されてぇのか!」
「それでキミ、変なのに絡まれてたみたいだけど、何やってたの?」
リリアはハジメから数歩分距離を取ってのんびりと話しかける。相手には目線も向けず声も聞く気が無い様子だ。
「それが、俺もよく分からなくて。剛力持ちだって絡まれたみたいなんだけど」
「なにそれ。……あぁ、剛力持ちは勘違いのアホが居るって聞いた事があるから、それかもね」
リリアが同情して呆れたように笑う。「それで、」と続けると、
「見た感じだけど、負けたの?キミの実力だったら、この程度なら余裕だと思うけど」
「えっと……」
「この程度、だぁ!?さっきから勝手に入ってきてなんだお前は!」
リリアの言葉を聞いていたのだろう。キレた相手がリリアの頭を殴るかのように掴みかかってくるが、見もしないでヒョイと避ける。
――距離取って、離れて。
リリアはその攻撃を躱しながら、目線だけでハジメに指示をした。なんだかんだ言って濃い付き合いだ。目的は分からないまでも、その指示に従う。
相手はもうハジメに気にしてないのだろう。乱入してきたリリアに矛先を変えている。
「煩い。今こっちで話してるの。あなた、冒険者成りたてのFランクでしょう?今度新人教習があるはずだから、そこで勉強してから来なさい。周りに迷惑」
「Fランク?俺が?これだけ力があってFランク、だぁ?しっかりDランクまで来てんだよ、見る目が無いのか、あぁ?」
ドスを利かせたようにイライラと言葉にするが、リリアは全然気にした様子がない。それどころか、
「Dランク?素材でも買って功績稼いだの?ルール違反だからね。ギルドに報告した方が良い?」
「いい加減にしやがれ!喧嘩売ってるのか!?」
「買ってくれる価値のある相手にしか売らないよ。あんた相手じゃ、どれだけ割引しないといけないのよ」
リリアが呆れたようにやれやれ、と首を軽く振る。誰が見ても喧嘩を売っている。
――あれ?リリア、キレてる?
ハジメがここでやっと、リリアの様子がいつもと違う事に気付いた。普段の優しさや穏やかさがない。ずっと前、ピリピリしていた日のリリアに近い。
「あぁ!?喧嘩なんて簡単に買う事は出来るんだぞ!なんだおい!ふざけてるのか!」
大声で威圧してくる相手を気にもとめず、その言葉を聞いたリリアはつまらない物を見る様に、笑顔で返した。
「ん?あ、ごめん。能無しイノシシには、分かりづらかったね」
「は?」
普段のリリアからは考えられない酷すぎる暴言の連続に、相手が怒りを通り越したのだろう。一瞬真顔になった。
それを気にせず、リリアは価値のない物を見る様に見下す。
「大安売りしないと相手にすらならないモノが、喧嘩買えると思ってるの?」
リリアはそう言い切った。そもそも相手にもしていなかった。