10.エリスと言う少女とリリアの心
「何か言ったらどうですかこの泥棒――むぐっ」
「エリス落ち着いて」
余りに想定外な言葉に固まっていたハジメにエリスが追撃を入れようとしたところ、リリアが隣から肉の塊を口に突っ込んだ。珍しく少し怒り気味だ。
「むー!」
「口に食べ物入れて喋らない」
「―――!!」
静かに、けれど怒りを含んだリリアの言葉を真面目に聞いたエリスが、急いで口を動かす。しかし表情だけで「何するの!」と言ってる。そんなエリスを無視してリリアが言葉を続けた。
「この子はエリス。冒険者で、Dランクで頑張ってる子よ」
「んー!んー!」
「はいはい。よく私と組んで採集とか狩りに行ってるの。今後組むだろうから、今のうちに顔合わせしておこうと思ってね」
エリスが唸るが、気にしないように言葉を続けた。エリスからハジメに向けられる目線は、怒りと殺意だ。
「えっと……ハジメです。よろしく――」
「リリアを奪った泥棒猫に言われる言葉は――むぐっ」
エリスは再び肉を突っ込まれ黙る。
「ごめんね。いつもはいい子なんだけど、最近キミの仕事ばっかりしてたから少し拗ねてるみたいで。今はこうだけど、本当にいい子なんだよ」
「んー!」
それでも唸るエリスに、リリアが少し据わった目で微笑んだ。
「エリス、それ以上やったら嫌いになるよ」
「んっ!?」
リリアのその言葉にエリスが固まる。そのまま座ると、崩れ落ちるようにリリアの膝で横になった。耳も尻尾もぐったりとしており、ものすごくショックを受けているのが分かる。
そんなエリスを、リリアは優しくなでる。
「……」
「あぁ、ごめんね。キミもそんな体勢で固まってないで座ったら」
リリアに促されてハジメも座る。それまでの衝撃が大きく、座ろうとした体勢のままだった。
「それで、俺はなんでこの場に呼ばれたの?」
ショックを受けていたエリスがリリアの膝枕で機嫌を直した頃、から揚げのような肉の揚げ物、餡をかけたチャーハンが二つ、葉物に大根と思しきものの千切りが乗ったサラダ、それに――お酒が来ていた。
リリアに聞いたら国家フォーサイシアでは15歳から大人として扱われ、飲酒も15歳から認められている。リリアは蜜柑のようなお酒が好きらしい。
ここは飲み屋だったらしく、ハジメの飲み物も勝手に頼まれてしまっていた。ハジメが飲んだことが無く、飲めるかも分からないと言うとリリアは本気で焦ったようで、ハジメの飲み物――ビールだったらしい――もリリアが貰い、別にお茶を頼んでくれた。
「えっとね、今後外に出る事も増えると思うんだ」
「うん。そのために頑張ってるし」
「それで外に出る時、私だけじゃなくてエリスも一緒に行ってもら――」
「何でこんなハジメがリリアと一緒に外に――むぐっ、んー!!」
「ごめんね、ちょっと興奮してるけど本当は良い子だから」
復活したエリスが声をあげようとすると、間髪入れずに肉を口に放り込んだ。唸りはするが喋らない当たり、リリアの言う事はしっかり守っている。しかも急いで食べ終えようとすごい勢いで口を動かしている。
リリアは気にしてない様子でハジメから回収したビールを飲んだ。
「キミの武器を買ったりする必要があるからすぐじゃないけどね。今のうちに顔合わせして、いつでも大丈夫なようにしておきたくて」
「大丈夫……なの?」
「大丈夫。少し酔ってるだけだと思うよ」
そう言いながらリリアはエリスの頭を優しくなでる。心地よさそうに耳が動き、シッポが揺れる。
その動きにハジメも撫でたいと衝動が生まれた瞬間、エリスから射殺しそうな視線が飛ぶ。
そんなエリスにリリアが優しく声をかける。
「エリス、落ち着いて」
「落ち着いてるよ!この泥棒猫のハジメがすべて悪いだけ!」
エリスがハジメを睨んで再び叫ぶが、リリアが撫でると落ち着いていく。それでもリリアはかなり困惑しているようす。
ハジメは何も出来ないので、来ているご飯を美味しく頂く。
「ねぇエリス。最近ずっとこんな調子だけど、本当に何があったの?」
「何もないです。このハジメが――」
「エーリース?」
再び叫ぼうとするエリスの顔を優しく包み込むようにして、リリアはエリスと目を合わせた。
至近距離のどうやっても逃げられない状況に、今度はエリスが困ったように目線を逸らす。しかしリリアはそれを許さずに目を合わせ続ける。
そのまま見つめ合う事数秒、敗北は早かった。
「……だって、リリアがぁ」
根負けしたエリスが涙声になる。
「だってって、それだけじゃ分からないでしょ」
今までの殺意をはどこへやら、エリスの泣きそうな呟きにリリアが先を促う。普段からは考えられないリリアの圧に、仕方なくと言った感じでエリスが口を開いた。
「……リリア、最近辛そうだった……」
「え?そんな事ないよ」
リリアがとぼけた様に言うと、エリスがまるで泣くみたいに叫んだ。
「嘘だよ!ハジメと練習してる時にすごく辛そうにしてた!」
「えっ」
「ちょっと!」
エリスの言葉にハジメが慌ててリリアを見る。リリアは言われると思ってなかったのか、大慌てでエリスの口を塞いだ。
「リリア?」
「何?大丈夫、何でもないよ。エリスの勘違いだから――」
「んー!ほ、ホントだよ!最近ハジメを見る時にすごく辛そうむー!」
「エリス待って喋らないで!」
「……リリア?」
「本当に、何でもないから!本当に……エリスの勘違いだから……」
珍しく焦るリリアをハジメが不安そうに見る。ハジメの確認するような視線もリリアは無視して、口を一文字にして黙っている。エリスが「むー!」と叫んでいたが、リリアが取り繕えなくなった辛そうな雰囲気に気付くと、どんどん静かになっていく。
そのまま全員が黙ってしまう。
響くのは置いてある振り子時計の動く音だけ。カチカチと時間が動いている事を表現する。けれどその音は、まるで断罪へと向かう足音のようだ。
そんな状況に負けたのはリリアだった。仕方なく、と言った感じで話し始める。
「……ごめん、本当に違うの。キミのせいじゃないから」
「なら怪我!?」
「違う!キミぐらいを相手にして怪我するほど弱くない!」
それはそれでハジメが物凄く弱いと言っているのだが実際その通りだし、ハジメもそう思っているので何とも感じない。
「じゃあ……」
「本当に関係ないから!」
リリアが叫ぶが、それを素直に信じる程ハジメもアホではない。この世界に来てからずっとお世話になっている人だ。それが本当なのか嘘なのか、分かるぐらいの付き合いはしている。
「……リリアの表情はそう言ってない」
「っ……」
リリアは言葉が漏れそうになるが、何も言わずに済む様に頑張って黙る。
ただその表情は色んなものが混じり、何を言って良いのか分からない様子。言わないと進ませない、そう言うハジメの雰囲気を感じ取り、リリアが何とか言葉を絞り出す。
「……ちょっとね、色々考えて、その、ね」
静かに何かを覚悟した様子のリリアが俯きながら言葉を紡ぐ。ハジメは何も言わずその先の言葉を待つ。リリアも逃げられないと分かったのか、諦めた様に息を吐いた。
「……キミ、剛力が顕現してから急激に実力付いたじゃない」
今でもハジメはリリアから1本も取れないし、そもそもリリアの攻撃を対処しきれていない。それでも剛力が顕現してからは2人の戦いに変化が生まれており、まだリリアには勝てないが少しは差が縮まっているだろう。
「私との訓練じゃなくて、剛力だけで」
リリアが隠してきた不安をこぼす。
リリアはハジメにずっと厳しい訓練をしてきた。それはハジメを強くするため、生き残れるようにするために。現実的な目標としてDランクを設定したが、ハジメには基礎が一切なかった。そのため、それに合わせた訓練はそれ相応に厳しくしなければならなかった。
けれどそれは、たまたま顕現した『剛力』と言う体質で変化した。
力がしっかりあれば、大抵の相手は何とかなる。リリアから鍛えられた技がなくても戦えてしまう。ただ『剛力』で押せばなんとかなってしまう。
「なら、さ。私との訓練って、何だったのかな」
未だにハジメはリリアには勝てない。けれど、冒険者として動くならそこまでは求められない。
だが、急激に実力をつけたきっかけは『リリアが教えた技』ではなく、ただ『勝手に湧いてきた力』なのだ。
結果、リリアが教えた技術がなくてもDランクは達成しそうで、努力次第でCランクも、Aランクも辿り着けそうになった。
「これじゃ私……キミに、酷い事してただけ、じゃない」
リリアが力なく呟く。リリアだって、好きで酷い事をしていたわけではない。ただ、それが必要だったから。
エリスを塞いでいた手が、気が付くと力なく離れている。そのまま叫ぶかと思ったエリスだが、耳もシッポもうなだれたまま動かない。リリアの言葉も、意味も分かっているのだ。
ハジメはその言葉をじっくり噛みしめる。リリアが何を言いたいのか伝わっている。
そしてリリアにはするべき事が何もなく、ただただ抱えるしかないのだ。
酷い事をしたのは分かっている。けれど、それが必要だったとも分かっている。そしてその必要なものが不要になった。
それはリリアがハジメに与えた全てのもの、努力、技術、時間、そして痛み、怪我。全てが、だ。
リリアにとっては恐怖だろう。ハジメの胸中が分からない今、全てが無駄だったと断罪されるかもしれないのだから。
当然、謝罪すべきとも分かっている。しかし必要だったと分かっているからこそ、その謝罪は言葉だけの、意味のない形だけの物になる。リリアの罪悪感を減らすだけのものに。
それは謝罪ではない。何の意味もない自己保身だ。
それを分かっているからリリアはずっと隠していた。何も言えない。何も出来ない。してはいけない。
本来だったらここで言うべきことでもない。ただ促され、黙るわけにはいかなくなったから話したのだ。
「……ふざけるな」
ハジメがポツリと呟く。その怒りを含んだ言葉にエリスが怯えた。リリアは静かに、その先の罵詈雑言を、仕返しを受ける覚悟をした。
今までが無用になった今、ハジメにはそれを返す権利があると考えているのだ。それほどの事をしていた自覚があるからこそ、リリアは震えながら目をつむる。
その伝わる覚悟が、ハジメを余計に苛立たせる。
「――え、あ、ちょっと!」
「そんな意味のない罪悪感を持たれてたまるか!」
次の瞬間、ハジメはリリアの持っていたビールを奪い取り飲み干した。
余りにも予想外過ぎる行動に、リリアが「えっと……え?」と固まっている。かばおうとしたエリスに至っては、伸ばした手が何も掴めず、目を丸くしている。
「俺が弱いのは当たり前だ!訓練だって、体力付け始めたのだってここ半年だ!相当無理したからここまで動けるようになったんだ!」
空になったコップをリリアに向けて構えながら叫ぶ。その状況にリリアがポカンと口を開ける。
「剛力のおかげ?ふざけるな!剛力なんておまけだ!ライファさんにも言われたろう!俺の剛力は弱いと!」
置いてあった瓶からビールを注ぎ、リリアに押し付ける。あまりに想定外の動きに、リリアの空いた口はまだ戻りそうにない。
エリスに至っては理解の範疇を超えたのか、小首をかしげて理解を放棄している。
「リリアに鍛えられたから今の俺があるんだ!剛力なんて力の塊に振り回されてたまるか!不要と言われても続けるからな!続けてもらうからな!リリアのおかげでどれだけ実力付いたと思ってる?」
「それでも今は――」
「例えそれでも!あの時は必要でそれしか道が無かった!勝手にどこからか沸いた道に喜んで行って、今までを足蹴にするほどクズじゃねぇ!リリアのおかげでどれだけ強くなったと思ってる!」
「……うん、キミは本当に、強くなったよ」
「あぁ、その通り!でもそれは剛力じゃねぇ!リリアに鍛えられた結果だ!」
「……うん」
ハジメはそこまで一息に、叫ぶように言う。リリアはその言葉を泣きそうになりながら何度も頷く。何を言いたいのか伝わってきたからだ。
ハジメは荒れた息を整えるよう、ゆっくりと呼吸をする。
そして落ち着くと、ゆっくりと、リリアに語り掛ける様に言葉を紡ぐ。
「……だから、剛力なんて関係ない。リリアが胸張って『私が育てた冒険者だ』って言えるような冒険者になってやる」
「……うん」
「だから罪悪感なんて要らない。謝罪も要らない。代わりに俺が言う」
ハジメは言い切る。リリアが驚いているが一切気にせず、三度深呼吸をした。
「『鍛えてくれて、ありがとう』」
「……うん」
ハジメの言葉にリリアが俯く。リリアの不安を打ち消すための嘘ではなく、それがハジメの言葉と伝わったからだ。
手を握り、肩が震えている。抱えていた不安が薄らいだのだろう、何か水滴が落ちた気がする。
少し経つと、リリアは深呼吸して目元を拭った。
「ありがとう、自慢の冒険者になってね」
次に顔をあげると、少し目元は赤いが、とてもきれいな笑顔だった。
ハジメもそれに笑顔で返す。
――絶対、強くなる。
「ねぇリリア。聞いていい?」
全員が落ち着き、のんびり食事をしていた頃、急にエリスが聞いてきた。もう食事はほとんど残っておらず、辛い空気も完全に消え去った。
今はみんなでのんびりと飲み物を飲んで雑談をしている。
「どうしたのエリス」
「……このくそ野郎、誰?」
「えっ」
「くそ野郎!?」
エリスがハジメを向いて言い放った一言に2人が固まった。あまりに想定外だった言葉に、2人は仲良く顔を見合わせる。
「あれ?私さっき紹介したよね?」
「うん。俺、さっき自己紹介したはず」
「くそ野郎としか聞いてなかった」
「「言ってない」」