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第五章 生贄の王 1

 都の西での決戦はさすがに呆気なくはなさそうだった。


 イラージュ側の歩兵はおおよそ六〇〇〇。

 騎兵は一八二。

 対するサルム側の歩兵は二〇〇〇程度。

 騎兵はざっと五二〇ほど。


 数の上では圧倒的にイラージュ側が優勢であるものの、サルム側には圧倒的に騎兵が多い。攻勢のほうが守勢よりも数が必要だという兵法の定石にのっとれば、両者の兵力は頭数としては互角といったところだ。



「ま、そこはそれ、騎兵の大半は女神の信徒ですからね!」と、決戦の朝、イラージュとお揃いの鮮やかな真紅の短マントをかけた《朋友隊(ヘタイロイ)》きっての美男カンブージャは、悪夢とは全く無縁そうな快活さで笑いながら言った。「女神の御子たる王子殿下(シャーザーデ)がお姿を見せるだけで相当怯むでしょう――怯みますよね隊長殿(アリヤーン)?」と、少々心許なそうに訊ねる。


「ああ、大いに怯むだろうよ」と、こちらは鮮やかな青いマントのタフムーラスが肩を落として応える。

「……隊長殿(アリヤーン)、お加減でも?」と、パルメニオンが尋ねると、生真面目な若い領主貴族(アリヤーン)は愛馬に馬具をとりつけながら深いため息をついた。

「心配ありがとうパルメニオン。体調は問題ないよ。しかし――実は、あちら方の総大将のウィダルナ将軍は私の母方の大叔父なのだ、実は」

「なんだ、そんなことですか!」と、カンブージャが肩を竦める。「右翼の騎兵隊長はたぶん私の父方の従兄弟ですよ」


「そうそうお二方とも、内輪揉めなんだから身内はいますよ、そりゃ多少は。大きな声では言えませんがね、左翼の弓兵部隊の指揮官、ありゃたぶん私の異母兄です」と、テディウスが口を挟めば、厩で馬の支度をしていた六十数騎の《朋友隊》たちが、やいのやいのと自分自身の身内が敵方の何処にいるかを打ち明けあい始めた。

 沈鬱な顔をしていた隊長殿は、部下たちに雑駁に励まされてじきに顔をあげると、何やら悲壮な面持ちできりっと頷いた。


「みなよく打ち明けてくれた。骨肉の争いは辛いものだが、戦場では私情は捨てねば。――身内とは誉れをかけて正面から一騎打ちをしたいが、そういうのは駄目だぞ? 厳禁だ。今回の戦いについては、それこそ盤上競技(チャトランガ)の駒の進め方みたいに、王子殿下(シャーザーデ)とフェリドゥーンさまが事前に手順を決めていらっしゃるんだ。総攻撃は三日後の正午、光明神ミスラの祭日の陽が南へ上り詰めたときだ。どれほど一騎打ちがしたくても抜け駆けは禁止だ。みなきちんと指揮に従うんだぞ?」

「勿論ですとも隊長殿(アリヤーン)!」と、部下たちは請け合った。

 この中で一番一騎打ちに走りそうなのは、だれが見てもタフムーラス自身だ。



 もつれあう愛憎抜きの骨肉の争いは切ない。

 スラ・ダリヤー右岸のハイファの野で対峙した両陣営はどちらも躊躇っていたが、より深く躊躇を感じていたのは、敵陣に女神の子の雄姿を見とめてしまった女神の信徒たちだっただろう。

 夜明けとともに始まった一騎打ち混じりの白兵戦は日が落ちる前には終わり、セルム側の軍勢は東へと退いていった。

 その翌日、イラージュは久々に《獅子の都》の白い城壁を目にした。



 光のような夏の霧雨の煙る朝だった。

 城壁の向こうの都はスラ・ダリヤーの碧い水面を背にしていた。

 王宮は河のさなかの一対の中州島に建てられている。《東島》には王の住まいと政庁があり、《西島》には後宮がある。

 《東島》からは向かい岸である北岸へ通じる橋も架かっていたが、サルム勢は北には殆ど全く注意を向けていなかった。

 何しろ南岸に、真紅の旗をひらめかせる女神の子とその《朋友隊(ヘタイロイ)》を中心にして、六〇〇〇を超える大軍勢が布陣しているのだ。

 その日一日両陣営はひたすら睨みあっていた。

 エリュトラーで贈られた美しい愛馬《星》に騎乗し、ロクサーネが丹精込めて作った真紅の短マントをかけ、アルガノスの町人から和議の印に送られた甲冑をまとったイラージュは、背後で盛り上がる「女神の子!」という歓呼を聞きながら、ただひたすらに来るべき時を待っていた。


 総攻撃は第三月十六日。

 光明神ミスラの守護の日。


 攻撃はその日の正午だ――と、フェリドゥーンから言い含められている。




 包囲戦の一日目は本当に何も怒らずに終わった。


 イラージュ側の目的はあくまでも翌日、光明神ミスラの祭日の正午に総攻撃を仕掛けることだ。

「しかし、このまま何もしないでいると、流石に敵方も不審がるんじゃありませんかね?」と、いざことあればイラージュの影武者を務めるために赤い短マントを常備しているカンブージャが進言してきたため、翌日は多少の攻撃を加えることになった。


 狭い場所では役に立たない煌びやかな騎兵部隊を後方に配置し、歩兵に盾の壁を組ませてその後ろに弓兵を並べる。守備勢は殆ど歓喜して迎撃した。

 陽が落ちると、都を囲む半円形の城壁の上に点々と篝火が灯されていった。

 高所から見下ろすと、対岸にも多少は灯っているようだったが、南岸の手厚い守りに比べれば微々たるものだった。


「全く不用心ですね!」と、タフムーラスが嘆かわしそうに言った。「今北から攻められたら王宮は一瞬で陥落してしまう」

「だってそれが目的だろう?」と、イラージュは呆れて応えた。


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