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第四章 帰還 2

 アマノスを発ってから五日後に早くも帰り着いた午後、アルドヴィ・スーラー第二の港湾都市であるエリュトラーの市街には鮮やかに赤い柘榴の花が咲き乱れていた。


 港の代官とその義弟――要するにタフムーラスだが――が、船から降り立つイラージュと《朋友隊(ヘタイロイ)》の面々を重々しい盛装で出迎えた。

 彼らは人数分の馬をすでに整えていた。

 イラージュに支度された馬は艶やかな黒馬で、額に星のような白い斑があった。

 イラージュは安直に「(セターレ)」と名付けた。

 埠頭には物見高い住民たちが詰めかけ、代官の公邸へと向かう一行の後ろを、歓声をあげながら付き従ってくるのだった。



「一応はまだ秘密の帰還なんだがな」

 黒馬に騎乗したイラージュが思わずぼやくと、栗毛馬に騎乗して右後ろに従うタフムーラスが申し訳なさそうに苦笑した。

「そうはいっても、この港を拠点にして傭兵を集めましたからね。どうしても噂になってしまったのです」

「傭兵はどうなんだ。予定通り集まったのか?」

「正直予定以上です。この港と次の宿駅のあいだに一〇〇人ずつ分けて野営させていますが、今の時点で合わせてもう三〇〇〇は越えているはずです。あとで名簿をお目にかけましょう」

「ああうん。それは別にいいよ。後でフェリドが見るだろう」

 イラージュが笑ってごまかそうとすると、生真面目な領主貴族(アリヤーン)は眉をつりあげた。

王子殿下(シャーザーデ)、それはいけません。フェリドゥーンさまは確かにこの上もなく有能で信頼に足る未来の宰相閣下でしょうが、あなたの御名で集めた軍勢の数は、まずは必ずご自身で把握なさらなければ」

「分かった分かった、分かったよ! お前もフェリドと同じことを言うんだな!」

 イラージュが不服そうに口をとがらせると、タフムーラスは安心したように笑った。

「あの方はそのように仰せなのですね。本当に信頼に足る方だ」

「そうだよ。だから説教はあの人に任せておけって」

 イラージュは親しみをこめて親衛隊長に馬をよせ、やや前を行く代官に聞こえないように小声で囁いた。

「――戻るときにはエウリュノメも連れてこいってあの人に言ってある。妻として家に迎えるつもりなんだろう?」

 途端、タフムーラスは実直そうな端正な貌になんとも極まり悪げな表情を浮かべた。

「――ええ。もしもできるなら」

「できるさ。お前の一族が反対するなら俺が口添えしてやる」

「……ありがとうございます! そのときは是非お願いいたします」

 タフムーラスは真剣な声で答えた。



 すっかりと歓迎ムードの港湾都市で一昼夜を過ごしたあとで、一行はようやく傭兵たちを率いて《王の道》を進み始めた。


 一応はまだ内密のはずなのに、行軍は時ならぬ祭のように賑やかだった。

 辛うじて整列して進む傭兵たちのまわりに、道を進むあいだに、ありとあらゆる種類の随行者たちが勝手にはせ参じてきたのだ。

 荷車に穀物や油や酒を積んだ食料商人たちもいれば、派手な縞物の衣で着飾った旅芸人や娼婦たちもいる。武具を修理する鍛冶屋もいれば乞食や物乞いもいる。

 まるで一つの大きな町が軍と一緒に移動しているかのようだ。


王子殿下(シャーザーデ)、娼婦や乞食は追い払いましょうか?」と、自前らしい栗毛馬に跨ったタフムーラスが小声で訊ねてくる。イラージュは眉をあげて笑った。

「いいさ、着いてきたい連中は着いてこさせりゃいい。賑やかでいいじゃないか。祭りみたいでさ――」

 そこまで口にしたところで、イラージュはぎょっとした。


 黒馬の背から眺めるともなく眺めていた派手な身なりの一群の娼婦たちの傍に、一人だけ、場違いなほど粗末な身なりをした女を見とめたのだ。


 痩せた小柄な女である。

 光沢のある黒髪を編んで垂らし、飾り気はないが清潔そうな生成り色のチュニック姿で、背に何か革袋のようなものを負っている。

 その小さな卵なりの顔は、まるで都の王侯貴族を思わせる生粋のペルシア系に見えた。



 --あの女、まさか……



 信じがたい思いにかられるままイラージュが凝視していると、不意に女が顔をあげ、まっすぐに視線を向けてきた。

 

 その瞬間、イラージュはあまりに強烈な憎しみの視線に息が止まるかと思った。



 ――あの女だ。

 


 イラージュは確信した。

 あれはあの《山の民》の女だ。


「――王子殿下(シャーザーデ)?」

 傍らのタフムーラスが訝しそうに呼ぶ。「やはり女どもは追い払いましょうか?」

「いや」

 イラージュは呆然としたまま答えた。「放っておけ。ついてきたい連中はついてこさせりゃいい」

 今しがたと同じ答えを機械的に繰り返しながら、イラージュは女を見つめた。


 女は冷ややかな憎しみに燃える目で馬上のイラージュを見あげていたが、じきにふいっと踵を返すなり、群衆のなかに紛れて見えなくなってしまった。

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