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六月二十五日、六月二十六日

六月二十五日

 「うん、ありがとう」

 「どうしたのあんた、ちょっとおかしいわよ」

 「疲れてるだけだよ」

 「そう?もしなんかあったら帰ってきなさいよ。ここはあんたの家なんだから」

 「うん、本当に父さんと母さんの子供で良かったよ。じゃあまたね」

 言いたいことを言うだけ言って電話を切った。

 「もういいのか?」

 「ああ、言いたいことは言ったから」

 「そうか」

 「じゃあ、これよろしく頼む」

 僕は紅華に二つのケースと封筒を渡した。

 紅華は受け取ってから少し考え込んで

 「これを渡したら未練が生まれるんじゃないか?」

 「そうかもね、でもこうでもしないとミカは立ち直れないだろうから」

 「そうなのか?」

 「変なところで繊細なんだよミカは」

 「そうは見えないが」

 「彼女は強がりなんだよ」

 僕の記憶のミカはいつだって気丈に振舞う癖に繊細などこにでもいる女性だった。そのことを皆に隠しているつもりだけど僕はそのことを分かっている。何て言ったって僕が彼女の事を一番分かっているのだから。

 「頬まだ痛そうだな」

 紅華がぽつりとつぶやいた。

 頬を触れるとまだしっかりと熱を帯びていた。

 「痛いよ、ミカは力強いからな」

 「そうなのか?」

 「ああ、紅華も殴られたら分かるよ」

 「そうだな」

 このすまし顔の男がミカに殴られて頬を赤く染めているところを想像したらシュールでおかしかった。

 「書き忘れてたことあるから一回返してもらってもいい?」

 「ああ」

 僕は小さく一文を付け加えて紅華に返した。

 「じゃあ、よろしく」

 「わかった」

 紅華は受け取ったそれを丁寧に胸ポケットにしまってゆっくり部屋から出て行った。

 紅華が去った部屋で僕は床に散らばった睡眠薬を拾い集める。

 用量を大きく超えた睡眠薬を一気に飲み込みベッドに倒れこんだ。

 重くなっていく瞼の隙間からスマホの写真ホルダを眺める。そこには綺麗に笑う彼女の写真が映し出されていた。

 僕が最後に見るのはミカの笑った顔がいい、そう最初から決めていた。

 滲んでゆく視界の中でも彼女の笑顔はくすむことなく綺麗なままだった。

 「愛してる、ミカ」


六月二十六日

 私達が別れた二日後の朝彼の両親から彼が脳梗塞で亡くなったと電話があった。

 棺桶で眠っている彼の顔は私の記憶の中の彼よりいくらか痩せこけて疲れていたように見えた。

 こんなに彼を追い詰めたのは私なのだろう、彼に会って謝りたいそんな後悔で頭が一杯になる。

 「私も死んだら会えるかな」

 あんなに大好きだった彼の遺体を見ても涙が出ない私はあの日からどこかおかしくなってしまったのだろう。

 葬式の途中で彼の両親と上司の話を耳に挟んだ。

 おかしなことに彼は無くなる二か月ほど前から身辺整理を始めていた。

 仕事や財産関係の後処理はビックリするほどつつがなく執り行われており明日にも皆が日常に戻れるほどだった。その話を聞いた私はあの時の彼の様子もその一環だったのではないか、なんて都合のいい妄想をしてしまう。

 葬儀も終わり人がまばらに帰り始めたころに私の前に男が一人立ちふさがった。

 「花浜ミカさん、鈴木亮介さんからあなたに」

 「亮介から?」

 「はい、こちらです」

 そう言って男が取り出したのは二つのケースだった。

 ケースを開けるとそこにはシルバーのリングと小さいが綺麗な宝石がついた指輪が入っていた。

 「なに、これ?」

 「それともう一つ」

 男はさらに一枚の封筒を私に渡してきた。中には所々滲んだ紙に少し汚い彼の字で私への言葉が綴られていた。

 『ミカへ

 酷い事いってごめん、指輪は慰謝料代わりに受け取って欲しい。

 君は僕にはもったいないほど素敵な人だ。君には幸せになってほしい、だから僕よりふさわしい人を見つけて生きてほしい。

 君との思い出一つ一つが僕の宝物だ。ミカ本当にありがとう。           』

 手紙は短く纏められていた。それでも私には分かった、滲んで塗りつぶして見えなくなった最後の一文に書いてある言葉を。

 愛している、彼が書いていたことを私には確かにそう読めた。

 「バカ、愛していたのは私の方よ」

 まるで氷が溶けたかのように私の目から涙があふれ出始めた。

 涙とともに彼との思い出があふれだす。最後こそ嫌な終わり方だったが私たちは確かに愛し合っていた、それを今になって思い出した。

 もう一度手紙を丁寧に読み直すと手紙の下の方に付け加えられたであろう小さく書かれた一文に気づいた。

 それを読んだ私は拳を硬く握りしめて

 「ねえ」

 「なんッ」

 目の前の返事をしようと男の顔を力一杯殴った。

 「亮介から、どうだ痛いだろってさ」

 その言葉を聞いた男はキョトンとしてから柔らかく笑った。

 「ああ、痛いな」

 男はどこか懐かしむ様に笑いながらそう言って私の前から去って行った。

 なんのことかさっぱり分からなかったが彼がおかしそうに笑っている顔が頭に浮かんだ。

 手紙と指輪を大事に抱きかかえる。

 今もあの時から変わらずに心に大きく穴が開いている。それでもこの三つを持って私はこれからも生きていける。

 彼の思い出と後悔を胸に抱いてこれからも生きていける、今はそれでいいじゃない。

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