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五月二日、五月八日

五月二日

 結局一週間ほど休みをもらうこととなり久々に出社してすぐに上司のデスクに向かった。

 部長は僕を見るなり気さくな笑みを浮かべて「もう体調はいいのか」と聞いた。

「ご迷惑をお掛けしました」

「気にするな、それより体調はもう大丈夫なのか?」

「そのことで話があるのですが今時間大丈夫ですか?」

 部長は僕の顔を見て何か察したのか扉の方を指した。

「場所変えるか」

「はい」

 そうして人通りの少ない廊下の奥の方へと部長に連れられ

 「それで話ってのは?」

 「実は母が体調を崩しまして」

 「それは大丈夫なのか?」

 「直ぐに容体が悪化するほどではないのですが介護が必要なようでして、仕事を続ける訳にもいかなくてですね」

 「それは仕方がないな、それでいつぐらいに辞めるんだ?」

 「今月末です」

 「分かった、それは別として無理はするなよ」

 部長は自分の事のように僕の事を心配してくれていた。それが僕には心苦しかった。

 定時を少し過ぎ影が濃ゆくなってゆく時間帯に僕はミカの会社の前で立っていた。

 「ミカ!」

 待つこと十五分ほど会社から出てきたミカに声を掛けた。ミカは僕をみるなり眉間に皺を寄せながら近づいてきた。

 「何よ、こんなところで」

 「ちょっと話せないか?」

 「話すことなんてないでしょ、第一あなたからそう言ったじゃない」

 取り付く島もない彼女に僕は土下座をする勢いで頭を下げた。

 「ごめん、君に言ったことではなかったとしても君を怒らせてしまった」

 「はぁ、そんなに謝られたら許すしかないじゃない」

 顔を上げるとミカは右手を差し出してきた。

 「ほら仲直りの握手」

 「うん、本当にありがとう」

 「晩御飯まだでしょ、仲直りの記念にご飯食べに行きましょ」

 仲直りした僕たちはそのまま居酒屋へと移動した。

 繋いだままの手から伝わる温度に僕は安心感を覚えた。

 「それで話って何なの?」

 料理をひとしきり頼み先に届いたビールを飲み干しながらミカがたずねてきた。

 「実は今月いっぱい忙しくて時間が取れそうにないんだ」

 「それであんなにイライラしてたの?」

 「それだけじゃないけど、いろいろ重なって…」僕は少し曖昧にごまかした。

 「そんな事言ったら私だって毎日忙しいのよ」

 ビールを豪快に飲みながら愚痴をこぼす彼女は僕には勿体ないほど綺麗だった。

 「何よ、人の顔じろじろ見て」

 「ん?ただ、好きだなって思って」

 「バカ」

 そう言って照れを隠す様に怒る顔にも愛おしさが溢れて胸に広がっていった。

 今この瞬間だけは幸福が胸を満たして他のことなど気にならなかった。


五月八日

 「なあ、そんなことして意味あるのか?」

 狭い1LDKのリビングの床に正座したままの男が疑問をぶつけてきた。

 「こうしといたら他の人が困らないだろ」

 「そうなのか」

 引継ぎの資料を作りながら答えると男は理解できなというような感じだった。

 「僕が死んだって他の人たちはそれからも普通に生きていくだろ」

 「それはそうだが、それが死ぬまでにしたいことなのか?」

 「どうだろう、やりたいことかって言われたら違う気もするけど大事な事だよ」

 「そうなのか」

 「死ぬことで迷惑かけるだろ、それなら自己満足でもいいからせめて皆がそれからすぐに日常に戻れるようにしたいんだ」

 「難しい話だな」

 「そうかもな」

 この男に死という概念があるのだろうか、もしないならこの話は理解できないだろう。そう思うと少しこの男が可哀想に思えた。

 「それはそうとしてお前名前無いのか?」

 「無いと何か問題でもあるのか?」

 「無くてもいいけど、毎回お前って呼ぶのも何か気が引けるだろ」

 「そうか?」

 「ああ、なんだかんだよく会うしな」

 「それなら次会う時までにちょっと考えておく」

 そう言って男はゆっくりと部屋から出て行った。


 「調子はどうだ?」

 男はベットに横たわって本を読んでいる紬に声を掛ける。

 「いつも通りだよ」

 「そうか」

 紬は本を横に置いて男に答えた。

 春より少し瘦せこけた頬に少し赤く腫らした目元を見ても男は何も言えなかった。

 「それで今日はどうしたの?」

 「名前を」

 「名前?」

 男がちらりと目線を机の方に寄せると数冊の本が置いてある。どれも花に関連した本でさっきまで紬が読んでいた本は花言葉に関した本だった。

 「紅華はどう?」

 「コウカ?」

 「うん、桜の一種なの。カッコいいでしょ」

 「なんで桜なんだ?」

 「私達が出会った時も桜が咲いてたでしょ」

 「それはそうだが」

 「それに私が死んじゃう時も桜が咲いてるでしょ」

 「そうか」

 紬は窓の外に視線を移して緑がまだ芽吹いてない桜の木を眺める。

 「いい、名前だな」

 「でしょ」

 紬は紅華に視線を戻して向日葵のように笑った。

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