四月二十五日
「すいません、これにします」
僕は小一時間悩んだ末に決めた一つの指輪を指さしながら店員に伝えると、店員さんは嬉しそうな声でお礼とお祝いの言葉をくれた。
その一言はプロポーズすることにビビっている僕に勇気と覚悟をくれた。
僕は取り立てて何かが凄いといったわけでもなく、ごく平凡な家庭に生まれ、そこそこ努力してそこそこの大学に入り、何とか職にありつけたそこらへんにいる普通のサラリーマンだ。
そんな僕にも結婚を考えている彼女がいる、僕にはもったいないくらい素敵な人だ。
僕も28歳ということもあってプロポーズを決意して今日ついに指輪を買いに来たところだ。
ポロポーズすることへの嬉しさと断られることへの少なからずの恐怖からくる複雑な足取りで店から出たところでスマホが鳴った、彼女からの着信だ、僕は嬉しくてすぐに電話に出る。
「どうしたの?」
「どうしたじゃないわよ、今度のデートどうするの?」
彼女は僕がなかなかプランを言わないことにお怒りのようだった、僕は彼女の怒っている声だって好きだった。
「そんなに怒んないでよ、プランは決めたし店だってもう予約したよ」
彼女の声とは対照的に僕は明るい声で彼女にそう言うと、彼女はビックリしたようだった。
「あら、あの面倒くさがりがもう決めてるなんて明日は雨でもふるのかしらね」
「僕だってたまにはちゃんとするよ」
こうやって他愛無い会話をするのが平凡な僕がやっと手に入れて幸せだ。
楽しく会話しながら歩いていると冬の夜空のように黒いスーツに黒いコートを羽織った男が目についた。真っ黒な様子がまるで葬式にいく礼服のようにも見えた。
人が自然と避けていくような雰囲気や冷たさを感じさせるような恰好が自然と死を連想させて僕は目を逸らした。
僕と男がすれ違いそうになった瞬間に男が立ちどまったのを気配で感じる。
顔を上げると男と目が合った、何の表情も読めないような瞳で僕をジッと見つめてきていた、いや彼の目は僕の目を見てるようでもっと別の何かを見ている気さえしてきた。
「鈴木亮介さん、あなたは二か月後の六月二十五日に死ぬことが決定しました」
「は?」
黒いスーツに黒いコートを羽織ったあの男が僕の前に立ちふさがりよく通る声で話しかけてきた。
「あなたには一つだけ願いを叶える権利があります。但し世界を混乱させるような大それたことは叶えられません、私にできるのは精々物を持ち上げるくらいです。」
いきなりの事に困惑している僕の反応なんか意に介さずに男は淡々と話を続ける。風なんか吹いてないのにビニール袋が浮かび上がってふわふわと目の前で浮かんでいる。
男は一通り喋り終わったのか、無表情で返事を待っている。
周りを見渡してカメラやテレビのスタッフらしき人を探してみるけれどそれらしいものは見当たらず浮いていうビニールだけが目を引いた。
彼の顔とビニールに視線を何度も交差させることしかできなくなっていた、
「・・介、・亮介、亮介!」
手に持ったスマホからの聞こえてくる彼女の声でやっと我に返った。
「ごめんね、またあとで掛け直すよ」
「ちょっとあんた本当に大丈夫?何かあったら直ぐに言ってよね」
心配した彼女の声が落ち着かせてくれた、電話切るころには僕はまっすぐと男を見つめ返すことができた。
「あなたドッキリにしても流石に不謹慎ですよ、そのビニールもどんな原理で働いているか知りませんが不愉快です」
僕はこれまでの人生のなかで出したこともないくらいに語気を強めて言い放った。言葉は彼の瞳に中に落ちて行ってしまったようで、全く彼には響いていないようだ。
「ドッキリではない、あなたが死ぬことは確定事項で変わることのない事実です」
「ふざけるのもいい加減にしろ」
「ふざけてません、これは事実です」
何度言っても同じような言葉を返してくる彼に段々と怒りで頭がいっぱいになってゆく。
このっ、といいながら僕は彼の胸倉を掴みかかったが服の感触はあるのに、触れた気にならない変な感じがした。怒りに溢れた手はまるで雲を掴んでるみたいな感触しか返さない。
押し問答を続けていると彼がふと目を逸らした、視線の先を目で追うと一羽のカラスが力いっぱい飛んでいた。
「あそこのカラス」
男がカラスを長い指で指し示した、カラスは他のカラスを威嚇しながら追い立てて空を元気一杯に飛んでいる。
「10秒後に死にます。10、9、8・・」
「は?あなた何を言っているのですか、あんなに元気に飛んでるのが分からないんですか?」
男は僕の言葉など気にもかけずにカウントダウンを続ける、5秒を切ってもカラスは元気に泣き続けている。
1、と男がカウントしてもカラスは変わらずに鳴いている。やっぱりと思いながらほっとしていると0のカウントと共にカラスの体から力が抜けていきドスッと地面に落ちた。
あまりの変わりように口をぽかんと開けたまま男の方へ向き直ると、男のがらんとした目が機械のように固まってしまっている僕に向いていて口を開いた。
「鈴木亮介さん、あなたは二か月後の六月二十五日に死ぬことが決定しました。これは変わりようの無い事実です」…
さっきまでとは打って変わって信憑性を伴った言葉が僕の中にすとんと落ちて行った。それと同時にひらりひらりと浮かんでいたビニール袋も地面に落ちていった。