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世界を信じる

別のペンネーム、別の作品で某ライトノベル新人賞最終選考で落選したことがあります。

   第2章 神の不在証明を前に


   1


 ヴェストリのほぼ中央部、そこにはその深さが未だもって判明していない奈落、深遠亀裂ギンヌンガガプが存在する。名前こそ亀裂とつくが、その実状は一度捕われれば出ることの叶わない冥府を思わせる、巨大な穴だ。一説にはその深さは人が一生落ちつづけてやっと底にたどり着くとも言われ、各国の交通の妨げとなっていた。

 だが、深遠亀裂ギンヌンガガプを渡る陸路がただひとつだけある――それは、地母樹木ユグラドシルを利用することだ。伝説では、行き来が不便で難儀していたのを見た大地の女神が人のために植樹したとされている大樹の森で、そこには小国家による連合国家、フレイヤ連合国が存在する。

 その国家群のひとつ、ニヴルヘイム首長国の外縁に存在する某都市を彼女は訪れていた。

天高くに天蓋が存在するニヴルヘイム首長国の都市は、晴れの日であっても全体的に薄暗い。

 幾本もの枝――その枝が街道ほどの太さがある――に吊り下がる形で二三階建ての木造建築の素朴な建物が存在する様は蓑虫の巣がびっしりと並んでいるように見えた。さらに、枝と枝を縦横に階段や縄梯子が繋いでいる。通路となっている階段や縄梯子は、まるで蜘蛛の巣を思わせた。

 彼女はそんな街路、木の枝の上を歩いていた。体調はすこぶる良い――咳が出ることもなければ、血を吐くこともない。だが、決して気分は明るくない。むしろ、重苦しくあった。

 不意に陽射しが彼女の身体を照らす。枝と枝、葉と葉の間から辛うじて陽光が差し込む空間に身をさらしてしまったのだ。

 途端、身体の内側で小動物が蠢くような気配が生まれる。

 嫌悪感が鳥肌を立たせ、強制的に首をすくめさせた。気のせいではない。彼女の内にある“モノ”が日の光を得て“成長”したのだ。

 少し前に、陽光の元に不用意に佇んでいて陽光によって“アレ”が育ったせいで、身体の水分――血が奪われて貧血を起こしたことがある。

 ――右の足が硬直するような感触が生まれた。

 またか……――暗澹とした気分になりながら、彼女は路肩に寄って、二つ並んだ民家の間に身を隠した。

 太くとも枝の上、奥行きのない路地裏で、脚衣の裾をめくって先ほどの感覚の生まれた箇所を確認する。露出した部分、足首から脛にかけてが青々とした葉を思わせる、人の肌としてはかなり不気味な色に変化していた。肌触り自体は、人のそれと変わらない。

 だが、一見して“変化”してしまったことは明解だ。

 そう、これは不治の病を逃れた代償だった。何か罰されることをした訳でもないというのに病を得、それを治すためにさえ対価が必要だったのだ。

 しかも、その支払いは“現在進行形”で進んでいる。

“奴”は、「例え、全身が変異しようとも、意識が失われることはない」と述べていたが、信用できたものではない。

 彼には、こちらの自意識を保っておく必要性はない――善意を期待できる相手ではない、もし可能性があるとしたら気紛れか? ……そんなものにすがらなければならない自分の立場が惨めだった。

 どうして、私が? だが、その問いに答えてくれる者はない。

 宗教はこう応じるかもしれない。「前世の行いへの罰だ」――記憶にない、よって悔いることさえ許されずに責めを受けさせられる? そんなもののどこに正当性があるのだ!

 また、別の宗教はこう答えるかもしれない。「それは神の与えたもうた試練です」――乗り越えられない試練に何の意味がある? 赤子が生まれてすぐ非道な親に殺されたとして、それも試練だというのか? そんな物は単なる詭弁でしかない。

 ……どこにも答えはない。答えのない問いが世界には存在する。そして、それに囚われた者は、ただただ苦悩するしかない。延々と苦悶するしかないのだ。

 どうして、どうして、どうして、どうして……――?

 ――気配を感じて、彼女はさりげなく裾を直して顔を上げる。

 左右のどちらかの家の住人だろう、耳が長く、透き通るような肌をした造作の整った中年――といっても、長賢エルフ族は人とは生きる時の流れが違うから、人の感覚で彼らの年齢を推し量ると大抵誤る――の、貫頭衣姿の女性がこちらを警戒する目つきで見つめていた。自分の醜い正体を見破られた気がして、後ろめたい気持ちを抱く――もっとも、本当に相手がこちらの目的、その他を察してたら警戒ごときでは済まない。

 何しろ、自分はこの地に破滅をもたらそうとしているのだから……。胸の内で後ろ暗い思いと諦念が入り混じる。

「ちょっと、気分が悪かったもので」

 やや早口に言って、彼女は相手の横をすり抜けた。そして、肌を陽にさらさずに済むよう頭巾フードを目深にかぶる。天蓋、布地と彼女の世界は二重に闇に閉ざされた――。


   2


 ジョシュアたちはフレイヤ連合国の一角、ニヴルヘイム首長国の最外縁部に存在する都市スヴァルを訪れている。

 例の、犠牲となった村を調査したところ、住人の数人がこちらと戦闘になる前に消えていたことを突き止めた。そして、聞き込み調査をしながらその足跡をたどったところ、ついには国境を越えてしまったのだ。

 イルマリネンの町から歩いて数日と離れていないとはいえ異国だ、無論のこと上司のドミンゴには許可を得ている。スズリ王国において被害を出した常罪術者マリグナント抹殺の権利は当国の魔術師協会ギルドにあるという判断の元に許しが出たのだ――これは何も今回に限ったことではない。常罪術者マリグナントは万人の敵というのが、貴族や魔術師の間での共通見解なのだ。

 ――そして、ジョシュアたちは街路の太さの枝を歩いている。

 左右の端には木造家屋が一階の部分を通りに乗せる形で吊り下げられていた。この辺りは商店が存在する区画だが、威勢のいい声が飛び交うということはない。活気がない訳ではないが、少し物足りないくらいに物静かなのだ。これは、余り商魂というものを持たないニヴルヘイム首長国の主要な住人、長賢エルフ族の民族性に由来する。

 ただ、人通り自体は多い。ヴェストリの地域では、旅や流通を最短で済ませようとすれば絶対的に地母樹木ユグラドシルを利用せざるを得ない。だから、確実に人や物は往来し、あくせくしなくともフレイヤ連合国には金が落ちる仕組みになっていた。

 では、そんな旨みの大きい地域が、なぜ他国の侵略に遭わないかというと、これもまた長賢エルフ族に由来する。彼らは地母樹木ユグラドシルを魔術で操る術を見つけており、奥の手というべき技を身につけていた――その名を、万物呑込ダウン・フォールという。彼らは任意の枝を腐蝕させ、深遠亀裂ギンヌンガガプへと落下させることができるのだ。それが発動すれば、攻め込んだ国家の軍隊は為す術もなく奈落へと呑み込まれることになる。これでは、欲深な人間であっても容易に攻め入ることはできない。

「まったくもって、おかしな光景だよねぇ」

 オースティンが思い出したように近くを歩くアリスに話しかけた。いかにも友好を求める笑みがその顔には浮かんでいる。

「先入観であなたの頭は魔鍛金属オリハルコンのように硬くなっているようですね。大工になって、その頭で釘でも打っているのがお似合です」

「……」ちょっとした世間話に彼女はとんでもない毒舌で応じた。その台詞を受けて、オースティンは笑顔のまま涙目になる――。革の水筒に口をつけ、ヤケクソ気味に中身の蒸留酒を呷った。

「お前、少しは相手のことを考えて物を……」

「説教癖も石頭の証拠です、黙って下さい金槌二号」

 彼を援護しようとしたティモシーもあえなく撃沈される。苛立ちを隠さず、葉巻を咥えて火をつけた。――いい歳した大人が、悲しみを押し隠して必死に虚勢を張って少女を睨む構図はなかなかのものだ。

 まぁ、それでも最初よりはマシだよなぁ――ジョシュアは共に歩きながら苦笑を浮かべる。話しかけることすら許されなかった当初に比べれば、歪ではあるが……本当に歪ではあるがコミュニケーションが成立している。

 ジョシュアの聞き間違いでなければ、「――あなたの力は大したものです。今後、戦力として期待させていただきます」という言葉を彼女から聞くことができた。

 少なくとも、彼女と初めて顔を合わせたときの、絶対にこの娘とは上手くやっていけないという思いはもはや過去のものになっている。

 まあ、まだ信頼関係を築けているとは言いがたいが、これはアリスと過ごした時間がまだ数日しか経っていないことを考えればそんなものだろう。

 と、ジョシュアはつらつらと考え事をしていたところ、一点で目が止まった。

 あれは……――彼が胸の内でつぶやくのと、相手が視線に気づいてこちらに目線を向けるのは同時だった。こちらの注意を奪った人物が足を止める。それに合わせて、自然とジョシュアも立ち止まった。それに気づいて、仲間たちも歩みをその場に留まる。

「やっぱり、スザンナじゃないか!」「ジョシュア!?」

 喜びの声と驚愕の悲鳴が交錯した。

 初等部の学生を思わせる法衣ローブの女性が、頭巾フードの奥で大きなやや吊り上げり気味の目を大きく見開いた。彼女の手には、卍の意匠が掲げられた杖が握られている。

 ――スザンナはすぐに表情を笑顔に変えて、身軽な動きで近づいてきた。人の流れを、意識することなく避けてみせる。

「元気にしてた? まだ、懲罰術者ユーディキウムを続けてるの? ご家族は息災かしら? 結婚は――」

「待ってくれっ、そんな一度に訊かれても答えられない……」

 相変わらずらしい、と内心、苦笑と安堵の入り混じった思いを抱くジョシュア。

「あら、ごめんなさい。あたしったら、つい」

「とりかえず、紹介するよ。彼らは魔術師協会ギルドの仲間で、順に、ティモシー、オースティン、アリスだ」

 後頭部に手を当て舌を出すスザンナに、彼は三者を示しながら言葉を重ねた。

「はじめまして、わたしはスザンナ。ジョシュアの旧友よ」

 にこやかに彼女は挨拶する。突然の再会、そして紹介という流れにやや戸惑いながらも、ティモシー、オースティンは頭を下げる。

 ただ、アリスは何が不服かのか、不機嫌な表情でスザンナを見据えるのみだ。

「こんなところで立ち話もなんだから、そこの宿で再会の祝杯を上げながら話をするというのはどうだい?」

「ああ、それはいいね。どうだい、スザンナ?」

 こういうときに目端が利くオースティンの提案に、ジョシュアは嬉しくなって彼女に尋ねる。最後に彼女に合ってから十数年が経過している――だから、懲罰術者ユーディキウムとしての旅路の途上であってもつい心が弾んでしまう。

「いいわね」とスザンナも目を弓の形にして頷いた。


「……そう、あなたも大変だったわね、ジョシュア」

 宿屋の一階、食堂の隅のテーブルを挟んで座ったスザンナがしんみりとした表情で告げる。その目には心からの同情が宿っていた。

 そして、彼女の感情の動きを反映して猫を思わせる獣の耳が垂れている――彼女は、半獣半人ウェアビーストとの混血なのだ。

 ――ジョシュアは、これまでにあったことを気づけば彼女に包み隠さず明かしてしまっている。

 仲間ですら知らない家庭の事情なども知っているせいで、スザンナに対してはすべてを明かしても構わないそんな気持ちにさせられたのだ。

 それに、前回の“集落”での戦いが尾を引いて精神的に参っていた部分もある。

 だが、勿論この場には魔術師協会ギルドの仲間たちもいる。ただし、アリスは付き合いきれないといった態度で同席を断り先に二階の宿泊部屋に姿を消していた。

ふと、我に返ったジョシュアは彼らの表情をうかがった。オースティンはいつも通り、分かりやすく胸のうちが顔に出て涙ぐんでいる。

 しかし、意外だったのはティモシーの反応だ。彼が目を赤くしている様には、その原因となったジョシュア自身が思わず瞠目した。それに気づいた彼は、決まり悪そうに視線を逸らし罰が悪そうに葉巻を咥えた――。

「それで、懲罰術者ユーディキウムの任務で来たの?」

「……」

 ジョシュアはとっさにかつての親友の言葉に答えかねた。

 常罪術者マリグナントの裏には、貴族などがパトロンについていることもあるためその討伐は隠密性を帯び、懲罰術者ユーディキウムは半ば間者と化すことがある――ために、親友とはいえ軽々しく明かしていいものか躊躇いを覚えたのだ。

「そうなんです」

 が、そんなジョシュアの葛藤をオースティンの鼻声が台無しにする。

 ……気づけば、彼はボロボロと涙を流し、鼻水を垂らしていた。いい歳した大人の行動ではない――ジョシュアは、思わず他のテーブルに移って他人のフリをしたくなった。

「それなら、あたしの目的と一緒ね」

「一緒?」

 ここで初めて、アリスがスザンナと口をきいた。

「そう――あたしは、宣教師の肩書きを隠れカバーにして情報収集を行う特務神官なのよ」

「……なぜ、それを我々に?」

 声を落としていたずらっぽい顔つきをするスザンナに、ティモシーが慎重な顔つきで尋ねる。

「あたしはジョシュアの秘密を知ってるのに、そっちはこちらのことを知らないなんて不平等でしょ? それに、本音で言うと協力して欲しいの」

「協力?」

「ええ、フレイヤ連合国はヤルダバオト教の影響力の弱い地域。単独での情報収集には限界がある――だから、あたしたちに比べてまだしも浸透に成功している魔術師協会あなたたちとできれば手を組みたいの」

 協力という言葉に反応したジョシュアに、スザンナが真剣な顔つきになって告げる。

 どう? と彼女が重ねた言葉に対し、ジョシュアたちは視線を交わした。

 今回の件は、内輪の人間が常罪術者マリグナントとなって出奔した訳ではない――魔術師協会ギルドの弱みを教会に握られる心配はない、そんな風にジョシュアは素早く計算し、目顔で「諾」と仲間に伝える。

 オースティン、ティモシーに異論はなさそうだ。問題はアリスだが……事後承諾になるが、納得してくれるだろうか。

 まあ――いいか、とジョシュアは声に出さずに呟いた。とりあえず、多数決では結論が出ている。

「分かった」

 ジョシュアはスザンナに顔を向けて首肯した。

「よかった、心強いわ」

 彼女は口元を綻ばせる――その反応を見て、彼は嬉しくなる。こんな稼業でも、友の力となる機会があってよかった。


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