世界を信じる
別のペンネーム、別の作品で某ライトノベル新人賞最終選考で落選したことがあります。
ぜひ、お楽しみください。
†
街道から外れた物寂しい道を、ジョシュア、ティモシー、オースティンが一塊になって、そして彼らから少し離れた後方をアリスが歩いていた。
「……なぁ、あれどうするよ?」
不意にティモシーが生気のない声で訊く。親指と人さし指で挟んだ葉巻の煙も、どこか憂鬱そうに細くたなびいた。
「どうするって言われてもなぁ――」
応じるジョシュアの顔は浮かない。
だが、それ以上にその後ろに続くオースティンの表情が暗かった。
彼は、年少で旅の仲間に加わったアリスが心細いだろうと、「やぁ、本当に君の業前は見事だったよ」と話しかけたのだが、「馴れ合いは必要ありません。無駄口を叩く暇があれば足を動かしましょう」と一刀の元に斬り捨てられたのだ。
以来、落ち込んだまま再起しない――小さな声で、「馴れ合いはひどいよ」などとつぶやく声がジョシュアの耳には届いていた。
彼はショックの余り、普段あれだけ口にしている酒を断ってしまっている。飲酒を控えること事態は良いことなのだが、その原因が余りにも情けない……。
ジョシュアが積極的に彼女と交流できないのも、オースティンの惨敗ぶりを目の当たりにしていれば当然のことだ。さらに、ティモシーが叱りつけたことで相当の反発心が彼女の心に生まれているだろうことは想像に難くない。
それに――ジョシュアは思い出してしまうのだ。妹のことを……。
せっかく居候先のオードリーにも馴れて“過去”を刺激されずに済むようになったというのについていない。
「このままという訳にもいかないだろうが」
人付き合いの苦手なティモシーが暗に「お前、どうにかしてくれ」と告げてくる。自分から話しかけるのは嫌だが、“異物”としてアリスを放置しておくのも居心地が悪いのだ。
それに、厳しく当たり過ぎたかという思いもあるだろう。
揃いも揃っていい歳した大人が小娘一人を持て余しているのだから情けないことこの上ない……。
しょうがないか――いざというときに連携が出来ないのは場合によっては死を招く、仕方なくジョシュアは歩く速度を落としてアリスと距離を縮めていった。
「何か御用ですか?」
非友好的な態度で、先に彼女が話しかけてきた。
「いや、自己紹介がまだだったから」
「あなたのことなど知りたくありません」
「……」
冷たく突っぱねられて、ジョシュアは心が折れそうになる。だが、そこをグッとこらえた。
「能力や身につけている戦い方を知る必要はあるはずだよ」
「――なるほど」
彼女は束の間、思案して顎を引いた。何とか会話の糸口を見つけることができ、ジョシュアは内心ほっとする。
「僕は右手を吸血鬼、左手を氷界病魔の物に取り替えている怪物軀宿者なんだ」
「両手を……?」
アリスが眉をひそめた。
それはそうだ――二種類の怪物の軀の一部をその身に宿した例は、ジョシュアを除いて寡聞にして聞かない。つまり、例外中の例外なのだ。
「吸血鬼については説明はいらないと思うけど――」
「氷界病魔も知っています。氷と冷気を操る怪物です」
莫迦にするというように台詞を遮られ、「……」と再びジョシュアは挫折しそうになる。
「――ティモシーは東方流の剣術と魔術を会得しているんだ」
「東方流の魔術といっても様々です。具体的にはどの系統ですか?」
気を取り直して説明を始めたジョシュアに、彼女は突っ込んだ質問を放った。
へぇ、とその言葉に彼は感心する。魔術師でも、東方流に複数の系統が存在することを知る者は少数派だ――それを知っているのだから、勉強家なのだろう。
「忍術だよ」
「子供騙しの魔術ですね」
「……」
ジョシュアは前方に目を向けた――視線の先では聞き耳を立てていたらしいティモシーがうな垂れていた。
これで被害者二名に増えたことになる。全滅に追いやられる日も近いだろう――。
可哀想に……、とジョシュアは彼に同情を寄せる。だが、気を抜いていると、目の前の少女から自分が不意打ちを受けることになるから油断ならない。
「あと、オースティンは土と水の精霊魔術に通じていて、敵の感知や攻撃に対する防御が得意なんだ」
「つまりは、攻撃に関しては無能ということですね」
あ……、と思ってジョシュアは前を見やった。ティモシーを並んで歩くオースティンの足取りが重病の病人のように頼りないものになっている。どうやら、今の発言を聞いていたようだ。
アリスがそういった判断を下すことを予想し、言葉選びには気をつけたつもりだったが、情け容赦のない性格の彼女の前では無駄だった……。
すまない二人とも――ジョシュアは心の中で彼らに謝罪する。
そして、ジョシュアは静かに口を閉ざす。
先ほどの胸の内の言葉には、「自分は傷つきたくないから、これ以上の会話を諦める卑怯を許してくれ」という意味も含まれていた。
結局、無言に戻ってしまった旅の一行は橋にさしかかった。崖と崖の間に渡された老朽化した木製の構造物はどうにも頼りなく見え、そのかなり下に流れの速い水面が存在する。
……ジョシュアは軽く身体を緊張させた。
彼は右手が吸血鬼の物――吸血擬手と化している。ために、吸血鬼の弱点である流れる水の上では力が弱まるという特徴も受け継いでいるのだ。
ちなみに、吸血鬼が日光に弱いという話は嘘だ。夜に活動するというのは普遍的だが、太陽で傷つくという伝承は少なく、信憑性に欠けている――ジョシュア自身が吸血鬼の右手を陽光に晒してもダメージを受けていないのだから間違いない。
実際、右手は一切力が入らなくなってしまっている。それどころか、水の中で入れば泳ぐことすらできない。
オースティン、ティモシー、アリス、ジョシュアという順で進む。
勘弁して欲しいよ――泣き言を心の中で言いながら、ジョシュアは橋を渡る。とても、凶悪な常罪術者を相手にする懲罰術者の思考ではない。実際、上司のドミンゴにでも聞かれれば叱責されかねなかった。
そんな他愛もないことを考えて現実逃避して足を動かしている内に橋の半ばにまで歩を進めた。
あと半分……――そう思って恐怖をなだめていたところ、背後から異音が聞こえる。何かが“千切れる”ような音だ。
嫌な予感がして反射的に振り向く。
――橋の基幹部とを繋ぐ綱が切れていた。しかも、同時に両方。
寒気を覚えた瞬間には落下が始まっていた。
鳩尾に強烈な違和感――。見る見る水面が近づいてくる。強風が顔を撫ぜた。
着水……全身に衝撃が走り、地上に比べて視界の利かなくなる水中の景色が広がった。途端、ジョシュアの身体から力が抜けた。
周囲に仲間の姿はない。どうやら、落下は免れたようだ。
良かった――彼らだけでも無事だったことにジョシュアは安堵する。
吸血擬手のせいで泳ぐことは叶わない――しかし、いざ死を間近にすると恐怖は遠のいていた。
“あの日”以来、彼は心の片隅で死を望んできたのだ。命を落とした母と妹は、自分が自殺することを許さないだろう、そう思っている――だから、生きていた。
……呼吸に限界がくる。ジョシュアは大きな気泡を吐き出すのと同時に大量の水を飲み込んだ。
あっという間に肺の空気は失われ、意識が薄らいでいく。
シンシア――アリスという年代の少女のせいで、妹の姿が脳裏に鮮明に浮かんだ。それが、意識が途切れる寸前、最後に見た光景だった。
†
……全身に不揃いな、硬く不快な感触をジョシュアは覚えて意識を取り戻した。
シンシア――。
頭の中はまだ夢と現の境にあり、今は亡き妹の名を呼んでしまう。
シンシア――。
目を開けると、視界に蒼穹が広がった。どうやら、自分はどこかに流れ着いたらしい、と気づく。
周囲に視線を走らせると川岸だ。彼は下半身を水に浸し、仰向けに岸の小石が集まった地面に横たわっていた。道理で全身が凝り固まるはずだ。
――不意に視界に影が現われる。
「死んでる、死んでる?」
興味津々の表情で、地面に膝をついてジョシュアの顔の前に身を乗り出した子供が尋ねた。
「いや……」
もし、本当に死んでたら返事なんてできないだろうに、と呑気ともいえることをジョシュアは思う。
「死んでない?」
子供は不思議そうに首を傾げた。そして、どういう思考の道筋をたどったのか、
「助けてほしい?」
と訊く。どうやら、悪い子ではないようだ。
「うん、そうしてくれると助かるよ」
ジョシュアは掠れた声で応える。……同時に、再び意識を失った。
それから数時間後――日暮れの時刻のことだ。黄昏色の景色の中、ティモシーたちはジョシュアが流れ着いた岸へとやって来た。
さすがのティモシーとオースティンもそれぞれ喫煙と飲酒を控え、川沿いにジョシュアが流れ着いていないか捜索していたのだ。
川原となっている場所を、彼らは注意深く観察する。アリスですら手間をかけてくれるという顔つきをしつつも手を抜かない。
ジョシュアが落ちたのは流れの急な川で、泳ぎ着ける岸と呼べる場所がそう多くない――故に捜索する場所を絞ることができ、一箇所ごとにかける時間を確保することができた。
――そうして、そろそろ夜の気配が濃い影となって景色に滲み出てきた頃に、ティモシーは一つの痕跡を発見する。
「ジョシュアの鉄球だ」
彼は興奮も滲ませつつも、地の余り大きくない声で告げた。地面から、鉄球を拾いあげる。
それを、ティモシーに歩み寄ってオースティンとアリスが覗き込んだ――彼らが無事なのは、橋が崩れた瞬間とっさに彼が分身の術を使って抱きかかえて対岸まで飛んだからだ。しかし、ジョシュアに関しては間一髪のところで間に合わなかった。
俺もまだまだ未熟だ――泳げないことを分かっていながら助けられなかった後ろ暗さがティモシーを苛んでいる。
「こっちのは人が倒れていた痕かな?」
オースティンが膝をついて、鉄球が落ちていた辺りを屈み込んで調べた。
「だが、ここに姿はない――」
「ということは、何者か――近隣住人が保護したんだろう。敵はまだこちらのことを知らないはず、となれば拉致されたとは考えにくい」
彼の言葉を継いでティモシーは告げる。
となれば、とりあえずは命を繋いだ可能性も高かった。よかった、と安堵する。
「だったら、その近隣住民が住む集落をさっさと探しましょう」
「……」
アリスの冷たい物言いに、ティモシーは不快な思いを抱いた。だが、この小娘と喧嘩をしている場合ではない、彼はみずからに言い聞かせ、「ああ」と頷く。
そして、彼らは川岸を後にし、集落の探索へと移った――。
その様子を見て、“彼”は内心ほくそ笑んでいた。
莫迦な連中だ。川に流される間抜けな仲間など放っておけば、あるいは、懲罰術者などという思い上がった任に就いていなければ死なずに済んだものを――。
そもそも、常罪術者、補助魔術師などという考え方自体が間違っているのだ。
強大な力を持った魔術師が非道に走ることは許されない?
軍事力という比類ない力を持った王や貴族は、戦争のために民から税を搾り取っているではないか。宗教者も、己らの権勢を利用し私腹を肥やしている。
魔術師だけが利益を享受ではないとはどういうことだ? 結局のところ、魔術師協会の上層部が王や貴族、宗教者から非難されないよう、そして大きな力を独占するために、私的に魔術を行う者を常罪術者と呼んで狩り出しているだけに過ぎない。
そんなものは糞喰らえだ。
世の中は所詮、力。成り上がった者の勝ち。
だったら、自分は成功者になる。
“彼”の生み出した植精土壌を使った策戦が成功すれば、公国を授けると約束されている――つまりは大貴族の仲間入りだ。
他人に使われるのも終わりにできる。
――そのためには、まずは邪魔な懲罰術者たちの始末を済ませなければ。
だが、それも半ば以上終わっている。
懲罰術者がたどり着くであろう村――この近隣では唯一の集落だ――は、それ自体が“彼”の成した罠になっているのだ。仲間が駆けつける頃には、お人好しの懲罰術者は村人の手にかかって死んでいるだろう。
成功はすぐそこだ――そう思うと、笑いを堪えるのが大変だった……。