世界を信じる
別ののペンネーム、別の作品で某ライトノベル新人賞最終選考で落選しました。
ぜひ、お楽しみください。
エピローグ
帝国が奸計により地母樹木の支配権を一時的に握り、共和国への侵攻を開始した事件、地母樹木危機――は結局のところ、失敗に終わった。
帝国は主力部隊の大半を万物呑込を失い、生き残った兵も捕虜としてホブゴブリンに捕えられた。その中には多数の貴族、騎士も含まれ身代金は巨額に上った。
戦争を起こして失敗上に身代金、フレイヤ連合国への賠償などが重なり、これが大きな一員となって帝国は衰退の一途をたどっていく。
……だが、この危機の回避の裏に、魔術師協会の怪物軀宿者と仲間による死闘、多数の犠牲があったことはほぼ知られていない。
そして、束の間の平和を経ても人は相変わらず各地で戦乱を起こしては何も学ばずに屍山血河を築くことを続けている――。
†
陽射しが燦々と降りそそぐ庭の一角、屋敷に程近いな所に丸い直径数メトールのテーブルと数脚の椅子が用意されていた。
椅子の内の一つに、ジョシュアは腰を下ろしている――その姿勢にはどこか、妙な強張りがある。
……吸血擬手の力の乱用の副作用により、彼の脊髄の神経が冒されたのだ。今、ジョシュアは下半身付随で、人の解除なしには暮らせない。
「天候に恵まれましたね」
耳に心地いい成人女性の声が聞こえた。
ジョシュアがその源――肩越しに斜め後方を見やると、そこには大人になったアリスの姿があった。あの頃に比べると、体型が全体的に丸みを帯びて女性的になっている。
――その変化も当然だ。地母樹木危機から数年の時が経っているのだから。
変化はそれだけではない。
「ほらな――結婚したら、何だかんだでいい夫婦になった」
アリスの後ろに続く人影――白髪と顔の皺が随分と増えたオースティンだ。……彼の服の袖は、本来そこから突き出ているべき腕の姿がなく、ただただ動作にあわせて揺れている。
地母樹木危機の折の戦いでジョシュアたちを先行させるためにその場に留まった件で失ったのだ。
本人曰く、「俺もそろそろこの稼業にはうんざりしていたところだ。ちょうどいい口実ができた」と笑っていたのは半分は本音であり、残りはジョシュアとアリスへの気づかいだろう。
それと、オースティンが裏切り者だと明かされた彼は、「実は途中でそんな予感があった」とも語った。そして、「それでも、俺は信じたかった」と。
「からかわないでくれよ」
「何がからかわにでくれだ、憎たらしいくらいに幸せそうにしやがって」
弱り顔のジョシュアにオースティンが笑いながら噛み付く。
「ジョシュア――久しぶり!」
そこに、屋敷を回って二つの人影が姿を現した。先頭を歩き、胸もとに赤ん坊を抱いているのはジョシュアが世話になっていた家の娘のオードリーだ。
彼女もアリスと同じく、大人になっている――もっとも、先の挨拶からも分かる通りその有り余る元気さには変わりないが。変化がないという点ではアリスも同じだ……結婚しても、相変わらず他人行儀なしゃべり方を続けているのには、苦笑を浮かべるしかない。
「ジョシュアさん、ご無沙汰しています」
オードリーと連れ立って姿を現した優男、彼の夫が頭を下げてくる。
――その雰囲気は、どこかジョシュアに似ていた。屋敷で世話になっていた頃のオードリーのジョシュアへの言動は、このことから考えると本気だったのかもしれない。
皆がテーブルについた。卓上には、肉を中心とした料理が並んでいる。
――今日は、ジョシュアの誕生会を開くことになったのだ。この歳でそんなことをされても恥ずかしい、と訴えたのだが発起人であるオードリーに押し切られた。
父と弟が死んでから誕生日を祝ったことがないのを知った彼女がアリスを抱き込んで謀ったのだ。
アリス自身も自分の誕生を祝ってもらうという経験を久しくしていなかったためそういうものが存在することを失念していたが、オードリーに誕生日のことを指摘されて頑なともいえる態度で誕生会の開催を訴えた。
「――あなたが生まれたこと、側にいてくれることを感謝し、これからも健やかに時と共に過ごせることを願います」
アリスが祝いを述べることを述べる。
……言葉の一つ一つが、ジョシュアの胸に染みた。生きていることを許されないとかつては思っていたのに、こうして時を重ねられたこと――彼女の側で人生を過ごせたことが嬉しく思える。
僕こそありがとう――自然と、声に出さずにつぶやいていた。
「あなたが生まれたこと、側にいてくれることを感謝し、これからも健やかに時と共に過ごせることを願います」
皆が唱和する。
おめでとう、おめでとう、おめでとう――。
「ありがとう」
ジョシュアは素直にその言葉を口にした。
自分が罪を犯したことは忘れていない。忘れられないし、忘れようとも思わなかった。
それでも、今は“生きる”ということを受け入れることができている。
「あ、だ、だあ、あ――」
不意に、オードリーの娘、アナスタシアが何かを伝えようとするようにジョシュアに両手を伸ばした。
「アナスタシアも、祝ってくれてるわ」
オードリーが、抱いた娘をジョシュアの方へと少し近づける。
彼は脇のアリスに支えられながら、アナスタシアへと手を差し出した――人の命を奪う力を持つ氷魔擬手を、彼女は両手の小さな指で掴んだ。
まるで、すべてを受け入れるように――。
了




