世界を信じる
別のペンネーム、別の作品で某ライトノベル新人賞最終選考で落選したことがあります。
ぜひ、お楽しみください。
8
フレイヤ連合国の一つ、マウンド王国において――。
広い、地上の街道と変わらない広さの枝の上を戦意に燃えた帝国の軍勢が進撃する。
本来なら、足を一歩踏み入れただけで長賢族の魔術によって奈落へと落とされるところだ――それがないことで兵士たちの意気は高揚している。共和国へ攻め入る障害となっていた邪魔者共をついに屈服させることができる、と。
騎乗して、歩兵の群れの中央、最前列を間近に望むシーモア男爵――特務機関を預かる男は、その顔に既に勝利の笑みを浮かべていた。
オースティンという常罪術者が、植精土壌を基幹樹木と同化させることで、その支配権を長賢族から奪った。その上、六芒星を成す形で基幹樹木を支配下に置くことで魔法陣を完成させ、フレイヤ連合国全土にその状態を拡大したのだ。
後に残るのは、奥の手にして最大の攻撃手段を失った長賢を中心とした亜人たちだ。
「容易い――この戦、容易いぞ」
シーモアは優美な顔立ちには不似合いな、歪んだ笑みを浮かべる。だが、その表情は他者を搾取することで生きるという貴族の性質からすればお似合でもある。
――枝の街道の角を曲がる。茂った葉で見えなかったが、そこにはマウンド王国の住民である潜陰小人――短軀で頭の大きな老人を思わせる醜い亜人が待ち構えていた。
さっそく、国属魔術師による大規模魔術――儀式魔術が発動する。世界が一瞬閃光に満たされる……無数の雷が敵勢に向かって降りそそいだのだ。
が、光が収まった後には、無傷の潜陰小人があった。
ちぃ、神将ゲオルクが加勢しているという情報は本当だったかッ――シーモアは内心、臍を噛んだ。
一人で数百人からなる魔術師が合同で放った儀式魔術の一撃すらも防いだという逸話のある人物が参戦しているという話を、彼は敵の使いを捕らえた配下の人間から手に入れていたのだ。
半信半疑だったが、事実だったのだ!
遠間だと、兵が奴の魔術の餌食になる可能性がある――彼は瞬時にそう判断した。
先程は、ゲオルクの卓越した魔術が防御に使われたが、それが攻撃に転換されれば軍勢が大打撃を受ける可能性がある――魔術の無効化された瞬間から、この判断が下されるまでに経過した時間は、実際のところは一瞬だった。
「ゴブリンは欲深で金銀財宝を溜め込んでいるというぞッ。奴らを蹴散らし、分をわきまえず不当に溜め込んだ財貨を奪い取るのだ!」
シーモアは帯剣を抜き放つや、それを頭上へと掲げて叫ぶ。
魔術を無効化されたことなど大したことではない――そう、動揺する兵たちにアピールするためだ。
その言葉に正当性はない。潜陰小人たちは細工が得意なために金銀と縁があるだけで決してそれを独占しているためではない――むしろ、それを喜んで買い込んでいるのは人間だ。
だが、戦争という大義で盲目となった兵たちの頭に、男爵の言葉への疑いは微塵も浮かばない。
生殺与奪の権利に酔いしれた上に臨時収入が得られるのだ――文句などあろうはずもない。そもそも、戦争が起こって喜び勇んで参加するのは普段は鼻つまみ者となっている人種だ。
略奪もまた、戦争参加の彼らの大きな目的の一つだった。
そうでない者も、「奴らは下等な存在だ。だから、神に祝福された我らが上に立ち、導いていくことこそが正しい摂理なのだ」などといった、争いが起こるたびに蔓延する人種差別主義という麻酔が良心を麻痺させ戦争への忌避感を奪い去る。
さらに、人間は根源的に孤立することを恐れる――他者が殺人者となっていることきに殺人を犯さずにいるのは難しい、視線、罵声、有形無形の圧力が仲間に加わることを求めるのだ。
――結果、狂気は兵の一人一人にまで行き渡っていた。
シーモアの言葉に煽動され、足音を轟かせ鎧を擦れる音で騒音を撒きながら、槍を構えた兵たちが突進する。兵たちの目は欲望で爛々と輝いていた。
潜陰小人も大人しく蹂躙されてたまるか、と先頭の列の者たちが槍衾でもって敵を迎え打つ。
「振るえ、槍をとにかく振るえ!」
シーモアの号令の元、血煙を浴びながら、あるいは自身が血潮を吹き出しながら兵たちが槍を動かす――柄と柄、穂先と穂先が激突し、耳障りな音が大気を満たす。
叩き伏せられた者から、槍の刃で貫かれ血反吐を吐いて命を失っていった。
そして、その割合は圧倒的にゴブリン側の方が多い――体格や腕力では彼らは不利だ。仮にも国を持つことができたのは、長賢族の協力があったからこそだ。
だが、頼みの綱の彼らの力が発揮されないとなれば……。
「ハハハハハ、この戦の勝利はこのシーモアが礎を築いた!」
彼は既に勝利を――いや、その先に待つ栄達の道を見据えていた。このままいけば、辺境伯となることも夢ではない。
そう思った刹那、突如としてシーモアの身体は落下の不快な感触に包まれた。
「え?」
疑問符を漏らしながらも、彼は落ちている。奈落へ――深遠亀裂に向かって。そして、それは彼だけではない。周囲の兵も同じだ。
突如として足場としていた枝が折れたのだ。
これは……。
「万物呑込――?」
間違いない、地母樹木の枝がそうそう易々と折れるはずがないのだから。
そして、この術が発動したということは、例の常罪術者の計略が破られたということだ。
「嫌だ、死にたくない……」
そんな可能性などつい先ほどまで微塵も考えていなかった男爵は、精神的な衝撃が大きすぎて悲鳴を上げることすら叶わない。
そんな彼の周囲では、
「助けてくれぇぇぇ!」「死にたくねぇ!」「頼む、神様!」
わずかばかりの慈悲もゴブリンに対してかけていなかった人間たちが絶望や恐怖に顔を歪めて落下を続けていた――。




