世界を信じる
別のペンネーム、別の作品で某ライトノベル新人賞最終選考で落選したことがあります。
ぜひ、お楽しみください。
7
――瓦礫の山の中、氷魔擬手の能力の使用で氷が散乱し気温の下がった中で、一〇代のジョシュアは膝をついて涙を流していた。
静寂の中、彼の押し殺した嗚咽だけが冷えて張り詰めた空気を震わせる。
罪の意識が、静けささえも自分を攻め立てる抗議のように思わせた。近くには、白蝋を思わせる肌の色となった母と妹が事切れ倒れている。
千の罵声よりもジョシュアを苛んだ。悲しげな彼女たちの顔は。
「――ジョシュア様、またここにいらしたのですか?」
……唐突に背後から響いた声に、彼は身体を硬直させる。
聞き覚えのある声色だ――。
恐る恐る、ジョシュアは肩越しに背後を振り返る。
――そこには、あの忠義者の従士エイハブの姿があった。
「エイハブ――どうして?」
彼は自分が命を奪った。飛翔亜竜を斃すためとはいえ、血の一滴すらも残さず吸血擬手で吸い尽くした――生きているはずがない。
「そうでございますとも、手前は最早、生者ではありません」
こちらの意を察して彼は一つ頷く。そして、不器用さ感じさせるほほ笑みを浮かべた。
「ですが、それ故に常にお側にいることができました。吸血擬手に同化して、貴方様の行く末を見守ることが」
「エイハブ……」
ジョシュアは立ち上がって彼に近寄ろうとする。途端、
「過去に囚われるのは止めにすると、ご自分で申したはずです!」
彼の表情が一気に険しくなった。
「でも、僕は――」
「確かに、母君、妹君の命を奪い申しました。それは罪です――そして、結局のところそれを完全に償う方法などこの世にありはしない」
命を捧げて主を守ろうとした従士は、ジョシュアにとって世界で最も残酷な言葉に口にした。
「だったら……」
「投げ出すのですか、母君と妹君の命を?」
「そんなことは――!」
「諦めるとはそういうことなのです」
エイハブは鋭く静かに告げたかと思えば、今度は悲しげな顔つきをした。
「答えの出ない問いに取り組み続ける――それが生きることであり、死者への礼儀なのです」
如何しますか? 従士は温かさと厳しさの同居した眼差しをジョシュアに向ける。
言葉は声にならない――こみ上げる感情が喉を塞いでいた。代わりに、ジョシュアは激しくかぶりを振る。
「そうで御座いますか」
エイハブは満足げに頷いた。
「お兄様」
唐突に、背後から声が聞こえる。
……ジョシュアは四肢を強張らせた。ぎこちない動きで、身体の向きを変える。
――そこには、母と妹が生前の姿で佇んでいた。骸の冷たさはそこにはない。
「頑張ってね、お兄様」
「幸せになりなさい」
朗らかにシンシアが、優しく母が告げた。
たった一言だというのに、胸の内で凝っていた思いが瞬時に解ける。
――やはり、言葉は声にならない。
ジョシュアは何度も首を縦に振った。
刹那、世界が夜明けを向かえたように白み始める。
その中で笑みを浮かべる母と妹、そしてその側らに移動したエイハブの姿を網膜に焼き付けようとジョシュアは必死に見つめた。
そして、全てが光の中に消える。
†
――頬に雫を感じた。
それで、ハッと目が覚める。仰向けの視界に、アリスの泣き顔が飛び込んでくる。
「あ、え――」
ジョシュアは戸惑いをあらわす声が見つけられず言葉に詰まった。
刹那、アリスがこちらが意識を取り戻したことに気づく。彼女はこちらの胸に勢いよく顔を埋めた。
「良かった、意識が戻ってッ……吸血擬手の支配が解けたのに目を覚まさなくて、私の血を上げたけど、それでも瞼を閉じたままで!」
アリスが怒涛の勢いで言葉を投げかける。
「――あの。ごめん」
ジョシュアが他に言うべき台詞が見つからずに謝ると、彼女はキッとこちらを睨みつけた。
が、すぐにその眼差しは安堵で鋭さを失う。
「取り込み中のところ悪いんだけど、あたし、そろそろ逝きそうよ」
不意に、二人の間に飄々とした声が割り込んだ。
声の方向を見やると、ジョシュアが寝かされいる主塔の屋上の床、そこから少し離れた縁にもたれる形でスザンナが座り込んでいた。
彼女の顔色は蒼白を通り越して老婆の白髪のように真っ白だ。
ジョシュアはふらつきながらも、アリスに支えられ立ち上がる。そして、彼女の元へと近寄った――別離の予感が胸を締め付けていた。
「って言っても、言いたいことはさっき言っちゃったんだけどね」
スザンナは、照れ隠しか自嘲の笑みを浮かべる。
ジョシュアは彼女の手を取った。
「じゃあ、今度は僕の番だ――君が側にいたからこそ、特殊教導院の厳しい訓練に耐えられた」
――その言葉を耳にして、彼女は目を丸くする。
「それ、今言うの反則じゃない?」
笑う――スザンナの表情に“亀裂”が入った。乾き切った荒地のごとく、無数の罅が肌に走る。同時に、肌が艶と張りを失う。そして、ぼろぼろと崩れた。
一人の人間が、砕片へと分かれ――それすらも、細かい粒子となって崩壊する。
彼女が跡形もなくなるまで、三つ数えるほどの時間もかからなかった……ジョシュアの手には、ただ砂を思わせる“残骸”だけが残された。
思ったよりも、感情に乱れは生じなかった。余りにも死に親しみ過ぎたからか、重ねた歳のせいか――あるいは、本格的な悲しみはこののちに訪れるのか。
ジョシュアは答えを探すように視線を巡らせた。
主塔の縁の向こう、中空には枝の足場に倒れているオースティンの姿がある。
裏切り者だ――数々の人間を殺し、苦しめた。
「……それでも僕は、君を仲間だと思ってる」
聞こえていないことは承知の上で告げる。奇跡を信じたい――苦難ばかりが続く人生でも、なお、救いがあると思いたいときもあるのだ。
自分のためではなく、彼のために。
「君を“敵だ”“裏切り者だ”と切り捨てたら――割り切ったら、何もかもを“終わり”にできる。けれど、それを皆でやった結果が戦争だ……だから、僕は君を放り出そうとは思わない」
「――付き合いきれるか」
刹那、閉じられていたオースティンの瞼が開いた。彼は首を動かしてこちらを見やると、皮肉げな笑みを浮かべる。
「最期の力を振り絞ってお前らを道連れにしてやろうと思ったが、止めだ。地獄でまでお前みたいなお人好しに付きまとわれたら最悪だからな」
“最期”という言葉に呼応するように、彼が横たわっている枝の足場がスザンナと同じ現象に見舞われる。
「せいぜい、その小娘と幸せになるんだな」
「オースティン!」
ジョシュアは、自分が何を告げたいのかも分からずに声を張り上げた。
――朽ちていきながら、一足早く崩壊した枝から彼は姿を消す。
だが、彼の行方を視線で追いかける余裕はない。
「――!」
低い地鳴りのような音を植神巨壌が漏らした。よく見ると、その幹、枝の全体がスザンナ、オースティンと同じ末路をたどっている。
「――ジョシュア、逃げましょう!」
アリスが、オースティンに殺された魔神フュルフュールを再召喚した。
彼女の手を借りて、ジョシュアはしがみつくような形で辛うじて騎乗することに成功する――四肢に力が入らないのだ。吸血擬手の力の行使の副作用らしき不調は、どうやらアリスの血でも癒せないらしい。
それどころか、彼からは下半身の感覚が段々と失われていた。
「フュルフュール!」
それでも、何とかアリスに背後から支えてもらう形で魔神に掴まり、その場を後にする。
崩壊は神域全体に波及しつつあった……。




