世界を信じる
別のペンネーム、別の作品で某ライトノベル新人賞最終選考で落選したことがあります。
ぜひ、お楽しみください。
5
ジョシュアたちは、植精土壌との正面衝突を避けて建物の屋上を猿のように移動する。アリスは衰弱しているため、ジョシュアに負ぶわれている。
前方のティモシーとそれに続くジョシュアの距離は部隊戦術の鉄則に従って一〇メトール開けられていた。
閃、閃、閃――屋根へと上がってきた敵は、先頭の“三人の”ティモシーが斬撃を浴びせて始末した。
が、植精巨壌の場合はそうもいかない。
――台風の如き唸りを伴って植物の巨人の拳が振り下ろされた。
躱す。ティモシー“たち”は前方、斜め後方とに別れて攻撃を避けた。しかし、第二、第三の植精巨壌が四階建ての民家に接近、殴打を浴びせてくる。次々と建物の一部が崩落する。
回避――同時に前方へと駆けた。敵のすべてを斃している余裕は、時間的にも、体力的にも、魔力的にも存在しない。
ジョシュアも、頭上から降ってきた拳を足の回転速度を上げることで躱す。背後で建物が砕かれ、瓦礫の山と化す。
疾走、繰り出される植精巨壌の拳、回避、疾走、繰り出される植精巨壌の拳、繰り出される植精巨壌の拳、回避、疾走、繰り出される植精巨壌の拳、繰り出される植精巨壌の拳、繰り出される植精巨壌の拳、回避、回避、疾走――町のあちこちから集合し、数を増やし続ける植精巨壌の度重なる攻撃が、移動の速度を徐々に削いでいく。
一撃でも受ければ死は免れ得ない、超超超重量級の拳打だ、当たる訳にはいかない。
だが、このまま速度が落ちつづければいずれ……――ジレンマがジョシュアを襲い、焦慮が心肺を圧迫する。
スザンナは無事でいてくれるだろうか?
オースティンはどうにか生き延びてくれているだろうか?
――異変が起こる。
一〇メトール先を駆けていたティモシーの三つの人影が足を止めた。その鼻先を植精巨壌の拳が掠めた。拳打の起こした風が彼の髪を揺らす。
刹那、彼らは建物に食い込んでいる腕を伝って巨人の首元へ走る。
電光石火の連続攻撃、一人が首を裂き、二人目が傷口に刀を突き入れ、三人目が数メトール離れた場所に立つ巨人へ飛ぶ――剣光一閃。
首がぱっくりと傷口を開けたところに、先ほど巨人に初撃を与えたティモシーが今度は刺突を見舞う。
「ここは俺に任せていけ!」
こちらが何か問う前に、彼の“ひとり”が声を張り上げた。
その間も、敵の巨躯や建物を足場にしながら目まぐるしく戦いを繰り広げる。幾度も翻る彼方の銀弧は、危機的状況だというのに流星を思わせる美しさを備えていた――燃え上がる命の煌めきが映っているようだ。
ティモシー……――ジョシュアは、止めてくれと叫びたい衝動に駆られる。
だが、彼の行動が自分を先に行かせるための決死のものであること、思案を巡らせる時間がないことなどが、その台詞を喉に詰まらせた。代わりに、
「すまない!」
ただ一言、大声で告げるしかなかった。何故、言葉はこうも不自由なのか――気持ちの欠片すらも表すことができない。
「勝手に殺すな、色男!」
こちらの悲愴な表情を見てとったのか、敵の肩に乗って刀を振るいながらもティモシーは確かに笑みを浮かべた――しかも、少女を背負いつつ、女性を救いに行くことへの皮肉付きだ。
「本当にすまない!」
ジョシュアは泣き笑いの表情を浮かべて先を急ぐ――ティモシーの快刀乱麻の活躍により、道が開けていた。
†
力の乱用によって飛翔亜竜の血は消費された――そうなれば、デカラビラを使役している意味はない。代わりにアリスは馬ほどの体長、体高の鹿の姿の魔神を召喚した。
星を思わせる瞳の輝き、炎の尾が高速移動の軌跡を残像として残す。
そんな魔神、フュルフュールの背にはジョシュアとアリスの姿がある。
前者は、後者の抱えるようにして鹿の口もとに繋がった綱を操っている。
……ジョシュアは副作用のせいで、全身の血を失いつつあると錯覚するような、強烈な寒気に襲われていた。冷や汗が全身を濡らし、時折、視野が霞む。
それを押し隠し、彼は魔神を駆った――市街地をついに抜け、神域とを隔てる石材製の壁が視界に入る。数十メトール、十数メトール、数メトール、跳躍。
一瞬、浮遊感に包まれる――魔神は壁を軽々と飛び越えた。
――ジョシュアは監視の小屋で何者かが動くのを察知し、小剣を抜き放つや一閃する。
切断――飛来した矢を砕き切る。鏃を失った矢のみが肩口に衝突した。
小屋から現われた植精土壌が二の矢を放つが、弓の名人と名高い彼らも魔神の高速移動を立て続けに捉えることはできない。
ジョシュアたちは神域の中央へ進む。空を切る矢の音を聞きながら。
枝の通路の切れ目に行き当たる――中央の基幹樹木、それを囲む砦の間を繋ぐのは空中を渡された吊り橋だ。
勢いのままに進む――刹那、橋を吊っていた綱が立て続けに飛来した矢に裂かれた。
橋が重力に従って落下を始める。――そこを、魔神フュルフュールは猛烈な速度で疾駆した。
さらに、周囲に伏兵として隠れていた植精土壌が降らせる矢を、稲妻を四方に放って撃墜する。
撃ち漏らした矢はジョシュアが斬った――このまま、何とか渡りきれれば。道が失われるのだから、援軍が押し寄せるということはなくなる。
そうなれば、敵は砦にこもっている勢力だけということになるのだ。
――橋の反対側へと到達した。が、既に対岸には数メトールの高低差が生じている。
魔神は強烈な力で橋の足場を蹴った。足もとを割っての跳躍が、強引に彼らを対岸へと運んだ。魔神、騎乗者共に強い風に叩かれる。
届けッ――ジョシュアの心の声に答えるように、魔神の四本の脚が砦の城門の石の足場を踏みしめた。
フュルフュールの疾走は続く――塀と一体になった回廊の建物を進撃する。剣を構えて襲いくる植精土壌はジョシュアの指弾が迎え打つ。
斃す必要はない、攻撃の手を止めさせ、その間に刃圏内から遠く逃れればそれで充分だ。
強引に階段を魔神が昇る――鉢合わせた敵を雷霆で薙ぎ倒した。
昇る、昇る、昇る――そして、城壁塔の屋上へと出た。
「フュルフュール、手筈どおりに!」
鹿の姿の魔神が一際強烈な稲妻を放つ――真昼のように明るくなるのを、一瞬閉じた瞼越しにもジョシュアは感じることができた。
――目を開けると、主塔の壁の一部に大穴が空いている。
魔神が踵を返す――短い距離を助走に用いた。尋常ならざる存在にはそれで充分だ、二〇メトールほどをフュルフュールの跳躍が埋める。
ジョシュアのみぞおちに慣性による嫌な感覚が生じた。だが、そんなものが小さく思えるほど身体の不調は益々酷くなっている……。
――着地。そして、疾駆。さらに主塔の上を目指す。……程なく屋上に出た。
ついにここまで来た――ジョシュアは霞む視界を瞬きで必死に回復させながら小さな感慨を抱く。同時に、緊張と不安が高まった。
――塔の一部が突き出て、基幹樹木に伸びている。その先の幹に、不気味な人型の瘤が複数生じているのが視界に入った。
……そして、ジョシュアと突端の間を遮る形で人影が佇んでいる。
「スザンナ……」
魔神に騎乗したジョシュアは苦悶に顔を歪めた。
「ここまで来ちゃったのね、ジョシュア」
彼女もまた、ほほ笑みながらも瞳に悲しみをたたえている。
「私を殺しに来たの?」
「違う、説得に来た。馬鹿なことはもう、止めにするんだ」
ジョシュアの言葉に、スザンナの表情が本当の明るさを取り戻す。そして、
「女を説得するのに、女連れで来るなんてさすがね、朴念仁のあなたらしい」
と楽しげに皮肉を口にした。
「そんなことを――」
「でもね。あたし、あなたの説得に応じると死ぬことになるのよ」
こちらの言葉をスザンナは最後まで聞かない――一方的に言い放つや、その両手に力を込めた。猫を思わせる爪が伸びた手のひらを己の衣服の下腹部辺りに走らせる。
「……!?」
そこから覗いた肌の様子に、ジョシュアは目を見張った。彼女の柔肌は、青葉を思わせる不気味な色に変貌していたのだ。
「あたし、常罪術者に協力して、植精土壌にしてもらうことで生き延びてるの。そうでなければ、死病で死んでしまう運命だった」
スザンナが自嘲の笑みを浮かべる。
ジョシュアは、仇敵枯蝶が近くを通ったときに彼女が体調を崩したことを思い出した――あれは、スザンナが植精土壌と化していたのが原因だったのだ。
あれで気づくのは至難の業だ――それでも、ジョシュアは悔しさに犬歯を唇に突き立てる。
「ね、分かったでしょ? あたしは、あなたの敵なの」
宣言した途端、彼女の姿が霞んだ。
獣人の血を持つスザンナの運動能力は、人間のそれを圧倒的に凌駕する。
――ジョシュアは、彼女の爪の攻撃を事前に“目付け”で察知することで辛うじて防いだ。眼前に掲げた刃越しに、自分の命を狙ったスザンナの鋭い眼差しを浴びる。
……それでも、ジョシュアの心に反撃の意思は湧いてこない。
彼女を止めると事前に言っていたというのに、彼女を目の当たりにした途端、その決意は霧消してしまっていた。
――スザンナの姿が急激に遠ざかる。
魔神の身体を蹴りつけて、主塔の屋上の一角に蜻蛉を切って着地を決めたのだ。
彼女が元居た空間を、フュルフュールの稲妻が貫く。しかし、蹴りの衝撃によって軌道が逸らされた上に相手は既にその場にいない、雷撃は虚しく大気に散って消えた。
スザンナが再び動く。主塔の縁の陰に隠れて素早く接近してきた。姿が見えないために、魔神の稲妻はことごとく空振りに終わる。
出現――雷撃を潜り抜け、彼女は襲いかかってきた。
電光石火の爪による攻撃を、再度、ジョシュアは防いだ。骨の芯まで衝撃が突き抜ける。
――やはり、反撃の刃は繰り出せない。繰り出せなかった。繰り出せるはずもなかった。
「頼む、スザンナッ!」
彼は代わりに悲痛な声を漏らす――。




