世界を信じる
別のペンネーム、別の作品で某ライトノベル新人賞最終選考で落選したことがあります。
ぜひ、お楽しみください。
張り出した枝の上から、綱で市街地へと降下する。革の手袋をつけた右手をブレーキに、左手をガイドにして布製ベルトに繋がった金具を通した綱を操作し闇夜の宙を滑るように――。
町は妙に静まり返っていた。怪物が跋扈しているはずだというのに悲鳴一つ聞こえない……最悪の事態が脳裏に浮かぶ。
住人のすべてが植精土壌と化しているのではないか?
戦争では、漠然と混沌が状態である――その言葉が甦った。
しかし、逃げることが許されるはずもない。
弱者の戦い方には原則がある――「広域戦を止め、局地戦を重視せよ」「白兵戦の状況を作り出せ」。
そして、擒賊擒王――主力を撃滅し、首領をひっ捕えさえすれば全軍を壊滅させることができる、この言葉が頼りだ。
――足の裏が、四階建ての家屋の切妻造りの屋根を捉えた。周囲には不揃いに上層階が通りに突き出した住居が並んでいる。軒先から覗く小路は二メトールほだ。
中流以下の者が住む区画だ。近年、戦争特需で人間との長賢の交流が増え、結果として彼らの種族にも貧富の差がもたらされた。
皮肉としか言いようがない――が、今のジョシュアにはそれを云々と論じる余裕は無論ない。
上から降りてきたアリスを抱きとめる。
彼女が恥ずかしがって身を固くするのが分かった――途端、ジョシュアも相手が異性であることを意識させられ頬が熱くなるのを感じた。
一瞬、動きが止まる。
「は、早く下ろして下さい!」
「ご、ごめん……」
ジョシュアは慌てて彼女を下に下ろす。
――そして、オースティン、ティモシーも降下を終えた。
二人の微妙な空気を察してティモシーは怪訝な顔をしたが、その表情が瞬時に険しいものに変化する。
孤影が屋根に突き出た屋根裏の採光窓から飛び出す。その勢いのまま、屋根を蹴って跳躍。一直線にジョシュアに襲いかかる。甘い!
早――彼は鉄球を指で弾いていた。鎚鉾の一撃に匹敵する衝撃が、犬が植精土壌と化したもの――植精壌狗の頭部で炸裂。
原型が分からなくなるほど頭蓋を破壊された敵は、脱力したせいで軌道が逸れ、誰も立っていない箇所に落ちる。そのまま屋根を転がり、軒先へと消えた――一拍遅れて、湿った物が潰れる嫌な音が聞こえてくる。
鳴き声を上げなくてよかった――仲間でも呼ばれれば厄介だった、とジョシュアは胸を撫で下ろしかけて固まる。
「……あれ、は?」
ティモシーの呟きが聞こえた。
広い通りの角を曲がって小路へと巨大な人型が姿を現したのだ。
フォルムとしては、植精土壌に似ている。だが、その皮膚の表面は完全に樹木のそれと化し、背丈も四階建ての民家に肩を並べる様は、果たして“あれ”が植精土壌と同じものかどうか確信が持てない。
あの巨躯は、さしずめ植精巨壌といったところか……。
――葡萄を思わせる色をした眼球がこちらを向いた。一度、その場に足を止める。何かを考え込むような間の後、歩みを再開した。勿論、こちらへと近づいてくる。
「他にも“あれ”がいる可能性があるな」
「手早く始末しよう」
ティモシーとジョシュアはどう対応するかを即決。
幸いというべきか、植精巨壌の動きは決して速くはない。ジョシュアは手始めに指弾を放った――植精巨壌の眼球が破壊された。だが、敵はわずかに顔を傾がせただけで歩みを止めすらしない。
「ジョシュア、足止めを頼む」
「了解」
ジョシュアは即座に氷牙貫通を発動させる。
直後、強烈な痺れと痛みが全身に走った。奥歯を強く噛んでそれに耐えながら、彼は理解する――これは副作用だ。
怪物軀宿者研究の歴史はまだ浅い。故に、被験者にどんな副作用が現われたとしてもおかしくはない――それが、二種類の怪物の器官を宿しているとなれば尚更だ。だが、それを今嘆いても何も始まらない。
この戦いが終わるまでもてばいいッ――。
――植精巨壌の足の甲を人の足ほどの太さの錐が電撃的迅さで貫いた。
刹那、ティモシーは跳んだ。迅雷の速度で宙を移動、刃圏内に敵を捉えるや抜きつけの一撃を送る。
樵の斧を受けたように、植精巨壌の頭が身体と別離した――ティモシーはそんな敵の鎖骨の辺りに着地。
しかし、彼の眼前で陶芸家の巧みな手捌きを受けた土の如く、植精巨壌の首元に木製の肉が盛り上がり、先の姿を取り戻そうと再生していく……。
あの巨体で再生能力を持つのか――ジョシュアは戦慄を覚えた。
しかし、ティモシーの行動は冷静だった。植精巨壌の身体の上を危なげなく移動、傷口を覗き込むや電光の速度で剣尖を突き入れた。
次の瞬間、植精巨壌の巨体が大きく一度震えた。次いで、全身が急激に“枯れて”いく――そんな敵の身体を一蹴り、ティモシーがジョシュアたちの元へと戻った。
「奴の傷口から一瞬、人の頭らしき物が見えたんだ――まさか、と思ったらやはりだ。弱点だった」
「つまり、植精土壌を巨大なもう一つの木製の身体が覆っている、そういう状態だということですね」
ティモシーの言葉に、アリスが敵の正体を看破する。
「――とにかく、ここを移動しよう。屋根の上は目立つ」
「そうだな」
ジョシュアの台詞にティモシーが頷いた。
……が、そんな彼らを囲うように影が落ちる。
弾かれたようにジョシュアは顔を上げた――飛翔する巨影を発見し、表情を歪める。
皮膜を持った翼、暗黒大陸に棲む鰐と酷似した口に鋭い牙、鷲の前脚と、獅子の後ろ足、鏃のように尖った尾の先端はそれだけで片刃半剣ほどの全長を持っていた――有翼王竜だ。
竜がジョシュアたちの元を目指しているのはその軌道から明白だ。そして、その背には二つの人影――蒼白の顔の双子の姿がある。
――竜が旋風を巻いて急降下。だが、予想していた轟音はなく、強風がジョシュアたちを叩く。有翼王竜は慣性を翼でもって瞬時に殺し、ジョシュアたちの陣取る屋根と隣り合う建物の上に降り立った。
縦に裂けた瞳孔が、威圧するようにこちらを睥睨する。数ある竜の中でも王と称されるその風格の前に跪きたくなった。
しかし、真に驚くべきは例の、襲撃をかけてきた双子が生きて動いていることだ。
前回の戦いで無理をしたために命を落としたはず――。何故……?
「常罪術者の力で、植精土壌となって甦ったのさ」
「ほんと、ギリギリだったけどね」
彼らが悪戯っぽい表情で告げた途端、月を隠していた雲に切れ目が生じる――双子の身体のあちこちに“瘤”が生じているのが月光のもと、晒された。
酷い……――ジョシュアは胸の内で呻く。
「これで、さ――」
「おじさんと条件は同じだよ」
二人は口角を大きく吊り上げながらも、前回の敗北、己の死因を脳裏に浮かべたのか双眸に怒りを燃え上がらせる。
「「今度は負けないよ――そうじゃないと、叱られちゃう。僕たちの存在価値が無くなっちゃうんだよ」」
双子が声を揃える……幼い子供たちの“価値”が戦いに勝つことなど悲しいことこの上ないが、これが“現実”だ。
――双子に遅れること一〇数秒、二つの影が屋上伝いに移動してきて、有翼王竜の背後に展開した。
双子の仲間たちだ――ただし、前回の戦いで命を落とした者がいるため、その数を二人へと減じている。竜の鱗をまとう髭面の男、バンダースナッチの前脚を持つ病的な双眸の怪物軀宿者。
「さあ、役者はそろった」
「下らなくて素晴らしい、殺し合いという喜劇を始めよう」
双子の言葉を合図に、有翼王竜が尾を唸らせる――同時にジョシュアたちもその場から退いた。
刹那、屋根を竜の尾が“裂く”。割るのではなく、屋根を綺麗に切断してみせた。
切れ目から屋内の様子が覗く――そこには、植精土壌となった長賢の姿があった。住人はやはり、敵の犠牲となっていたのだ。
だが、それを哀れんでいる暇はない。
殺気が首筋を刺す――氷盾屹立。勘を頼りに氷壁を出現させる。
直後、銀弧が走り、高質な音が響いた。氷の半ばまでが小刀で斬られる。次の瞬間、氷で歪んだ景色の向こうから、“棒”が突き出される。
姿を見せずに斬りかかった片割れに呼応し、もう一人の双子が攻撃を繰り出したのだ。
破砕音――棒は勢いを衰えずにジョシュアを打つ。
「ぐっ」
息を詰まらせるが、体を開くことで直撃による致命打は避けた。
「植精土壌の再生力を頼りに、筋肉が断裂するのにも構わず攻撃したんだけど、さすがだね」
楽しげに笑いながら、もう一方の棒を電撃的迅さで繰り出す。
銀光一閃――ティモシーの刀による斬撃が双子の一人の手首を斬り飛ばした。
……が、驚愕の光景が広がる。手首と手のひらの傷口の両方から根のようなものが無数に吹き出し、絡まりあったかと思うと、双方を引き寄せくっつけたのだ。
手首を斬り飛ばされた当人が笑う。元通りになった手を棒ごと振って。
「――化物め!」
ティモシーの一閃を、透明になっていた双子の片割れが小刀を斜めにして受け流したのが、火花と刀身の輝きから分かった。
刹那、バンダースナッチの前脚を持つ男が、片刃半剣を超高速で振動させながら斜めに斬り落とす――これでは、以前にティモシーが使った技は通用しない。
回避、ティモシーは逃げるしかなかった。
ジョシュアは牽制の指弾を発射――迅影がそこに割り込む。
「――ォオ!」
髭面の方の男だ。こちらの動きを“読んで”、鉄球を弾くのではなく逸らす。
――高速で有翼王竜の尾が降った。ジョシュアたち、敵、双方共に後方に退避する。
そこに生まれた間隙に竜が立った――大きく口を開けた。喉の奥で業火が燃える。
「竜之吐息だ!」
警告を発するや、ジョシュアは立て続けに氷盾屹立を発動。
林立する氷壁の盾。仲間への信頼が彼の心を強くし、以前よりも怪物の力を高度に引き出せるようになっていた。
――オースティンは何をしてるんだ! ジョシュアは胸の内で叫ぶ。
彼の水の壁があれば、攻撃を防ぎ切る可能性は格段に高まる。しかし、背後を振り返って彼を確認する余裕はなかった。
洪水を思わせる奔流が生まれる――ただし、それは深紅の炎でできていた。
無数に出現した氷壁に衝突する。そう、時間を置かずに一つ、二つ、三つと盾は消えた――そして、最後の物が溶け去る瞬間、強風が吹き荒れた。
有翼の人影が、ジョシュアの斜め前方に上空から降りてくる。アリスが召喚したフォカロルだ。
戦闘が超高速で繰り広げられた上に、彼女が選んだ魔神は細かい攻撃が苦手なため戦いに割り込めなかった――が、ここに来て、その能力は大いに役立ったのだ。
「アリス、強風で時間を稼いでくれ!」
叫ぶや、ジョシュアは試験管を取り出す――そこに収まっているのは彼女の血だ。
それを、右手に“飲ませた”。
その間、アリスの召喚した魔神が暴風でもって敵の行動を阻む。しかし、“人間によって召喚されている”という枷により、その魔力は無尽蔵ではない――当然、限界は訪れる。
(甘美ッ、甘美ッ、甘美ッ――!)
吸血擬手が感動に震える。だが、そんな“手”をよそにジョシュアは冷静に状況を分析していた。
勝てない――焦燥が身の内を焦がす。
アリスの、長賢族の血が半分流れる血液をもってしても、有翼王竜、それに合計四人の怪物軀宿者を斃せるとは思えないのだ。
可能性があるとすれば……――ベルトに吊っている小袋の中に入れた一本の試験管を意識する。これには、前回双子が“生み出した”飛翔亜竜の血を閉じ込めてある。
「ジョシュア、大丈夫ですッ。自分を信じてください!」
躊躇う彼の耳朶を、アリスの叫びが強く打った。
――事前に仲間には飛翔亜竜の血を携帯していること、その摂取の危険性を伝えていた。その上での言葉だ。
仲間の言葉を信じたい――ジョシュアは、彼女の言葉に背中を押され試験管の栓を抜いた。一連の出来事は時間の上では一瞬裡のものだ。
……吸血擬手が涎を垂らしながら飛翔亜竜の血を飲む。刹那、右手を中心に身の内が松明と化したように燃え上がった、そう錯覚させられる。
しかし――暴走は起きない。
アリスの魔神召喚の呪文が聞こえたかと思ったら、ジョシュアの腰の高さに彼を囲うように五芒星が現われた。
デカラビラ、魔術によって呼び出される魔術という風変わりな魔神だ。その能力は、魔力を吸収することによる敵の術者の行動の妨害。
攻撃力を持たない普段なら役立たずの存在だが、このときは違った――デカラビアが吸血擬手が得た過剰な魔力を吸収する。これにより、暴走を防ぐことができた。
なるほど、これなら――ジョシュアは納得しながら前方に視線を走らせる。
――吹き荒れる風の中を有翼王竜がゆっくりと、だが着実に一歩ずつこちらへと近づいていた。その二本の脚にはそれぞれバンダースナッチ、竜奪皮膚の怪物軀宿者がしがみついていた。
「アリス、暴風を解除してくれ!」
ジョシュアは叫ぶ――間髪いれず、アリスの声が飛び魔神は魔術の発動を停止した。
強風を足を踏ん張ることで対抗していた竜がたたらを踏む――巨狼狩猟。刹那にして現われた巨狼が喉首へと飛び掛った。
が、飛翔亜竜の時のようにはいかない。
早――有翼王竜の鋭い尾が狼の頭蓋を割ろうと空気を裂き迫っていた。
同時に、かすかに巨狼は頭部を動かした。耳障りな音が鳴る――敵の尾を、獣の牙が受け止めたのだ。何本かの歯が折れ、口もとからこぼれる。
尾の勢いで屋根へと衝突させられた。しかし、その四肢はしっかりと足場を捉えている。
即座に地を這うような疾駆。
攻撃を繰り出して隙の生じた竜の喉元に迫――ろうとしたところで、紫電一閃。超高速の振動を加えられた刃が、屋根を紙細工のように裂く。
すんでのところで巨狼は攻撃を躱していた――そこに、竜奪皮膚の男が拳を見舞う。
破砕音。砕けたのは厚い氷だ。ジョシュアが氷盾屹立によって障壁を割り込ませた。
次いで、氷牙貫通。バンダースナッチの男を狙う。
回避――が、敵が逃れた先には分身の術によって三人に増えたティモシーの姿があった。三つの銀弧が闇に生まれる。
今度は躱すことは不可能だった。
一つの斬撃を辛くも逃れるも、二本の刀が喉首、太腿の太い血の管と急所を裂く。
――竜奪皮膚の男が隙の生じたティモシーの“一人”を狙う。
氷牙貫通。ジョシュアの放った氷の錐が彼の膝を直撃する――体勢を崩し、男はその場に片膝をついた。
有翼王竜は、巨狼との攻防でそこには参加できない。使い魔は巧みなフットワークによって敵を翻弄している。
「調子に乗るな!」
「ヴォルフガングをイジメるな!」
ティモシーに双子が白兵戦を再び仕掛けた。
三位一体、文字通り息の揃った動きで、不可視の子供の気配を頼りに二者で対応、残りの相手も手の空いた“彼”が応じた。
――小刀を押さえ、棒の攻撃を受け流す。
確かに有翼王竜は脅威だ。だが、双子を支援していた従士や戦闘員たちは、一面では竜以上に厄介な存在だった。それが消えたことで、ジョシュアたちにとって戦いは有利に運んでいる。
「キメリエス、味方を援護して!」
有翼の魔神を異界へと送り返し、アリスは代わりに騎士の魔神を召喚した。蛮族風の騎士が、漆黒の馬に跨って屋根の上を疾走する――。
まさに乱戦だ。敵味方が入り乱れ、攻守が目まぐるしく交代した。
だが、戦力は拮抗している――となれば、敵地にいるジョシュアたちが圧倒的に不利だ。植精巨壌が無数にいない保証はない。
となれば、鍵となるのはジョシュアだ。
本来は白兵戦よりも中距離での戦闘を得意としている――しかし、そんなことは言ってられない。
これは賭けだ――声に出さずに呟きながらも、ジョシュアは滑るように屋根の上を移動した。乱戦の最中に身を躍らせた。
拮抗を崩す――彼は小剣を“投じた”。投げ槍の要領だ。
飛電と化した剣は有翼王竜の口内へと見事、侵入する。
「――ッ!」
舌と傷つけられた竜が我を失ってジョシュアを狙った。その動作を体幹部の動きから彼は事前に察知する。
回避――それでもわずかに間に合わない。
疾風と化した竜の尾がジョシュアの左腕を肩口から切断する。生じた傷から、激痛が火花となって神経を灼く。
……が、彼は口もとにかすかに笑みを浮かべていた。
彼の視界を電光の速度で巨狼が跳躍――ついに、有翼王竜が捉えた。飛翔亜竜の活力を与えられた獣の牙は、竜の鱗を砕いて肉、そして血の管までも裂く。
――悲鳴じみた声を漏らしながら、有翼王竜が身を捩り、前脚で巨狼を裂く。
しかし、獣の喉へと流れ込む竜自身の血が、癒しの力となって生じる先から傷口を塞いでいた。
……そして、ついに有翼王竜が力尽きた。音を立てて竜が倒れ込む――その衝撃に耐えかねて建物の一部が崩落する。
勝敗は半ば決した――そこで異変が生じる。
「まだ――まだだ!」
「もう一度、有翼王竜を生んで!」
双子が手を握り合おうとする――それを、竜奪皮膚の男が間に割り込んで止める。
「お止め下さいッ。再び死ねば、もはや生き返る術はございませぬ!」
「嫌だ!」「負けるのは嫌だ!」
抵抗する双子――彼らを、竜奪皮膚の男は強引に抱え上げた。
「お前たちを死なせることこそ、俺は嫌だ!」
子供たちの声を、彼の叫びが遮る。
「子供が戦争の道具にされるのを黙って見ているのはもうたくさんだ。一度ならず、二度までも目の前で死なせはしない!」
竜奪皮膚の男は、ジョシュアたちを強い意思の光の宿った瞳で一瞥するや、こちらに背を向けて走り出した。
ティモシーが「どうする?」と目顔で尋ねてくる。
止めておこう、ジョシュアは小さく首を横に振った。振り上げた拳を収めてこそ、悲しい争いに終止符を打つことができるはずだ。
刹那、背後で気配が動く。肩越しに確認すると、アリスが蒼白は顔で座り込んでいた。
そうか、二柱の魔神を同時に操っているから――ジョシュアはすぐにその理由に思い当たる。以前は一柱しか従えていなかったものを増やしたのだから、当然の帰結としてその負担は増大しているはずだ。
「……――」
それでも、何とか彼女は呪文を唱えキメリエスを異界に返す。
――彼女に駆け寄ろうとしたところで、今度はジョシュアが体勢を崩した。自身を犠牲にすることで竜の隙を作ったツケだ。
吸血擬手、戻れ――。
胸の内でそう命じた。
不承不承、そんな気配を返しながらも巨狼が彼の元に戻ってくる。そして、再びジョシュアと一体化した。
刹那、彼を襲っていた眩暈、虚脱感、寒気が消失する。
切断された傷口も再生を始めた――そこに、ジョシュアは斬り飛ばされた腕を拾いあげて押し付ける。すると神経が繋がり、指先の感触が戻ってくる。
そう間を置かずして、傷口は完全に癒着、皮膚も綺麗に再生した。
賭けに勝った――もし、有翼王竜に一撃で殺されていればさすがの吸血擬手の能力をもってしても手の施しようがない。
しかし、息をしていれば、竜の血を飲んだ状態なら回復も可能だ。
――今度こそ、ジョシュアはアリスの元に駆け寄った。
「……心配させないで下さい」
目を潤ませて彼女は訴える。
「――君こそ、無茶な真似を。二柱の魔神を操ったのは今回が初めてなんだろ?」
ジョシュアは一瞬言葉に詰まりながらも、彼女に手を貸した。
「無理をしないで、どうにかなる状況でしたか?」
「君を死なせてしまったら、今度こそ僕は耐えられない。もう、魔神の同時召喚はしなくていいから」
「――分かりました」
ジョシュアの告げた言葉に、少し目を伏せてアリスは頷く。
「ジョシュア、戦いの間からおかしいと思っていたが、オースティンの姿がないぞ」
そこにティモシーのやや焦った声が飛んできた。
「――確かに」
視線をぐるりと一周させ、ジョシュアは顎を引く。周囲には彼ら以外に人影はなかった。
――いや、“巨大な”人影なら街中の影越しに蠢くのが視界に入る。先ほどの“騒ぎ”により、植精巨壌がこちらに集まりつつある。
それだけでなく、街路に目を移すとそこには植精土壌が群れをなして押し寄せてくる様が飛び込んできた。
「どうする?」
「……」
ティモシーの問いかけに沈思黙考する。
オースティンが土壇場で逃げたとは考えたくない――となると、屋根の上から落ちるなどして負傷して動けなくなっている可能性が一番考えられる。
が、彼を探していればこちらまで敵に囲まれる――それだけでなく、スザンナを救う機会も失うことになるのだ。
「先を急ごう」
ジョシュアは自分の発する言葉の重さに息が詰まりそうだった――。
彼が無事であることを祈るしかない……。




