世界を信じる
別のペンネーム、別の作品で、某ライトノベル新人賞最終選考で落選したことがあります。
ぜひ、お楽しみください。
第四章 蝶の羽ばたき
1
スザンナの逃亡後、ジョシュアたちは到着した町で宿を取った。そして、一人にして欲しい、とジョシュアは別の部屋に宿泊した。
……寝台に沈み込みそうなほどに身体が重い。一方で虚脱感に襲われ、血も骨も肉も臓器も抜き取られたように身の内が空っぽになった気がする、気がしている、気がしていた。
「どうしてなんだ、スザンナ……?」
何故、自分を裏切ったのか? そもそも、騙すつもりで近づいたのか? なにゆえに、他国に協力するのか?
疑問は挙げ出したらキリがない。
だが、そういったことよりも心を押し潰すのが罪悪感だ。
自分は、気づいてやれなかった。彼女が苦しんでいたという事実に。――ジョシュアは確かに見たのだ、地母樹木から身を投げたスザンナの表情は泣き出す寸前のように歪んでいた。
それに、裏切ることに対して罪悪感を抱いていないのなら、看破されたときに開き直ってこちらに罵声を浴びせるなどの行動も取れたはずだ。だというのに、彼女がしたことといえば無言で悲しみと諦念が入り混じったような眼差しを向けること。
しかし、そんな彼女への憤りもわずかではあるがジョシュアの心には在る。
どうして、何も打ち明けてくれなかったのか? そんなにも自分は信用ならなかったのか? あるいは、頼りにならないと?
湧き出す感情が胃を圧迫する――それから逃れたくて、ティモシーたちの目を盗んで一階の食堂で手に入れてきた蒸留酒の瓶を口に運んだ。
喉、食道、胃に向かって焼ける感覚が移動する。それでかすかに、小指の先ほど苦しさが紛れた。
だが、自己嫌悪、裏切られた悲しさ、溢れてくる諸々の感情の前では、コップで大穴の空いた船の沈没を防ごうとするようなものだ――それに少しでも抗おうとすると、酒を短い間隔で口に含むことになる。
近隣の国でも有数の酒精の濃度を誇る蒸留酒は、焼け焦げた料理をひたすら平らげるように苦かった。
眠りが訪れることはなく、ただただ時間だけが過ぎていく――。
✝
鎧戸から朝陽の細片が鋭く差し込む頃、鈍い痛みを覚えながらもジョシュアは眠りに落ちた。
だが、それから二時間も経たずに眠りは破られることになる。ティモシーとオースティン、アリスが部屋に踏み込んできたのだ。
ジョシュアの寝ぼけ眼と、寝台に転がる酒瓶を認めたティモシーの軽蔑の視線がぶつかる。彼にそんな目を向けられたのは初めてだった。
かつての親友に裏切られ、現在の仲間との関係も険悪なものに変わろうとしている……どうして、こんな風に物事は次から次に悪化するのだろう?
何か悪いことをしたろうか?
いや、これが母と妹を手にかけたことに対する迂遠な罰だというなら甘んじて受けよう。
だから、これが償いなのだという確証を誰か与えて欲しい。懲罰でもないというのに、スザンナに“売られ”たというのはいくらなんでも酷すぎる。
母と妹を殺した自分は苦痛を厭っていい立場だとは思っていないが、感情はやはり動いてしまうのだ。
「――聞いてるのか!」
ハッとティモシーの怒声で我に返った。彼の眦は先ほどよりもさらに吊り上っている。
「一晩時間やれば心の整理をつけるだろうと待ってみれば、この体たらくは何だ!? 酒に溺れて逃げただけかッ?」
耐え切れなくなったのか、彼はこちらの襟元を乱暴に掴んだ。
「スザンナ《あいつ》を捕まえることに成功していれば、常罪術者の目的が分かったかもしれないんだぞッ。もし、俺たちが情報を手に入れることができなかったことで新たな犠牲者が生まれたらどうする!」
ティモシーの言葉の一つ一つが胸の内に、槍の穂先よりも鋭く突き刺さる。弁解の余地などない。
それでも……それでも、スザンナをあいつと称し、捕まえると表現したことへの反発は抑え切れなかった。
「お前は――」
言葉が口からこぼれでる。その声には粘性があって、発しているジョシュア自身さえ不快だった。
「何だ?」
「真夜中に抜け出してどこかへ行く、帝国に縁のある商人の商館を訪れる、そんな怪しい行動を取っていた癖に、よくも正義を語れるな!」
一度喋りだすと止まらなかった。そんなことは口にすべきではないと思っていても、感情が理性を撥ね退ける。
「――ッ!」
ティモシーが空いている方の拳を固めた。
――ジョシュアは避ける素振りを見せない。相手を睨みながらも、心の中で悪いと思っているのだから。
転瞬、二人の間にオースティンが割り込んだ。
「まあまあまあ、とにかく落ちつこう。仲間割れをしても何も状況は好転しないさ」
人のいい顔で言いながら、両者を無理やり引き離す。
ティモシーはそれで機を逸して、一度睨むや踵を返して部屋を出て行った。去り際に、苛立たしげに葉巻に火をつけるのが見える。
荒々しい足音が、言葉よりも強くジョシュアを苛む。
「ティモシーの言い方もあれだがな――お前の台詞も考え物だぞ」
「……分かってる」
「そうか、だったらいい」
オースティンは、やり取りから取り残されて戸惑いを表情に滲ませたアリスを連れて出て行った。
――完全に足音が聞こえなくなってから、苛立ち紛れにジョシュアは寝台の縁を殴りつける。痛覚を遮断していなかったから、その痛みは鋭く骨まで響いた。




