世界を信じる
別のペンネーム、別の作品で某ライトノベル新人賞最終選考で落選したことがあります
ぜひ、お楽しみください。
4
――その会話は闇夜の中で交わされた。
「なるほど、動く物を察知する結界を形成した上で、野営していると?」
「道理で、一見無防備に眠っているように見えたはずだ。それで、解除する方法は?」
「……」
「水と風の精霊素をそういう風に組み合わせている、と」
「そうなると、一帯の水か地の精霊素をすべて、一時的でいいから支配下に置き、魔法陣を破れば奇襲は可能だね」
「……」
「できるなら、ジョシュアを殺さないで欲しい? あなたは何を言ってるの? これは前哨戦とはいえ立派な戦争だよ?」
「なのに、情報を漏らすかもしれない人間を生かしておくなんて正気の沙汰とは思えないよ」
「……」
「あなたの事情なんて知らないよ」
「事情なんて、誰にだってあるんだ。人間は自分を中心に考えるから、ついついそれを忘れるけどね」
†
――深い眠りに就いていたところを、首筋の毛穴に突き刺さる殺気を感じてジョシュアは目を覚ます。
「起きろ、オースティン、アリス」
その瞬間には、ティモシーの警告の低い声が発されていた。
場所は地母樹木の太い幹の上が街道となっている地点だ――彼らはそこを野営地として眠っていた。敵が近づけば動体感知結界が耳障りな音を立てるはずだったが、既に殺気はその内側――十メトール以内に踏み入っている。
襲撃者、人影の数は十一。見覚えのある子供の兵装姿に瞬時に相手が何者なのかが分かった。宿屋で奇襲をかけてきた連中だ。
敵の一人が迅影となって迫る。黒髪黒目の病的な双眸の男だ。宿でアリスとスザンナの部屋を襲った連中だろう――あの後で、二人から聞いていた特徴と一致する。
即応、ティモシーが刀の抜き打ちの一撃を見舞った。
「バンダースナッチの武者震い」
剣光一閃、片刃半剣が鋭く空気を裂く。
ティモシーの、鞘から得物を瞬時に抜き放ち斬撃を放つ技術はヴェストリの地域ではまず見られないものだ――それを驚きもせずに冷静に対処してみせる技術は驚異的だ。
だが、それよりもさらに驚愕する光景が繰り広げられた。
割――ティモシーの刀が切断された。弾かれるのでもなく、砕かれるのでもなく、物打から少し根元に近い部分で斬られた。ティモシーの鉄さえも“斬る”一撃がよりによって……。
――原因は明らかだ。敵の手は人の物ではなかった。
鱗に覆われながらも所々に産毛が生えた気色の悪い代物だ。恐らくバンダースナッチのものなのだろう――秘境のスナーク島に棲むとされる怪物で、伸びる首と、業物の刀剣すらも引き裂く超振動をまとう鉤爪を持つことで知られている。
「バンダースナッチの前脚で握った刃物はどんな物さえも裂く」
陰鬱な口調で言って、男は上段から再び一閃。
対するティモシーも側に置いていた片刃半剣を鞘から抜き放ち、立ち上がり様の一撃を送る。
バカなことを――敵の口もとに嘲笑が浮かんだ。
刹那、互いの剣身が衝突する。
男は気づかなかった。ティモシーの放った一撃がわずか、ほんのわずかだけ遅かったことに。
結果、ティモシーの剣身が相手の得物に乗る形で動いた――結末は、彼の剣尖が敵の革鎧に食い込むというものだ。
……今度こそ、男は驚愕に目を見開くことになる。不安定な足取りで後退する。
それを追うことはティモシーにもジョシュアにも、他の誰にもできなかった。
「「急急如律令」」
例の子供たちが、彼ら独自の召喚術を行使する。
途端、音もなく巨大な影が空中に出現した――拳大の爬虫類の眼球、短刀を思わせる爪牙、一つ一つが強固な盾に似た鱗、そして皮膜を備えた翼。……飛翔亜竜だ。巨大な質量を備えながらも、生物の常識を無視して翼で力強く羽ばたいて滞空する。
その強力さ、凶悪さ以上に、ジョシュアにとっては悪夢の相手だ。
――我に返ると、竜に比べると小さな、だが人間としては屈強な髭面の男が颶風と化して距離を詰めてきていた。
既に敵は刃圏内だ。ジョシュアは速度を重視――そうしなければこの相手には間に合わない――小剣を素早く抜いて迎え打つ。ジョシュアは袈裟に相手を斬りつけた。
当然、相手は刃を合わせるか躱す――と思ったら、何と手甲にも包まれていない右手を掲げた。しかし、その表面は鈍色で、かすかに凹凸を帯びていた。
――衝突、硬質な感触と共に斬撃は受け流される。
「なっ……」
「竜奪皮膚は尋常の刃など受け付けぬわ」
髭面の男は言い様にもう一方の拳を鋭く突き出す。
――間一髪、吸血擬手を差し込むことでダメージを軽減した。が、衝撃を殺しきれずに背後へと軽く吹っ飛ばされる。
相手が間違いなく怪物軀宿者であることを確信する。
人間とは思えないほどに固い拳は、爬虫類の鱗に覆われていた。
それに、意思を保っている怪物軀宿者は自分が普通の人間と違うという疎外感を埋めるためか、己の力をひけらかす傾向がある。先のバンダースナッチの前脚を持つ男もそうだった。
――側面から圧倒的な気配が迫るのを感じた。
ジョシュアが視線だけ動かし確認すると、飛翔亜竜が翼で大気を叩いて首を伸ばして突進してきている。
こちらはまだ体勢を立て直していないから避けようがなかった。
「キメリエス、彼を助けなさい!」
アリスの叫びが聞こえる――電光石火、漆黒の馬に騎乗した片手に盾、片手に槍を構えた長身巨躯の男が竜に突撃する。獣の皮をまとっただけの蛮族風の魔神騎士の槍で殴りつける一撃は、何と飛翔亜竜の巨躯を斜めへと逸らした。
――軌道上にいた竜奪皮膚の男が舌打ち顔をして大きく跳躍して後退する。
しかし、魔神キメリエスもまた攻撃は中断させられる――十五メトールほど離れた位置に携帯用の小さな折りたたみ式の弓、旅弓を構えた戦闘員の姿があり、一斉に矢を放ったのだ。
紫電一閃、キメリエスは槍と盾を巧みに使い、すべてを防ぎ切る。
咆哮――そこで飛翔亜竜が動いた。怒りをぶつけるように魔神に喰らいつく。
魔神は電光の速度で槍を動かした。上下から迫る牙を、得物を差し込むことで強制停止。……しかし、力比べでは竜に一日の長がありそうだ。徐々に徐々に石突きが滑り、支えとなっている槍が斜めに傾いでいく。
無論、それを黙って見ているジョシュアたちではない。
オースティンが、無防備になっている魔神の側面に水の壁を形成、同時にティモシーが分身して矢を放つ戦闘員の方へと疾走する。それにスザンナも並ぶ。
並行してジョシュアも指弾を放った――飛電と化して鉄球が飛翔亜竜の眼球へと突き刺さった。彼の怪物に対する必勝パターンだ。
悲鳴じみた鳴き声を漏らす竜……。
よし、これなら――ジョシュアは戦いの推移に対し希望を抱いた。かつてのように、力を暴走させて大事な人間の命を奪うなどということはせずに済みそうだ……。
刹那、
「無茶はお止めください!」
という髭面の巨漢の悲鳴に続き、
「「急急如律令」」
という叫びが聞こえた。
騎士と竜の向こうに、もう一匹の飛翔亜竜が虚空から出現する。
……茫然となるジョシュア。
だが、異常はさらに続いた。苦悶の表情を浮かべ、子供たちが腹部を抱えるようにして身体を折ったかと思うと、そのまま倒れ伏したのだ。しかも、そのままぴくりとも動かない。
そんな彼らを、例の髭面の巨漢が恐る恐るという手つきで揺する。しかし、子供の怪物軀宿者たちはそれに反応することはなかった。
「お、ォォォオオオオ!」
巨漢は天を見上げ、神を強く呪うように雄叫びを上げる。
――それに触発されたよう生み出された飛翔亜竜がのそりと動き出した。一匹でも五分といったところだ……、そこにもう一匹が加われば完全に形勢は敗色へと傾く。
どうすれば……――ジョシュアは胸の内で呻いた。自分が持てる技、戦術すべてを駆使しても、勝利の可能性はゼロだ。
吸血擬手の力を解放すれば勝てるかもしれないが、ここには自分の命を投げ出して血を差し出してくれる従士はいない――。
そこまで考えところで、
「ジョシュア!」
というアリスの声が、半ば現実から乖離していた彼の意識を引き戻した。
「これを使って下さい!」
ジョシュアの眼前に、栓の抜かれた試験管が差し出された。そこには“何者か”の紅い血が満たされている。
「これは――?」
「私の血です――闇の妖精の血が半分混じった私の物を飲めば、あなたの力は飛躍的に伸びるはずです」
アリスが焦りを抑えた口調で応じた。
その間にも悠然ともう一匹の飛翔亜竜が近づき、魔神も竜と猛然と死闘を繰り広げ、ティモシーも戦闘員と白兵戦を演じている……。
「――無理だ」
「スザンナから“家族のこと”は聞きました」
弱々しくかぶりを振るジョシュアの声に、アリスの台詞が被さった。
「だったら……」
「その上で言っています。このままでは私たちは死にます。ですから、助けて下さい。“今度は”成し遂げて下さい」
分かるだろ、と彼は口を開いたがやはり彼女に機先を制される。
今度は――ジョシュアはその言葉を声に出さずに繰り返した。その響きは途方もなく重い。大伽藍の荘厳な鐘さえもかなわないほどに。
考える時間はない……。だが、このまま何もしなければ負ける――自分だけでなく、仲間までも殺されることが決定していた。もう、二度と近しい人間を失いたくない。
葛藤はある――しかし、結局のところ結論は決まっていた。それは弱さなのか、強さなのか。
ジョシュアは小刻みに指先を震わせながら、“アリスの血”が入った試験管を受け取る。そしてそれを吸血擬手へと近づけた。
高い魔力を持った者の血を歓迎し、吸血鬼の手は口を生じさせる――一滴すら逃すのはもったいないと、貪欲にアリスの血液を飲み干す。
――心臓が力強く脈動するような感覚が手のひらに生まれた。全身が熱くなり、汗が吹き出す。
意識が霞みがかかる……だというのに、その感触とは対照的に五感は研ぎ澄まされた。闇の中に浮いて、窓枠状に切り取られた景色を眺めているような状態に陥る。
(サァ、竜ヲ屠ロウッ。最強ノ座ニ胡座ヲ掻ク、傲慢ナ爬虫類ヲ、無惨ニ殺シテヤロウ!)
吸血擬手が歓喜の声を上げた。
刹那、視界が急激に動く。気づいた瞬間には、騎士の魔神を喰らおうとする飛翔亜竜の足もとに佇んでいた。
巨狼狩猟――。
吸血擬手は巨大な深紅の狼となって旋風を巻き宙を跳んだ。最早、ジョシュアが御している感覚はない。
巨狼の牙が竜の喉に深々と突き刺さった。当然、魔神キメリエスは解放される。
――魔神は魔槍を一閃。ジョシュアに潰された眼球、さらにその奥へと穂先を突きこんだ。鋭い槍は脳髄までも抉る。
「……ッ!?」
飛翔亜竜は悲鳴を上げようとしたが声すら出せず、身体を激しく痙攣させた。
悶死。突如として脱力し、転倒――地母樹木の枝の縁から落ちて奈落へと消える。その直前、巨狼は喉笛に喰らいつくのを止めて脇に退いていた。
もう一匹の竜が巨狼に襲いかかろうとする。
早――氷牙貫通、その足もとに氷の錐が出現していた。ちょうど、歩いている人間の足を引っかけるような感覚で、飛翔亜竜の後ろ足の踏み出した方が捕える。
吸血擬手が得た活力はジョシュアにも還元されていた。
さらに、右手の制御に集中せずに済むお陰で、氷魔擬手の能力をより精確に、より強力に行使できる。
氷牙貫通。体勢を立て直そうと踏ん張ろうとしたもう一方の脚を、氷の錐が痛打。貫く必要はなかった――飛翔亜竜は完全に体勢を崩し転倒、顎を強く足場である枝に打ちつけた。
――そこに二つの迅影が襲いかかる。
竜の頸部に巨狼の牙が、さらに悲鳴を漏らそうと開けた口腔、上顎に向かって魔神騎士の魔槍が電撃的迅さで突き出された。
人外の脅威の連撃を前に、飛翔亜竜は信じられないほど呆気なく絶命する……。
(サア、極上ノ血ヲ頂クト、シヨウ!)
吸血擬手の喜悦に満ちた思念が主であるジョシュアへと伝わってくる。
マズい、このままだと……――“あの悲劇”の再現になる、と彼は焦慮に駆られる。だが、四肢の感触は曖昧で、意識の手を凝らしても霧のように集中力は散じてしまうのだ。
このままじゃ、このままじゃ、このままじゃ――その言葉と、血塗れになって倒れた母と妹が倒れた光景が繰り返し脳裏に浮かぶ。
――巨狼と化した吸血擬手の口腔に竜の血が流れ込むのが伝わってくる。後は嚥下し、胃の腑に落とし込むだけでその力を増大させることができた。
刹那、
「ジョシュア、気を確かに持ってください!」
アリスの叱責と、その手のひらが飛んでくる。
――ジョシュアの頬に衝撃が走り、一気に意識は覚醒した。
「戻れ、吸血擬手!」
反射的に、彼は強く強く念じていた。
(嫌ダ、竜ノ血ヲ、美味ナル血ヲ飲ムンダ!)
吸血擬手は必死になって抵抗する――だが、意識を確かに持った主に逆らうことはできない。巨狼は四肢を踏ん張ったがついに抗し切れず、彼の元に戻ってきた。そして、手のひらとなって手首と結合する。
……安堵の思いが、胸の内の深いところから湧き上がってきた。
仲間を死なせずに済んだ。自分は。
そして何より、吸血擬手の暴走を食い止めることができた。
――が、前に感じた強烈な痺れが四肢に走っている。それも、以前に感じたより違和感は増しているようだ。
何なんだ、この異常は……? そうは思うものの、平気な風を装う。仲間に心配はかけたくなかった。
「敵を取り逃がした」
そう言って、ティモシーが戻ってきた。スザンナも一緒だ。
戦いは、仲間に被害を出さずに終わった。




