世界を信じる
別のペンネーム、別の作品で某ライトノベル新人賞最終選考で落選したことがあります。
†
「今度、失敗れば懲罰房行きだ」
連絡員の、何の特徴もない顔立ち、体型をした男が冷たい声で告げた。その衣装は、旅の吟遊詩人のものだ。
――ただし、佇む場所が常人でないことを告げていた。
地母樹木の街道から外れた、手掛かりがほとんどない場所にぽつりとある腕ほどの太さの枝の上だ。
その場所に居るのは彼だけではない――光と闇の双子、それに彼らの手勢の者たちも控えていた。
「そ、そんな――」「ちょっと、遊んだだけだよ」
双子は顔色を失って言葉を返す。
帝国屈指の特務兵である彼らが、無意識の内に身体を震わせていた。
恐ろしいのだ――独りになるのが。
光と闇は、お互いに励まし合い双方を支えることで戦場と化した町を生き延び、孤児院の地獄の日々も耐え抜いた。
その絆――いや、依存は強固なものだ。
だが、一方で引き離されたときの精神的なダメージは想像を絶するものがある。
近くに光が(闇が)いない……――そう思うだけで瞬時に恐慌状態に陥るのだ。泣き叫び、失禁し、何度も嘔吐を繰り返す。
兄と(弟と)引き離されるのは、どんな拷問よりも彼らを苦しめるのだ。
そこに、“殺人を成功させる”ことで生存を許されるというみずからの存在価値の消失が加わったらと思うと……――足もとさえおぼつかなくなる。
その様子を見て、連絡員の男は、自分の言葉が充分以上に効果を発揮したことを確認した。
これで、双子は命をかけて――いや、命を捨ててさえ任務を成功させようとするだろう。
†
光と闇の双子が連絡員を前にして震えている姿を前に、副隊長でありヴォルフガングは苦悩に抗うように唇を真一文字に引き結んでいた。
俺はこのままでいいのか?
疑問が重い荷となり、葛藤という負い紐を心に食い込ませ続けている。
彼が特務機関の人間となることになった端緒は、戦争で遠征している最中に故郷の町が戦場となり、家族を失ったことだった。
――初め、その光景を見たとき、そこが自分の生まれ育った土地だというのが信じられなかった。
遺跡か、もしくは随分と前に住民に見捨てられた廃墟を連想したのだ。視界に入る建物の大半はどこかしら損傷し、焦げた跡が残っている。
そして、人影はほとんど見当たらない。
それでも、何とか生き残った住人、近所に住んでいた職人の老人を見つけ出した。
「……あんたの家族は王国の兵に殺された。詳細は聞かん方がいい」
彼が重い口を開いて告げたのは、「どうにか生き延びていて欲しい」という淡い希望を打ち砕くものだった。
しかも、伝染病の流行を恐れて、遺体の大半は焼かれて集団で埋葬されてしまっていた。
少ない生存者の手では、多すぎる犠牲者のすべてを個別に埋葬することなど不可能だった。町の住人を責めるのは酷というものだ。
「あ……ああ、ぁ」
それでも、丁重に葬ることさえできなかった事実は、ヴォルフガングを強く苛む。遺体でもいいから、無惨な姿となっていてもいいから、せめて一目、妻と幼い我が子に会いたかった。
そうでもしないと、彼らの死を受け入れられない……――髪の毛を掻き毟り、職人の老人の前で座り込んだ。
――そんな彼の前に現れたのが、特務機関オグマの勧誘の人間だった。
「戦争はしばらく休止するが、王国に復讐する手段はある」
その誘い文句は、喪失感からくる怒りと悲しみで息を詰まらせていた彼にとっては、これれ以上にないほど甘美だった。
王国の鬼畜共に復讐してやる――その思いを胸に、特務機関に身を投じ怪物軀宿者となった。
……しかし、いざ部隊に配置された彼を待っていたのは、怪物軀宿者にされた子供が人殺しとして奔走させられているという現実だ。
部隊に加わって以来、ずっとヴォルフガングはそのことに疑問を覚えている。
我が子が戦争の犠牲となった父として、同じ年頃の子供が戦争の狗、道具として使われることを看過していていいのか?
だが、だからといってどうすればいいのかも分からない。
双子を連れて逃げれば、当然、特務機関は裏切り者を放ってはおかない――始末するために動くはずだ。
それに、自分が特務機関を出奔したら、妻や息子の仇は誰が取る?
――そういった理由を並べて、ヴォルフガングは目の前の現実から目を逸らし続けていた。鋭い胸の痛みを持病にしながら。
3
スヴァルを経ってから二日――ジョシュアたちは気になる情報を耳にした。
「樹が立ち枯れている?」
「それも神域の樹が?」
ジョシュアとティモシーは口々に疑問の声を並べた。旅の途上で立ち寄った神域もない小さな集落の宿屋の食堂でのことだ。
「ああ、何でも根元に人の形をした気味の悪い瘤ができる病気に基幹樹木が冒されているそうだ」
禿頭の中年の商人は酒を奢られて上機嫌になりつつも眉をひそめる。その酒は、ジョシュアたちが「この辺りを訪れるのは初めてだから話を聞かせて欲しい」と供した物だ。
「地母樹木が病気に冒されるなんて信じられない話だがねぇ」
信憑性を疑う彼の言葉に、ジョシュアも、確かに、と思う。
霊脈を流れる魔力を栄養とする地母樹木の生命力は竜すらも凌駕するものだ――それが病気?
とても、自然現象だとは思えない。
それに、“人の形をした気味の悪い瘤”という商人の言葉が引っかかった。
ジョシュアたちがスヴァルの町の神域で目の当たりにした光景、基幹樹木に抱きつく植精土壌という符号と一致していた。
ただ、分からないのは、そんなことをして常罪術者に何の利益があるのか、ということだ。
基幹樹木を枯らすと長賢を脅して金銭を要求する気か? そんな推測が思い浮かんだが、どうも違うように思えた。そもそも、それが目的なら既に要求が長賢に行っていてもおかしくない。
だが、そういった話は寡聞にして聞かなかった――。
†
……奇異なことは、基幹樹木の立ち枯れという離れた場所の出来事だけではない。ティモシーが不審な行動を取っていることに気づいたのだ。
一週間の旅路の過程、立ち寄る村々、町々で、彼は気づくと仲間の輪から外れ独立行動を取っていた。
例えば――。
情報を集めるために別行動を取ったときのことだ。
ジョシュアが偶然、担当した地域と隣の区域の境界にある宿屋で話を聞こうと街路に立ったところ、道を挟んで斜め向かい側の商館にティモシーが姿を消すのを目撃した。
しかも、そこは帝国の影響下にある商人が営む商館だったのだ。
それだけなら、偶然で片付けることもできる。
ティモシーも常罪術者を補佐する補助魔術師だ。間者に近い職務に就いているために、独自の情報網を持っていたとしても不思議はない。
綺麗事を言って務まる仕事でもないから、敵対関係にある国家の人間と接触することも時には必要だろう。
だが、不審な行動はそれだけではなかった。
例えば――。
真夜中のことだ。またも悪夢にうなされてジョシュアは目を覚ました。すると、そこには宿の部屋を抜け出すティモシーの姿があったのだ。
彼の身につけている東方流剣術は隠密行動、暗殺術に特化している。
ために、鋭敏な感覚を持つジョシュアでも、彼が本気になって気配を消して行動すれば気づくことはできない。
ティモシーが部屋を後にする光景を捉えることをできたのは運が良かった――かは分からないが、偶然でしかなかった。
そしてその日から毎日、寝たふりで監視を開始したが、たびたび仲間は部屋を抜け出している事実を確認できた。本来なら、あとを尾行たいところだが、ティモシーを相手に勘付かれずに済む自信はジョシュアにはなかったのだ。
――しかも、その行動は彼を完全に疑っていることと同義だ。
だから、そんな真似はしたくなかった。寝たふりをしているだけで、表情を歪めたくなる自己嫌悪を覚えていたのだから。
しかし、言葉にできない疑問は膨れ上がって胃の辺りを重くする……。
――旅の途上、そうした憂慮とは種類の違う心配事も生まれた。
昼間、地母樹木の樹上街道――大樹と大樹を繋ぐ橋と、幹に沿うように造られた踊り場状の道――を歩いていると、群れ飛ぶ蝶の姿が視界に入った。
天蓋の辺りにいれば緑に溶け込む、深緑色の羽根――ただし、その表面は磨き上げた宝石のように光を反射していた――が陽光に輝く。
「仇敵枯蝶か、綺麗なもんだな」
ティモシーがあの蝶を初めて目の当たりにしたらしく足を止めて目を細めた。それに合わせて皆も立ち止まる。
「知ってるかい? 地母樹木の樹液をエサにする代わりに、天敵である宿り木を枯らす特殊な鱗粉をまき散らす蝶だよ」
ジョシュアは以前に誰かから聞いたうろ覚えの知識を披露する。
「ほう、よく出来たもんだな」
「――その程度のことも知らなかったんですか? 無知ですね」
ティモシーが感心した顔つきをしたところに、絶妙のタイミングでアリスが毒舌を吐いた。
……彼の目もと、口もとが痙攣する。
まぁ、まぁ、とジョシュアは慌てて彼を宥めた。――他愛なやり取りだが、そんなものにさえ心理的に圧迫されている彼は安堵を覚える。こんなに幼稚な仲間がどこかの勢力が送り込んだ間者のはずがない、と。
そんな彼らの頭上を仇敵枯蝶が通過する――輝く鱗粉が、ダイヤモンド・ダストの如く美麗に舞った。
「わ、ぁ」という感嘆の声がアリスの口から漏れるのを、ジョシュアは聞き逃さなかった。
――ティモシーに対する毒のある言葉は、心が躍っているのを誤魔化すためのものだったのだろう。その子供っぽい強がりに、ジョシュアは愛おしさを覚えた。
って、何を考えてるんだ僕は……――。
彼は軽くかぶりを振った。首を動かした拍子に、斜め後ろに立つスザンナが身体を傾ける様が飛び込んできた。
ジョシュアはとっさに彼女を支えようと動く。
途端、その手はスザンナ自身によって払われた。
「触らないで!」
その場に片膝をつきながらも頑なな態度でこちらを拒否する。
そんな――ジョシュアは衝撃を覚えた。
害虫を嫌うような反応をされるとは思わなかったのだ。
だが、すぐに考え直す。
かつての両者ではない。自分と彼女は。
いい歳をした成人であり、二人の間には特殊教導院で別れてから地母樹木の町で再会するまでの時間が横たわっている。
以前と同じ関係性であると思う方が間違いなのだ。
「――ごめん」
「……わたしこそ、ごめん。皮膚をちょっと患っているから触られたくなかったの」
ジョシュアとスザンナの謝罪する言葉が連なる。
「そうか――そうなんだ」
噛みしめるようにジョシュアは頷いた。よかった、彼女に嫌悪された訳ではなかったのだ。
「それで、大丈夫なのかい?」
オースティンが二人の会話に割って入る。
あ、そうだ――ジョシュアは、手を払われた衝撃のせいで、スザンナが立ち眩みを起こしたという大事な事実を忘れていた。
……恥ずかしさで身体が熱くなる。
アリスを子供っぽいなどと言う資格は自分にはない。親しい異性に拒絶されただけで先に考えるべきことを失念するなど考えられない。
「だいじょう――」
大丈夫、と言いかけ立ち上がろうとしたところで、スザンナは再び膝をついた。
その有様は明らかに無事ではない。
心配になって再び彼女に手を差し出しかけ、ジョシュアは自制する――結果、腕が悶えるように痙攣した。
「休憩にしよう。旅路を急ぎ過ぎていることは確かだ」
ティモシーが何気ない口調でそう提案する。彼の視線は、アリスの方に向けられ彼女を「余計なことを言うなよ」と牽制していた。
だが、そんなことせずとも、アリスも無表情ながらも気づかわしげな目つきをしてスザンナを見ている。
ティモシーの心配は杞憂だ――植精壌蟲から長賢を助けて以降、彼女の心のありようは変わっているように思えた。
しかし、それを喜ぶ精神的な余裕は今のジョシュアにはない。
「飲んで」彼にできるのは、動くのが億劫そうなスザンナに革の水筒の蓋を開けて彼女の口もとに差し出すことだけだ。
ありがとう、彼女はほほ笑みながら水筒から水を飲む。
動く喉を見ながら、ジョシュアはこんなに彼女の頸は細かっただろうかと切なさを覚えた。
記憶の中、特殊教導院での彼女はいつも奔放で、身体の細さが意識にのぼることなどついぞなかったのだ。
「美味しかった」
革の臭いが移ってそんなことないだろうに、スザンナは水筒の口から唇を離すと笑顔を再度浮かべる。




