8 邂逅 ワイアット家の兄と妹 2
「アルシンダ様。わたくし、思い出しましたわ」
「何を?」
巧みなリードで、ホールを自在に移動しながら、アルシンダは、優しい微笑みを浮かべる。
「幼い頃のことを。兄と一緒に、領地のお城にお邪魔させていただきましたわね」
「思い出していただけましたか?」
「ええ。ですが、アルシンダ様とご一緒させていただいたのは、わたくしではなく兄だったはずですわ。」
エリゼルはそこで言葉を切ると、思い出を懐かしむような柔らかい表情で言葉をつづける。
「あの頃、兄とアルシンダ様はいつもお二人で剣のお稽古や、難しいお話をなさっていて、わたくしとお話しすることはあまりなかったはずですわ」
「それでも貴女はとても可愛らしくて、わたしは、いつもお会いできるのを楽しみにしていましたよ」
アルシンダは、自分より背の低い年上の少女を、優しく微笑みながら見つめる。すると、彼女もうっとりしたような表情で、アルシンダを見つめ返す。
「アルシンダ様は、女性を喜ばせるのがお上手ですのね。もし男性だったら、わたくし、恋に落ちてしまいそう。」
おや、なんだか百戦錬磨の恋愛上手みたいなことを、とアルシンダが思っていると、続けて意外なことを言い出した。
「でも、ダメですの」
「何がダメなんです?」
「思い出した、と言いましたでしょう?あの頃、一人だったわたくしの相手をしてくださったのは、ご一緒にいたハデイユ侯爵家のロベルト様でしたわ」
―――?一人というのは大げさでは?それに4人でいたことの方が多かったはずだが??でも、まあ、そう言えなくもないか?しかし、ロベルトの名前までよく憶えていたな・・・、と若干不思議に考えていると、目の前の少女は可愛らしく頬を染めながら、特大の火球を投げつけてきた。
「わたくし、幼い頃、ずっとあの方をお慕いしていましたの。初恋だったのですわ」
・・・・・・・なんだか、今、違うことを聞いた気がする・・・?
アルシンダがエリゼルの誘いに乗ったのは、自分の貴族令息としての振る舞いが、どのくらい通用するのか確かめたかったから、という些かろくでもない目的ともう一つ。この可憐な令嬢が巧みに隠している、仄暗い一面に興味があったからだ。それが思いがけず、ロベルトの恋愛話になるとは・・・。
危うくステップを踏み間違えそうになったのを、多少強引なターンでごまかし、優雅に微笑むと、落胆した素振りで話を続ける。
「それは、聞き捨てなりませんね。わたしは失恋決定ですか」
「アルシンダ様は、女性ですもの。失恋のお相手は、わたくしではありませんでしょう?それに、昔のお話と言いましたわ。ロベルト様はアルシンダ様ばかり見ていらっしゃいますし、わたくしのことなんかお忘れでしょう」
「なにか勘違いしておいでのようですね。ロベルトは、物好きにも従者などしていますが、わたしに特別な感情など持ってはいませんよ。エリゼル嬢は、わたしではなくロベルトをダンスに誘うべきでしたね。彼にはエリゼル嬢を誘うように言いましょう。喜ぶはずだ」
なんとも思いがけない、ロベルトの恋人候補登場!しかもお相手は、伯爵家の中でも1,2を争う名家。
これを逃す手はない。そこら中に触れ回ってやったら、あの偉そうな従者はどんな顔をするだろうか。想像するだけで笑いが止まらなくなりそうだ。うまくすれば、エリゼルのために従者など止めると言い出すかもしれない。
そこまで考えると、不意に、心臓がとくん、と跳ねた。
だが、アルシンダは、それを無視する。エリゼルはこれからますます美しくなり、社交界の華となるだろう。アルシンダが見る限り、性格も活発で頭も良いようだ。こんな訳ありの、可愛げの欠片もないような主にいつまでもくっついているよりは、よほど有意義な人生が過ごせる、はずだ。
そう、いつまでも過去に拘っても仕方がないのだから――――――。
世話焼き小母さんよろしく、エリゼルにロベルトとのダンスを奨めるも、❝まだ恥ずかしい❞と断られたアルシンダは、嘘を吐けと思いながらもダンスが終わったあとの礼まで完璧に済ませた。
その後の拍手や称賛、話しかけようとする周囲を無視して、ロベルトを従えてその場を離れると、善は急げとばかりに早速エリゼルの話を始めたのだが、あまり色よい返事がもらえない。
「社交辞令に決まっているだろう。第一、あのご令嬢は、幼い頃はお前にご執心だった」
え、という顔をするアルシンダに、ロベルトは鼻で嗤って続ける。
「まさか、気が付いてなかったのか。たまには違う相手と対峙するのも必要だから、剣の練習は兄のほうと二人にしといたんだが、エリゼル嬢は、いつもお前のことをうっとり見ていたぞ。まあ、あの頃のおまえは立派な跡取り息子だったからな」
「わたしが女とわかって、おまえに乗り換えたわけか?」
いい相手を見分けることと、恨みを買わない変わり身の早さは貴族令嬢には必須のスキル。さすが、なかなかに見どころのあるご令嬢だと思いながら、ふと、悪戯心が起きてロベルトを見上げる。 この鉄面皮の従者は自分が色気たっぷりに褒めたら、どんな反応をするのだろう?
にっこり笑って顔を引き寄せ、できるだけ甘い声で、耳に触れんばかりに囁く。
「彼女は目が高いわ。貴方は、わたくしの知る限り、最高に素晴らしい男性よ」
アルシンダの息が耳にかかり、初めて聞く言葉遣いと甘い響きの声、蕩けそうな笑顔に抑えていた感情を揺さぶられ、予想外の口撃をうけて取り繕う余裕がないロベルトは、呆けたような表情を晒してしまう。
―――なんてザマだ!
失態を悟って己を罵ったが、幸いにもアルシンダに、今の顔を見られてはいないはずだ。
一瞬でいつもの動じない表情を取り戻して、意趣返しとばかりに人の悪い笑みを浮かべ、彼女の手を握りこむと、ぐい、と体を引き寄せた。
いつもはグレーがかったヘイゼルの瞳が、感情が昂っているのか、物騒な銀色の光にギラつく。黒の眼帯と相まって、背筋が冷たくなるような迫力に、アルシンダは、自分が何か間違えたことを悟った。
だけど、何を?―――皆目見当がつかないが、必死になって考える。何しろ、ロベルトがこんな感情を見せるのは、初めてのことなのだ。アルシンダとしては、せっかく最上級の誉め言葉だったのに、なんで?といった気持だった。
「へえ、そうか。なら、お前はそんないい男に口説かれたら、当然了承するんだな?」
間近に迫る、底意地の悪そうな、それでいて男の色気をたっぷり含んだ笑顔に、アルシンダの本能がうるさいほどに警告を鳴らす。
ロベルトは、もともと男らしい容姿に恵まれた、結構な美丈夫なのだ。学院でも、指導の騎士を負かせるほどの剣の腕前を持ち、鍛え上げた長身の体躯は、しばしば社交界の貴婦人方の話題にも上るほどだ。
そんな相手に迫られて、さすがに鼓動が速まるのを自覚すると、このままではまずい!とよく考えもせずに頭に浮かんだ言葉を口走った。
「ロベルト。今のお前は、傍から見たら、年端もいかない美少年に迫る変態だぞ。せっかくのいい男が台無しだ」
色気のかけらもないセリフに加え、しゃあしゃあと自分を美少年と称し、己を変態呼ばわりされたロベルトは、がっくりと力が抜けるのを止められなかった。
その隙にさっさと身を翻して距離をとる相手に複雑な感情を抱きながら、一応窘める。
「おまえは女だぞ。そんな男の振り方があるか。もう少し淑女教育に力を入れないと、2年後の社交界デビューが思いやられるな」
「そんなことか。心配するな」
「バージェス公爵に、一人も求婚者がいないなんて事になったら、威信にかかわる」
「淑女の心得なら、半年前にケルツェン男爵家でたっぷりときかされた」
「ケルツェン男爵・・・か」
「そうだ。理想の淑女とかなんとか、文字通り叩き込まれた。あそこの教育は、かなり偏りがあるな」
一族の分家である男爵家の教育方針を思い起こして、ロベルトは眉を顰める。
「気にすることはない。各家でそれぞれ考えがあるだろうからな。おかげでわたしは、最短で及第点をもらえた。デビューには、完璧な貴婦人として登場してやる。驚くなよ」
そういってにやり、と笑う彼の主は、どこからどう見ても立派な美少年。笑い方からして淑女には程遠く、その悪戯心満載といった美しい笑顔に、周囲のご婦人方はいっそう魅了され、ため息を漏らした。
可愛げのない主の狼狽する姿を拝もうとして、予期せぬ反撃にあい、壁際に撤退したロベルトは、ご令嬢方のダンス攻勢にあっていた。
片目を失ってから、社交界にはご無沙汰していたが、もともと彼は人気の貴公子なので、主と姿を現してから、注目の的だった。ただ、アルシンダの方がより関心を集めていたため、目立たなかったに過ぎない。
ちょっとしたハプニングのあと、気まずいムードになった二人は、今は別行動していた。
周りに群がる令嬢を、そっけなく躱すのはいつものことだが、今回は間が悪かった。
何しろ、ついさっき、二人はちょっとした寸劇を繰り広げたばかり。はたから見たらそれがどう映るか、全く考えていなった。貴族社会生きるには、痛恨のミスだ。いかに高位貴族と言えど、噂からは逃れられない。
この後社交界では、バージェス公爵主従のラブロマンス、又は美しい貴公子二人の禁断の恋が囁かれ、アルシンダの顔を知らない比較的下位な貴族間から、ハデイユ侯爵男色家疑惑が広まり、しばらくの間社交界を賑わせることになる。
誤字・脱字、読みづらい、キャラが嫌い等々なんでも結構ですので、感想をください。
よろしくお願いします。