15 公爵の条件 2
ライエルク帝国の東側には、広大な森が広がる。国境近くには山脈が走り、瘴気を発する峡谷、昼なお暗い峠があり、隣国との国交を妨げていたが、そんな辺境の地に、小さくも発展している子爵領が存在する。当代領主は、トバイアス・ハインツ・デ・バージェス子爵。
子爵家には、普段使われない別棟があるが、今日は、そこに一人の客人が滞在していた。その人物は、昼過ぎに到着するとすぐに当主と別棟に閉じこもり、そのまま出てこず、使用人たちさえその姿を見ることはなかった。
夕方から降り始めた雪は、夜には吹雪となり、真夜中を過ぎた今なおやむ気配がなかった。
窓は十分に機能を発揮して、防音は完璧、風にがたつくことはなく、暖炉に火は入らずとも、快適な温度が保たれ、就寝時以外に灯が消えることもない。
豪華ではないが、主邸よりも上等に設えられたこの館に滞在客がいる場合、本来ならば、常に完璧な居住空間が保たれるように配置されたはずの魔道具は、今、この時、まったくその役目を果たしていなかった。
窓は、打ち付ける雪の音とガタガタ煩く鳴り続けたが、同時に外の雪明りをも取り込んでくれる。そのため部屋の中は薄明りが差し込み、完全な闇に包まれるのを辛うじて防いでいた。
昼間に命を狙われた少女は、乱暴に片をつけるとそのままここに現れ、感情が昂ったまま、子爵と話を詰めた。まだ途中で、かなり強引に話を進めた自覚はあるが、概ね方針の一致を見たと言ってよいだろう。
災難だったのは、突然単身現れ、何やら尋常でない様子の❝ご本家のご当主様❞の対応に追われたバージェス子爵だ。何しろ、帝国貴族の頂点に立つ少女。決しておざなりに扱ってよい存在ではない。
また、彼は、ある特殊な立場にあり、帝都での一連の出来事を知っていた。だから、遠からず彼女が来訪することを確信してはいた。だが、途中で襲われるなどとは想像もしていなかったし、そのせいでこれほど早く来るとも思っていなかったのだ。
おかげで、終始押され気味の交渉になったのは、否めなかった。これから、子爵家は、怒涛の忙しさになる。まあ、やりがいもあるし、時代が動く時とはこんなものなのだろう。
何より彼は、自分が仕える少女が、驚くほどの才覚の持ち主であることを知って、嬉しかった。どうせ仕えるなら、優秀な主の方がいいに決まっている。おまけに先見の明があって、公正な判断ができるなら、年齢による未熟くらいは瑕疵にもならない。それを補うために年長者がいるのだから。
そんな考えの彼は、その先見性と公正な判断を持つ彼女を、それ故に本気で排除を考えるほど疎む者が、一定数いることを知らなかった。
実のところ、アルシンダは、今までも何度も暗殺未遂にあっている。だが、❝どうせ死なない❞と思いながら刺客を送るのと、❝死んでくれ❞と襲撃を計画するのとは、全く意味あいが異なる。つまり、今までは牽制だったが、今回は後者で、明確な殺意があったということ。
その認識は、思いのほか彼女の心を傷つけた。おかげで、誰より信頼するロベルトまで、置き去りにてしまった。この吹雪では、到着は明日の昼以降になるだろう。ひょっとしたら、ここには来なくても、不思議ではない。
昼間は、様々な事案を片付けるため忘れていられたが、夜になるとどうしても気持ちが落ち込む。外は吹雪、寒くて暗い部屋に一人きりと言う状態は、寝台に蹲るアルシンダの、負の感情を優しく逆撫でしてくれた。
いつも自信満々で、天才と称され、ロベルトさえ苦も無く従えるアルシンダだが、周囲の高評価とは裏腹に、実は恐ろしいほど自己評価が低い。
溢れる才能は、バージェス公爵として生まれたせいだと思っているし、丁重に扱われるのも、特別扱いされるのも、イシャーナやジアンナ・メイアが彼女を守るのも、全てがそれ故と考えている。
つまり、ヴィクセル・アルシンダというただの少女には、何の価値もない。彼女に価値を与えているのは、バージェス公爵という地位であり、それがなければ、誰一人見向きもしない、そんな存在。
自分が、その地位を望んだわけでもないのに、生まれた時から、美しく才能に溢れ、優れていること、他人を従える人間であること、誰より完璧であることを当然のことと要求されてきた。今までは、嫡男として。そして、これからは――――――。
そこまで考えて、何かが、胸の奥でそろり、と頭を擡げたのを感じた。
――――――これからは、貴族女性として、完璧を求められる――――――
何かが、カチリ、と音を立てて嵌め込まれた、ような気がした。今まで目を背けてきたこと、漠然と感じながらも何かが足りなくてわからなかったこと。最後のピースを嵌め込まれて、ようやく全体像を理解できた、と瞠目したその時、ノックもなく部屋の扉が開け放たれた。
「ヴィゼ」
その呼びかけに、掴めたと思ったものが、瞬く間に霧散したのを感じた。何故なら、それは、今ここで聞くとは思ってもいなかった声で、決して大きくはなかったが、あまりにも切羽詰まっていたから。
なぜ、ここにいるんだろう。そんなことを考えながら、精悍な姿を、ぼんやりと見つめる。
全身雪まみれで、髪からは雫が滴っている。湿気を吸って、重たそうな外套をもどかしそうに脱ぎ捨て、近づいて来る。いつも余裕なその顔に、焦りを滲ませているのがおかしくて、つい、からかうような声を出した、つもりだった。なのに、のどが詰まって、なかなか声がでないうえに。
「なんだ、焦ると色男が台無しだぞ」
やっと出たその声は、小さく掠れて、凍えた部屋に落ちていく。
今にも泣き出しそうな声で憎まれ口をたたく主を、ロベルトは、よかった。間に合った。安堵に崩れ落ちそうになりながら、抱きしめた。
「よくここがわかったな」
「なぜ、わからないと思ったんだ?」
「ハデイユ侯爵に伝言を出したのに」
「噴水を造る技術の相談なら、トバイアス卿だろう。それに、あの状況で直接うちに行くのは、どう考えても悪手だ」
部屋中に散らばる図面を二人で確認しながら、話をした。
アルシンダが、小さくくしゃみをする。吹雪はやんだが、夜明け前の空気は冷たい。暖炉に火を入れようとするロベルトを、アルシンダが止めた。
「少し眠ろう」
アルシンダが寝台に入ったのを確認したロベルトが、ソファへ向かおうすると、手をつかまれる。
「寒いのに、別に寝る必要はないだろう?」
そういう顔は、どこか心もとなく見え、その手はほんのわずかに震えていた。
ああ、とロベルトは即座に理解する。
どれほど大人びていようと、ここにいるのは、命を狙われたばかりの十二才の少女だった。心細くて当たり前だ。それがわかっていたからこそ、自分は無理を重ねて一刻も早くと、ウーシュカを走らせたのだ。
広い寝室の寝台に、窓からの雪明かりが明るく差し込むなか、主の冷たい身体を暖めようと抱きこみながら、懐古する。
7才で、前公爵に見込まれて以降、あまり実家に帰ることなくアルシンダと共にいた。父は、自分を差し出したくせに、公爵の方針を快く思っておらず、帰省する度に公爵家への不満を植え付けようとしたが、聞くふりをして受け流してきた。なぜなら・・・・・・。
「私は、これからも命を狙われるんだろうな。私自身には、何の価値もないのに」
眠ったと思ったアルシンダが、ふいに、ちいさく呟き、ロベルトの思考を遮った。
「何を言っている?」
「この地位にいるから、権力があり、尊重されて人が集まる。でも、私がただの子供だったら?」
「イシャーナだって、ジアンナ・メイアだって、私がバージェス公爵だから、加護を与え、協力する。この地位にいない私を、誰が認めて、誰が尊重する?」
「俺がいる」
間髪を入れない答えに、アルシンダが身じろぎをした。
「他の誰が認めなくても、俺はおまえを、おまえが努力するのをずっと見てきた。おまえには、誰も敵わない多彩な才能がある。確かに、血統によるものかもしれないが・・・・・・」
ロベルトは、身を起こして腕の中にいる主をのぞき込む。
「血のにじむような努力をして、その地位に相応しいほどに磨き上げたのは、他の誰でもないおまえ自身だ。俺が仕えると決めたのは、今までもこれからもお前だけだ」
なかば呆然と自分を見つめるアルシンダは、ふいに、きつくロベルトを抱きしめた。
「じゃあ、どうして今もヴィゼと呼ぶんだ」
「???・・・それが関係あるのか?」
「女の私は嫌なんだろう?」
「どっちもおまえの名前だろう?」
全く意味が解らなかった。確かにヴィクセルは男名でアルシンダは女名だが、なぜそれが好き嫌いに結びつくのか。アルシンダにとっては非常にデリケートな問題なのだが、生憎ロベルトにその重要さはわからない。
彼は、人間心理には若干にぶい男だったが、勘の鋭い男でもあった。
「ずっと呼んでいた名前を、いきなり変えるんだ、咄嗟に間違えることだってあるだろう?男だろうが女だろうが、おまえだけが俺の主だ」
それを聞いたアルシンダは、更にきつく抱きつく。
間もなく夜が明けようという時刻、なかなか面倒な関係の主従は、お互いの温もりを感じながら、幸福な眠りについたのだった。




