12 天涯宮の魔法使い または、2人の魔法使い
天涯宮。それは、次元と次元の狭間の昏い海に存在する、イシャーナの住処だ。天の涯てという意味を込めて、そう呼ばれている。
宮殿とは名ばかりで、実際に建物があるわけではなく、歪ませた空間の狭間に居所を整えたに過ぎない。従って、見る者によってその情景は各々違う、という現象が起きる。
むろん、通常の人間が来られるようなところではない。けた外れの魔力を持つ魔法使い、または魔力はもちろん、強力な魔法陣を組める魔術師以外には、場所の見当すらつかず、当代において来られる者は皆無のはずだった。
そんな忘れ去られた宮殿の結界が揺らぎ、暗い回廊に人影が現れた。ちょうど少年と青年の間にいるような年齢の人物は、勝手知ったるといった様子で永遠に続くかと見える奥へと歩き出す。
さほど進まないうちに、天井が歪んで長大な槍が2本飛来し、彼めがけて交差するように床に突き刺さった。しかし、本来ならば槍で串刺しにされるべきところ、彼は、寸前で身を躱し、時には魔法で消滅させる。次から次へと襲い掛かる槍や剣をものともせずに、涼しい顔で歩き続けた。
ややあって、物々しい雰囲気の巨大な扉があらわれ、開けようと片手をかざした瞬間、拒絶するかのように指先に鋭い火花が散った。
「ひどいな。僕は、そんなに貴女を怒らせるようなことをした憶えはないよ」
少し困ったように扉に語りかけるが、一向に開く様子がない。
「貴女に贖罪しろなんて言われて、僕が黙っているとでも?あの場で抹殺してやらなかっただけでも、褒めてほしいくらいなのに」
彼は、訴えるように言い募るが、全く反省していないことは明白だった。
「だけど、貴女の寛大さにはほとほと感心するよ。あの女の姿と名前だけでなく、肖像画を残すなんて。おまけに、❝皇太子の母❞ときた!どこまでお人好しなのかな。あれ、貴女がやったんでしょ」
少し意味ありげに言ってみたが、扉が開く気配はない。彼は、仕方ないなとでも言いたげに、肩を竦めると、今度は、声を潜めた。誰かに聞かれたら大変だ、とでも言うように。
「貴女があそこに飾って、あの男が隠したんだ。僕は逆だと思ったのに、本当にびっくりしたよ」
なおも開かないと見るや、今度は、にっこり笑いながら、はっきりと圧をかけて囁く。
「オーダインが知ったら、なんて言うか、ちょっと興味あるよ。ねえ、イシャーナ?」
「そなたのしつこさには、辟易する。おまけに悪趣味だ。あの小悪党みたいな退場の仕方・・・あれがわたくしの趣味と思われたら、困る」
「貴女の諦めの悪さには、毎回感心するよ。第一あの皇太子、そんなに鈍くない。ところで、お茶くらい出ないの?」
不貞腐れたように頬杖をつき、やや据わった目つきで睨むイシャーナに、にっこり笑うと、平然とお茶を強請った。
「おまけに厚かましい」
「ひどいなぁ、貴女のために頑張っているのに。ちゃんと言われた通りやってるでしょ」
「いつもオーダインの名を出すのが、気にいらない」
「そりゃあ僕だって、彼と同じだからね」
「・・・・・・・・・」
「まさか、知らなかったわけじゃないよね。僕達の意見」
目を眇めて、咎めるようにこちらを見るのに、無表情に見つめ返す。
彼は、❝青のテオフィルス❞。イシャーナと同様、いや、それ以上永い時間時を渡ってきた、偉大なる魔法使いの一人だ。目の前で、強請ったお茶をすすり、熱いだのミルクがいいだのぶつぶつ言う姿からは、想像もつかないような力で水を操る。
「もう少し、潤いのある背景がほしいね。貴女、ちょっとやさぐれてるんじゃない」
原因は、おまえだ!イシャーナは、心の中で毒づく。
そんなことは知らぬげに、テオフィルスが周りを見回すと、突然中庭のような風景に変わる。豪華だが、重々しいテーブルセットは、白く華奢なガーデンセットに、殺風景だったあたりは、色とりどりの薔薇が咲き誇り、さながらどこかの宮殿の薔薇園のよう。ご丁寧に、優雅な白い茶器にまで、華麗な薔薇が咲いてる。
「美味しいお茶に、きれいな庭、目の前には僕の美しい女王様。こうでなくちゃね」
そう言うと、彼は嬉しそうにイシャーナに口づけた。
無邪気そうに見えて、彼は案外やっかいな男だ。彼にかかれば、世界の水は全て干上がる、または、大洪水を起こして、あらゆるものを流し去ることなどあっという間だ。現に、今まで何回かそうして、文明を滅ぼしているうえに、❝神殺しのテオフィルス❞という、物騒な異名まで持っている。
その原因は、主にイシャーナなのだが。
だからこそ、しばらくはやらないとは思うが。イシャーナが大人しくこの天涯宮にいさえすれば・・・・・・、おそらく。
見事な金髪に、明るい青の瞳を持つ彼は、見た目は、お伽噺の王子様、と言っても通用するに違いないくらい煌々しい。その容貌に相応しく、いつもその瞳のような青い衣装に、それより濃い色のマントを身に着け、細身の剣を佩いている。
見かけの年齢と相まって、身分ある少年騎士と見えなくもない。
そして、軽い調子で人懐こく話しかけ、的確に痛いところを突いてくる。こんなふうに。
「あの小さな公爵様は、貴女の大切なロクシエラ妃じゃないし、傲慢な皇太子は、バスティアン帝じゃあない、同じ魂を持っていても」
「当然だ」
「なのに貴女ときたら、帝国と公爵のことになると、とたんに盲目状態だ。今度もあの二人を、くっつけようってんじゃないだろうね?もう懲りたんじゃなかったの」
「なんの話をしている」
「他人の人生に首を突っ込むなってこと。苦労して立ち回って、大切なものを譲った挙句に、誰も幸せにならないなんて、呪いよりたちが悪いと思わない?そういう趣味なの?」
「わたくしの人生に、首を突っ込まないでもらいたい」
暗に、お互い様だと返してやっても、全く悪びれる様子もない。
「こんなに協力してるのに」
「嫌なら、自分でやる」
途端に、今までにこにこと楽しそうに話をしていたテオフィルスが真顔になり、クギを刺す。
「それ、笑えない冗談だよね」
「わたくしは、いつでも本気だ」
「麗しの女王様。僕は貴女にぞっこんだから、あなたの願いはなんでも叶えてあげたいよ。知ってるでしょう」
悪戯気味な顔に、無邪気な微笑み。
「だけど、危ない真似はよくない。オーダインの名前を出すのは、まあ、牽制かな。いつだって、貴女の邪魔をするのは僕じゃないからね」
「・・・・・・それで止めているつもりか?」
二人はしばらく、お互いの真意を図ろうと、無言で見つめあう。
ややあって、先に口を開いたのは、テオフィルスだった。その口調には、どこか懇願するような響きがあった。
「貴女は一体何を望んでいる?帝国の繁栄?ロクシエラ妃の子孫の安寧?それだけじゃない何かがあるはずだ」
「人々が魔法無しで、文明を築くこと。その手助けを」
澄ましてお茶を飲みながらの、イシャーナの淡々とした答えに、テオフィルスは、ふぅー、となかば疲れたように息を吐く。
「今までさんざん貴女を利用し、閉じ込め、何一つ報いようとしなかった世界のために?」
「いつの話をしている?もう何千年も大昔のことだ。場所も国も違う」
「僕たちが動かなかったら、まだ閉じ込められていたはずだ。違うとは言わさない」
強く断言するテオフィルス。
「貴女が全力で彼らに尽くして、どうなった?力を使い果たして・・・。あんな自殺行為を、何回繰り返すつもり?」
言い募るテオフィルスに、立ち上がったイシャーナは、柔らかく微笑んで答える。
「あの頃とは違う。もう、あんなことはしない」
「それを信じろと?」
「・・・・・・目的がある」
意外な言葉を聞いたとばかりに、目を瞠くテオフィルスを、正面から見据え、今まで見たこともないような強い意志を込めて言い切る。
「わたくしには、見たいものがある。そのためには、いかなる手段も厭わない」
「見たいもの?」
「そう」
「・・・・・・それは何」
いつにない気迫に、若干押され気味ながら、質問する。
「・・・・・・・・・・・・」
長い沈黙が落ちたが、拒否は感じなかったので、根気よく待つ。
テオフィルスは、彼の大切な女王様のためなら、嫌いな我慢もする。それに、目的?そんな言葉を聞いたのは、彼女の国が滅んでから、何千年ぶりだろう。
目的のために無理をしないというなら、大歓迎だ。ぜひとも聞いておかなければ。
「光の海」
「・・・・・・何、それ」
「わたくしが見たいものだ。誰にも邪魔はさせない。たとえ、そなたたちであろうとも」
その言葉は、まるで宣告するかのように、困惑するテオフィリスの耳に厳かに響き、彼の不安と不審をいっそう募らせた。
イシャーナは、さらなる追及を予想していたが、これ以上は決して語らない決意をしている。
第一、❝光の海❞が見たいわけでもない。見たいのは、その時代に起きる出来事だ。さて、どちらが根負けするか。
じっとイシャーナを見つめていたテオフィルスは、ふいに何かを思いついた、というような顔をして、呟いた。
「そのために、あの石を創り上げたのか」
「何を言っている」
「紅輝石。貴紅石、煌稀石とも言ったっけ」
「・・・・・・・」
「人の世では、❝賢者の石❞と呼ばれている、あの石」
「・・・・・・」
「貴女は、あれにほとんどの力を注ぎ込んで、自ら囚われた。誰も、あの力を利用できないように、地上からここに隠した。あれがなければ、大掛かりな錬金術は行えない」
何も答えないイシャーナに、ゆっくりと近づく。
「貴女が、この世界から錬金術を奪ったんだ」




