11 邂逅 宮廷の大階段
帝国宰相の長男、ノイエルト・デ・ラ・オルデラン、通称ノートン卿は、バージェス公爵の爵位継承報告を、初めは、あまり興味を持たずに見ていた。
代理とはいえ、帝国侯爵の筆頭に位置するハデイユ侯爵が、新公爵に跪き、徽章を捧げるのを見て唖然とし、人を食った挨拶を聞いたユクライネン公爵が激怒するのを見て、さもありなん、と思った。
そして、全く動じない新公爵が、結構な威厳をたたえた老公爵を断罪するに至って、思わず笑いだしそうになった。
ロベルト・デ・ラ・ハデイユ、ハデイユ侯爵家嫡男。現在は侯爵代理を名乗る(だが、爵位は既に継承済みのはずだ)、自分より1歳年上のその為人を彼はよく知っていた。
国立ヴァイザシルト学園最高学年で、常に首席を争う頭脳集団の一人。剣術指導の講師を努める帝国騎士団副団長と対峙して、3回に1回は勝利を収める。眉目秀麗、頭脳明晰、一騎当千と三拍子揃った、貴公子というには、どこか剣呑な雰囲気を持つ男。
バージェス領には、さらに古く由緒ある学院があるにも関わらず、なぜわざわざ帝都の学園に入学したのか、ちょっとした話題になっていた。
決して居丈高ではないのに、なぜか傲岸不遜、唯我独尊、天上天我などどいう噂が後を絶たない。
本人も知っていて放置どころか、わざと煽るように、無口かつ無愛想に振舞っている、とノイエルトは見ていた。どうやらそれは、皇帝に対しても変わらないらしい。薄々わかってはいたが。
誰かに頭を下げる必要などほとんどないのに、他人の為に跪いたとなると、隣のあかがね色に輝く髪をした男装の少女がその理由だろう。
バージェス公爵。帝国一の大貴族。代々宮廷に滅多に姿を現さないと言われている。これが見納めになるのか、とこれまた珍しく興味を覚えた。
鮮やかなコバルトグリーンの瞳を煌かせていても、内心では、周りに全く興味を持っていないことを、ノイエルトは見抜いていた。
同年代の、ほとんどの貴族たちが一目置くハデイユ侯爵を、跪づかせて当然、といった態度の12歳の少女。
皇帝に対して全く臆することなく、堂々と自分の要求を告げるその姿は、数多の貴族たちの反感を買うだろうが、少々年齢が足らないとはいえ、その容姿が、この上なく目を惹くことも事実だ。あと数年もすれば、歓心を得ようと老若男女問わず、群がることは間違いない。
それにしても何故男装をしているのか、と思う。確かに、帝国貴族の襲爵の儀式の礼装に、女性の規定がないとはいえ、普通ならこれが彼女の社交界デビューと言える。
なのに、髪は肩で切られているし、女性の正装に不可欠な、装身具すら身に着けていない。これではうるさがたの格好の餌食・・・と考えて、否定する。
先ほどからの態度からして、何を言われようと委細構わず、切り捨てるだろう。もしかしたら、暇人に構ってる暇はない、くらいのことを言うかもしれない。
想像すると、好奇心が頭を擡げてきた。その場面を見てみたい、いつになくそう思う自分に違和感を覚えたが、不快な気分ではなかった。
皇帝への挨拶が一とおり済むと、皇太子と皇女のファーストダンス、そのあとは文字通り無礼講となる。
ただし、皇城の舞踏会、そこはそれ相応の礼節が要求される。人目に付くところでの無作法は、後々自分の首を絞める事態に繋がるため、表向きは華やかで上品な雰囲気に包まれ、和やかに時間が過ぎていく。
皇城の大広間は、東西それぞれの中央に優美な弧を描く大階段があり、2階は広間を囲む形に広いギャラリーとなっていて、椅子やソファ、テーブルなどが配置され、招待客は誰でも飲み物や軽食をとりながら寛ぐことができ、皇族や公爵家、一部の有力貴族ともなると、専用の控室が用意されている。
誰でもと言っても、ギャラリーまで来るのはほぼ上位貴族に限られ、下位貴族は上位貴族に伴われなければ、優美な大階段を上がることはできず、一階に用意されたビュッフェや椅子で休憩をとる。厳然たる境界線が存在しているのである。
また、視線を遮るようなものはあまりなく、誰が何をしているかは一目瞭然だが、ここで語り合っている間は、誰であろうと邪魔しないのが暗黙の了解となっている。
アルシンダは、エリゼルとダンスを踊り、ロベルトと社交を済ませた後は、ギャラリーに来ていた。目的は一通り果たした。これ以上、気を使いたくはない。
ロベルトと他愛のない話をして時間を過ごし、頃合いを見計らって帰ろうと、席を立った。
大階段の中ほどまで降りて何気なく下を見ると、眩い輝きが飛び込んできた。相手は視線を感じたのか、自然な仕草で顔を上げてアルシンダを見上げてくる。
シャンデリアの光を受けて、銀色の奔流が輝きを増したように思った瞬間、すいこまれるような青が目に入った。
決して人工的には出せない、深い深い青色の瞳と銀色の髪を持つ、帝国一の美貌の男として名高いノイエルト・デ・ラ・オルデラン。
通称ノートン卿と、ヴィクセル・アルシンダ・デ・ラ・バージェス公爵の、これが初めての出会いだった。
「閣下。どうされましたか」
どれほどの時間が過ぎたのか、いつの間にかノートン卿が近くまできて、ロベルトと話をしていた。彼らが訝しむほどの間、青い瞳に気をとられていたらしい自分に、戸惑いを覚える。
ロベルトの態度には、よほど親しい間でなければ、わからない程度の苛立ちが見て取れた。ここは、あまりごまかさない方がよいだろう。
「いや、ノートン卿の噂を思い出していた」
「私の、ですか。どのような噂か気になりますね」
「学生でありながら、優秀さゆえに宰相殿の補佐を任されている、と」
「まあ、噂というのは大袈裟なものと相場が決まっておりますからね」
「なるほど。では、もう一つ。ノートン卿の美貌は帝国一、と。こちらは、あながち大袈裟でもなさそうだ」
どことなく愉し気なアルシンダに対して、一瞬、周囲の空気が凍り付く。
今のアルシンダは男装に身を包み、ノートン卿よりだいぶ年下とはいえ、れっきとした貴族女性である。
女性が男性に対し帝国一の美貌と称賛するのは、単に容姿を褒めるのとは、かなり意味合いが異なってくる。即ち、❝あなたのような美しい方のお相手は、わたくしではとても務まりませんわ❞という明確な拒絶となる。
いくら身分が上とはいえ、ノートン卿はアルシンダに交際を申し込んだわけではないし、初対面でいきなり言うようなセリフでもなかった。そのまま回れ右をして退出したとしても、誰にも咎められることはないくらいの失礼な態度なのだ。
美しい三人が談笑する様子に見とれていた人々が、次の一幕を想像して、肝を冷やしてもおかしくはない。が、彼は、その麗しいかんばせを、さも面白そうに破顔させて宣った。
「とんでもない。私など公爵閣下のご麗質の足元にも及びませんよ。あと数年ののちにはその《帝国一の美貌》の称号は、間違いなく閣下のものとなりましょう」
初対面で放ったジャブを、巧みに未来の話にすり替え、更に万人を魅了するに違いない笑顔と共に称賛を向けられたアルシンダは、内心舌打ちをした。
食えない、油断できない、口が上手い、と三拍子そろった男だ。父親より曲者かも。
――――――これだから顔のキレイな男は!
というより、キレイだから、余計にごまかされた気がして腹が立つのだということに、彼女は気付いていなかった。
実際、帝国一と言われるのも納得がいくような美貌なのは、間違いない。
軽くウェーブのかかった髪は、神秘的なまでに見事な銀髪だが、深い海を思わせる、切れ長の群青色の目は、澄んでいるくせに、どことなく妖艶な色が滲んでいた。高く通った鼻梁といい、繊細な芸術品のように整っているのに、口元だけは、男性らしく引き締まっている。
17歳という年齢にしては長身で、細身ではあるが、鍛えているのがよくわかる身のこなし。おまけに高位貴族の嫡男で、口が上手いとなったら、貴婦人方に絶大な人気というのも頷けるというものだ。
ともあれ、面食いでもなく、自分より数段美しい男に褒められても、全く嬉しくないアルシンダは、その後に続く会話にも、若干塩対応気味に応じる。ロベルトがいなかったら、社交性に問題あり、との評価は免れなかっただろうが、そもそも彼がいなければ、ノートン卿とは知り合っていなかったはずなので、そこは無視を決め込んだ。
あたりさわりのない会話をし、ありきたりな挨拶を交わしてその場は終わりとなるはずだったのに、何故か最後に頭に浮かんだ言葉が口からするり、と零れ出た。
ノートン卿も、ロベルトも、口にした本人でさえ意味が掴めないような言葉だったが、なぜかそののちも、ふいにこの時のことが、その言葉が、頭をかすめるようになろうとは、この時は思ってもいなかった。
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舞踏会も中盤に差し掛かり、そろそろ退出するものが出始めるころ、宰相オルデラン公爵の嫡男ノイエルトは、少し前に弟が二階へと向かったのを思い出して、捜しに行こうと思い立った。
いつもは学園寮の門限もあり、早々に退出するのだが、今夜は自宅に戻るので、一緒に公爵家の馬車に同乗する予定なのだ。
階段を上ろうと何気なく見上げると、数刻前に会場の話題をさらった人物が、下りてくるところだった。
豪華な刺繍を施した白い上衣に、よく映える、煌くあかがね色の髪の、男装の少女。隣には、漆黒に見事な金の刺繡の上衣に身を包んだ、隻眼の長身の男が当然のように寄り添う。完璧な対を成して、そこだけ、まるで違う世界のように見えた。
周りも同じだったのだろう、声一つない中を悠然と二人は下りてきて、黒衣の男がノイエルトに気付き、軽い挨拶をしてきた。
興味なさげだった少女が、自分をまっすぐ見つめているのに気付いた時は、らしくもなく落ち着かない気分になったが、すぐに、瞳の色に興味があるのだとわかった。
つまり、彼自身はどうでもいい、ということ。さらに、はっきりと❝お前は対象外❞と言われるに至って、さすがに引っかかるものを覚えた。
常々、自分の美貌に無関心な女性がいたらどうするか、と思っていたら、今まで感じたことのない感覚を覚えた。それが逆に興味深く感じ、普段なら早々に切り上げる、他愛のない会話をしばし続けて、最後の挨拶をした時。
「弟が階上にいるので」
「階上に行かれるのか?」
何故か、その言葉に反応を見せたアルシンダを訝しく思い、
「階上に気になることでも?」
今しがた降りてきたのに、と言外に込めて尋ねたところ、アルシンダは、自分でも良くわからない、といった表情をして応えた。
「貴方は昇り、――――――わたしは降りる。・・・そう思っただけですよ」
最後に言われたその言葉が、数年後、自分の身に降りかかってくるとは、全く気づきもしなかった。




