雑な求婚はお断りします!
婚期を逃すので悪戯はおやめ下さい、殿下!
「今日も綺麗だね。私と婚約しておくれ」
「謹んでお断り致します」
挨拶のように求婚してくる男を、私はにこりと微笑んであしらう。
「残念」
と、然程残念そうでない様子で男は言う。
「奇遇だね。こんな所で出会うなんて。これは運命の出逢いだ。婚約をしよう」
「お断り致しますわ」
とある侯爵家の茶会に行けば、木々の間から颯爽と現れて求婚してくる男をまた笑顔であしらう。
すると、またも男は大して気にするでもなく「残念」と笑う。
こんなやり取りを至る所で繰り返すようになってもうすぐ1年になる。
この適当な告白をしてくるのは最早挨拶のようなものなのだと思う。
この国では女子は15歳になると結婚を許される。そのため、15歳になると子息達から婚約の打診やお茶会や夜会に誘われるようになる。
そして私も15歳。本来ならば婚約の打診が来る年頃だ。実際、そこそこ声を掛けてもらえていた。
でも、それも過去形。
この男──第2王子が挨拶ついでに告白してくるものだから、近付いてくる殿方が居なくなってしまった。王子に付き纏われている令嬢に声を掛ける勇気のある者なんて居ないものね。
出来れば婚期は逃したくないので、悪戯ならやめて欲しいと本当に思っている。
「ああ、偶然だね。婚約しよう」
「ごきげんよう、殿下。王妃殿下に招待されたのですもの。必然の出会いですわね」
私に付き纏い雑に求婚してくる第2王子エッケハルトは今日もまた朗らかに、そして雑に告白してきた。それに対し私も朗らかに断る。
今日は王妃殿下からお茶のお誘いを受けて登城した──のだけれど、肝心な王妃殿下が居ない。しかも、エッケハルトと二人きり。彼の私室の上に侍女達すら下がらせている。
何故王妃殿下が居ないのか、何故彼と二人きりなのか、エッケハルトに聞いても答えてはくれない。その端正な顔で微笑むだけだ。
「ジョゼフィーヌ。君はいつになったら私の想いに答えてくれる?」
エッケハルトは笑顔で自らが淹れたお茶を差し出してきた。私はそれを受け取らずに言う。
「殿下。お戯れはそろそろおやめ下さいませ。わたくし、もうじき16になります」
「そうだね。だから、これだけ求婚しているのだけど?」
エッケハルトは「そうでしょ?」とにこやかに小首を傾げる。私がお茶を受け取らなかった事は然程気にしていないようだ。だから私も続けた。
「ですから困るのです。殿下のお戯れのおかげでわたくしは婚期を逃しかけております」
「婚期は逃さないだろう」
「何故そう言えるのです。殿下がいつも傍にいらっしゃる上に求婚なさるものだから、殿方から避けられているのですよ?」
「それは良かった」
良かったですって?
貴方の戯れのせいで私の今後が狂うかもしれないのに?
私は垂れ目がちの目で求婚魔エッケハルトを睨めつけて、低い声で訊ねる。
「それはどういう意味です?」
「だってこれ以上手回しする必要がなくなったから」
「手回し?」
「私以外の男共が君に近寄らないようにする事だよ」
そう言うとエッケハルトは目を伏せて優美にお茶に口をつけた。
私はそれを聞いて目をぱちくりと瞬かせた。
なんだかとっても恐ろしい事をさらりと言われた気がするのだけれど。
「王子に纏わりつかれて求婚されている侯爵令嬢に近寄ろうとする男なんていないだろうからね」
エッケハルトは端正な顔でそれはそれは美しく微笑んだ。
まさか、まさかの──。
「確信犯…でしたの?」
掠れた声で私が言うと、エッケハルトはくつくつと笑った。
「ジョゼフィーヌのそういう鈍感なところが好きだよ」
「…………」
「私のアプローチに全く気付かないし」
「…………」
「むしろ嫌がらせくらいに思ってる」
「…………」
「俺は君に近付こうとする虫けら共には圧力をかけたりもしていたのに」
美しい笑みだった筈なのに、いつしかエッケハルトの瞳は妖しい煌めきを宿していた。
そんなエッケハルトはティーカップをことんと洋卓に置くと、そのままスゥッと私に腕を伸ばしてきた。間もなく私の頬にエッケハルトの骨張った大きな手が触れた。
「君は俺の求婚を雑だと言ったね。それは当たり前だよ」
「…え?」
「周りの虫けら共に見せつけるためのパフォーマンスだから」
エッケハルトの指がそのまま顎に移動した。
心臓がうるさい。
「ジョゼフィーヌ。君が好きだ」
エッケハルトは身を乗り出して私の唇に自分のそれを重ねた。
キス、だと理解するのに暫く時間を要した。そして、キスだと分かった途端に一気に顔が熱くなった。私の顔は紅潮しているに違いない。
そんな私を見てくつくつと笑う殿下は徐ろに立ち上がると、私の座る長椅子まで移動してきた。そして、なんと私の隣りに腰を下ろした。
故意なのかかなり距離が近い。
未婚者同士なのにこれはいけない、と離れようとすればエッケハルトに腕を掴まれた。
驚いて顔を上げれば真剣な表情をしたエッケハルトと目が合った。
熱を帯びた瞳で見つめないで欲しい。妙な胸の高鳴りに落ち着かなくなってしまう。私は慌てて目を伏せた。
「君は何故母上が居ないのか、何故俺の部屋なのか訊いてきたね?」
「……はい」
彼の落ち着いた声に、再びエッケハルトを見上げた。
やっと理由を教えてくれるの?
「俺が母上に頼んだ。母上からの誘いであれば君はのこのこと来るだろうと思ってね」
のこのこって失礼な言い方だわ。
私は眉間に皺を寄せた。
「実際何も警戒せずに来ただろう?」
「……………」
「俺の部屋に呼んだ理由はね」
そこで一旦言葉を区切ると、エッケハルトは笑った──獰猛な目をして。私はごきゅっと生唾を飲み込んだ。
「君を慾る為だ」
一層熱を帯びてしまった目に囚えられた私は動けなくなった。でも、どうにか口が動いてくれた。
「殿下、正気にお戻り下さい!私は食べ物ではありません!!」
まさかエッケハルトが私を食べ物のように思っていたなんて。好きってそういう意味だったのね。
エッケハルトはそんな私に一瞬きょとんとした後に盛大に笑った。けらけらと。
「本当に君って人は。鈍感にも程があるよ」
「はぁ、」
「仕方ないね。俺本気出すからね」
「え…?」
朗らかに笑っているのに、エッケハルトの目は笑っていなかった。獲物を定めた狩人の目をしていた。
あ、と思った時には長椅子に押し倒されていた。
そうしてエッケハルトは「実はね」と耳許で囁いた。
「ヴェストハウゼン侯爵に婚約の申し入れは受理してもらったんだ」
その言葉に私は目を見開いてエッケハルトの顔を見た。
どういうこと?
どういうこと?!
「第2とはいえこの国の王子からの申し入れを断れないのは当然だろう?」
「権力を思いきり悪用なさいましたのね」
私が冷ややかに言えば、彼は「違う違う」と宣う。
「君の父上である侯爵は、優秀な俺を気に入ってくれていたんだ。だから快諾してくれたよ」
「では何故お父様は私に黙っていたというのですか」
「俺が口止めした」
「何ですって?」
「ジョゼフィーヌが俺を好きになるまで待って欲しいってね」
私は固まった。今日何回目だろう。
なんてぼんやり考えていると、エッケハルトがちゅ、と音を立てて私の頬に口づけをした。
「こんな状態で考え事とは余裕があるね、ジョゼフィーヌ」
そして、今度は反対側の頬に口づけをされた。
餌を啄む小鳥のようだ。
益々エッケハルトの双眸が潤んできたのを見て私は慌てた。
どうにか上手く対処しなければ、このまま情事にもつれ込まれそうだ。どうにか──。
「殿下!」
「なあに?」
「わたくしはまだ殿下に恋心を抱いておりませんのに、このような」
「このような、ってどのような?」
「こ、この、ような」
「どのような?」
駄目だ。どう足掻こうとしても殿下の方が上を行く。
「と、兎に角。わたくしが恋心を抱いてから婚約に移るのではないのですか。お父様とそう約束したと」
「ああ、それ」
「それです!」
「ジョゼフィーヌがあまりに鈍感だからちょっと強引に行く事に決めた」
にこりと笑って、何でもない事のようにエッケハルトは言った。
私は血の気が引いた。
「大丈夫だよ。最後までは行かないからね」
ちっとも大丈夫じゃない。
でも、そう抗議する事は出来なかった。鎖骨に口づけを落とされた私は、あまりの事に声が出なかったからだ。
露出は控えていたけれど足りなかったらしい。ハイネックのドレスにすれば良かったと今更思った。
「ジョゼフィーヌ。君が好きだ」
額に口づけを落とすと、エッケハルトは私から離れた。
「これでおしまい」
君が嫌がる事はあまりしたくない、とエッケハルトは眉根を下げて言った。
あまり、なんですね──と思いつつ口にはしなかった。
「でも、これで分かったよね?」
エッケハルトはそうにこりと笑った。
私は彼の笑顔をこれまで以上に信用出来なくなってきた気がする。
「俺が、ジョゼフィーヌを好きだということを」
そしてこれまで以上にエッケハルトの表情や言葉に振り回される予感がする。
「これからは今まで以上に露骨にアプローチするから覚悟してね」
私はまたごきゅっと生唾を飲むのだった。
「長椅子に座らせたのは罠でしたのね!」
「気付かない君が悪いんだろう?」
「…………」