兄の企み
幸運なことに、この日はローダナ王国の王太子が学園を訪れることはなかった。
彼は学園を卒業したあと、様々な事情があってまだ婚約者がいない令嬢とも対面している。今日はその日だったようだ。
言葉は悪いが、ある意味手当たり次第である。
だからこそララリの父も、男爵家でも可能性があるのではないかと期待してしまったのだろう。
この国でも、魔力を持つ者が減りつつあるのはたしかだ。それなのに令嬢達のほとんどは、他国の王太子に夢中になっている。
在学中に婚約者を決めればいい。そうのんびり構えていた男性達も焦りつつあるようで、学園はとても騒がしい。
とくに創立記念パーティーの、パートナー探しは白熱しているようだ。
あちこちで騒ぎが繰り広げられているが、セシリアの周囲は平和なものだ。声を掛けられても父を通してくださいと言えば、もう二度と現れなくなる。
もちろん当時は、アルヴィンと参加するつもりだ。母を通して父にも報告してあるので、何も問題はない。
だが、問題を起こしたのはやはり兄だった。
セシリアはその日の放課後、ララリと一緒に図書室で自習をしていた。ララリに嫌がらせをしていた令嬢も、さすがにセシリアがいると近寄ってこない。
アルヴィンは少し席を外していて、その間はここから離れないようにと言われている。
魔力が高く、エイオーダ国語にも精通している彼は、教師に頼まれてその手伝いをすることがあった。
今日も、どうしても手を貸してほしいことがあると懇願され、セシリアも教師の涙目に負けて口添えをしたのだ。
エイオーダ王国の言葉で書かれた魔法書を、辞書を片手に読み進めていると、ふと周囲がざわめいた。
不審に思って顔を上げると、ローダナ王国の王太子ニクラスが、まっすぐこちらに向かって歩いてきた。いつの間に学園に来ていたのだろう。
目的はお気に入りのララリかと思って警戒していると、彼はセシリアの前で足を止め、胡散臭く思えるほどにこやかな笑みを浮かべてこちらを見つめる。
「君が、ユージンの妹のセシリアかい?」
「……っ」
彼は他国の王太子だ。ここは自分からきちんと名乗り、正式な挨拶をしなくてはならない。だが彼の前では、気弱で世間知らずな令嬢を演じる必要がある。
セシリアは震える手で本を閉じ、小さくこくりと頷いてみせた。
ニクラスの表情はにこやかだが、その瞳はまるで値踏みをするようにセシリアを見つめている。彼の背後にいる従者が、彼に何事か囁いていた。さすがに無理では、と聞こえたので、期待通り候補から外してもらえるかもしれない。
そう思っていたのに、ニクラスはなぜか話を続けようとする。
「ユージンから、よく君の話を聞いていたよ。とても勉強熱心で、魔法の成績も良いそうだね」
よりによってアルヴィンがいないときに、と思うが、相手はそれを見越して声を掛けてきたのかもしれない。
「……いえ、そんな」
セシリアは、相手に聞こえないくらい小さな声で答えた。
「勉強熱心な人は、とても好ましいと思う。ユージンが、創立記念パーティーのパートナーがいないと心配していた。よかったら私がエスコートしよう」
「えっ」
あまりにも驚いて、セシリアは思わず顔を上げてしまった。正面からセシリアを見つめたニクラスが、驚きに目を瞠る。
そう。彼の前ではずっと俯いていたが、セシリアはかなりの美少女なのだ。美的感覚は前世のままなので、それを自覚しているセシリアは慌てて俯く。
「あの、私のパートナーはもう、お父様が決めてくださったので、大丈夫、です。どうぞ、お気遣いなく……」
途切れながらも何とかそう言うと、ニクラスは心底残念そうな顔をした。
「そうか。あなたの父上が決めてしまったのなら、仕方がない」
そう言うと、彼はいたララリにも声をかけ、しばらく言葉を交わしたあと、従者とともに立ち去っていく。
その姿が消えると、思わず深いため息をついた。
(もう、お兄様は余計なことばかり……)
セシリアは苛立ちを隠すことなく本を閉じた。
心配どころか、兄とはここ数年、言葉も交わしていない状態だ。それなのにニクラスの前では、いかにも妹思いの兄のように振舞っている。
公爵家を継ぎたい兄にとって、セシリアは邪魔者でしかないのだろう。それでも努力をして実力で父に認めてもらうのではなく、他人を使ってセシリアを排除しようとしている。
それがとても不快だった。
しばらくして戻ってきたアルヴィンとともに寮に戻り、自分の部屋で着替えをすませたあと、彼にそのことを話す。
自分がいない間にニクラスがセシリアに接近したことを知り、アルヴィンは眉を顰める。
「俺が傍を離れたせいで」
「アルヴィンのせいじゃないわ。あの人はきっと、アルヴィンがいても同じように行動したと思う」
他国出身の彼はきっと、守護騎士は従者と同じようなものだと思っている。そんなニクラスにアルヴィンが軽く扱われたりしたら、おとなしくて気弱な令嬢の仮面など投げ捨ててしまうだろう。
「それに、少し声を掛けられただけよ。何もなかったわ」
パートナーの申し出もちゃんと断っている。
だからこれでいい。
そう言ってにこやかに笑うセシリアとは対象に、アルヴィンは深く考え込んでいる様子だった。
次回更新は3/10です。




