母の暴走
次の休みの日のことだ。
屋敷に帰ったとき、セシリアは何気なく近況を尋ねる母親に、初めてお茶会に招待されたことを話した。
「……お茶会」
母はぽつりとそう呟いたあと、しばらく考え込む。
セシリアとともに帰宅していたベテランの侍女も、母の様子を心配そうに見守っていた。
「お母様?」
「初めての招待? 何てこと。ブランジーニ公爵家のひとり娘であるあなたが、今までお茶会に参加したことがなかったなんて!」
「待ってください、お母様」
急いで新しいドレスを仕立てなくてはと意気込む母親を、セシリアは必死に止めた。
ララリの家は男爵家だ。そんなに気合を入れた格好で行けば、向こうが委縮してしまう。
「今あるドレスで大丈夫です。そんなに参加する人も多くないと思いますから」
「……そうね。今からでは、間に合わないかもしれない。今あるドレスって、どんなものがあったかしら」
そう言いながら、ふらりと立ち上がる。
「あなたの部屋に行くわ」
「え?」
立ち上がった母を案内するのはセシリアではなく、ベテラン侍女である。
彼女は屋敷に戻ると当然のように母のもとに向かい、色々と報告していたようだ。セシリアのお目付け役であることを、隠すつもりもないようである。
ふたりはそのままセシリアの部屋に向かい、セシリアも慌ててその後を追った。母は部屋に入るとすぐに、クローゼットを開ける。そして中にあるドレスの数を見て、肩を落とした。
「セシリア。あなた、これしか持っていなかったの?」
「え、ええ。学園では制服だし、今までお茶会にも王城での舞踏会にも参加したことがないから、それほど必要では……」
部屋着と外出用のドレスが何着かあれば、それで十分だ。
それにいくら外見が絶世の美少女とはいえ、中身が日本人女性であるセシリアは、楽な服装が一番だった。そのうち、オーダーメイドでルームウェアでも作ってもらおうかと思っているくらいだ。それなのに母は、絶望したかのように肩を落とす。
「ごめんなさい。年頃のあなたに、これしかドレスを用意してあげられなかったなんて。お茶会には間に合わないかもしれないけれど、今から急いでドレスを仕立てましょう。そうね。とりあえず十着は」
「十着?」
予想外の展開に、思わず声を上げてしまう。
それを喜んでいると思ったのか、母は手を伸ばして、セシリアをしっかりと抱きしめた。
「ごめんなさい。今まであなたに、母親らしいことは何もできなかった。寂しい思いをさせてしまったわ」
母の言葉に、セシリアは首を振る。
寂しかったのは、十歳のあの日までだ。
それからはずっと、アルヴィンが傍にいてくれた。寂しいと思ったことなんて、一度もない。
「でも、最近はとても体調が良いの。あなたが作ってくれる料理のおかげよ」
あまり食欲のなかったアルヴィンのために、セシリアは子ども頃から熱心に料理をしてきた。そのレシピを料理長に伝え、母にも常日頃から消化の良くて栄養のあるものを出してもらっている。
公爵家の食事はたしかに豪華で、これが健康な人なら問題はないだろう。けれど子どもの頃のアルヴィンや母のように、身体が弱っている人には向いていない。
ますます食欲がなくなってしまう。
母も毎日、消化の良い栄養のあるものを食べているので、体力が回復してきたのだろう。
だが、セシリアが料理をしていたのはアルヴィンのためで、母はついでだった。だから、こうして正面から感謝を伝えられると、少し気まずい。
「お母様が元気になってくれたら、わたしも嬉しいわ」
でもこう思っているのは間違いなく本当だったので、笑顔でそう告げた。
「……今からでも遅くはないわね。あなたにとって良い母親になれるように、これから頑張るわ」
「えっ?」
だが、そう言われると困惑してしまう。
セシリアは十七歳だが、中身の上嶋蘭は二十九歳である。今の母と、五、六歳くらいしか変わらない。それなのに母親と言われても、戸惑いの方が大きかった。
しかも母があまりセシリアに構いすぎると、母を何よりも愛している父が拗ねるのだ。面倒しかない。
「さあ、さっそく仕立て屋を呼ばなくては。私のドレスなんて、これの十倍はあるわ。セシリアのドレスも同じくらい必要よね」
「じゅう……ばい……」
思わず虚ろな声で繰り返してしまう。
母こそ、屋敷に籠りきりで外に出ることはない。そんなにドレスが必要かと思ってしまうが、すべては母を溺愛している父の仕業だろう。
「そんなに必要ないわ。クローゼットに入りきらないし」
「そうね。あなたの部屋も少し狭いわね。私の部屋の近くに……」
「それはダメ!」
思わず大きな声を出してしまい、侍女が咎めるようにセシリアを見た。
たしかに公爵家の令嬢としてふさわしくない言葉遣いと態度だった。でも母の近くに部屋を引っ越したら、アルヴィンがセシリアの部屋に来られなくなってしまう。
「お母様の部屋に近いと、アルヴィンがわたしの部屋に来られなくなってしまうの。だから……」
もちろんその原因は父だ。
母の部屋の近くには、どんな人だろうと男性が近寄れないように結界魔法が張ってある。だから母の主治医は、この国では珍しい女医だし、護衛騎士も女性である。
彼女達は、この国ではなかなか理解されない職業に就けたことを喜んでいたが、父の母に対する偏愛には、娘として少し引いてしまう。
「そうなの? でも、そうね。あなたの守護騎士が傍にいられないのなら、仕方がないわね」
常日頃から仲睦まじい様子を侍女から報告されているようで、母はあっさりと引き下がってくれた。
それでもドレスは仕立てるようで、午後からは母が呼んだ仕立て屋に採寸され、さらに山ほどのデザイン画を見せられた。
結果として、休日だったはずなのに、くたくたになって学園に帰宅することになってしまった。




