過去の話
さんざん怒って泣いて、疲れ果てたセシリアは、いつのまにか眠ってしまっていたようだ。目を覚まして顔を上げると、アルヴィンの整った綺麗な顔がすぐ隣にあった。
「あ……」
どうやら彼の肩に寄り掛かって眠っていたようだ。セシリアが目を覚ましたことに気が付いたアルヴィンは、手を伸ばして、そっとセシリアの頬に触れる。
「少し目が赤くなっているな」
痛むか、と優しく聞かれて、首を振る。
「ううん、大丈夫」
泣き喚いて眠ってしまうなんて、まるで子供だ。
恥ずかしくなって俯くセシリアを、アルヴィンは背後から抱きしめる。
「アルヴィン?」
いつもとは違う、拒絶されることを恐れるような、慎重な手つき。
何があっても、彼の手を振り払うなんてことはあり得ないのに。セシリアは、安心しきってアルヴィンに身を預ける。
「どうしたの?」
「……まだ、学園生活は始まってもいないのに、色々あったなと思ってな」
「たしかにそうね」
まさかのヒロインとの遭遇に、王太子を始めとした攻略対象の来襲。
まだ学園生活はこれからだというのに、イベントがたくさんありすぎて、思い返すと深い溜息をついてしまう。
「それにしても、王太子殿下はとにかく、あの人たちはどうして、あんなにアルヴィンを目の仇にしていたのかしら?」
とくに、フィンは酷かった。
ヤンデレでナルシストというだけでも現実では引き気味なのに、何とかしてアルヴィンを貶め、優位に立とうとしていた。許せないと憤るセシリアに、アルヴィンはまったく気にしていない様子で穏やかに言う。
「彼は、魔導師団の団長の息子にしては、魔力が少なかった。あれではBクラスどころか、Cクラス相当だ。期待に応えられなかったという重責が、彼の性格を歪めているのだろう」
王太子であるアレクの傍に貼りついているのも、せめて側近の地位だけは得たいと言う思いからだろう。
おそらく、彼も必死なのだ。
(ああ、そうだった。ヒロインも最初は罵られるのよね。下賤の血が混じっている者、とか言われて)
生粋の貴族ではないのに魔力が高いヒロインを、フィンは妬ましく思い、同時に眩しいほど惹かれていた。
もし彼が、兄と同じような悩みを抱えているのだとしたら。
兄がセシリアを憎んだように、どんなに望んでも得られなかったものを持っているアルヴィンを妬ましく思い、あんな言動をしたのかもしれない。
だが、彼の心理を理解することができても、共感することなどできそうにない。
誰かを貶めても、欲しいものは手に入らないのだ。
できれば、もう二度と会いたくない。
(もしヒロイン目当てに、わたしたちのクラスに来たらどうしよう?)
ゲームと大きくかけ離れてしまったこの世界では、これからどうなるのかまったく予測がつかない。もうヒロインとも、攻略対象とも関わりたくないというのに。
ふと、もうひとりの王太子の側近を思い出した。彼もまた、ゲームと同じようにヒロインを愛するのだろうか。
(よく考えてみれば、王太子とその側近ふたりがひとりの女性を愛するって、かなり問題よね……)
それが乙女ゲームなのだから仕方がないが、現実で起こってしまうと大変なことになる。
「ダニーのほうも、事情があるのかしら?」
彼はゲームの中ではもう少し、落ち着いたキャラだった気がする。
王太子アレクに対する忠誠心は高かったが、いきなり相手を怒鳴りつけるような男ではなかったはずだ。
ゲームの内容と違うところを見つけるたびに、少しずつ不安が募る。
これから、この世界はどうなっていくのだろう。
「脳筋のことまではわからないな」
悩むセシリアに、アルヴィンはあっさりとそう言う。その言い方がおかしくて、思わず声を上げて笑っていた。
「脳筋って……」
「騎士には多い。そんなことより、俺に聞きたいことはないか?」
そう言われて、セシリアは両手を握りしめた。
「……たくさんあるわ」
魔法契約のこと。
結界のこと。
そして、フィンが言い捨てた言葉のこと。
でも最後のひとつだけは、聞いていいのかどうかわからない。きっと、いままで話そうとしなかった過去に関連のあることだ。
それでも、知りたいと思う。
知っていれば、もっとアルヴィンの心と寄り添える。
「何から聞いたらいいのか、わからないくらい」
「何でも聞けばいい。セシリアに話せないことはない」
「……本当に?」
「もちろんだ」
セシリアはしばらく考えたあと、自分の腰に回されているアルヴィンの腕を見た。
先ほど彼がしていたように、彼の袖のボタンを外すと、白い手首に浮かび上がったブランジーニ公爵家の紋章に指を這わせる。
「最初に聞きたいのは、これのことね。いつからなの?」
「魔法学園の入学試験の日からだ。あの日は屋敷に戻ったらすぐに、試験の報告をするように言われていた。そのときに、セシリアを守るために必要だと言って契約を結んでもらった」
「それなのよね。お父様がわたしのために、危険を伴う魔法契約を結ぶなんて信じられないわ」
父にとって大切なのは、母だけなのだ。
セシリアは父にとって、魔法契約を使ってまで守りたい娘ではない。
「そこは、公爵夫人に口添えをしてもらった」
「え、お母様に?」
思いがけない言葉に、振り返ってアルヴィンの顔を見つめた。
母はアルヴィンと面識がある。母の部屋に呼び出されて、料理を作って持って行ったことがあった。そのときに、あなたの守護騎士に会わせて頂戴と言われて、引き合わせたのだ。
「お父様が許したの?」
「ああ。俺が守護騎士になってから、公爵夫人の強い希望で、ときどきセシリアの様子を報告していた。娘の様子が知りたくてたまらなかったようだ。自分の身体が弱いせいで色々と我慢をさせてしまった。その負い目があって、娘に素直に会うこともできないと言っていた」
その母にアルヴィンは、セシリアが政略結婚は嫌だ、とくに王太子妃には絶対になりたくないと泣いていたと訴えた。
母は、自分が恋愛結婚であること。そして父が兄の母を娶ったことで、つらい思いをした過去がある。娘には恋愛で泣いてほしくない。そう言って父に、魔法契約をしてほしいと訴えたようだ。
そうなったら母の願いを、父が叶えないはずがない。
「ブランジーニ公爵からの条件は、セシリアが忌み子ではないこと。それは、魔力の測定試験で証明することができた。実際には忌み子などではなく、護り子だったが、公爵にとってはどちらでも同じだったようだ。むしろ魔力がない方が、安全だと思った」
「……っ」
ふいにアルヴィンの口から出てきた「忌み子」という言葉に、セシリアはアルヴィンの手を握りしめた。
生まれる前に、母親を守るために守護魔法を使ったというセシリアが、「護り子」ならば。
「忌み子」とは、母親を守ることができなかった子供を指しているのではないか。
そしてフィンが口にしたその言葉に、アルヴィンは悲しいほど敏感に反応していた。
(アルヴィン……)
セシリアがその言葉の意味に気付いたと知ったのか、彼はセシリアを抱きしめたまま、その金色の髪に顔を埋める。
抱きしめられているのに、まるで縋られているようだ。
支えたくて、守りたくて。
セシリアはアルヴィンの手を、ぎゅっと握りしめる。
「少し、話そうか」
その温もりに励まされたように、彼は、今まで語ることのなかった過去を少しずつ話し始めた。
「俺の生まれた家は、魔力の強い人間を多く輩出している。学園で例えるなら、一族ほぼ全員が、Aクラスの力を持っているようなものだ。とくに俺の父は強かった。その実力は、一族の中でも突出していたらしい」
この国での、セシリアの父であるブランジーニ公爵のような存在だったと、彼は語った。
「公爵との共通点は、もうひとつ。自分の妻をとても愛していたことだ。父は母を愛するあまり、自分の血を分けた後継者はいらないと言っていたらしい。母を失う可能性が少しでもあるなら、そんな危険は冒したくないと」
子供の魔力が母親よりも強かったら、出産はとても危険なものとなる。
それでもアルヴィンの父は、跡継ぎを求められる立場だった。
一族が総出で説得し、アルヴィンの母も涙ながらに訴えた。母に、このままなら離縁するとまで言われ、ようやくアルヴィンの父は決意した。
「魔力の強い家系だったから、出産の危険も高い。だが、今まで生まれたすべての子供が「護り子」だった。まさか父も、自分の子供が忌み子で、母が出産で命を落としてしまうとは思わなかったのだろう」
それはアルヴィンの父のみならず、一族の者すべての誤算だった。
「父は、母の命を奪った俺だけではなく、後継者を望んだ一族の者も許さなかった。俺は彼らとともに魔力を封じる腕輪を付けられ、城に幽閉されていた」
出逢ったばかりの頃の、アルヴィンの姿が目に浮かんだ。
痩せていて、傷だらけで。
それでも助けを求めようともせず、むしろセシリアを守ろうとしてくれた。
「生まれる前のことよ? それなのに、どうして……」
セシリアは守護魔法で母を守ったらしいが、そんな記憶はない。
生まれる前のことだ。当然である。
アルヴィンが自分の母を守れなかったとしても、それは本当に彼自身が背負うべき罪なのか。
そのために生まれ落ちた瞬間から実の父に激しく憎まれ、虐待されていたなんて、許されることなのか。
「それからどうやって、この国に?」
「母の妹である叔母が、俺を城から助け出してくれた。姉が命懸けで産んだ子供を、父に殺されたくないと言っていた。その頃には父はもう、正気ではなかったのかもしれない」
失ったら正気を保てないほど、誰かを愛する。
愛は幸福をもたらすものだと言われているが、それほどまで誰かを愛することは、本当に幸せなのだろうか。
もしかしたら、自分の身にも起こったかもしれないできごとだ。
父も、母を愛している。
その愛は恐ろしいほどに深く、たとえセシリアが「護り子」でも、そのために母の体調が優れなくなったことを、許せないと思うほどに。
もしセシリアの魔力が父を凌駕するほど強いと知れば、父はアルヴィンの父のように、娘を憎むだろう。
アルヴィンは、おそらくそれを知っていた。
だからセシリアの魔力を封じ、父の疑いを完全に打ち消してくれたのだ。
セシリアが、自分と同じ目に合わないように。
実の父に憎まれ、危害を加えられることがないように。
(アルヴィン……)
涙を堪えることができなくて、セシリアは振り返り、そのまま彼の腕の中に飛び込んだ。
胸が痛くて、苦しくて、切ない。
セシリアを破滅から救ってくれるのは、いつもアルヴィンだ。セシリアはもう、ゲームの悪役令嬢の道は歩まないだろう。
できるなら同じように、アルヴィンを救いたかった。
過去に戻って、昔の彼を助けてあげたい。
セシリアが破滅から逃れられたように、実の父親から疎まれる過去を変えてあげたい。
でも、セシリアにはその力はない。
前世を知っていても、ゲームのことを知っていても、できることなんて何もなかった。
「セシリア。泣くな」
でもアルヴィンは、優しくセシリアの髪を撫でて、慰めてくれる。
「だって……」
自分ばかりが救われて、苦しい。そう告げると、アルヴィンは笑う。何の憂いもない、穏やかな笑顔で。
「お前が俺に注いでくれた愛情が、失ったものすべてを補い、つらい思い出を過去のものにしてくれた。俺はもう、充分に救われている。だから何も気にすることはない」




