許せない
どうして父と、そんな契約を交わすことにしたのか。
父はなぜ、危険を伴う魔法契約に応じてくれたのか。
聞きたいことはたくさんあったが、彼らの目の前で、それを問いただすわけにはいかない。
ちらりとアレクを見ると、彼はひどく困惑していた。
王太子とはいえ、アレクもまだ学生の身だ。
父である国王に言われたことを伝えただけで、要求が通らなかった場合のことは考えていなかったのだろう。
「ブランジーニ公爵家は、国王陛下の御命令に逆らうつもりなのか?」
戸惑う主を手助けしようと、フィンがそう口を挟んだ。
たしかにアルヴィンを騎士団に入れることも、セシリアを王太子の婚約者にすることもできないと言ったのだ。そう思われても、仕方がないのかもしれない。
だがアルヴィンは、それを否定する。
「いいえ。公爵閣下は、最愛の娘の身を守るために、私と契約を結んだに過ぎません。このようなことになるとは、閣下も思わなかったのでしょう」
父のブランジーニ公爵が妻を心から愛していることは、この国でも有名な話だ。
その大切なひとり娘の傍に最高の守護騎士を置き、さらに愛し合う自分たちのように好きな人と結ばれてほしいと願うことも、世間から見れば不自然ではない。
しかもセシリアは公爵家の跡継ぎではないのだから、兄よりも婚姻は自由である。むしろ娘を王太子妃にと望まないことこそ、権力に興味を持っていない証拠とも言えるかもしれない。
(お父様のわたしに対する関心のなさを知っている人なら、嘘だと見抜いてしまいそうだけど)
少なくともこの面々では、そこまで知ることはない。
「ならばアレク殿下に、このままひとつの成果もなく帰れと言うのか!」
激高したのは、今度はダニーの方だった。
アレクはもう側近たちを止める余裕もないようで、どうしたらいいのか考え込んでしまっている。
(王女殿下?)
そんな中。
セシリアは、今まで兄たちの話の邪魔をしないように、静観していたミルファーの瞳を覗き込んで、息を呑んだ。
彼女の瞳は、ぞっとするほど冷え込んでいた。
その視線の先にいるのは、兄であるアレク。
見てはいけないものを見てしまったような気がして、セシリアは慌てて目を逸らした。
「それに関しては、ひとつ提案が」
アルヴィンは、ミルファーの視線に気付いていなかった。アレクに向かって、静かな声でそう告げる。
「提案?」
「はい。五年前、ブランジーニ公爵閣下が辞退したことを、私にやらせていただければと」
「五年前……。まさか、王都全体に結界を張ることができると?」
この国の敵は、他国だけではない。
ゲームの世界のように魔物が蔓延り、人々を襲っている。ゲームの中では魔法学園の生徒も、戦闘訓練のときには魔物退治に向かっていた。
(討伐のときにはお兄様とか、このダニーとか、騎士系の人々のイベントがよく起きたなぁ)
ふと、そんなことを思い出す。
だからどの国でも、王都には魔物の侵入を防ぐ結界が張ってあるものだ。
でもこのシャテル王国では、六年前に王都の結界を張っていた先代の王妃陛下が亡くなってから、王都を守る結界は消滅している。
もちろん、彼女の代わりに結界を張れる者がいないかと、国中を探し回っていた。
それなのに、五年前。
父は自分の魔力では無理だと言って、結界を張ることを断っている。国王は、やろうともせずに断ったそのときから、父の忠誠を疑っていたのかもしれない。
思い出してみれば、あのゲームでは、結界を復活させたのはヒロインのララリだった。
彼女は、王都に住まう人々を守りたいと強く願っていた。
そして魔力不足で倒れてしまうまで力を出し尽くし、とうとう王都に人々を守るための結界を張ったのだ。
そんなヒロインを助けるため、攻略対象が全員で彼女に少しずつ魔力を注ぎ、ヒロインは生命の危機を脱する。
感動のイベントだったことを覚えている。
もちろん、悪役令嬢のセシリアにも可能だった。でも彼女が人々を守るために結界を張ることはなかった。
でも今の、Bクラスでしかないヒロインでは、魔力不足で不可能だろう。
それに父が断ったことを、娘の守護騎士であるアルヴィンが成し遂げることができれば、ブランジーニ公爵家の忠義を示すことになるのかもしれない。
「可能なのか?」
結界を復活させることは、王家の悲願でもある。
落ち着かない様子で尋ねるアレクに、アルヴィンは頷く。
「はい。もちろん簡単ではありませんが、可能だと思います」
「……そうか」
王都を守る結界がないことを気に病んでいたのか、それとも父である国王に良い報告ができそうだからか、アレクは安堵したように頷いた。
「結界を復活することができれば、国民も安心する。父も喜ぶだろう。感謝する。」
アレクはそう言って立ち上がり、ミルファーもそれに続いた。
「今日は突然押しかけて、ごめんなさい。明日からは同じ学園の生徒として、よろしくね」
「はい。こちらこそ御心配いただき、ありがとうございました」
微笑みを浮かべるミルファーは、先ほどの冷たい瞳は幻だったのかと思うほど、優しく穏やかな顔をしていた。
(そうだよね。セシリアが何を言っても耐えていた、あの優しい王女殿下だもの)
気のせいだったと思い直して、ふたりを見送る。
だが、アレクの側近であるダニーとフィンはすぐに部屋を出ようとせずに、なぜかアルヴィンを睨んでいる。
「王都に結界を張ることがどんなに大変なことなのか、わかって言っているのか? 魔導師団長である僕の父でさえ、一割しか結界を作り出すことができないのに」
「まさか、言い逃れのために口にしたのか? だとしたら、許さないぞ」
どうして彼らは、こんなにアルヴィンを敵視しているのだろう。
王都に結界を張るのは、たしかに大変なことだ。ゲームのヒロインだって死にかけたのだ。
でもアルヴィンは、できないことを言い逃れのために口にしたりしない。彼がそう言うからには、必ずできる。
(それなのに……)
思わず溜息をついてしまったセシリアに、彼らの視線が向けられる。
「そうだ。君が自分の意志で、アレク殿下と婚約すればすべて解決する」
いきなり、そんなことを言い出した。
おそらく、すべてはアレクのため。
王に課せられた使命を果たせずに帰らなくてはならない彼のためだ。
だが、こちらに伸ばされたフィンの手は、触れることなく弾き飛ばされた。
「セシリアに触れるな」
背に庇い、ふたりの前に立ち塞がったアルヴィンは、殺気を込めた視線を向ける。
「これ以上、セシリアの部屋に居座るつもりなら、強制的に排除する」
整った顔立ちの分だけ、怒ると凄みが増す。アルヴィンの迫力に彼らは途端に怖気づき、慌ててアレクの後を追って部屋を出ようとした。
「それだけ強い魔力なら、どうせお前も「忌み子」だろう」
部屋を出る寸前。
フィンが、捨てセリフのようにそう言った。
(……忌み子?)
聞きなれない言葉に首を傾げる。
でも、鋭い視線でふたりを威圧していたアルヴィンが、その言葉で少し怯んだ。
「!」
それは、五年前。
セシリアの守護騎士になりたかった見習い騎士たちが、アルヴィンを連れ出したときのことだ。彼らは、アルヴィンに親に捨てられたと言い放ったのだ。
そう言われたときと、同じ顔をしていた。
「ふ、図星だったみたいだね」
フィンもそれに気が付いたらしく、今までの仇とばかりにさらに言葉を重ねようとした。
許せなかった。
気が付けばセシリアはアルヴィンの背後から飛び出し、思い切りフィンの頬を叩いていた。
「……っ」
「許さないわ。アルヴィンを、わたしの守護騎士によくも……」
異変を聞きつけたのか、アレクとミルファーが戻ってきた。
彼らは頬を抑えて立ち尽くすフィンと、アルヴィンに背後から抱きしめられたセシリアを、困惑して見つめている。
「いったい何が……」
「アレク王太子殿下。申し訳ないが、彼らを引き取ってほしい」
困惑するアレクに、アルヴィンがそう告げる。
アレクは困惑しながらも、今はこの場を治めたほうがいいと思ったのだろう。ミルファーとともに、ふたりを引き連れて部屋を出て行った。
「……セシリア」
ようやく、ふたりきりになる。
アルヴィンはセシリアの前に跪き、ずっと握りしめていたセシリアの手に触れる。
「手を痛めていないか?」
「アルヴィン」
彼の顔を真正面から見た途端、涙が溢れてきた。
「許せない。わたしのアルヴィンを……。アルヴィンに、あんな顔をさせるなんて……」
アルヴィンは泣きじゃくるセシリアを、包み込むように抱きしめた。
「大丈夫だ。こうして、俺のために泣いてくれるセシリアがいる。それだけで、こんなにも幸福になれる。セシリアが傍にいてくれる限り、俺が絶望することはない」
言い聞かせるように優しく、穏やかな言葉に、包み込むような温かい温もり。
憤り、悲しんでいたセシリアの心も、少しずつ落ち着いてきた。
ようやく涙を拭いて、顔を上げる。
「……ごめんなさい」
「謝る必要などない。それより、困ったことがひとつある」
「困ったこと?」
「ああ」
アルヴィンは頷き、それから少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「今後も世間知らずで気弱なお嬢様という設定、使えるだろうか?」
「そ、それは……」
あんなに思いきり、引っ叩いてしまったのだ。もしかしたら、もう気弱という設定は無理かもしれない。
「どうしよう?」
思わず尋ねると、アルヴィンは上機嫌で笑う。
「大丈夫だ。俺がいる。何も心配することはない」
聞きたいことがたくさんある。
結界についても、もし危険なら無理はしないでほしい。
でも今はもう少しだけ、こうしてただふたりで寄り添っていたかった。
◇◇◇
コツコツとヒールの音が響き渡る。
先を歩いていたシャテル王国の王女ミルファーは、苛立ったような顔をして立ち止まった。
「お兄様。躾けのできていない駄犬を連れ歩くのはお止めください。あの人を本気で怒らせてしまったら、どうするのですか?」
冷たい視線に、棘のある言葉。
先ほどまで、セシリアの前で見せていた表情とはまったく違う。
「……すまなかった」
王太子アレクは、即座に妹の言葉に謝罪した。
「わかればいいのです。これからのお兄様の使命は、ブランジーニ公爵令嬢を誘惑すること。彼女に、自分から婚約したいと思わせることです。いいですか?」
「だが、彼女にはあの守護騎士がついている。下手に近づくのは……」
「さりげなく、少しずつ仲良くなればいいのです。あのふたりは当分、遠ざけてください」
「……わかった。できる限りのことはする」
アレクが頷いたことを確認すると、ミルファーはにこりと笑い、歩き出した。
その後ろ姿を見送り、アレクは深く溜息をつく。
どう考えても、ブランジーニ公爵令嬢とその守護騎士は相思相愛だ。あのふたりの間に割り込めるとは思えない。
それでも妹の命令なら、アレクは従うしかなかった。
王太子で、兄である自分よりも、妹のミルファーの方がずっと強い魔力を持っているのだから。




