魔力と魔法とプラウトラ
「うーん……」
僕は視線を足元が見えるぐらいまで下げた。
今日は目覚めからずっとドタバタ続きで、自分の状況について考える暇がなかった。
野営する場所が決まり火を起こして、ぼんやりとした揺らめく炎を眺めていると、とたんに現実感が湧いてきた。
僕、本当に異世界に転生してしまったんだ。
しかも、女の子になって……
白いワンピースには全く汚れがつかなかった。マリオンは恐らく保護魔法がかかっているんじゃないかと言っていた。
それから細く白い腕、つやつやとした傷一つない肌。まあ胸は……とてもあるとは言えないけれど、とにかくどこを触っても柔らかい。
この天使のような身体を大切にしないと。
この天使のような身体に見合うかわいさを手に入れないと。
僕たちは盟友の誓を立てたあと、しばらく街道沿いを歩いていた。
そのうち日が暮れてきたから、野営をすることになった。
マリオンが言うには、街までもう少しかかるらしい。安全な場所で夜を過ごし、明るくなるまで待つことになった。
「1日2日で追っ手が来ることもないだろう。それに主があれだけ力強く追い払ったんだ。そもそも追ってくるのかすら怪しいが」
「あのさ、マリオン」
「どうした、主よ」
「その”主”っていう呼びかたが気になって。
その、正直言ってかわいくないんだよね。
それに、僕たちは義姉妹みたいなものであって、主従関係じゃないしさ」
マリオンは不服そうに眉をひそめた。
誓を立ててから、マリオンはずっと僕のことを主と呼んでくる。
しかし、僕たちは奴隷契約したわけでもない。主従関係は結んでいないのだから、そういう呼びかたは止めてほしかった。
「わたしみたいに”守羽ちゃん”って呼べばいいんじゃない?」
隣に座っていたミリーが、そのこそばゆい呼びかたを提案した。
まあ悪い気はしないんだけど……
慣れるまでは、何ともいえない恥ずかしさでむず痒くなりそうだ。
「私は気さくな呼びかたに慣れていない。そういうのは、あの、恥ずかしい」
マリオンはふいっと横を向いてしまった。予想通りというか、マリオンは堅物な印象に反して恥ずかしがり屋なのかもしれない。
「……では、間を取って”主ちゃん”はどうだろう。
ほら、発音は似ているが主人のニュアンスが残っているし」
間を取る必要はないんじゃないか? と思ったけれど、マリオンが恥ずかしそうにそわそわしながら提案しているから、すぐに否定するとかわいそうだ。
「だから、僕は主人じゃないんだって」
「そうなんだが……
恥ずかしい話だが、もしかしたら私は、誰かに仕えることが思ったより楽しいのかもしれない。君のことを”主”と呼ぶと、形容しがたい高揚感が胸の奥から湧いてくるんだ」
「へえ」
僕はじっとりとマリオンの顔を凝視した。彼女はそんな目で見るなと口では怒っていたが、視線を外すようには言わない。なるほどね。
「まあいいよ。じゃあ”主ちゃん”で。主よりはかわいくなったから、許したげる」
マリオンは耳をぺたりと座らせながら頷いて、見張りをしてくると僕たちから離れてしまった。
「いつものお姉ちゃんはね、ぶっきらぼうだしあんなに喋らないんだよ。
守羽ちゃんのこと、気に入ってるんだと思うな」
僕は胸がじわりと熱くなった。誰かに気に入ってもらえる、僕の存在を認めてもらえることが、こんなに嬉しいなんて。
ミリーも? と聞くと彼女は僕の頬に頭をこすりつけて、へへっと恥ずかしそうに笑った。
転生初日から、最高の出会いをしてしまったのかもしれない。
あとはもうちょっと上手く力が使えれば……と、焚き火の位置から数歩分目線をずらした。そこには僕が魔法で火を点けようと力を込めた結果、見事な爆発を起こしてしまった跡があった。
「街に着いたら、魔法書を読んだほうがいいかもね」
ミリーは僕からすこし離れて、焚き火の近くに添えられた、枝に串刺した肉を一本取りながら言った。
「魔法書?」
「そう。魔法書にはね、魔法の使いかたが書いてあるの。誰もが閲覧できるレベルだと、簡単な魔法しか書いてないんだけどね。
わたしも結構読んだけど、大した魔法は使えなかったなあ。想像力が足りないのかも」
「想像力の問題なの?」
そう言うと、ミリーはずいっとこちらに距離を詰めてきた。
「魔法書に書いてあるのはね、大体が唱えた結果なの。焚き火に火が点いていたり、風で物が転がっていたりね。
もちろん、文字で説明も書いてあるんだけどさ。
唱えるとどういう結果になるのか、っていうのを具体的に知ってることが大切なの」
聞くと、どうやら魔法とはイメージを各々の形で具現化することを言うらしい。火を点けたかったら、例えば対象となる場所にボッと火種が小さく燃えるようなイメージを浮かべる。
そうすると、現実でも火がつくらしい。
「でもさあ、なんか、守羽ちゃんの魔法はちょっとおかしいって思うんだ」
「おかしい?」
「うん。どうやってもバゴーンとか、ドッカーンとか、とにかくすごい威力だよね」
ミリーは手を大きく広げて爆発を表現してくれる。なんだかその様子が微笑ましくて、つい笑ってしまった。
「あ、人が真面目に喋ってるのに」
「ご、ごめん」
彼女はちょっと大げさだった? とはにかんで、話を続けた。
「わたしたちの耳に付いてるプラウトラ、あるでしょ?」
「あ、僕それ気になってたんだ」
耳についているアクセサリーのことを、彼女たちは”プラウトラ”と呼んでいた。
これには一体どんな効果があるのだろう。
「そもそもプラウトラって、何?」
ミリーは一瞬ぽかんとして、それから「あ、そっか」と小さく声に出した。
「ごめん、記憶がないんだったね」
「うん」
まあ、”この世界で生きた”記憶がないという方が正しいけど。
「プラウトラっていうのは、わたしたち人間の魔力を制御するためにあるの。
洗礼を受けるとき、生まれたとき、一人前になったとき……
種族によって渡すタイミングは違うと思うけど、大人になるまでにはみんな身につけるんだ」
「どうして?」
「安全に暮らせなくなるから、かな。
人間はみんな魔力を持っているけど、上手にコントロール出来ないと危ないんだ。
魔力欠乏症になって死んじゃうこともあるし」
そのため、プラウトラが魔法などによる魔力消費の量をコントロールしているらしい。
「色々機能はあるんだけどね。言語翻訳とか、"プラウトラトレーサー"とか。
あ、プラウトラトレーサーっていうのはね、ええとなんて言えばいいかな」
ミリーは近くをキョロキョロと見回したあと、だいぶ距離の離れた木を指差した。
「見ててね」
そう言うと、彼女は弓を取り出して、静かに構えた。
弦に手をかけると、一瞬青い炎が揺らめいて、それが矢の形を形成する。
彼女の右目は青色に鈍く光っていて、木をじっと見据えていた。
「まずは普通に射ると……!」
ミリーが引き絞った弦を離すと、矢が風を切る音と共に放物線を描き、やがて木に突き刺さった。
「すごいよミリー! あんなに離れているのに!」
「そう? へへ、褒められると嬉しいな。
……で、次はね」
彼女はもう一度構え直した。急に現れるあの矢は、魔法で作っているんだろうか。
「春光・瞬き!」
叫びに呼応してプラウトラが光り、放たれた矢が青い軌跡を描き、夜を切り裂いていく。
さっきと違い、瞬きを許さない速度で真っ直ぐ飛んでいく。
間もなく衝撃音が鳴り、矢は木をなぎ倒した。
「……って感じ? わかった?」
「うん。ミリーが強いってことだけ」
「別に力自慢したかったわけじゃ……あ、うーん。ちょっとだけ、わたしさっき全然活躍できなかったから、お姉ちゃんと同じぐらいわたしも強いんだーって、知ってほしかったかなあ」
そう言って、ミリーは照れくさそうに髪の毛を手で梳かした。
「ええっと、どうして叫んだかっていうと、矢が真っ直ぐに速いスピードで、正確に飛んでいくための魔力量を、プラウトラを使って引き出したからなの。
カッコいい名前を付けて、放ちたいときにその名前を叫べば、プラウトラは記録したときと同じ魔力量を引き出してくれる」
「だからプラウトラトレーサーは、
いつでも同じ技を使えるように記録する、プラウトラの機能の一つってこと!」
技名が魔力供給の合図になっている、って感じなんだろうか。いつも同じ技を撃てるようにと考えられたのなら、思った以上に魔力コントロールは繊細で、難しいことなのかもしれない。
だから僕が適当に放ってしまうと、コントロールできずに爆発ばかり起こしてしまうのかな。
「昼間撃ってた”天使砲”だっけ。
名前叫んでいたから、記録されているかもね」
「いや、あれはひねりがないって。
それに、ぶちかます気満々の技名で、あんまりかわいくないし。
こう構えてさ、”灰塵流星砲”!!! みたいな?」
僕が銃みたいな形に指を曲げて撃つ真似をすると、指先に魔法陣が展開され、巨大な衝撃波と空を切り裂くような甲高い音が鳴り響き、ビームが夜を照らしていった。
「ば、バーンってね」
「いや、やっぱおかしいよ、守羽ちゃん……」
慌てて駆け寄ってくるマリオンを背後に感じながら、僕はこの強すぎる力とどう向き合えばいいのかわからずに、冷や汗をダラダラ流しながら立ち尽くすしかなかった。