天の眼、其の名はエンテレケイア
「私を狙ったんだもの。相応の罰があって然るべきよ」
彼女—先ほどの名乗りから察するにエミセレナ・カーリオ—はそう言って再び前を睨んだ。
凛とした立ち振る舞いによるものなのか、誰も寄せ付けないような威圧感を発している。
僕の言うことなんて聞く気がなさそうだった。
でもダメだ……この人に攻撃させたら、間違いなく死体の山が築かれてしまう。
「カーリオ……!? え、まさか、セレナ様……?」
名前を聞いたカリンが驚嘆の声を上げた。
パッと後ろを振り返ると、信じられないものを見るような表情をして、カリンが凍っていた。
マリオンは僕の前から飛び退くとカリンを庇うように位置取って、その横にミリーが並んだ。
彼女たちも恐縮しているのか、緊張した面持ちでセレナを見ていた。
なるほど。
その様子を見て、どうやら偉い人らしいということは理解した。
まあでも、そりゃそうだよね。彼女の立ち振る舞いもさることながら、わざわざ名乗り口上をする人が、一般市民とは考えづらい。
……やや好戦的なのが気になるところだけど。
でも、今はそれよりも!
彼女の杖が唸りを上げて、赤く光り出している。
どうにかして彼女を止めないと!
でも困ったな。
この闇夜を見渡してみても、敵がどこにいるのかわからない。彼女の攻撃を受け止めようかとも思ったけど、彼女がどこに狙いをつけているのかわからないから守りようがない。
……待てよ?
さっき彼女に当たっていた黒い線が、相手の狙いを示しているのだとしたら。もし彼女がどこかを狙っているのなら、同じように線が出ていないとおかしいはずだ。
しかし、彼女にそんな様子は見られなかった。
つまり、どこに撃つかは決めていないのか?
「敵がどこにいるのか、見えるんですか?」
聞いてみると、彼女は前を見据えたまま答えた。
「私を一撃で仕留めるつもりだったんでしょうね。
魔法を放てば、術者から到達点に”魔力線”が残るでしょう? あれで大体の位置が予測できるから、広範囲に撃てばいいだけよ」
でも、貴方は魔法が放たれる前から予測できていたのかしら、と顎に手を当てて興味深そうに僕を見た。
もしかしたら、ここがチャンスなのかもしれない。
彼女の興味を惹くように、僕は自信を込めるように大きく言い放った。
「実はさ、僕には全部見えてるんだ」
「全部?」
「そう、全部。
もちろん、敵の居場所も。今まさにあそこで杖を構えて、こちらに攻撃しようとしているのもね」
嘘だった。
僕は考えなしにハッタリをかましていた。
状況を打破したい気持ちが早まって、僕の口を滑らしたのかもしれない。
セレナの好きにさせればいいとも思う。彼女は命を狙われたんだ。その危機の仕返しに報復するというのは、理屈は通っていると思う。
……倫理的にどうなんだっていうツッコミは置いておくとして。
彼女は明言していないけど、きっと殺すのも躊躇わないだろう。
セレナはこの世界のルール内で、正しい振る舞いをしているんだと思う。思い返せば昼間にも、マリオンが追っ手を始末しようとしていた。
だから僕の価値観は、この世界ではただのわがままでしかないのかもしれない。
でも、僕は姉妹との誓いで不殺を掲げているし……なによりも人を殺すのはどう考えたってかわいくないんだ。だから、セレナにもさせたくない。
僕の周りには、一滴の血も零させはしない。
セレナの赤い瞳が、僕の目を射抜いていた。
僕を試すように、じっくりと瞬きもせずにしばらく見つめられたあと、彼女は身を翻した。
「……わかったわ」
セレナは少し肩の力を緩めて、杖先を下に向けた。
僕には何が”わかった”のか一切理解できなかったけれど、どうやら一旦攻撃するのを止めてくれたらしい。
それにさっきのハッタリも、全てが嘘というわけじゃない。指さした位置からはセレナが”魔力線”と呼んでいた黒い煙のような線が見えていた。
誰かが僕たちをまだ狙っている証拠だ。
もし敵が天使の輪を警戒しているのなら、しばらくは攻撃してこないかもしれない。
でもこれは、ほとんど願望でしかない細い予測だった。
もっと正確な位置がわかれば、”わざと外した”攻撃ができるのに……!
「具体的に場所を教えてもらえる?
私が吹っ飛ばしてあげるから」
セレナは涼しい顔をして言う。
いや、吹っ飛ばしてもらっちゃ困るんだよ……
相手から攻撃されるより前に攻撃しないと、こちらが危ない。
かといって、僕に全てが見えているわけではない。
ジリジリとした焦燥感が僕の胸を責め立てるなか、僕は天使の言葉を思い出していた。
そうだ。彼女は僕が”天使スキル”を使えるようにしたと言っていた。
それから魔力線が見えるようになったんだ。これには関連性があるのかもしれない。
だって、最初から見えていたわけじゃないんだ。
この世界に目覚めてすぐに襲われたとき、魔法師が放ったあの雷撃。
あれに魔力線は見えていなかった……はずだ。
そして天使が僕に施してくれた”天使の神秘”。あの時読み上げていた詠唱のようなものは、はたして形式上のものなのか?
あれが、天使スキルを使うための詠唱なのだとしたら……
僕は目を閉じて、天使の言葉を一言一句思い返しながら、その声をなぞるように言葉を並べた。
ふわりと身体が浮く感覚と、瞼に張り付く暗闇がだんだんと白く染まっていく。
僕は目を見開いて、其の名を叫んだ。
「払暁見透す天使の神秘!!!」