天使専用スキルが解放されました
「パイネ、戻ってこないね」
あの後カリンとしばらく待ってみたが、時折ドアの向こうで物が崩れる音が聞こえるものの、戻ってくる気配がなかった。
カリンが「私が待ってるから、店の中を見てたら?」と言ってくれたので、僕はその好意に甘えることにした。
歩くたび、床がぎしりと軋む音がした。しかし、意外に掃除はされているのかどの商品にも埃一つなかった。用途不明のものから、金色のカップや羊皮紙のような紙の束や僕が目を近づけるとパチンと宝石の中に炎が灯る置物……多種多様な商品の中に、一冊の本があった。
それは僕の身長よりも高い位置にあった。ぼんやりと、まるで夜道に輝く街頭のように静かに辺りを照らしていた。背を伸ばして手に取ってみるとほのかに暖かい。まるで鼓動のように一定周期で光り、存在を知らしめているようだった。
その本の表紙には、こう書いてあった。
“メルヴァード・リカーシブと原始の少女”と。
僕は本を開き、最初のページに書いてある文字に指をあて、ゆっくりと読み上げた。
「ラ・メラクレ・プレチエム」
僕が発音すると、本が光り輝いて高い音が鼓膜を、頭を震わせる。
ページが宙に浮き、僕をぐるりと取り囲んで、包むように円柱を形成する。
瞬間、ぐるりと世界が回った。
僕は倒れる間際、視界いっぱいに広がる青空を見た。
それに手が届く気がして、ゆっくりと手を伸ばした。
意識が強くなる光に吸い込まれるように、僕のもとから消えていった。
「お久しぶりですね」
声が聞こえて、ゆっくりと瞼を開く。
眼前にピンク髪の少女が、僕を見つめてにっこりと笑っていた。
それが僕を異世界転生させた天使だと気付くのに、時間はかからなかった。
「あ、あれっ?
お久しぶり……です。え? もしかして、僕、また死んじゃったんですか?」
そう言うと彼女はくすりと笑って、首を横に振った。
「違いますよ。
最上守羽さんに御用があったので、お呼び立てしました。すこし無理やり連れてきてしまいました。申し訳ありません。……苦しくはありませんでしたか?」
僕は否定しようと首を振ろうとして、頭に当たっている柔らかい感触に気がついた。
ああ、そうか、これが膝枕……
実感が伴うにつれ急に恥ずかしくなって飛び起きようとした瞬間、おでこに指がちょこんと当たり、彼女は僕にウインクした。
「本当に私にそっくりですね。
あんなことを言われて驚きましたが、どうでしょうか、その、心地は……」
最後は消え入るような声で、顔を真っ赤にして彼女はうつむいてしまった。
かわいい。震えるほどかわいい。僕が彼女のかわいさを再現しようと奮闘するのが虚しくなるほどに、彼女はかわいかった。
……なるほど。そうか、僕には恥じらいが足りないのか……
「すっごくかわいいし、みんなが親切にしてくれるし、最高です」
「そ、そうですか……」
彼女はこほんと一つ咳払いをしてから、真面目な顔で僕に向き合った。
「今回のご用件は、あなたのそれ……プラウトラについてです」
僕は彼女に向けるように頭を動かした。
そういえば、彼女の羽根は右側についている。僕とは逆の位置だ。
しかしプラウトラは着けていなかった。
「あなたを転生するにあたって、最低限の装備ということでプラウトラと、両刃天剣……あちらでは魂択む因果の装具とも呼びますが、あなた専用のものを用意させていただきました」
けれど、と申し訳なさそうに彼女は続けた。
「どうやらプラウトラに不具合があったようですね。魔力調整が効いていないとか。
それから、天使の力も使えないとか」
「天使の……力?」
「詳しくはあちらの方々に聞いていただきたいのですが、あちらではプラウトラに記録されている”その人が使える技能”のことをスキルと呼ぶそうです。
なので、仮に”天使スキル”と銘打っておきましょう」
一呼吸置いてから、彼女は続けた。
「貴方の魂が善良であることは確認済みです。
ですから、あちらで危ない目に合わないようにと天使長が特別に、私たちと同じ神秘の力の行使を許可されました。
……実際のところ、私と同じ見た目をしているから天使スキルが使えたほうが面白いだろう、という話のような気がしますが」
彼女は困った顔をして、笑っていた。
僕は身体を起こして、彼女に向き合った。
「もちろん、私たちは殺戮を行いません。ですから、撃滅用の魔法などは原則使えないようになっているのですが、あなたは状況が違いますから。
命の危機に際した時には、使っていただいて構いません」
「それはでも、誰かを殺しちゃうんじゃないですか?」
「いえ、天使スキルで人を傷つけるのは難しいと思います。
そういう風に出来ているんですよ」
もちろん、悪意を以て放てば、あるいは……と彼女は悲しみに満ちた声で続けた。
僕が変な顔をしていたのか、彼女はあなたならそのように扱わないと信じていますから、と付け加えた。
「長くなりましたね。では、これから貴方のプラウトラに加護を与えます。
プラウトラにある本来の魔力調整機能とは少し違いますが、おおむね同じ働きをします。
それから一つ、天使スキルをお教えいたします」
「あ、一つだけなんですね」
思わず口からこぼれ出て、失礼だと思い慌てて口をつぐんだ。
彼女は和らいで、それからちょっといたずらっぽく笑った。
「欲張りはダメですよ。
……それに、貴方は私の弟……いえ、妹のようなものです。
たまに顔を見せていただきたいので……」
正直、その答えが天使として良いものなのかはわからなかった。
けれど、僕にとっては願ってもないことだった。
会えるのはこれが最後だと思っていたから。
「私たち天使に関わり深い場所であれば、こちらに繋がることができるでしょう。
では……」
彼女は天を見上げて、僕に向かって手をかざした。
彼女が目をつむると、柔らかな光が降り注ぎ僕の全身を満たしていく。
「“代償の天使”ラ・メラクレ・プレチエムは祈ります。
彼の者に、天の眼の代理行使を要請します」
僕の頭上が金色に光り、まるで夜空の星のような白い輝きがパラパラと雨のように降りかかる。僕の頭の中に、彼女の声が響いた。
『夜が落ち 昼が満ち 詩が彼方から響く
草原を駆け回る牝馬のように 詩が自由を謳歌する
そして詩は天聴に達し 彼の者に神秘を与え給う
其の名はエンテレケイア
“払暁見透す天使の神秘”エンテレケイア』
「あなたに、天使の加護がありますように」
その言葉を最後に、またぐるりと世界が回った。




