陰キャだけど、いつも付けてた白いマスクと瓶底眼鏡を外したら――
その日の俺は、朝からドタバタしていた。
というのも、もう学校遅刻ギリギリの時間だから早く家を出なくちゃいけないのに、いつもかけてる瓶底眼鏡がどこにも見当たらないのだ。
おでこも探したけどやっぱり見つからない。
ついでにいつもの白マスクもない。
つか、マジでどこいったんだよ、俺の眼鏡とマスク!
このままではせっかく何年も積み上げてきた無遅刻無欠席の大記録が水泡に帰してしまう!
俺が焦りながらあっちこっち探していると、妹のあかりが二階から降りてきた。
パジャマ姿で、のんびりあくびなんかしている。
こいつはまだ地元の女子中学生で、高校に上がってから割と遠くまで通学するようになった俺と違って、朝の時間に余裕があるのだ。
「ふわぁぁ……。
あふ……。
おにいちゃん、おはよー」
「ああ、おはよう。
って、そんな場合じゃないんだよ!
眼鏡、眼鏡……。
なぁあかり!
俺の眼鏡、何処いったか知らないか?」
「ん?
おにいの眼鏡なら、あたしが処分したけど」
「――ふぁ⁉︎」
いきなり訳のわからん返事をされて、つい素っ頓狂な声をあげてしまう。
というかこいつ今なんつった?
処分した?
「……え?
…………なぜに?」
思わず固まったまま理由を尋ねると、あかりのやつは悪びれもせずに言い放った。
「だっていつも言ってんじゃん!
あの瓶底眼鏡ダサ過ぎなんだって!
せっかくおにいめっちゃイケメンなのに、あんなの付けてたらもったいないよぉ」
「はぁぁ⁉︎
なんだよそれ理由になってないし!」
だいたい俺がイケメンとかあり得ない。
むしろ学校では陰キャで通っているくらいだ。
あかりは昔から結構なおにいちゃんっ子だったから、かなりの贔屓目で俺を見てしまってるのだろう。
「と、というかマスクは?
せめてマスクだけでも……!」
「マスク?
それも、もち処分したよ」
「ぶふぉ⁉︎
もちってなんだよ、もちって!
お前、俺がのど弱いの知ってるだろー!」
テンパりながら抗議するも、あかりのやつは素知らぬ顔で平然としている。
こ、こいつめ……。
……あ、叫びすぎてのど痛くなってきた。
こほんこほんと咳をする。
だがそうこうしている間にもタイムリミットは迫ってきている。
もはやコンビニやドラッグストアに寄ってマスクを買っていく余裕もない。
「くそっ。
あかり、覚えてろよ!」
学生カバンを引っ掴んだ。
「へへーん。
おにいちゃん、いってらっしゃあーい」
ヒラヒラと手を振る妹に見送られ、俺は猛ダッシュで玄関から飛び出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
教室についた俺はぜぇぜぇと肩を揺らしながら、扉を開ける。
まだ予鈴が鳴ったばかりだ。
ホームルーム開始まであと5分くらいある。
「……ま、間に合ったぁ……」
同級生たちの合間をぬって自分の席まで歩き、そこに座ってから迷わずそのまま突っ伏す。
はぁ、良かった。
あかりの悪戯にも負けず、俺は無遅刻無欠席の記録を今日もまた更新してやったのだ。
小さな達成感を味わいつつ、乱れた息を整えていると陰キャオタク仲間の笹木くんが声を掛けてきた。
「……転校生?
そこ、蒼山くんの席なんだけど……」
こいつはなに言ってんだろう。
高校入学から2年になった今まで、ずっと同じクラスで仲良くしてきた俺のことが分からないのだろうか?
なんて友達甲斐のないやつだ……。
俺なんて笹木くんと大好きなアニメについて夜通し熱く語り合ったあの日を、いまでも鮮明に覚えているというのに。
そうそう、笹木くんはこんなノーマル風の常識人に見えて、実は百合ものが大好物なんだよなぁ。
って、それはまあいい。
俺は息切れを収めてから応える。
「転校生とかなんのギャグだよ。
俺だよ俺。
蒼山ゆうきだよ」
――ざわり。
いつの間にか静まり返っていた教室の雰囲気が変わった。
「って……。
あっ、そうか」
俺は気付いた。
そう言えば今日は眼鏡とマスクつけてないんだった。
「ごめんごめん。
素顔だから分からなかったんだよな。
俺だよ、俺だって。
正真正銘、蒼山ゆうきだから」
「――え⁉︎
あ、蒼山くんだったの⁉︎
で、でもその顔は……?」
笹木くんが大袈裟に驚く。
もしかして、こいつ思ったより不細工な顔だなとか思ってるのだろうか。
わかってても、ちょっと傷つくなぁ。
「いや、なんかさー。
今朝、妹のやつに眼鏡とマスクを処分されちまって、仕方なく素顔のまま来たんだよ」
理由を話した瞬間、クラスのざわめきが一気に大きくなった。
同級生たちがみんな俺を凝視してくる。
かと思うと斜め前の方の席でいきなり大声がした。
「ちょ、ま、まっ⁉︎
ええええ⁉︎
蒼山って、こんなガチイケメンだったわけ⁉︎
ええええええええ⁉︎」
叫んだのはクラスでも女子の中心的存在の風間由海さんだ。
イケイケで正直俺としてはちょっと苦手なタイプだけど、なかなかの美人であることはたしかで男子からの人気は高い。
というか気付けばいつの間にか、風間さんだけじゃなく、教室のあちこちで女子たちが俺を見ながらキャーキャー騒いでいた。
「し、信じらんない……。
サッカー部の将道先輩が霞むくらいなんだけど……」
「比べ物になんないって。
蒼山のほうが断然イケメンじゃん……」
将道先輩とは学校一のイケメンと評される先輩だ。
そのモテっぷりは半端なく、俺は先輩を見かける度にいつも笹木くんと一緒に爆発するのをお祈りしてたりする。
「はぁぁぁ……。
な、なんて美形なの……。
……あっ、よ、涎が……」
女子たちの喧騒は静まるどころかますます大きくなっていく。
と思っていたら本鈴がなった。
建て付けの悪い引き戸をガラガラと開いて、美人担任教師の明智朋子先生(自称29歳)が教室に入ってくる。
「なによお前らー?
今日は一段と騒がしいわねー。
ほら、ホームルーム始めるからはやく席に戻れー」
教壇に立った先生は、そこからクラス中を見回す。
そして俺を見て視線を止めた。
「…………はぇ?
な、なんだこのイケメンは⁉︎」
先生につられて、女子たちがまた騒ぎ出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――休み時間になった。
俺はいま、なぜかクラス中の女子たちに席を囲まれて、四方八方から話しかけてられている。
「ねぇ蒼山ぁ……。
いや、ゆうきくぅん。
今日の放課後ってぇ、予定あるぅ?」
いまのは風間さんだ。
背筋がゾワッとした。
というかなんだよその猫撫で声は、普段とギャップあり過ぎだろ!
放課後の予定とか言われても、そもそも話しかけられたことだってこれが初めてだっての!
心のなかでツッコミを入れるも、だがそれを口に出せるような勇気は俺にはない。
「あー!
由海ってば抜け駆け禁止ー!
ね、ね。
蒼山くぅん。
お昼はいつもどうしてるのぉ?
私、学食なんだけどー、今日は一緒に食べなぁい?」
「……ハ、ハハハ……。
今日のお昼は、抜こうかなぁ……」
「きゃーん♡
もしかしてダイエットぉ?
それなら、あっしが教えてあげるしー?」
「……ソ、ソウダネー?
ア、アリガトネー?」
なにこれ、なんかの罰ゲームか⁉︎
なんでこんなことになってるんだ。
いやマジで陰キャの俺が一般女子集団に囲まれるとか、ぶっちゃけ拷問以外のなにものでもない。
さっきから俺の心臓はバクバク鳴りっぱなしである。
うう……。
というか俺は小者で日陰者なんだよ!
威勢が良いのは心の声だけで、ほんとの俺は隠者なんだ!
教室の隅っこで笹木くんとふたり飯をしながら、昨日見たアニメの感想を語り合うくらいが俺には性に合ってるっていうのに!
……誰か。
誰かこの状況から俺を救い出してくれるひとはいないのか。
俺は群がってくる女子たちの隙間から、笹木くんに視線を投げ掛けてみた。
瓶底眼鏡がないせいで超ド近眼なままの俺は、目を細めて睨むみたいに彼を見る。
そして念じた。
助けてくれ……!
連れションでもなんでも良いから、俺を教室から連れ出してくれよ!
祈りが通じたのか、笹木くんがこっちを見た。
「――ッ⁉︎
あ、あわわわ……。
な、なんで蒼山くん睨んでくるの⁉︎」
だが願いはむなしく、俺の視線に気付いた笹木くんは、慌てて目を逸らした。
……なんだその態度は。
おのれ、いま俺を見捨てやがったな?
そりゃあ笹木くんだってこんな風に陽キャに囲まれたくはないだろうけどさ!
「ねぇ、ゆうきくぅん。
どこ見てるのぉ?
ほかの場所なんて見てないで、あたしのこと見てぇ」
風間さんが俺の隣に椅子をぴったりくっつけたかと思うと、肩にしな垂れかかってきて制服の胸元をチラッと見せつけてきた。
「う、うわっ⁉︎」
反射的に目を逸らす。
「あは♡
ゆうきくんってば、こんくらいで赤くなっちゃって可愛い。
……ね?
ふたりっきりになろっか。
そしたら、もっと凄いことしてあげてもいいんだけどぉ?」
風間さんは赤い舌をちろりと出して舌舐めずりしてみせる。
「い、いやホント間に合ってるから!」
「へぇ……。
間に合ってるって、ゆうきくん彼女いないんでしょお?
好きな子でもいるのかなぁ?」
◇
そう言われた俺の脳裏にひとりの女の子が浮かんだ。
ああ、好きな子なら俺にだっているとも。
そしてその子は俺と同じこのクラスの女子である。
教室窓際、最後尾の席をチラッと窺う。
そこにはこの意味不明なバカ騒ぎに混ざっていない、クラスでたったひとりだけの女子がいた。
彼女の名前は丸瀬名雪。
長い前髪で完全に目もとを隠し、普段の俺と同様いつも白マスクを着用して顔を隠した、パッと見では陰気な印象を受ける女子である。
ところで俺と丸瀬さんは既に友だちだ。
2年に進級して同じクラスになってから、惹かれ合うように自然と話すようになっていた。
きっと日陰もの同士波長があったのだと思っている。
だがそんな俺ですら、丸瀬さんの素顔は一度も見たことはなかった。
実は前に顔を見せてくれないかとお願いしたことはあるのだけど、その時は丁重にお断りされてしまった。
彼女いわく『ブスだから恥ずかしい』とのことである。
まぁ俺もいつもマスクをしてるしその気持ちはわからないではないから、顔を見せてもらうことは大人しく諦めた。
……だが俺は知っている。
たとえ丸瀬さんが素顔にちょっと自信がない女の子であったとしても、その心は澄んだ海のように綺麗であることを。
丸瀬さんが校舎に迷い込んできた子猫を保護し、毎日苦労して里親探しに奔走していたことも知っているし、誰も見向きもしない枯れそうな花壇の花に水をあげていることだって、俺は知っている。
だから俺は彼女の容姿なんて気にしない。
ささいな顔の良し悪しなんて、丸瀬さんの価値を少しもそこねないのだ。
だって俺が好きになったのは丸瀬さんの美しい心根であって、見た目に惚れた訳じゃないのだから。
◇
姦しく騒ぐ女子たちに囲まれながら、俺は丸瀬さんを眺める。
すると彼女もこちらを向いた。
丸瀬さんは長い前髪で隠れた目で、じっと俺を見ている。
しばらくそうしていた彼女は、やがて重々しく頷いたかと思うと席を立ち、恐る恐るといった様子でこちらに歩いてきた。
おずおずと声を掛けてくる。
「あ、あの……!
あ、蒼山くん、困ってます!」
綺麗な声だ。
いつまでだって聴いていたくなる、耳に心地よい透き通った声。
風間さんが応じる。
「……はぁ?
誰が困ってるって?
というか、あんた誰?」
風間さんの声はさっきまでの猫撫で声とは打って変わり、獰猛な獣が敵を威嚇するようなドスの効いた低音だ。
俺は内心びびった。
それは丸瀬さんも同じだったらしく、「ひっ」と小さく悲鳴を漏らして一歩後ずさる。
だが丸瀬さんは席に逃げ帰らず、その場に踏みとどまった。
風間さんに食い下がる。
「こ、困っているのは蒼山くんです。
み、みなさんでそんな風に席を囲んだら、蒼山くんだって落ち着かないと思います……!」
俺は感動した。
丸瀬さん……!
自分だって陰キャの日陰者で陽キャは恐ろしいはずなのに、こんな頑張って俺を助けようとしてくれるとは、なんて優しいひとなんだ。
さっき速攻で俺を見捨てた笹なんとかいうどこぞの友人もどきとは在りかたが根本から違う。
俺が感激に打ち震えていると、教室に硬質なチャイムの音が鳴り響いた。
そして俺は、ようやく長い長い休み時間から解放されたのである。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
学校から帰宅した俺は、自室に戻りカバンを置いてからベッドにダイブした。
「はぁぁ……。
つ、疲れたぁ……」
もう精魂尽き果てた。
あれから休憩時間が来るたびに女子たちが群がってくるから、俺はマッハで教室を飛び出し、追いかけてくる彼女らを階段裏に身を潜めてやり過ごしたのだ。
というかなんで追いかけてくんだよ……。
マジで訳がわからん。
ため息を吐きつつゴロゴロしていると、部屋のドアがノックされた。
顔を出したのは妹のあかりだ。
その手には俺の瓶底眼鏡と白マスクの束を持っている。
処分したっていうのば冗談で、隠していただけだったのか……。
「おにい、お帰りー。
ね、ね。
学校どうだった?
女のひととか、みんなびっくりしてたでしょー!」
俺は身体を起こし、ベッドの縁に腰掛けてから応える。
「どうもこうもないって。
本気で大変だったわ。
というか、あかりお前なー!
眼鏡とマスク返せよな!」
俺は物を取り返してから、冷やかしにきたあかりを部屋から追い払った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌日。
いつもの瓶底眼鏡と白マスクを装備した俺は、ちょっと早めに家を出て学校の少し手前で丸瀬さんを待っていた。
昨日、女子たちから俺を庇おうとしてくれたお礼をしようと思ったのだ。
さらにいうなら、そのまま一緒に通学できたらなぁなんて思惑もある。
俺は道の脇に立ったまま丸瀬さんの登校を待つ。
早朝の通学路にはまだ生徒たちの姿はまばらだ。
そんな中に驚くような美少女がいた。
「……ぅ、ぅおっ⁉︎」
あまりの美しさに思わず呟きが漏れる。
綺麗に髪を整えたその美少女は、うちの学校の制服を着ている。
って、こんな女子いたっけ?
もしかすると転校生かもしれない。
だってさすがにこれほどの美少女が学校にいたら目立つし、少なくとも噂くらいは聞こえてくるはずだ。
そんなことを考えながら惚けたようにその美少女を眺めていると、ふいに彼女と目が合った。
すると美少女はいきなり慌てだし、顔を真っ赤に染めてあわあわと挙動不振になったかと思うと、俺に会釈をしてから足早に通り過ぎていった。
俺は放心したまま、去っていく彼女の後ろ姿を目で追った。
◇
謎の美少女を見送った俺は、気を取り直して丸瀬さんを待つ。
けれども待てども待てども彼女は現れない。
俺は止むを得ずひとりで登校することにした。
◇
教室についた俺は、すぐにいつもと違うクラスの様子に気が付いた。
男子たちがうるさいくらいに騒いでいるのだ。
どうしたんだろうかと首を捻りながら中に入る。
そして俺は、異変の原因に一発で気が付いた。
教室窓際、最後尾のその席。
いつもは丸瀬さんが座っているそこに、今朝みかけた謎の美少女が座っていたのだ。
俺が登校してきたことに気付いた美少女は、はにかんだような笑みを浮かべて会釈してくる。
……めちゃくちゃ可愛い。
ハートをズキューンと撃ち抜かれたみたいな衝撃が全身に走る。
だが俺はふにゃりと蕩けてしまいそうな自分に喝を入れ、歯を食いしばって足を踏み出した。
ここで腰砕けになってはいけない。
なぜなら俺は、丸瀬さんのためにもこの美少女にひと言伝えねばならぬことがあるからだ。
勇気を振り絞って彼女の前に立つ。
クラス中が見守るなか、俺は美少女に声を掛けた。
「あっ、あの……!
そそそ、その席!
まままま丸瀬さんの席だから、どどどいてもらえますか!」
「……ふぇ?」
美少女がキョトンと首を傾げる。
その仕草の愛らしさに俺はもう失神寸前だ。
腹に力をこめて飛んでしまいそうな意識を繋ぎ止める。
すると美少女はポンと手を叩き、なるほどと呟いてから前髪をおろし、ポケットから白マスクを取り出して装着してみせた。
その姿に俺はあごが落ちそうなくらいに驚愕する。
「……お、おはようございます、蒼山くん。
わ、わたしです。
丸瀬名雪です……」
そう名乗った彼女はたしかにいつも見ていた丸瀬さんだった。
顔を隠した俺たちふたりはじっとその場で向かい合う。
そうして俺は丸瀬さんを見つめながら、ふたりの物語が動き出すのを感じていた。
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