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2.「かっこよさ原理主義」社会のトップレディ、清少納言 ――『枕草子』の当時の貴族社会での意味――

 平安中期の貴族社会――特にその中心であった内裏――は、サロン的な要素が強い場所であり、貴族達は、その場における社交を通じて、常に「かっこよさ」を競い合っていた、ということを踏まえたところで、では次に、そのような場ではどのような人間が高く評価されるかを、考えてみたい。

 高評価を得るのにまず必須の条件としてあげられるのは――言わずもがなではあるが――様々な物事に対する幅広い知識と、自らの専門分野に対する深い理解を兼ね備えていることだ。

 幅広い知識がなければ、相手の話を興味深く聞くことができず、ただぼけっと聞き流してしまう。かといって、全ての分野に対し浅い知識しかなければ、自分が話さなければならない時、底の浅さを露呈してしまい、相手を退屈させてしまう。これでは、聞き手を感心させ、自らの評価を上げることなど無理だ。

 そして、もう一つ大事なことは、周囲の空気を読むこと。また、話者の期待通りの反応をするのではなく、その期待を裏切り、上回るような返答を返すこと。そして、自分のオリジナルな意見を持ち、しかも、聞き手に嫌悪感を抱かせることなく、その意見を開陳することができること――要は「話術」である。

 これは、現代の例に当てはめて考えてみれば、すぐに分かるだろう。

 仲間内でのちょっとしたパーティーや、もう少し改まった、ホテルでの立食パーティーなどで、その場に居合わせた数人が、最新の車の話で盛り上がっているというのに、そこに突然、国際関係の話や医学研究の話を熱く話し始められたら――その話がいかに含蓄に富んだ、深い内容の話であっても――その場は一気に興ざめしてしまう。

 平安時代と現代とで、いかに文化が変わったとはいえ、このような「社交」――すなわち人間関係を構築する技術――には、大きな変化はないと思われる。なにしろ人類は、旧石器時代からずっと集団生活を行い、この「社交」技術でその集団を維持してきたのだから。

 ということで、平安中期の貴族社会で、高い評価を得た人物像とは、幅広い知識と、特定分野に対する深い造詣とを併せ持ち、その上で「話術」――その場の空気を読み、その空気に合わせて、当意即妙の行動ができる――にも長けた人間であったろうと思われる。現代でいうと、例えば、医者なのに様々な分野の知識が豊富で、しかもタレントとしてテレビにも度々出演しているような人。作家で、ことにある特定のジャンルに造詣が深く、そのジャンルの特集番組には必ずといっていいほどメインコメンテーターとして招かれるが、その一方で、クイズ番組やバラエティー番組で、お笑いタレントと軽妙なトークを繰り広げ、観客の笑いを誘うことができるような人。要は、知識人なのにタレントとしての能力も兼ね備えているような人物である。

 様々な能力を持つタレントがひしめきあう現代の芸能界でも、そのような能力に恵まれた人は、数えるほどしかいない(それだけ、この種の能力を兼ね備えることは難しいのだろうと思う)。まして、たかだか数千人の規模しかなかった平安中期貴族社会で、このような能力に恵まれた人物が、存在し得たのだろうか。

 実は、いた。

 天性のタレントであり、しかも、自他共に認める「知識人」でもあった人物――それが、清少納言なのである。


 この時代の女性の常で、清少納言がいつ生まれたのかは、はっきりしない。が、様々な資料から考えて、おおよそ西暦960年代後半ぐらいの生まれであったと思われる。紫式部も生没年不詳だが、おおよそ970~978年の間に生まれたとされているから、おおよそ10歳前後、年齢の差があったと思われる(この年齢の差が、後々大きな意味を持ってくるので、よく覚えておいてほしい)。

 清少納言は、まさに「内裏で生きるために生まれてきたような女」だった。

 父親は有名歌人で、和歌の素養は十分(しかしながら、和歌を詠むこと自体は苦手としていたようだ)。その上、当時の女性としては珍しく、漢文を読み書きすることができた。ということは、当時の貴族男性の必須教養であった漢籍の知識も備えていた、ということ。つまり「幅広い教養」の持ち主だったのである。

 その上彼女には、素晴らしい「機知の才」があった。

 男性貴族がつまらない自慢話をだらだらとし続けるのを、一言でやり込めたり、主人である中宮定子が――彼女も、漢籍の知識があり、しかも、非常に怜悧な頭脳の持ち主であったらしい――突然漢詩に基づいた謎をかけてきた時も、その謎を正しく理解した上、言葉で直接返答するのではなく、さりげない動作でもって、小粋な返答をする。まさに「機知あふれる女性」そのものである。

 天皇の正夫人である上、知識豊富で怜悧、その上、時には冗談まで口にする「パトロン」。そのパトロンの側近くに侍り、深く幅広い知識と、自分の意見とをしっかり持ち、当意即妙の機知でもって、時には貴族男性をやり込めたりする「知識人」。まさしくこの二人――中宮定子と清少納言――は貴族社会「サロン」の中心となるにふさわしい人物だった。

 この時代の内裏において、このコンビが、絶大なる人気を博していたこと、容易に想像できる。彼女たちの一挙一動が注目され、身につける衣装やたきしめた香は、最新の流行ファッションとなり、その「かっこいい」言動は、あっという間にうわさとなって内裏中、いや貴族社会中を駆け巡り、皆を感心させる。まさに現代でいう「ファーストレディ」と「トップレディ」である。


 中宮定子が内裏に君臨した時代は、決して長くはない。

 西暦990年に入内(天皇の后になること)し、1000年には第3子出産直後に亡くなってしまっている。その間、自らの後ろ盾であった父は亡くなるわ、後ろ盾になるはずだった兄は失脚するわで、後半の5年間、かなりつらい思いもしたようだ。

 清少納言の全盛期はさらに短い。女房として定子に仕え始めたのが993年頃で、その後、「政敵である藤原道長に通じている」といううわさを立てられ、995年頃には定子の側から遠ざけられている。なんと実質2、3年である。

 だが、そのわずか2、3年で――いや、むしろ活動期間が短かかったからこそ――彼女は、鮮烈な印象を残した。

 清少納言は、伝説的な才女として、多くの流行を作り出したファッションリーダーとして――当代最高の「かっこいい」女として、貴族達の記憶に刻みつけられ、その後もなにかといえば「そういえばかつてこんなことを言った人がいた(時代の最高権力者「藤原道長」の敵方の人間になるので、はっきり名前を挙げられないのだ)」と引き合いに出されていたに違いない。

 その「伝説のトップレディ」清少納言が宮仕えを退いた後、まもなく世間に流布した著書こそ『枕草子』なのである。

 現代ではこの『枕草子』、定子との楽しかった宮廷生活を綴った「随筆集」ということになっている。が、当時の人々の認識は違ったはずだ。

 「かっこよさの象徴」である清少納言が書いた「かっこよかった頃の私たち」の生活・発言録。それは、「かっこよく生きるとは、どういうことか」「かっこよい話術とは、こういうものだ」「現代の流行って、こういうもの」などといった様々な「かっこよさ」=「出世の糸口」を与える「実用書」だったのだ(現代でいえば、さしづめ「引退したばかりの超人気タレントが書いた「輝く生き方」指南の本」といったところだろうか)。

 これに「かっこよさ原理主義者」であった平安貴族が飛びつかないはずがない。

 失脚した一派の女房の著書だから、公の場で、おおっぴらに書名を挙げて引用する、などといったとはさすがに難しかっただろうが、私的な場所では先を争って読み、清少納言流の「かっこよさ」を身につけようと、大いに参考にしたはずである(なにしろ、ライバルであった紫式部その人まで、『枕草子』を読み、その価値観を取り入れている節があるのだ)。

 結果、この時代の「かっこよさ」の基準は、まさに中宮定子・清少納言の作り出した「トレンド」そのものになっていったはずだ。つまり、男女の別なく、貴族なら誰しも、自分の行動・言動・ファッション等、あらゆるものの価値を「清少納言」基準で判断し、それに基づいて修正されるのが当然、と見なされるようになったのである。

 そして、このことこそ、清少納言が『枕草子』を著した目的ではないか、と僕には思われるのだ。

 もちろん、全盛期の自分たちの姿を活写することにより、「敬愛する主人」で「盟友」、さらに「愛弟子」で「親友」でもあった中宮定子を、遠ざけられてからも慕い、若くして亡くなってしまった彼女を偲ぶために書いた、という一面があったことは、否定しない。しかし、その真の目的は、「文化的復讐」ではなかったか、と思うのだ。

 自分をはじめとした「定子一派」は、政治の世界では失脚し、内裏の中心人物ではなくなってしまった。が、「かっこよさ」の点では、現在の権力者などよりも、ずっと上だったの。どんなに現権力者の藤原道長があがいたところで、私たちの「かっこよさ」には及びもつかない。この『枕草子』を読めば、それが分かるでしょ?……とまで思っていたかどうかは分からない。が、道長全盛の世の中になっても、「かっこよさ」では自分たちの方が一枚上だった、と思い知らせることで、道長に一矢報いてやろうという意図が『枕草子』という作品には込められていた。そして彼女は、まんまとそれに成功し、多少なりとも道長の面目を潰すことができたのではないか……僕は、そうにらんでいるのである。


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