表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

10.新たな「紫式部」像から、道長とのその後の関係を考える――現実主義者と理念原理主義者の決別――

 以上のような考察から、「作品と紫式部本人とは分けて考えるべき」という立場に立って、改めて『紫式部日記』を読み返してみると……どうも彼女の印象が、一般に考えられているものとはかなり異なっているように、僕には思われる。

 この文章で僕は何度か、「明るく開放的で、積極的な清少納言」に対し、「思慮深く内省的で、どちらかというと引っ込み思案な紫式部」のような表現を使用してきた。

 この「思慮深く内省的で、引っ込み思案」という紫式部の一般的なイメージに対し「どちらかというと」という留保をあえてつけたのには「一般的に言われるほど、彼女は引っ込み思案ではないのではないか」という疑念があったからだ。

 なぜ、そのように思うのか。

 『紫式部日記』は、式部自らが標榜する「あはれの美学」を広く貴族社会に流布し、浸透させるために書かれたもの、すなわち、「かっこよさ指南本」であった清少納言の『枕草子』に対する「真・かっこよさ指南本」であった、ということについては、すでに述べた。

 その「教化」という目的があるためかもしれないのだが、紫式部は、この『日記』の中で、かなりずけずけと人物批判を行っている。清少納言をくそみそにこき下ろすのはまあ当然として、和泉式部にも、中宮彰子派の若い女房たちについても、そして、中宮彰子のサロンを認めない貴族男性たちに対しても、である。

 このあたり、『枕草子』で清少納言が行った批判と、何ら変わらないように僕には思えるのだ。

 では、両作品で、なにが違うのか。

 『枕草子』は、思い切り単純化すると「誰かがなにか無理難題を申しつける」→「清少納言が「仕方なく」鮮やかに解決してみせる」→「清少納言がえらい人(主に中宮定子)にほめられる」→「中宮定子など、えらい人の見識などを褒める」という形で話が進むことが多い。これに対し、『紫式部日記』を同じように単純化すると、「誰かがなにか無理難題を申しつける」→「紫式部が「どうしようもなく恐かったので仕方なく」鮮やかに解決してみせる」→「紫式部がえらい人(主に藤原道長)に褒められる」→「紫式部が「私のような取るに足りないものがこんなに褒められるなんて」と謙遜し、その後に藤原道長の才能などを褒め称える」という形になる。

 なんのことはない、両者の違いは「謙遜の度合い」と「えらい人に対する褒め言葉の多寡」だけなのである。そしてこれは、清少納言が「をかしの美学」、紫式部が「あはれの美学」を掲げていた、その違いからくるにすぎないのではないか、と僕には思われるのだ。

 「かっこいい女を目指しなさい。そのためには、常に自分を磨きなさい」と主張したい清少納言は、自然その作品の中でも「ほら、かっこいい女とは、こんなふうに話し、行動するものよ」という部分に重点が置かれる。そのため、自らへりくだる部分は少なく、えらい人を褒める部分も、(相対的に見て)多くはない。一方、「自分磨きなどもってのほか。常に無力で、その場の流れに身を任せなさい。それこそが女の美しい生き方なのです」と主張したい紫式部は、その作品の中で、自らの無力を印象づけたいがため、過剰なまでにへりくだる。そして、「その場の流れ」を作る張本人である藤原道長を褒め称える部分に重点が置かれる。それだけの違いしか見いだせないように思われるのである。

 とすると、紫式部は、単に自らの「かっこよさ基準」を印象づけたいがため、過剰に謙遜して見せているだけであって――少なくともその作品世界の中では――決して引っ込み思案ではなく、むしろ積極的にあれこれ意見を言いたがる人物であった、ということになる。

 いや、むしろそのような「積極的・自己主張の強い」人物であった、と見なさなければおかしいのだ。そうでなければ、そもそも、ただの「一私人」であった彼女が『源氏物語』を書こうと――自らの妄想を「物語」という形に整え、貴族社会に送りだそうと考えるはずがないのだから。

 結局、紫式部も、清少納言に負けず劣らず、プライドが高く、積極的で、自己主張が強い人物ではなかったかと、僕は考えている。ただ、清少納言に比べ、「タレント性」に欠けていたために、「文化革命」の主戦場を「内裏」という現実世界ではなく、「物語」という架空の世界に移し、長期戦を挑んだのではないか、と思われるのだ。


 さて、紫式部の一途で情熱的な面に魅力を感じ、道長は彼女を愛人にした。

 『紫式部日記』の記述からも分かるとおり、二人はしばらくの間、仲睦まじく過ごしていたのだが……それも、そう長くは続かなかったに違いない。

 理由は簡単。道長がリアリストであったのに対し、紫式部は理念原理主義者だったからだ。


 道長が彼女を中宮彰子の女房兼教師役に抜擢したのは「次善の策」だった、ということについては、すでに述べた。

 道長は、とりあえず中宮彰子の「暇な時間」を慰める物語を書き、漢文の素養を身につけさせてくれればいいか、ぐらいの軽い気持ちで、彼女を「第一秘書」に抜擢したにすぎない。が、憧れの存在であった道長に認められ、愛人関係にもなったことにより、紫式部は奮い立つ。一途に道長に尽くすかたわら、貴族社会の「文化革命」をめざし、ひたすら作品を書き続ける。

 道長も、初めのうちこそ、そんな彼女――常に自分を尊敬し、憧れのまなざしを向け、尽くし続けてくれる女――をかわいがっていたが、次第に彼女への情熱は冷めていったはずだ。

 道長のような権力と実力を兼ね備えた、傲慢なほどの自信家は、常に一歩引いて自分を立ててくれる女より、自分と対等の立場に立ち、自分に刺激を与え続けてくれるような「デキる女」を好む。

 そのような女が他に存在しなかったのであれば、道長も、あるいは「自分を立ててくれる女」で満足していたのかもしれない。が……道長は「デキる女」を間近で見てしまっている。

 清少納言である。

 中宮定子の真に有能な第一秘書として「サロン」を取り仕切り、貴族男性のみならず、時の天皇さえも足繁く御殿へ通わせ競ることに成功した、稀代の才女。打てば響くような頭の回転の速さと、物事に対する独自な視点といった、光り輝くような才能のきらめきで、貴族男性を翻弄し、魅了した、「伝説のトップレディ」。清少納言はまさに、道長がぞっこん惚れこむタイプの才女であった。

 だが、おそらく清少納言は、道長と恋愛関係にはなっていない。

 彼女は道長のことを「有能な青年貴族」として気に入ってはいたものの、すぐに相手に心を許すような「やすい女」ではなかった。同僚としてともに働いている時間がもう少し長ければ、あるいはどうにかなっていたのかもしれないが、程なく、中宮定子の後ろ盾であった藤原道隆が急死したことで、道長と彼女は敵味方に分かれ、すでに述べたとおり、失脚した(させられた?)清少納言は、定子一派の「文化的優位性」を広く知らしめるために『枕草子』を執筆。道長の「仇敵」になっていく。

 こうなっては、二人が恋愛関係に陥ることなど、夢のまた夢である。

 その才能に魅了され、できれば恋愛関係になりたい、と密かに熱望していたものの、時代の流れによって敵味方に別れ、親しく口をきくことさえ二度とかなわなくなってしまった「憧れの女性」――道長にとって、清少納言はそんな「永遠の理想」だったのではないか。


 紫式部も、むろん頑張ってはいた。「をかし」の美学に対抗して「あはれ」の美学を大々的に打ち出し、物語という虚構世界を通じ、じっくり時間をかけて、その美学を貴族たちに根づかせる。なんとも壮大で、隙のない試みである。道長も、(おそらく)彼女の意図は理解していたに違いない。

 だが、何度も言うが、道長はリアリストである。

 彼にとって最も重大な関心事は、今現在自分が手中にしている権力を、保持し続けること。その実現のために、ありとあらゆる努力を払うこと、であった。

 『紫式部日記』にあったように、中宮定子のサロンと比べ、中宮彰子のサロンは明らかに「華がなく」、あまり人が寄りつかなかった。

 それでは、困るのだ。

 どうにかして、多くの貴族たちの話題に上り、足繁く人が――なにより天皇が――やってくるよう、工夫を凝らさなければならない。そのためのアイデアを出すことこそ「第一秘書」の役割であるはずなのに、当の紫式部は「奥ゆかしくて上品な中宮彰子様」を理想化するばかり。女房たちにもせいぜい「もう少しきちんとしなさい」と説教する程度で、なんら実効性のある対策を打ち出そうとしない。紫式部は「あはれ」の美学、という「理想」を体現することこそ至上のこととし、それだけを目標にしているが、現実にそれが効果を現さないようでは、意味がないではないか……おそらく道長は、そんなことを思っていたに違いない。

 つまり、道長は、「をかし」から「あはれ」への大規模な意識「改革」など、望んではいなかった。「をかし」から新しい「をかし」へ――清少納言のイメージを払拭するような、新たな美を発見し、その魅力でもって、中宮彰子のサロンの人気が高まるような――「かっこよさ基準の改良」程度のものを求めていたのだ。

 道長は、できることなら、紫式部に「第二の清少納言」になってほしかったのである。


 そして……なんとも不幸なことには、洞察力に優れた紫式部本人も、この道長の内心を理解してしまっていたのだ。

 前にも少し触れたが、紫式部は『源氏物語・蛍の巻』の中で「物語とは、本当のことはごくごく少ない絵空事なのに、それを喜んで読むのだから、女とは、だまされるために生まれてきたようなものだ」と主人公の光源氏に言わせている。

 これはおそらく、紫式部が道長に言われたことをそのまま反映している。

 冗談交じりの言葉であるとはいえ、最愛の人からこのようなことを言われ、紫式部はさぞやショックであったに違いない。確かに当時、「物語」は女子供が読むような「つまらない・くだらないもの」であり、教養ある成人男性が真剣に読むようなものではない、と認識されてはいた。が、「物語作家」であり、理念原理主義者でもある紫式部にとって、その「物語」――虚構世界こそが全てであったのだ。

 「物語」の虚構世界は、現実の世界よりも遙かに力があり、その世界を支配することで、やがて現実そのものも変革することができると、彼女は固く信じていた。そして、その信念の元、着々とその「革命」を推し進めていた……憧れの人であり、恩人でもある道長のために。

 確かに、多少の時間はかかるかもしれないし、その間に道長の栄華に多少の陰りが生じるかもしれない。しかし、それは小さなことだ。『源氏物語』を愛読して成長した少女が母になり、乳母になり、祖母になる頃には、間違いなく貴族社会は「あはれ」の美学一色になり、道長の栄光は未来永劫不朽のものになっているはずだ。

 なのに、彼の心のど真ん中には、仇敵清少納言がどっかりと居座ったまま。自分がこれほどまでに努力を重ね、成果をあげつつあるというのに、一体どうして、道長は自分を認めようとしないのか……。

 紫式部はそのようなことを考え、悩み、一体自分のどこが悪いのか、どこに問題があったのかと、自問し続けたに違いない(彼女の「内省的な性格」は、このような経緯により形成された、後天的なものではないかと、僕は考えている)。

 さらに、このような内省的な性格の反面、紫式部は極めてプライドの高い女性でもあった。

 道長の「第二の清少納言」になってもらいたいという希望は理解していたものの、そんなものになる気など、さらさらない。なにしろ、タレント性に欠ける自分では、彼女ほど内裏をすいすい遊泳することなどできず、せいぜい「清少納言のまがいもの」になるのが関の山。「いくら真似したところで、清少納言にはかなわないね」「身の程を知らないとは、あのことだね」などと、聞くに堪えない陰口の対象とされること請け合いだ。そんな状況には到底耐えられない。それに……なにより、「虚構世界の女王」たる自分が「現実世界のトップレディ」へと方向転換する、などということになれば、それはすなわち、虚構世界が現実世界にはかなわないことを認めることになる。今まで自分が積み重ねてきたもの全てが、瓦解してしまう……。

 一体どれほど悩み続け、泣き続けたのか。どれほどの期間、眠れぬ夜を過ごしたのか。式部は、おそらく数年以上に渡ると思われる期間、懊悩し続け、ついに「キレた」。


 現実での成果を求める道長様は、ついに自分を認めてはくれなかった。だが、それがどうした。

 タレント性のない自分は、「内裏」という現実世界では、確かに無力だ。だが、それがなんだというのだ。

 「物語」は確かに「つくりごと」――虚構に過ぎない。だが、その虚構には、現実を変える、強い力が宿っている。道長様や清少納言のような「現実主義者」には、それが分からないのだ。

 いいだろう。それなら、私がそのことを一生かけて証明してやる。

 「虚構」の前で、「現実」がどれほどもろい存在なのか、リアリストどもに、いやというほど思い知らせてやる……!


 現代風にいえば、そのような内容になるであろう決意を胸に宿し、これ以降――おそらく第一部b系22帖から始まる、いわゆる『玉鬘十帖』と呼ばれているあたりの執筆にかかる頃から――紫式部はひたすらこの「虚構による現実の塗り替え」実現を目指し、ひたすら創作へと打ち込み始める。

 時期的にいえば、それはおそらく、1011年、一条天皇が崩御し、三条天皇が即位したあたりのことであろうと思われる。

 天皇の座が移ったことで、「一条天皇の」中宮であった彰子の「サロン」の重要性は相対的に薄れる。また、これよりしばらくの後、自身による親政を強く望む三条天皇と道長の間に確執が生じ、彼は、その「政争」に忙殺されるようになる。

 これらの事情により――というか、これらを言い訳に――紫式部の「現実世界」での実力に見切りをつけていた道長は、自然消滅のような形で彼女との恋愛関係を終わらせ、一応物的支援は続けたものの、局にもそうそう訪れぬようになっていった、と思われる。

 一方の紫式部も、道長の訪問が激減したのをこれ幸いに、『源氏物語』の内容をますます過激に、ますます「理念原理主義」に傾いたものへと変えていくのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ