元カノ。
「……」
「あれ? だんまり? 私だよ私。西田君の彼女だった」
「あぁ、それがなんだ」
警戒心を最大にして俺は目の前の『敵』に答える。
彼女は微笑むようにして俺を見てきた。
そこから滲み出る感情は憎悪か、余裕な態度か……何かだった。
「綺麗な彼女だね。誰?」
「……」
答えなかった。そもそも答えなんてなかった。
彼女は指を口に当てて顔を傾げた。
「あれ? 私は彼女と仲良くしたいからよかったらなーって思って西田君に話しかけたんだけど」
なら直接話しかけてくれよ。俺は関係ないだろう。
「……それで?」
「西田君は私と別れる前からあの人と面識があったの?」
それはつまり……浮気だと思っているということなのだろうか。
ここでそうだと答えれば俺は昔から一郎太と仲が良かったということになる。
しかしそれは俺の認識の中でだ。
彼女からすればあの女性はぽっと出の美人でしかない。
ということは彼女からすれば一郎太は俺といつから仲がいいというのはわからない。つまり浮気となるわけだ。
「……だからなんだ。お前だって俺と別れてから新しい男と付き合ってるじゃないか」
「彼とは昔から友人よ? 彼に、西田君に振られたと言ったからじゃあ、俺とと言われたから付き合ったの」
なにを受け身にしてるんだ。そういう風にそそのかしたんだろう。お前は。
「だから、西田君に確認したかったんだ」
「俺は今あいつと付き合っているんだ。お前と別れて、悲しんでいたらあいつが慰めてくれた。それでいいだろう」
俺は振り返り、自販機にまた小銭を投入し、コーラを買う。
「ふーん。でも私、彼女のこと知らないなぁ。女の子の友達多かったはずなんだけど……私知らなかったよ?」
「……」
しまったと思った。
一郎太は女性として学校に来ていない。
女性ならば、あんな美人ならば女性との付き合いがあるに決まっている。
だけどあんなぽっと出てきた女性なんかいるわけがない。
「だからー、聞きたいの。彼女は誰?」
「……」
答えなんかなかった。俺はこの状況に元より追い詰められていて……。
逃げ場なんてなかった。
今にも吐き出しそうだった。彼女は……一郎太は男で、お前への当てつけだと。
振り返ることなんてできなかった。
蛇に睨まれた蛙のように俺は身動きなんかできなかった。
「……あいつは……」
「雄一」
俺の名前が呼ばれた。
ゆっくりと後ろを振り返るとそこには一郎太がいた。
「……い……」
「私の雄一に何か用? 元カノさん?」
余裕な態度で構えている一郎太に彼女は怖気もせずにっこりと笑った。
「ううん。西田君の彼女、あなたにとても興味があったから話しかけたいなって思って西田君に聞いたの」
「それはここで聞くことなの?」
彼女は一歩前に、一郎太に歩み寄る。
「えぇ、私達別れたんですもの。別れたのに仲良く話していられるの? あなたは」
「……はっ」
鼻で笑った。一郎太が鼻で笑った。
「付き合う付き合わないで交友関係が壊れるならばそれは交友関係じゃないわ。ただの傀儡よ」
「……」
彼女は黙った。
それを一蹴した一郎太は俺の元によると、腕を組んできた。
その手は細くて白かった。
不健康そうであまりにも頼りない手に見えたその手は、俺を導いてくれた。
「ほら、雄一。行こう?」
「……あ、あぁ」
手を引かれるように、俺は一郎太に連れて行かれる。
「ねぇ」
と彼女に呼び止められる。一郎太は一度止まると彼女を見やる。
「あなたの名前は? 聞いてなかったから」
「……」
一郎太は黙った。俺は咄嗟に偽名を作ろうと必死に脳みそを引っ掻き回した。
ぐちゃぐちゃになりそうな豆腐みたいな脳みそが液体になる。
「行こう。一恵」
今度は俺が引っ張った。
この場から去るために全力で一郎太を引っ張った。
「……一恵……」
一郎太が俺が咄嗟に出した名前を呟いたのを耳にした。
ゲームセンターから出て近くの公園に着いた俺たちはベンチに座っていた。
公園は緑地公園やみたいに木々が生い茂っているところだった。芝生も育っているがところどころ禿げている。
学校を終えた子どもたちが走ったりボールを投げたりして遊んでいた。
そして俺はベンチに首を下げて座っていて、一郎太はぼんやりとしていた。
「はぁぁー。疲れた……」
付いてきているのは知っていたけど、まさか問い詰めてくるとは思っていなかった。
「雄一、追い詰められすぎて笑えたよ」
ヘラヘラしながら笑う一郎太には女のような仕草はなかった。
俺は髪の毛をたくし上げて反省の色を出す。
「元カノが目の前にいるとなんか、気持ち悪くて……」
「それって相手を疑っているからだと思うよ?」
「疑う……か」
たしかに俺は他人には表と裏の顔があると思っていると同時に相手は何かしらの悪意があると思っている。
今回は彼女と別れて、別れた理由を知っていて、そしてまた接触してくる。
その時点で彼女は悪意の塊だと認識していたのだと一郎太は説明してくれた。
「つまり、俺は他人が善意か悪意かわかるようになったってことか?」
「そんな特殊能力があるとは言ってないよ。単に雄一はパーソナルスペースが広いってことだよ」
パーソナルスペースの意味は分からなかったが、言っている意味は大体わかった。
「俺は。疑り深いってことか」
「もっと悪く言うと人間不信だね」
……さいですか。
「まぁ、そんなの彼女とひどい別れ方をした時に大体起きるからすぐに治るよ。誰でも起きることだしね」
一郎太は補足をした。
「……でも助かった。一郎太。ありがとう」
「いえいえ。でもあの子手強いなぁ。あそこまで執拗に追いかけてくるとは思わなかったよ」
たしかにそうだと思った。
あそこまで追いかけてくる理由がよく分からなかった。
「そういえば俺は浮気していたの? と言うニュアンスで問い詰められたな」
「……つまり俺と雄一はもともと付き合っていたような言い方だったと言うことかな」
多分そう言うことだろう。と俺は呟いた。
一郎太はベンチの背もたれに背を預け体を伸ばした。
女性の服装から少しだけ胸の膨らみを確認した俺は思わず視線を外す。
偽乳だとしても、俺には刺激が強すぎる。
「……おっぱいが気にならない?」
そしてそれが一郎太にバレていた。
「べ、別に……」
「ははは、ウブだなぁ」
「ウルセェ。今まで部活にしか興味なかったんだから仕方ないだろう」
隣でクスクス笑う一郎太に俺は冷たく対応した。
「ほれ、触ってみ?」
「あ、ちょ……!」
俺の手を握った一郎太は強引に俺の手を自分の胸に当てた。
「……」
「どう? 柔らかいでしょ?」
柔らかいと言うか……すごい心臓の音が響いていた。
大太鼓を叩いているような生々しい音が一郎太の胸を伝わって、俺の手が感じていた。
「……すごいドキドキしてる」
「それ、雄一もだろ?」
「……偽乳だよな?」
「もちろん」
一瞬だけ気の迷いがあった。
揉んでもセクハラにならないだろうかと。いや相手は男なんだ。俺は……何を考えているのか分からなくなっていた。
「……ん」
「っ……! ごめん」
不意に鷲掴みするように動かした。ふにゅんとした感触に一郎太は一瞬だけ甘い声を漏らし、俺はびっくりして手を離し、顔を下に下げた。
「ほんとすまん。なんからなんまで」
「……いいんだよ。雄一。元々は、『私』が決めたことだからね」
目の前にあるのは一郎太の太ももだった。
男であるはずなのに、なんでこんなに色っぽく見えるのだろう。
なんで、こんなに一郎太が綺麗に見えるのだろう。
「……帰ろっか。雄一」
「……あぁ」
俺は立ち上がり自転車に乗る。一郎太は自転車の後部座席に座り俺の腰に手を回した。
その腰に触れた部分が、カイロのように暖かく感じた。




