伝える。
帰りの三キロは、行きと比べ足取りが重たかった。
気持ちのせいかもしれない。
俺の行き着く先が、一郎太が待っている家だからかもしれない。
帰らなければいいのにとか、歩いて帰ればいいのにとか生易しい俺の心の声が俺に訴えかけてくる。
でも、一刻でも早く一郎太の元に帰らなければならないと俺の頭は心の声を却下する。
なんでこんなに胸が苦しいのだろう。
心と、体がバラバラで繋がっていないからだろうか。
―――いいや違う。
チグハグなそんな気持ちで一郎太にどんな顔をすればいいのか。
そんな事を考えて家に着くまでには両足に乳酸が溜まっており錆びついたブリキの人形のように固く石のように重たくなった。
そして、全力疾走は高校の部活以来だと思い出すのは寮の玄関にたどり着いた時だった。
「……」
階段をゆっくりと登り、酸素を求める肺がフル稼働している中、俺は気持ちを整理する。
―――俺は、一郎太のことをどう思っているのだろうか。
一郎太は俺の同居人で、振り回してくる。優男のやつで……。
そして女に変身する変なやつだ。
―――一郎太は俺のことどう思っているのだろう。
あいつは、俺と付き合うことは嘘だと言っていて復讐をしようと言って……。
―――本当にそれは一郎太の意思なのだろうか。
俺は玄関の前に立つ。
「それは聞いてみないとわからない……!」
俺に答え、玄関のドアノブに手をかけた。
ガチャリ。と鍵が閉まっている音が響き、ドアノブが回らなかった。
「……」
一度、手を離す。
沈黙が漂ってくる。
一度考える。
名札を見ると、飯田と、西田という標識が付いている。
「……すー、まぁ、俺の部屋だよな」
気のせいだろうと思い、また手を伸ばす。
ガチャリ。と鍵が閉まっている音が聞こえた。
「……」
もう一度手を離す。
そしてポケットに鍵があるか確認するが……なかった。
えっと、それはつまり……。
閉め出しされた?
俺は握りこぶしをつくり玄関の扉を思いっきり殴りつける。
「おぉぉぉぉい!? 一郎太!? 俺だけど! あけてくんない!?」
返事もなかった。シーンとした静かな部屋だ。
外は真っ暗で、廊下の電灯がついている程度の中、スマホの電源をつけると時間は夜の十時。電池の残量はあと3パーセントで今にも消え去りそうな状態だった。
呼び鈴を鳴らす。
一度鳴らしたが、もぬけの殻のように反応もない。
連打。連打連打連打。
しかしまるで空室かのように反応は一切なかった。
「……一郎太ぁぁぁぁぁぁ! 開けろヤァァァァァィ!」
怒鳴り、叫び散らすが反応もない。
そろそろ俺がブチ切れそうだ。と思った俺はその場を後にした。
となりの部屋の蘇芳と天羽の名札が付いている呼び鈴を鳴らした。
「ほいほい、あ、雄一じゃん。どした?」
爽やか系イケメンの蘇芳が出るや否や、俺は中に入った。
「お、おいどうしたんだよ。雄一。お前の家となりだろ!?」
「悪い。ちょっとベランダ借りる」
「は? お前何言って」
蘇芳の言葉を無視してベランダに出た俺は柵を跨ぎ外に出る。
ちなみに俺と一郎太の部屋は五階でもし足を滑らせようとするならば、五階下のコンクリートに叩きつけられる。そうなれば俺は豆腐のようにぐちゃぐちゃのミンチの出来上がりだ。
だけどそんな怖い事考えている暇なんてない。
「おい、やめろって!」
蘇芳は俺の行動を考え直そうとするがそんな事は関係なかった。
「悪い、礼は後で返す」
俺は蘇芳に言った後、となりの部屋。俺と一郎太のベランダに入った。
「……空いてる……か」
ベランダのドアに手をかけると鍵はかかってなかった。
カラカラと鳴り、スライドドアが開く。そして俺は靴を脱いだ後、部屋に入った。
部屋は真っ暗で、何も見えない。
「……」
人の気配がないと確認した俺は部屋の電気のスイッチを手探りで探し、電気をつけた。
それと同時に目の前には木の棒があった。
いや、向かってきた。
「うぉぉぉぉぁぉ!?」
全力で避けた。いや本当に死ぬかと思った。
木の棒が勢いよく壁にぶつかる。いや壁に穴が空いた!?
「こんっの!」
「おい! 一郎太、落ち着けって!」
「この状況で! 落ち着けってなんなの!」
あれ、一郎太、女になってる。
それを理解した俺は横薙ぎに飛んでくる木の棒を脇腹で受け止めた。
「いっ……」
たいけど我慢できる。二の腕と挟み、固定する。
「一郎太」
「うっさい! お前なんか死ねばいいんだ!」
おう、かなりご立腹。
電気をつけてみれば部屋の惨状が見えてきた。
ボロボロになった机。ぐちゃぐちゃの床。
そして泣き腫らした一郎太の顔。
この状況で理解できない男は、多分、世の中にはいないだろう。
というよりこんな状況にしたやつはさっさと死ねばいいと思う。
それは俺だ。
「一郎太」
彼女の名前を呼ぶ。
「私の名前を呼ぶな! 寮長に行ってパートナー解消してやるんだから!」
烈火の如く怒りをぶつけてくる一郎太の目は充血していた。ずっと泣いていたのだろう。
木の棒を手放した一郎太は今度は殴りかかってくる。
だけど非力で全然痛くなかった。
「一郎太……」
「……お前なんか……大っ嫌いだ」
二度、三度胸を殴った後、愚図り嗚咽混じりの声が一郎太から漏れ出た。
俺はその一郎太の体を抱きしめた。
「それは困る」
「……」
俺は強く、一郎太の体を抱きしめた。
一郎太の鼓動が伝わる。
一郎太の匂いがする。
「なんで……雄一は私のこと嫌いになったんじゃないの?」
「それは違う」
俺は否定した。
「俺は、一郎太の気持ちがわからなかったんだ。一郎太がなんで俺の復讐を企てたのか。付き合ってると言って嘘だというのか。俺には全然わからなかった」
「……」
「でもそれが嘘だったんだ。一郎太は俺の事が好きだというのが本当だった。そうだろう」
返事がなかった。
「男として俺と接触してきて、女に変われるという事実を見せて、お前は俺が距離を置いたように見えたのだろう。だから嘘をついた」
そう、俺が一郎太に近寄られた時に後ずさりをした。
一郎太は繊細なんだ。
男にも女にもなれる一郎太にとってはほんの少しの動きですら、拒絶に感じてしまう。
「だから、私は……」
「でも違うんだ。俺は人見知りだから。一郎太に近寄られた時、俺はびっくりしただけなんだ」
「……嘘だ」
「嘘じゃない。実際木の棒で襲われた時びっくりして全力で逃げただろう」
襲われると思ったんだ。そのまま受け止めたら俺は死んでいたかもしれない。
「だから、俺はお前のことを嫌いになっていない」
「……本当?」
「あぁ、だからちゃんと言わせてくれ」
腕を緩め、一郎太の顔を見る。
真っ赤で汚い顔で、まるで子供みたいな顔だった。
だからちゃんと言える。そんな気がした。
今目の前にいるのは、一郎太だ。
胸の苦しさも、つっかえる気持ちも全部取り外してくれる大事な存在。
「俺は、お前のことが好きだ」
俺は一郎太に、彼女に思いの丈を伝えた。