堕ちる。
「……誰もいないよね?」
「……多分な」
夕方、俺たちは辺りを警戒した。
辺りには大学の学生は誰一人おらず閑散としている。
まだこの時間帯は学生達はバイトなりなんなりしていていない時間だ。だからバレずに入れると思う……。
「……よし、行くぞ」
俺は足早に歩き、玄関に向かう。
扉に近づき様にポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込んだ。
ガチャリと開けると同時に鍵を抜かず、思いっきり開ける。
その隙に一郎太は走り出し玄関に滑り込んだ。
それを確認すると玄関から鍵を引き抜き、部屋に入った。
「……誰も、いなかったよね?」
「俺が先行してちゃんと見ているんだから大丈夫だって」
「そっか……はぁー、疲れるー」
一郎太は玄関と廊下で腰を上げた状態で寝そべっており、俺は玄関の扉を背もたれに座り込んでいた。心臓がバクバク鳴り響いて打ち付けられている胸郭が痛かった。
「二度目だし慣れるかなと思ったけどやっぱり慣れないね」
「全くだ……」
俺は呼吸を整え立ち上がろうとした。
目の前を見てしまった。
一郎太の後ろ姿だ。
腰を上げているから服がめくれ上がり、ジーパンから背中が丸見えだった。
女性特有の腰の細さがそこにあり、お尻を突き上げている状態に魅惑を感じる。独特の男性の性をくすぐる臭いがした。
「……なんか熱い視線を感じる」
「気のせいだ」
「心なしか熱い吐息を感じるんだけど」
「気のせいだ」
そう、これは気の迷い。気の所為だ。
決して、目の前にいる同居人に興奮したりなど……。
「んふふー、襲っちゃってもいいんだよ? なんせ私達は付き合っているんだから」
「馬鹿を言うな」
もちろん冗談だってわかっている。
わかっているんだ。
だけどどうしてだろう。なんでこんなにも……。
「……」
「さーて、ご飯の用意でもしようかな。雄一、何食べたい?」
一郎太はご飯の準備について話していた。
心臓が、高鳴る。
脳に留まっていた理性が溶け出していた。
真夏に食べるアイスクリームのようにどんどん溶け出していく。ドロドロと、スプーンですくいきれなくなっていく。
―――『一郎太』は男だ。
液体になり、器から溢れ出す。
―――『一郎太』は男だ。
でも、目の前にいるのは女だろう?
「……っ」
思わず生唾を飲んだ。
この部屋にいるのは……俺達だけ。
一郎太は男とは言え、女性の体をしている。
「……雄一?」
その俺の考えが脳味噌を麻痺させた。
不意に手を伸ばした俺の手は一郎太の腕を掴んでいた。
「雄一? ちょっと……痛っ」
「……はぁー、はぁー」
強引にひっくり返した俺は、一郎太の上に乗る。
両手首を全体重乗せて、拘束した。
服が乱れて、臍がチラリと見えている。拘束された女性。俺の同居人。それらの要素がこの結果に至る。
一郎太はその俺を見て驚いた顔をしていた。
その顔はなんだ。わかっていただろう。
「雄一、手を離して」
「……っ」
言葉が出ない。体の支配権が本能に委譲される。
顔を落とし、一郎太の首元に唇が触れた。
漏れ出す淫靡な声。その声が脳内に直接響き、どんどん快感に感じていく。
唇から舌から感じる女性の甘い匂い。クセになる止まらなくなる。
水を手で遊ぶような音が聞こえた。
一郎太の手は抵抗しなかった。
いや、俺が強く押さえつけすぎたから反抗できないのかもしれない。
両手で抑えていた手を片手に切り替える。自由になった手が服の中に忍び込んだ。
一郎太の首から甘い匂いが強く感じる。
どんどん短絡的な思考へと、人間だった俺が、どんどん、獣へと、堕ちていく……。
「……雄一なら……いっかな……」
その言葉に俺の思考は止まった。
首を執拗に触れ続けていた俺の顔は離れる。
目の前にあったのは、涙目の一郎太だった。
今にも泣き出しそうな一郎太の姿がそこにあった。
「……なんで」
「雄一なら……別に」
いいかな。と一郎太はもう一度呟いた。
飛び退くように、俺は手を離す。その反動に玄関の扉に頭を打ち付ける。
目の前が揺れる。
頭痛が襲う。
「雄一?」
「お前は……!」
感情がぐちゃぐちゃになる。頭を打ち付けて箍が外れたかのようにぐるぐると渦巻く。
「お前はなんで……そんなに!」
堰き止めていた気持ちが溢れ出す。
「そんなに冷静にいられるんだよ! なんでそんな平静でいるんだよ!」
「雄一?」
俺は立ち上がった。胸の奥から湧き上がる感情に胃液を吐き出しそうになる。
「これじゃ……俺は……!」
癇癪みたいに感情のままに叫び出そうとした瞬間……息が詰まった。
自分勝手じゃないか?
俺の意識の裏側でそう囁く俺がいた。
「……っ!」
「雄一!」
走り出す俺は呼び止める一郎太の声に止まらなかった。
いや止まろうとしなかった。
今はただ、ここから逃げ出したいと言う気持ちしかなかった。
……最悪だ。と自己評価をした。
寮から大学から三キロ近く走り続け、行き着いた公園のベンチでぼんやりと夜空を眺めていた。
休憩もせず、ただひたすら走り続けていた俺の体はいつの間にか自慰を終えた賢者へと成り果てていた。
夜の空気はシンとしていて針のように冷たく、体を突き刺してくる。その突き刺した部分から蚊のように体温が奪われていくが、走りきった体は篭りきった体温が奪われる程度であり寒いとも感じずむしろ心地よく感じたが、右手に自販機で買った暖かい缶コーヒーは冷たくなっていた。
「なんで、こんなことになったんだろう」
空を仰ぎながら独り言をつぶやく。
「俺は、なんでこんなことをしたんだろう」
ずっと、一郎太と暮らしてきたから自慰をしてこなかったからだろうか。
「いいや、トイレなり風呂なりやってきた……」
しかし最近、やっていなかった……。
「いいや。違う。そんなんじゃない」
そうだったなら、俺はそれよりも前に一郎太に手を出していたかもしれない。
「……何言ってるんだよ。俺……」
その答えを知っている人は俺しかおらず、そしてその答えを知らないまま俺の頭が垂れた。
「……謝る……しかないよな……」
家に帰ってさっさと謝ろう。きっと。一郎太も直ぐに許してくれる。
だけどその考えは甘い気がした。絶対許してくれるなんて誰か言ったのだろう。
一郎太でもない俺がなぜそんなことを言えるのか。
そんな浅ましい考えで俺は家に帰ることができなかった。
……今日は野宿だな。
俺はそう思いながら、ベンチをベッド代わりにして寝転ぶ。
それと同時だ。
「……あれ? 西田君?」
俺の名前を呼ぶ女性の声が、あいつの声が聞こえたのだ。




