俺は振られた。
人は皆、秘密や隠し事がある。
それは俺にもあって、すれ違う人にもあり、俺と顔を合わせたことのない人も、子供も、赤ん坊も、全員何かしらの秘密を持っている。
人は皆、同じ者であり違う者だ。
例えば三十手前の男性は髪の毛ふさふさだけど、実はヅラなんですとか。
例えば十八歳の高校生は見た目清純だけど、実はビッチでヤリマンなんですとか。
例えば五歳の子どもは純情だけど幼稚園では子供を泣かしたりする性格がどぎつい子とか。
人は皆、違う者であり同じ者である。
だから、みんながみんな表の顔と裏の顔が存在している。
そしてこの目の前にいる俺の彼女も前例のように秘密を持っている。
モジモジとしている彼女はとても申し訳なさそうな、今にも泣きそうな顔をしていた。
「……あのね、西田君。私達付き合って一ヶ月になるんだけど、別れてほしいんだ……」
「……そっか」
理由なんて聞かなかった。
目の前で言い訳ばかりしている彼女を俺は俯瞰的にじっと見つめているだけだった。
さっきまでもじもじと泣きそうな顔をしていた彼女の背中はウキウキとしているように見えた。むしろ、その背中は『あぁ、スッキリした』という憑き物が落ちたような感じだった。
そして俺、他人と同じように秘密を持っている西田雄一はつい先ほど彼女と別れた。
理由など聞かなくてもわかるだろう。彼女の浮気だ。
彼女の背中が俺の視界から消え去った後、ゆっくりと建物の壁に背中を預けた。
「はぁー、まぁそうだとは思っていたんだけどさぁ……」
おそらく彼女が俺のような冴えない男と付き合う理由があるとするなら『俺の財布の中身』が目当てだろう。
少し前の女性雑誌で、付き合う理由のブラックな部分という見出しには『財布』という言葉が六割を占めているのを思い出す。
おそらく彼女が俺に声をかけた理由は俺が財布を使わない、たんまり脂肪を蓄えた豚に見えたのだろう。
ポケットからスマホを取り出し電源を付けようとしたが画面は付かず、充電器の接続端子のイラストで真ん中にカラになった電池のマークだけが表示されていた。
「夜ちゃんと充電しておけばよかった……」
これじゃあ彼女のラインアカウントすらその場で削除できないじゃないか。まぁ、多分あっちからブロックにしてくれるだろう。放っておいても良さそうだ。
ふと、近くのビルを見ると電光掲示板のような大きいデジタル時計が十五時を示していた。
「……まぁ、思い出にはなったかなぁ」
ため息を漏らし、独り言をつぶやく。
少なからず期待はしていた。あわよくばホテルとかにも行けたかもしれない。とも想像すらした。
だがしかし妄想は妄想である。女性一人で妄想しても罪には問われないだろう。
一度空を拝んでから下を向き、家路につくことにした。
俺の住んでいる場所は全寮制の大学の女人禁制の場所だ。大学にはいって寮生活をした時はホームシックなりなんなり起きてメソメソしていたのを思い出す。
階段を三階まで登っていき俺の部屋の前に立つとほんのりと味噌汁の匂いがした。
ガチャリと鍵を開け、中に入った。
「ただいまー」
玄関で靴を脱いでいると、後ろからパタパタとスリッパの足音が近づいてきた。
「お帰り、ご飯にする? お風呂にする? それとも……俺?」
「それ、女性の時に言って欲しいもんだな」
振り返ると、俺と同じ身長くらいの男が女性が身につけていそうなエプロンをつけて立っていた。
名前は、飯田一郎太。同じ大学の同居人である。
俺はラグビーや柔道をやっていたために節々が付いている筋肉質の体に対して、一郎太は俺と真逆のインドアなイメージがつく。細身でそこそこに痩せこけていて、マッチみたいにちょっと力を入れたらすぐに折れそうな体型をしていた。肌も俺と真逆で色白で、髪の毛は茶髪。
なんというか、髪がそこそこ伸びていたら女性と見間違えそうな顔と体型をしている。
この寮はルームシェアという下りで二人で一つの部屋を使うのが規則になっている。
ホームシック防止のためとかいろんな言い訳ができるが、大体の理由は経費削減というものだろう。
「……なんだよ。変な目で俺をみるな」
一郎太が俺がじっと見ていることに嫌悪感を示す。その嫌そうな動作などを見たあと、俺は深くため息を漏らした。
「なんか……もっといいエプロンはなかったのか?」
はっきりいうと目に毒である。
「そんなこと言われてもなぁ。実際エプロンってこういうのしかないが……」
「お前、もし近隣住民が俺たちの部屋をノックした時にそのエプロン姿で応対とかしてないよな!?」
「ちゃんとエプロン外してるし」
当たり前だ。その格好で出たら寮長とかに叱られかねない。
「そういや今日早く帰ってきたな。門限まで帰ってこないかもって言っていたじゃないか」
あー、それなー。と言いながら俺は一郎太の隣を通り抜ける。
「フラれた」
「だぁぁぁーはっはっはっはっ!」
笑われた。
全力で笑われた。一郎太の今日一番の爆笑だった。
俺はリビングに置かれているソファーにどっかりとすわる。
「なんだよ。別にフラれてもいいじゃないか」
「それでも、一ヶ月で、フラれるとか、いやほんと面白いわ」
「どうとでも言え」
あー、帰ってくるまでには傷が癒えて普通に入れたものがまーたずたぼろだよ。
一郎太は一頻り笑ったあと、俺の隣にすわる。人三人座れるんだからもう少し離れて座ってくれよ……。
「で、理由はなんだったんだ?」
「有り体の言い訳だったよ。あっちはきっと浮気だろうな」
「ほーう? 浮気か。愉快痛快だ」
一郎太はニヤニヤと笑った。
「というか、多分俺の財布が目的だと思う。ほとんど奢っていたし」
「お前が?」
「じゃなきゃ俺が悪者だろう」
「だろうな」
一郎太はソファーから立ち上がるとしばらく立った状態でいた。
その彼の後ろ姿を見ていた俺は項垂れる。
「あー、ほんと悔しい。いっそのこと勢いに任せてセックスとかしたらよかったらもなぁ」
まぁ、独り言だ。目の前にいる一郎太は男性だから別に抵抗はないだろう。
「復讐したい?」
彼は囁いた。
俺は顔を上げると一郎太はまだ背を向けていた。
俺と同じ身長で細身の体が、栄養が取れていない痩せこけた悪魔のようだった。
「復讐して、ざまぁ。って言ってやりたい?」
「……まぁ、できることなら」
それは契約だった。
振り返ると一郎太は振り返り、俺を見る。
「じゃあ、やってやろう。奴の性根を刈り取ってやろうぜ」
彼の口が三日月みたいに歪んでいた。